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田中穂乃火のレビュー — AIR(ネタバレあり)

田中穂乃火
田中穂乃火
感情が先、言語化は後
9.0/10
9.0 / 10

観鈴が自分の足で「ゴール」まで歩いて、晴子の腕の中で倒れる。あたしはそこで壊れた。

ここからは全部しゃべっちゃう。観鈴が神奈の魂を継いだ最後の翼人だったこと、だから体が壊れていったこと、往人がカラスのそらだったこと、千年前の神奈と柳也と裏葉のこと。そして八月十四日。観鈴が「もうゴール、していいよね」って言いながら晴子に向かって歩く、あの三歩。あたしの中の『AIR』は、観鈴と晴子の母娘の話。恋愛ゲームの皮をかぶった、母と娘の話だった。9。減点はSUMMER編に入る時のテンポと、Hシーンの温度。それ以外は「好き」しか言えない。

スコア詳細

感動・カタルシス 10
エンディングの満足度 10
ヒロインの魅力 9
キャラ間の関係性 9
テーマ・メッセージ性 8
テンポ・緩急 7

「にはは」で笑う子が、なんでこんなに泣かせてくるの

2000年のKey、麻枝准・久弥直樹シナリオ。最初は、夏の田舎町に流れ着いた人形使いと変な女子高生の、のんびりした話だと思ってた。

旅の人形使いの国崎往人が、路銀も尽きて南の海辺の町にたどり着く。バス停で「どろり濃厚」っていう変なジュースを勧めてくる女子高生、神尾観鈴。口癖は「にはは」と、困ったときの「がお…」。彼女に連れられて居候することになった神尾家には、バイクで深夜に帰ってきて酒を浴びるように飲む豪快な母・晴子もいる。商店街には元気な佳乃、駅前には物静かな美凪。そういう、夏の町の女の子たちと過ごす話。あたしは最初そう思ってた。

違った。これは三部構成で、現代の観鈴・佳乃・美凪の話のあとに、千年前の翼人の少女・神奈の話(SUMMER編)が来て、最後にもう一度観鈴のところへ戻ってくる(AIR編)。「空には翼を持った少女がいる」っていう一行が、全部の話を貫いてる。やってる間ずっと「これ、ただの夏の話じゃないぞ」って思ってた。その予感が、八月十四日に全部回収される。

ここから先は、あたしがどこで壊れたかを順番に置いていくね。もう全部。

「もうゴール、していいよね」の三歩

あたしの『AIR』は、ここに全部ある。八月十四日、観鈴が自分の足で晴子に向かって歩く三歩。

観鈴は、千年前の翼人神奈の魂を継いでしまった最後の輪廻だった。だから神奈の千年分の悲しみが、観鈴の体を内側から壊していく。「人の身に翼人の魂を宿すのは、小さな器に海の水を移すよう」って裏葉が言うんだけど、まさにそれ。観鈴は成長するほど、突然倒れて、足が動かなくなって、原因のわからない場所が痛む。観鈴が見る夢は、最初は空を飛ぶ夢で、それがだんだん昔へ遡っていく。あれ、神奈の記憶を逆再生してるんだよ。気づいた瞬間、ぞわってした。

観鈴って、ずっと一人だった子なの。「友達になれそうになると、わたし泣き出しちゃって…」って言う。神奈の悲しみが溢れて泣いてしまうから、誰とも友達になれない。それでも「観鈴ちん、ふぁいとっ」「おーっ!」って自分を励まして、毎日をがんばる。この「がんばる」が、後でめちゃくちゃ効いてくる。だってこの子、ずっと一人でがんばってきたんだもん。

そして最後の日。もう歩けなくなった観鈴を、晴子が外に連れ出す。観鈴は「もうゴール、していいよね」「後、三歩」「そこまで辿り着いたら、もうゴールしていいよね」って言いながら、晴子に向かって歩こうとする。晴子は最初それを「ゴールへ手招き」してるんだけど、その「ゴール」の意味を悟った瞬間に「観鈴…きたらあかんっ!」「これからや言うてるやろっ!」って叫ぶ。ここでもう、あたしは画面の前で「いやだ」って言ってた。観鈴、歩かないで。歩いたらゴールしちゃう。

でも観鈴は歩く。「ゴールは…幸せといっしょだったから」「ひとりきりじゃなかったから…」って言って。「やった…」「やっと…たどりついた」「ずっと探してたばしょ…幸せなばしょ…」って。一人ぼっちでずっとがんばってきた子が、最後の最後で「ひとりきりじゃなかった」って言って、晴子の腕の中に倒れる。晴子の「観鈴…観鈴っ…観鈴ーっ…!」っていう叫び。あたしはここで完全に終わった。声出して泣いた。嗚咽した。

ずるいのはさ、観鈴がずっと「がんばる」子だったことなんだよ。死を「ゴール」って呼ぶの。ネガティブな終わりじゃなくて、ずっと走ってきたマラソンのゴールテープみたいに描くの。一人でがんばってきた子が、最後に「幸せといっしょ」のゴールにたどり着く。これを泣かずに見る方法、あたしは知らない。

この場面で挿入歌の「青空」が流れるんだけど、その歌詞がもう、観鈴と晴子のために書かれたとしか思えなかった。「誰よりも遠くにいってもここからまた笑ってくれる?」っていう一行。観鈴は誰よりも遠くへ、ゴールへ行ってしまうのに、最後まで「やった」「たどりついた」って笑ってるんだよ。歌詞として読んだんじゃなくて、観鈴が晴子に向かって歩いてるあの瞬間に、言葉として刺さってきた。観鈴が探してた「ずっと探してたばしょ…幸せなばしょ…」と、「あの海どこまでも青かった」の海辺の町が、ぜんぶ重なる。この言葉が乗ってくるせいで、ゴールの三歩がもう一段こわれる。あたしはここで言葉のほうにもやられた。

晴子の話をさせてください。これは母と娘の話だった

あたしね、『AIR』は恋愛ゲームじゃなくて、母と娘の話だと思ってる。その中心が晴子。

神尾晴子。最初は、ただの酒癖の悪いガサツな大人の女だと思ってた。バイクで納屋に突っ込んできて、往人を一蹴して、一升瓶を「あんた、ぐっといくんや、ぐっと」って勧めて、絡んで、お互いの鼻に指を突っ込み合う。「うちは晴子いうねん」「年甲斐もないような呼ばれかたされたら嫌やからな」って。完全にコメディ担当の人だと思ってた。間違ってた。この人が、この作品の最大の救済者だった。

実は晴子は観鈴の本当の母親じゃない。観鈴の実母・郁子は晴子の妹で、もう亡くなってる。晴子は観鈴の伯母なの。橘家が観鈴を引き取ろうとしたとき、晴子は「あんたを、うちの子供にしたい言うても、向こうが拒否すればそれでしまいや」「うちには情に訴えるしか方法がなかったんや」「十日も土下座し続けたった」って。血が繋がってないどころか、土下座してまでこの子を引き取った人だったんだよ。それを最後の最後まで観鈴に言わずにいた。

でね、晴子は観鈴とどう接していいかわからなくて、最初はずっと距離があった。一緒に暮らしてるのにぎこちない。観鈴も「わたしのせいで、お母さん、苦しめたくない…」って気を遣ってる。この二人、お互いに大事すぎて、まっすぐ向き合えてないの。それが、観鈴が弱っていく中で、ようやくほどけていく。晴子が「うち、あんたのこと好きや」「ずっと一緒に暮らしたい、思ってしもたんや」って言うところ。ここで一回泣いた。義務じゃなくて、好きで一緒にいたいって、やっと言えた。

そしてエピローグ。観鈴を看取った晴子が、橘家の男に向かって言う。「うちは、あの子の母親なんやって」「立派と違うかもしれへんけど、あの子の母親なんや」「ずっと、神尾晴子の娘は、神尾観鈴だけなんや」。血が繋がってなくても、土下座して引き取った娘でも、観鈴は晴子の娘だった。それを観鈴が死んだ後に言い切るの。あたし、この台詞のために『AIR』があるって思ってる。

もう一個。晴子の「家族って、すごいなぁ」「このうえない幸せと、このうえない辛さ…すべてがそこにある」「それはまさしく人が生きる、いうことや」。観鈴を失った人が、それでも「家族ってすごい」って言える。失う辛さも全部ひっくるめて「すごい」って。あたしはこの一言で、晴子っていう人を一生忘れないと思う。観鈴が主役のように見えて、最後に立ってるのは晴子なんだよ。母の話だった。

SUMMER編、千年前の神奈と柳也と裏葉

正直、SUMMER編に入った瞬間は「え、ここで急に時代劇?」ってなった。でも、最後まで読むとこれが全部の土台だった。

千年前。翼人の末裔の少女・神奈備命が、高貴な巫女として社殿に幽閉されて育つ。一人称が「余」で、居丈高な物言いをするんだけど、本心はめちゃくちゃ孤独で甘えん坊。社殿に閉じ込められて育ったから、童遊びを知らない。お手玉が壊滅的に下手で、何回練習してもできない。この「お手玉ができない神奈」が、後で泣かせにくる伏線になってるの。ずるい。

神奈には警護役の柳也と、女官の裏葉がいる。柳也は無頼者上がりで口が悪いんだけど、神奈に「余を主とするかぎり、今後一切の殺生を許さぬ」って不殺の誓いを立てさせられて、それをちゃんと守る男。神奈が「人を殺してもかまわない」なんて言う子にだけはなってほしくない、っていう柳也の気持ちが、めちゃくちゃ誠実なの。「ひとりは、つらい」「これほどまでにつらいとは、思うたことがない」って神奈が言う場面、社殿でずっと一人だった子の本音がこぼれて、ここで泣いた。

朝廷の陰謀で翼人は滅ぼされて、神奈は柳也と裏葉と逃げる。高野山に幽閉されてた母(八百比丘尼)とやっと再会するんだけど、ここがきつい。神奈はずっと顔も知らなかった母に、できるようになったお手玉を見せようとするの。「母上は嘘を申さぬっ!」「余ができねば、母上が嘘つきになるであろうが」って。練習してきたお手玉を、母の前で披露しようとしてる、まさにその最中に、母が朝廷軍の矢に倒れる。母は「上手ですね…」「本当に…よく…頑張りました…」って言って、「ただ…分かち合いたかった」「この子と…翼を、重ね…夏空を…」って言いながら死ぬ。あのお手玉の伏線、ここで回収するの。ひどい。ひどいよ。いい意味で。

神奈は柳也と裏葉を守るために、母から継いだ呪いごと自分が空へ飛んでいって、呪詛で空に封じられる。飛び立つ前の「末永く」「幸せに」「暮らすのだぞ…」が最後の命令。そして柳也は呪いの余波で1年で死ぬ。死の床で裏葉に「すべてを忘れて…幸せになっても、いいんだ」って言うんだけど、裏葉が「いやでございます」「わたくしは、ひとりではございません」って返す。裏葉は柳也の子を身ごもってるの。「ですから、子をお作りくださいませ」って言って、自分から契りを結ぶ場面の覚悟。この裏葉が、あらあらまあまあって言ってからかってた女官と同じ人とは思えない強さだった。

そしてこの柳也と裏葉の子の血が、千年後の国崎往人に繋がる。SUMMER編は、千年前に始まった「神奈を救う」っていう願いの、出発点の話だったんだよ。最初に「急に時代劇」って思ったのを撤回します。これがなかったら現代パートの重さが成立しない。

往人がカラスのそらだった、っていう構造で一回ひっくり返った

AIR編で視点がカラスの「そら」に変わる。このそらが往人だって気づいた時、序盤の全部の意味が書き換わった。

観鈴ルートで、往人は法術の最後の力を、観鈴の心を救うために使い切る。その代償で、人としての姿を失って、カラスに転生する。観鈴が拾って「空からの贈り物」って名付けて飼ってたカラスのそら、あれが往人だったんだよ。ゲームの一番最初、観鈴がそらに「やっぱり、わたしこの夏休みもひとりだった」「友達と遊ぶ約束できなかった」って話しかけてる場面があるんだけど、あれ、最初は意味がわからなかった。AIR編まで来て初めて、「そらに話しかけてた観鈴」が「往人に看取られてた観鈴」だったってわかる。最初に戻りたくなった。

AIR編のそらは、もう言葉も人としての記憶も失いかけてるのに、それでも「みすずを、笑わせなければ」「俺はここにいるからっ!」って思いながら、人形芸で観鈴を笑わせようとする。カラスなのに。喋れないのに。観鈴のそばにいることだけが残ってる。「ずっと、近くにいるからな…俺は」「ずっと、ずっと…いっしょだ」。観鈴が「往人さん…どこにもいかないでっ…」ってそらに言う場面、観鈴は本能的にそらが往人だってわかってるんだよ。これがずるい。言葉にされないのに、二人はちゃんと通じ合ってる。

そして観鈴が逝った後。晴子がそらに向かって「あんたには、翼があるやないの」「いかなあかんで…」「ひとの夢とか願い…ぜんぶ、この空に返してや」って言う。観鈴を救うために人の姿を捨てた往人に、晴子が「飛べ」って背中を押すの。そらは「飛ぼう」「僕は駆け始めた」「初めて、両の翼が風をつかんだ」って、空へ飛び立つ。神奈の千年の夢を、空に返しに行く。千年前に空に封じられた神奈と、現代で逝った観鈴と、カラスになった往人が、最後に空で繋がる。あの飛翔の場面、泣きながら「よかった、飛べてよかった」って言ってた。

佳乃と美凪のルートも、ちゃんと泣かせてくる

観鈴と神奈に全部持っていかれがちだけど、佳乃と美凪のルートも一個ずつ刺さるポイントがある。

佳乃。手首にバンダナを巻いてて、ポテトっていう謎の毛玉を連れてる元気な子。「魔法ってね、誰かを幸せにするためにあるんだよ」って無邪気に言う。でもこの子、神社の御神体の「輝く羽根」に触れたせいで、翼人の悲しみと共鳴して、無意識に手首を切ろうとする「もう一人」が出てくるようになってた。姉のが巻いてくれたバンダナは、それを抑えるためのお守りだったの。聖が「最初にあの羽根に触ったのは、あの子じゃない。私なんだ」「母親は空にいると教えたのも私だ」「それなのに、なぜあの子が…あの子だけが、罰を受けなければならないのだろう」って言う場面。姉が妹を守ろうとして、でも守りきれない自分を責めてる。この姉妹もまた母と娘ならぬ、姉と妹の話で、あたしはここでも泣いた。最後に佳乃がバンダナを外せて、往人と結ばれる。「ありがとぉ」って祭で綿菓子を四つ買う佳乃が幸せそうで救われた。

美凪。物静かで、いつも「…がっくりです」「…ありがとうの…ありがとう」って独特のテンポで喋る子。親友のみちると駅前で遊んでる。でもみちるの正体は、神奈の悲しい夢のかけらが形を取ったもので、そもそも美凪の母は、流産で生まれなかった妹のショックで、娘の美凪を「みちる」って呼んで育ててたの。美凪はずっと「妹」を演じてた。みちるが「みちるはね、その子の悲しい夢のかけらなんだよ」「星は…夜が明けたら消えないといけないものだから…」って自分の正体を打ち明けて消えていく場面、つらかった。みちるは美凪が一人で母を支えるために作り出した幻で、美凪が母とちゃんと向き合えるようになったら、役目を終えて消える。「美凪が寂しそうにしてるのはイヤだよ」「あんな美凪を見るために、みちるはいたんじゃないもん」。自分が消えることより美凪の幸せを願うみちる。Keyはこういう「消える存在」を描くのが本当にうまい。ずるい。

Hシーンの話、正直に書く

ここでしか書けないこと。Hシーンは、この作品の感情の核には絡んでなかった。

『AIR』は18禁原版がある作品で、観鈴・佳乃・美凪それぞれにHシーンがある。でも正直に言うと、あたしにとってこの作品の本当の核は、観鈴と晴子の母娘とか、神奈の千年とか、そっちにあって、Hシーンはその核に直接は絡んでなかった。

観鈴のHシーンは、結ばれた朝に「往人さん、ずっと一緒にいてね」「じゃ、ずっとずっと、一緒だね」って言う場面とセットで、二人が想い合ってるのは伝わる。ここは純愛として悪くなかった。ただ、観鈴の物語の本当のクライマックスは、往人との恋愛じゃなくて、晴子との母娘の「ゴール」のほうにあるから、Hシーンの比重は感情のラインに対してそんなに大きくない、っていうのが正直なところ。

佳乃のHシーンは、「えっと…」「初めてだから」「やさしく、してください」って言うところに初々しさはあったし、佳乃が救われた後の流れとして理屈はつく。美凪のは雨の中で「…大丈夫…です……」「…へっちゃら…です……」って言いながらの場面で、美凪の張り詰めた感じがにじむのはわかる。けど、どれも「このシーンがなかったら物語が壊れる」っていう必然性のあるHシーンではなかったかな、っていうのがあたしの受け取り。

誤解しないでほしいんだけど、これは減点の主な理由じゃない。『AIR』はそもそも、Hシーンに頼らないで純愛と家族愛だけで泣かせきる作品だから。あたしはむしろ、Hがあってもなくても、観鈴のゴールで泣いてた。だからHシーンへの不満は、あくまで「感情の核とは別の場所にあった」っていう距離感の話。減点の主軸は次の話なんだ。

9にした理由。SUMMER編のテンポでつまずいた

10をつけたい気持ちはあった。でも、9で止めた理由がちゃんとある。

一個は、SUMMER編に入る時のテンポ。現代パートで観鈴・佳乃・美凪に感情を全部持っていかれた直後に、いきなり千年前の時代劇が始まる。最初は「いま乗ってたのに!」って、ハンドルを急に切られた感じがあった。古風な言葉遣いに慣れるまで時間もかかったし、正直、入り口の30分くらいは「うーん」ってなった。最終的にSUMMER編が全部の土台だってわかるから報われるんだけど、その入り口の段差はちょっと大きかった。感情移入で物語に入るあたしみたいなタイプには、あの切り替えはきつめ。

もう一個は、観鈴ルートで往人が一回町を出る選択をする流れ。観鈴を救うために、わざと「俺はおまえが寝ている間に苦しむんだよ」って嘘をついて、観鈴のそばから離れようとする。意図はわかる。観鈴に自分のことで苦しんでほしくなかったんだろうって。でも、感情移入してるこっちとしては「いやそこは離れないでくれ」「そばにいてくれよ」って一回思っちゃった。結果的にカラスのそらとして戻ってくるから救われるんだけど、あの「離れる」判断のところで、ほんの一瞬だけ往人と気持ちがずれた。

でもね、こういう「ずれ」を全部ひっくり返すのが八月十四日なの。だから9。10にしなかったのは「完璧じゃなかったから」じゃなくて、「あたしが途中で一回つまずいたのは事実だから、正直に置いておく」っていう、それだけ。ゴールの場面の破壊力は完全に10だった。

9.0——母の腕の中で、ひとりの子がゴールした夏

観鈴のゴールで10、晴子の母親宣言で10、神奈の千年で9、SUMMER編のテンポで-1。平均して9。これはぶれない。

あたしの『AIR』は、観鈴と晴子の話。血が繋がってない母と娘が、お互いを大事にしすぎてうまく向き合えなかったのが、観鈴が逝く夏にやっと「母親」と「娘」になれた話。それを千年前の神奈の悲しみと、カラスになった往人の翼が支えてる。恋愛ゲームの形をしてるけど、本当のテーマは「家族」だった。晴子が言うとおり、「このうえない幸せと、このうえない辛さ…すべてがそこにある」のが家族で、それがまさしく「人が生きる、いうことや」。

「もうゴール、していいよね」って言いながら自分の足で歩く観鈴。「観鈴…観鈴っ…観鈴ーっ…!」って叫ぶ晴子。「ずっと、神尾晴子の娘は、神尾観鈴だけなんや」って言い切る晴子。そして「飛ぼう」「初めて、両の翼が風をつかんだ」って空へ昇るそら。あたしはこの夏の全部で泣いた。2000年の作品が、2026年のあたしの涙腺を完全に破壊してきた。これは事実なの。

「ゴールは…幸せといっしょだったから」「ひとりきりじゃなかったから…」

— 自分の足で晴子のもとへ歩く観鈴

ずっと一人だった子が、最後に「ひとりきりじゃなかった」って言える。そのために、晴子がいて、往人がいて、千年前の神奈の願いがあった。これを「お涙頂戴」って言う人もいるかもしれないけど、あたしは違う。ちゃんと積み上げた時間の対価として、観鈴は幸せなゴールにたどり着いた。それだけ。ありがとう、観鈴。ありがとう、晴子。会いに行けてよかった、この夏に。