「にはは」って笑う子と、その母親の話。夏が終わるまでに、涙腺が完全に壊された。
2000年、Keyの『AIR』。麻枝准・久弥直樹シナリオ。夏の海辺町に流れ着いた人形使いの青年と、「にはは」が口癖の女子高生・観鈴、その豪快な母・晴子の話。最初はのんびりした夏の話だと思ってたら、進めるごとに少女たちの背中に小さな影が見えてくる。あたしにとってこれは恋愛ゲームじゃなくて、母と娘の話だった。9。減点はある章に入る時のテンポと、Hシーンが感情の核とは別の場所にあったこと。それ以外は「好き」しか言えない。観鈴と晴子に会いに行ってほしい。
スコア詳細
「夏の話」だと思ってたら、家族の話だった
2000年のKey、麻枝准・久弥直樹シナリオ。最初は、夏の田舎町に流れ着いた人形使いと変な女子高生の、のんびりした話だと思ってた。
旅の人形使いの国崎往人が、路銀も尽きて南の海辺の町にたどり着く。バス停で「どろり濃厚」っていう変なジュースを勧めてくる女子高生、神尾観鈴。口癖は「にはは」と、困ったときの「がお…」。彼女に連れられて居候することになった神尾家には、バイクで深夜に帰ってきて酒を浴びるように飲む豪快な母・晴子もいる。商店街には元気な佳乃、駅前には物静かな美凪。そういう、夏の町の女の子たちと過ごす話だと、あたしは最初思ってた。
でも進めていくと、その「のんびり」がだんだん違う色になってくる。観鈴は「にはは」って笑ってるのに、学校では一人ぼっちだったり、急に困った顔で「がお…」って言ったり、どこか噛み合ってない瞬間がある。佳乃も美凪も、明るかったり静かだったりするけど、それぞれの背中に小さな影が見えてくる。「あれ、これ笑ってる場合じゃないかも」って気づく瞬間が、ちゃんと来るの。
あたしが『AIR』をやろうと思ったのは、Keyの泣きゲーって聞いてたから。Kanonをやって泣かされたあとだったから、次はこれだって。期待してた。期待を、きれいに超えてきた。ここから先は、あたしが何に泣いたかを、ネタバレを避けながら全力で語ります。
観鈴の「がんばる」が、ずっと胸に刺さってた
あたしの『AIR』は、ほぼ観鈴の話。「にはは」って笑うこの子のことを、最後まで考えてた。
神尾観鈴。「にはは」って笑って、困ると「がお…」って恐竜の鳴き真似をする。最初は「ちょっと天然で変な子だな」くらいに思ってた。間違ってた。この子、ものすごく一人で、ものすごくがんばってる子なんだよ。
観鈴は、なぜか友達ができない子なの。理由は本編で明かされるからここでは書かないけど、それでも観鈴は「もう一度だけ友達作ろうとしてもいいよね」って自分に言い聞かせて、往人に話しかける。「観鈴ちん、ふぁいとっ」「おーっ!」って自分を励ます。この自分で自分を応援する仕草が、健気で、ちょっと痛々しくて、でもまっすぐで。一人ぼっちの夏休みを、それでも前向きに過ごそうとする子。あたしはこの「がんばる」観鈴のことが、進めるほど好きになっていった。
観鈴って、ただ可哀想なヒロインじゃないの。ちゃんと自分の足で立とうとしてる。だからこそ、後半でこの子が抱えてるものがわかってきた時に、こっちの胸が「ぎゅっ」てなる。「がんばる」を見せられてた分だけ、効く。具体的なことはネタバレ版で全部書くけど、観鈴の物語の着地は、あたしのギャルゲー人生の上位に入る。ほんとに。
晴子という母親。この人が作品の背骨だった
『AIR』を恋愛ゲームだと思ってると、晴子の存在で軌道修正される。これは母の話なんだって。
神尾晴子。観鈴の母親。最初は完全にコメディ担当だと思ってた。バイクで納屋に突っ込んできて、往人を一蹴して、一升瓶を「あんた、ぐっといくんや、ぐっと」って勧めて、お互いの鼻に指を突っ込み合う。「うちは晴子いうねん」「年甲斐もないような呼ばれかたされたら嫌やからな」って、ガサツで酒癖が最悪な大人の女。笑わせてくる人だと思ってた。
でも違うの。この人が、この作品でいちばん大きいものを背負ってる人だった。晴子と観鈴の関係には、最初どこかぎこちなさがある。一緒に暮らしてる母娘なのに、お互いを大事にしすぎて、まっすぐ向き合えてない感じ。観鈴も「わたしのせいで、お母さん、苦しめたくない…」って気を遣ってる。この二人がどうやって本当の母娘になっていくか。それが『AIR』のいちばん大事な軸だって、あたしは思ってる。
晴子が「うち、あんたのこと好きや」「ずっと一緒に暮らしたい、思ってしもたんや」って言う場面で、あたしは一回泣いた。この一言にどれだけの背景があるかは、本編で受け取ってほしい。観鈴が主役のように見えて、最後まで読み終えた時に、いちばん胸に残ってたのは晴子だった。母の話だったんだよ、これは。
佳乃と美凪、二人のヒロインもちゃんと泣かせてくる
観鈴に持っていかれがちだけど、佳乃と美凪のルートにも一個ずつ刺さるポイントがある。
霧島佳乃。手首にバンダナを巻いてて、ポテトっていう謎の毛玉を連れてる元気な子。「魔法ってね、誰かを幸せにするためにあるんだよ」って無邪気に言う。明るくて天真爛漫で、商店街を走り回ってる。でもこの子のルートに入ると、その明るさの裏にあるものが少しずつ見えてくる。姉の聖が町医者で、この姉妹の関係がルートの中心になる。聖が妹のために何を抱えてきたか。姉が妹を守ろうとする話で、あたしはここでも泣いた。佳乃の笑顔が、ただの笑顔じゃないってわかった瞬間が刺さる。
遠野美凪。物静かで、いつも「…がっくりです」「…ありがとうの…ありがとう」って独特のスローテンポで喋る子。親友のみちると駅前で遊んでる。最初はこの二人の関係がほのぼのして見えるんだけど、進めると、美凪が抱えてるものと、みちるという存在の意味がわかってくる。美凪と母の関係が、このルートの核。詳しくはネタバレ版で書くけど、Keyはこういう「静かな子が抱えてる重さ」を描くのが本当にうまい。美凪の「…はい」っていう万能返事の奥に、ちゃんと事情があった。
つまり、観鈴も佳乃も美凪も、みんな笑顔の裏に何かを抱えてる。それを雑に消費せず、一人ずつちゃんと時間をかけて向き合ってくれてた。あたしはそれが嬉しかった。
日常パートの「夏」がちゃんと尊い
『AIR』のすごいところは、「泣きゲー」の前に「夏ゲー」がちゃんとあるところだった。
共通ルートの日常パートが、潮の匂いと蝉の声でできてる。観鈴と堤防でジュース飲んだり、晴子の酒攻めに往人がキレ気味に応戦したり、商店街で佳乃に振り回されたり、駅前で美凪のシャボン玉を眺めたり。なんてことない夏の一日が、ちゃんと積まれていく。最初は「のんびりだなあ」って思って付き合ってたんだけど、この日常がちゃんと貯金になってるんだよ。
後半で女の子たちが抱えてるものが見えてきた時、序盤の何でもない夏の会話が、全部違う意味を持って効いてくる。「この夏がなくなるのいやだ」ってこっちが思えるのは、その夏をちゃんと過ごさせてもらったから。日常を尊いものとして描いてから、それを揺らす。この設計が、今やっても強い。
ただ、ある章に入る時のテンポでつまずいた。ここは正直に言う。それまで現代の女の子たちに感情を全部持っていかれた直後に、空気がガラッと変わるパートが入る。最初は「いま乗ってたのに!」ってハンドルを急に切られた感じがあって、入り口の30分くらいは「うーん」ってなった。最終的にそのパートが全部の土台だってわかるから報われるんだけど、あたしみたいに感情移入で物語に入るタイプには、あの切り替えの段差がちょっと大きかった。減点の一個はここ。
往人について。ぶっきらぼうだけど、ちゃんといい男だった
主人公が嫌いだと物語から引き抜かれちゃうタイプのあたしだけど、往人は最後まで好きでいられた。
国崎往人。旅の人形使いで、ぶっきらぼうで皮肉屋。目つきが悪くて、子供を見れば人形芸で小銭をたかろうとする。「ラーメンセットひとつ」って腹減り時にうわ言を言ってたり、扇風機の前で「ア〜…ワレワレハ、トオイホシカラヤッテキタ…」ってやってたり、最初はちょっとふざけた感じの男。でも、観鈴のお守りを頼まれてからの往人が、地味に誠実なの。
往人は、母から「空には翼を持った少女がいる」って聞かされて、それを探す旅をずっと続けてる。この「探してるものがある」っていう芯が往人にはあって、だからただのチャラい流れ者には見えない。観鈴に対しても、晴子に対しても、口は悪いんだけど、ちゃんと向き合ってる。皮肉を言いながらも、隣にいてくれる男。あたしは往人の「俺はここにいるからっ!」っていう必死さに、後半でやられた。
一個だけ、観鈴ルートの途中で往人の判断にちょっと気持ちがずれた瞬間があった(これはネタバレ版で詳しく話した)。感情移入してるこっちとしては「そこは離れないでくれよ」って一回思った。でも、それも含めて最後にちゃんと回収されるから、トータルで往人を好きになれた。主人公をちゃんと好きになれる作品は、それだけで強い。
Hシーンは、感情の核とは別の場所にあった
9にしてる理由の一個。Hシーンについて、正直に話すね。
『AIR』は18禁原版がある作品で、ヒロインそれぞれにHシーンがある。あたしはそこを否定したいわけじゃないんだけど、この作品の本当の核は、観鈴と晴子の母娘とか、女の子たちが抱えてるものとか、そっちにあって、Hシーンはその核に直接は絡んでなかった、っていうのが正直な感想。
観鈴のHシーンは、二人が想い合ってるのは伝わるし、純愛として悪くなかった。佳乃のは初々しさがあったし、美凪のは張り詰めた感じがにじむ。でも、どれも「このシーンがなかったら物語が壊れる」っていう必然性のあるHシーンではなかったかな、っていうのがあたしの受け取り方。
ただ、誤解しないでほしいのは、これは大きな減点じゃないってこと。『AIR』はそもそも、Hシーンに頼らないで純愛と家族愛だけで泣かせきる作品だから。あたしはHがあってもなくても、観鈴のことで泣いてた。だからHシーンへの感想は「嫌い」じゃなくて、「感情の核とは別の場所にあった」っていう距離感の話。そこだけは正直に置いておきたかった。
エンディングの話(控えめに)
具体的なことは書かない。けどこれだけは言わせて。
『AIR』のラストは、あたしがやってきたギャルゲーの中でも、いちばん泣いた部類に入る。何が起きるかは絶対に書かない。でも、これだけは言える。この作品のテーマは「家族」で、最後にそのテーマが完全に着地する。晴子が言う「家族って、すごいなぁ」「このうえない幸せと、このうえない辛さ…すべてがそこにある」「それはまさしく人が生きる、いうことや」っていう一言に、全部が詰まってる。
これを「お涙頂戴」だって言う人がいるのも知ってる。でもあたしは違う。最後の感動は、前半・中盤でちゃんと積み上げた夏の時間の対価として置かれてた。なんの努力もなしに泣かせにくるんじゃなくて、「ここまで一緒に過ごしたからこそ来る」感動だった。だから、途中でテンポにつまずいても、投げないでほしい。あの夏を最後まで過ごしてから、もう一回最初に戻りたくなるから。
あと、これだけ。クライマックスのいちばん感情が高まる場面で、挿入歌が流れる。「あの海どこまでも青かった」って始まる歌。曲の良し悪しの話じゃなくて、その言葉が、それまで観鈴と過ごしてきた夏の海辺の町と、ぜんぶ重なるんだよ。歌詞として読んだんじゃなくて、あの瞬間に言葉として聞こえてきた。あたしはその言葉でもう一回涙腺をやられた。どの場面で流れるかは書かない。でも、流れたっていう体験がある。それだけは言っておきたい。
2000年の作品が、2026年のあたしの涙腺を完全に破壊してきた。これは事実なの。古い・新しいとか言う前に、「会いに行ってください」って言うしかない作品。
9.0——「にはは」と笑う子と、その母親の夏
一言で言うと、母と娘がちゃんと母と娘になる夏の話。
「にはは」って笑って、「がお…」って困って、一人ぼっちでも「観鈴ちん、ふぁいとっ」ってがんばる観鈴。バイクで帰ってきて鼻に指を突っ込んでくる豪快な晴子。手首にバンダナを巻いた佳乃。シャボン玉が下手な美凪。みんな笑顔の裏に何かを抱えてて、ぶっきらぼうな往人がその夏に居合わせる。あたしはこの夏の全部で泣いた。
減点は、ある章に入る時のテンポでつまずいたことと、Hシーンが感情の核とは別の場所にあったこと。それ以外は、書けない。書こうとすると「好き」って言葉しか出てこなくなる。9。10にしなかったのは、あたしが途中で一回つまずいたのを正直に置いておきたかったから。ゴールの破壊力は完全に10だった。
『AIR』を「泣きゲーの代表作」として読むのもいいけど、あたしのおすすめは「母と娘が本当の家族になる話」として読むこと。そう読むと、観鈴と晴子がほんとに大事になる。会いに行ってください。それしか言えない。
あと、一個だけ。観鈴がずっと「がんばる」子だったってこと、最後まで覚えておいてほしい。あの子の「がんばる」を見届けてあげてほしいんだよ。それだけは、ここで言わせて。
