1996年のLeafが、Hシーンを設定に縫い付けた——その発明は本物よ。
全Hシーンを「毒電波」という固有の設定に接続し、エロを物語から切り離せない構造にした1996年の意欲作。設計の野心はその時代の水準を超えていて、一部のシーンは今の基準で読んでも実用性に耐える。ただし1996年という時代的な限界がテキストに出ていて、描写の密度にはムラがある。全体として「エロゲーとして機能している」と断言できる。シコれる。
スコア詳細
「電波の受信」という発明
Leaf、1996年。「ビジュアルノベル」を最初に名乗った作品よ。
PC-9800 / Windowsで発売。髙橋龍也が書いた初期Leafの問題作。男子高校生・長瀬祐介が通う学校で、同級生たちが異常な行動を取り始める。深夜の学校、壊れた女生徒、「電波の受信」と語る美少女——調査が進むほど学校の闇が顔を出す。
私がこれを手に取ったのは「電波の設定がHシーンに全部使われている」という話を聞いたから。1996年にそういう設計をした作品があったなら確認する価値がある——それが動機よ。シコれるかどうかは、後から判断する。
全Hシーンが「設定」で動いている
エロゲーにおいて、これは珍しい作り方ね。
本作のHシーンは全て「毒電波」という固有設定に縛られている。電波によって自制が奪われる——そのルールがあるから、全てのHシーンに物語上の文脈が生じる。「なぜこの子がこの状況になったのか」を設定が引き受けているのよ。エロゲーでよくある「唐突に始まるHシーン」が原理的に存在しない設計になっている。
これを1996年にやった。その点は正直評価するわ。シコれるかどうかと並行して、この設計のことを考えながら読んでいた——珍しいことよ。
テキストに1996年が出ている
これは欠点ではなく、時代の問題ね。
官能描写のテキストは1996年水準で読む必要がある。語彙の幅は今の作品と比べると狭い。描写のパターンも定型的な部分がある。それでも「ぷちぷちと何かを引きはがしていく感触」のような一行が不意に刺さってくるのは、ライターの個性よ。及第点は出ている。
シーンによって密度に差がある。長くて熱量があるシーンもあれば、短くて情報量が少ないシーンもある。全体を通じてテキストの品質が均一でないのは正直な弱点ね。
一人、際立っているヒロインがいる
このゲームに一人だけ、Hシーンで完全に花開くヒロインがいるわ。
複数のヒロインがいて、それぞれHシーンを持っている。大半は電波の支配下での強制シーン——だからキャラクターの個性よりも、電波を操る加害者側(本作のラスボスにあたる三年生の先輩、月島拓也)の「玩具」としての均質さが出てくる。それは設計の必然で、欠点というより選択ね。
ただ一人、Hシーンがそのキャラの核心にまで達しているヒロインがいる。そのシーンについてはネタバレあり版に詳しく書いた。「このヒロインのためにこの設計がある」と感じた——その意味での必然性は本物よ。
陵辱シーンは長い。長すぎる部分もある
1996年の基準でも、少し冗長ね。
集団陵辱シーンの尺が長い。設計上の必然性はある——月島という支配者の徹底さを描くためには、ある程度の長さが要る。そこは理解する。でもシーンによっては中盤から同じパターンの繰り返しになって、密度が下がる箇所がある。
シチュエーションのバリエーションは評価するわ。合意・強制・集団・個別、それぞれに異なる演出がある。量より質、という観点で見れば「もう少し絞った方がよかった」シーンがいくつかある。以上ね。
エロゲーとして機能している。7.5
1996年の陵辱エロゲーとして、及第点以上を出す。
「毒電波」という設定でHシーンを本編に縫い付けた設計は本物の発明だわ。その一点だけでも、同時代の多くの作品と異なる。シコれる。全シーンではないにしても、一部は今の基準でも実用性がある。ヒロイン一人については特筆すべき水準のシーンがある——それだけで7.5の根拠は成立する。
テキストの密度が全体で均一でないこと、一部の集団シーンが長すぎること——これらは正直な弱点。8.0以上には届かなかった。でも「エロゲーである必要があったか」という問いへの答えは明確にイエスよ。この設定ならエロは飾りじゃない。
「君たちはみんな、本当は心のどこかでこんなことを望んでたのさ」 — 月島拓也
