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伊頭悦子のレビュー(ネタバレあり) — AIR

伊頭悦子
伊頭悦子
スナック「悦子」ママ・人間観察三十年
8.7/10
8.7 / 10

恋愛の話だと思って始めたら、母娘の話だった。それが刺さったのよ。

これはネタバレありの版だからね。観鈴が最後どうなるか、往人が何になるか、千年前の話が何だったか、全部書くわ。観鈴と晴子、血の繋がってないふたりの女が、ちゃんとした母娘になっていく。アタシが泣かされたのはそこなのよ。恋ばかり見てきたアタシでも、こういう「家族の作り直し」には弱いの。歳をとると涙腺が緩くなっていけないね。

スコア詳細

キャラ間の関係性 10
主人公の造形 9
ヒロインの魅力 9
エンディングの満足度 9
ボリュームと密度 8
序盤の掴み 7

うちの常連が「最後まで黙って読め」って置いていったの

二〇〇〇年に出た作品なんだってね。アタシがこれを手に取ったのは、うちの常連さんがカウンターに置いていったからなのよ。「ママ、これは恋の話じゃないから、最後まで黙って読んでみ」って。恋の話じゃないって言われると、かえって気になるじゃない。

夏の終わり、人形使いの国崎往人っていう若い男が、路銀も尽きて海辺の田舎町に流れ着くの。バス停で「にはは」って笑う変な女の子・神尾観鈴に拾われて、その子の家に転がり込む。家には酒癖の悪い母親・晴子がいてね。商店街には元気な佳乃って中学生、駅前には物静かな美凪って子がいて、この男はそのへんに首を突っ込んでいく。それだけ聞くと、よくある「男ひとり女がいっぱい」の話に見えるでしょ。アタシも最初はそう思ってたわ。

でも違ったのよ。観鈴って子は普通に生きていけない子で、その子をめぐって、血の繋がらない母親が腹をくくっていく話だった。千年前の話まで出てきて、最初は「なんでそこまで広げるの」と思ったけど、まあ、それはあとで話すわ。ここでは評価はしないでおく。とにかく、置いていった常連さんは正しかった。最後まで黙って読んだら、カウンターでひとりで泣いてたんだから。

第一印象——人間がちゃんと、生きてたわ

この作品の人間は、本物だったのよ。設定はファンタジーだし、空を飛ぶの飛ばないのって話だし、アタシみたいなのからしたら現実離れしてるはずなのに、出てくる女が全員「いる」のよ。どっかで会ったような顔をしてる。

特に晴子ね。酒を浴びるように飲んで、深夜にバイクで納屋に突っ込んで、初対面の往人を一升瓶で潰しにかかる。「あんた、ぐっといくんや、ぐっと」ってね。うちのカウンターにこういう女、何人も座ってきたわ。ガサツで、口が悪くて、酔うと自慢話が止まらない。普通なら「だらしない女」で片付けられる。でもこの作品は、その女に一番大事なものを背負わせたの。そこが擦れてないのよ。

国崎往人——この男、惚れた女に何もかも差し出して、自分はカラスになった

往人ね。アタシ、最初はこの男のこと、よくある皮肉屋の若造だと思ってたのよ。子供を見れば芸を見せて小銭をたかろうとして、人形を蹴り飛ばされてる。晴子と鼻の穴に指を突っ込み合ってる。こういう軽い男はね、肝心なところで逃げるのが多いの。アタシの見立てだとね。

ところがこの男は逃げなかった。観鈴が神奈っていう千年前の翼人の魂を背負ってて、その重さで体が壊れていく子だってわかったとき、往人は持ってる法術ってやつを全部その子に注ぎ込むの。代償に、自分は人の姿を失ってカラスになるのよ。「そら」っていう名前で、観鈴のそばに居続ける。観鈴が「往人さん、どこにもいかないでっ」って泣いたとき、人の言葉も忘れかけてるカラスが「ずっと、近くにいるからな…俺は」って返す。ここでアタシ、最初に喉が詰まったわ。

男がね、惚れた女のために自分を全部差し出すって、口で言うのは簡単なの。うちのお客さんでも「お前のためなら死ねる」なんて言う男はいくらでもいたわ。でもね、本当に差し出した男はほとんど見たことない。この男は本当に差し出した。人間でいることすら手放した。こういう男がいたら苦労しないのよね。いないから、こうやって物語の中で見せられると、アタシみたいな擦れた女でもころっといく。この男はいい男だわ。最後に晴子が「あんたには、翼があるやないの」「ひとの夢とか願い…ぜんぶ、この空に返してや」って背中を押して、カラスが空に飛び立つ。「初めて、両の翼が風をつかんだ」ってね。ずるいわ、こんなの。

観鈴——「もうゴール、していいよね」。この子、最後まで自分の足で歩いたのよ

観鈴って子はね、最初は「もうちょっとしっかりしなさい」って言いたくなる子だったのよ。「にはは」って笑って、補習常連で、困ると「がお」って恐竜の真似をする。学校で誰にも誘われなくて、夏休みもひとりで。アタシの目には、ちょっと頼りない、守ってあげなきゃいけない子に見えてた。

でもこの子、ちゃんとわかってたのよ。「わたしのせいで、お母さん、苦しめたくない」ってね。自分が壊れていくことも、それで晴子が傷つくことも、全部わかってて、それでも笑ってた。守られるだけの子じゃなかったの。最後、八月十四日に、もう歩けないはずの体で、晴子に向かって自分の足で歩くのよ。「後、三歩」「そこまで辿り着いたら、もうゴールしていいよね」って。ゴールっていうのはね、要するに死ぬことなの。それを「ずっと探してたばしょ…幸せなばしょ」って言って、自分から歩いていく。

「ゴールは…幸せといっしょだったから」「ひとりきりじゃなかったから」——この台詞でアタシは完全にやられたわ。この子は最後まで自分で決めた。誰かに連れて行かれたんじゃなくて、自分の足で、自分の意思で、幸せなところまで歩いた。この子、ちゃんとわかってる。えらい。アタシ、こういう子に弱いのよ。

佳乃と美凪のことも書いておくわ。佳乃は手首のバンダナを「魔法のお守り」だと思って巻いてた子で、本当は姉のが、妹を守るために巻いた呪いの蓋だった。往人とのあの夜、バンダナを外せるかどうかが、この子が自分でいられるかの分かれ目だった。美凪は、母親が流産した妹を「みちる」って呼んで、自分がその妹を演じ続けてた子。三人とも、抱えてるものは違うけど、誰かのために自分を消そうとしてた女の子なの。みんな、もうちょっと自分を大事にしなさいって思うんだけど、そこが切なくて、可愛いのよね。

晴子と観鈴——血が繋がってないふたりが、ちゃんとした母娘になる話だったわ

アタシがこの作品で一番裁きたかったのは、ここなの。晴子と観鈴の関係。これ、恋愛じゃなくて、母娘の作り直しの話なのよ。そしてそれが、アタシの三十年で見てきたどんな母娘よりも、地に足ついてた。

晴子はね、実は観鈴の本当の母親じゃないの。観鈴の実母・郁子は晴子の妹で、もう亡くなってる。晴子は姪を引き取って育ててるわけ。だから最初は距離があるのよ。「観鈴はうちの娘やあらへん」なんて言葉も出る。よそ様の子を預かって育てるって、頭で思うほど簡単なことじゃないのよ。情が湧くまでに時間がかかる。湧いても「本当の親じゃない」って引け目がどっかに残る。アタシ、そういう家、何軒も知ってるわ。だからこの距離感、嘘くさくなかった。

それがね、ちゃんと積み上がって母親になっていくのよ。観鈴を橘の家に取られそうになって、晴子は「橘の家の前で、十日も土下座し続けたった」っていう。十日よ。酒飲みでガサツな女が、姪っ子ひとりのために十日土下座する。ここでアタシの中の晴子の評価が完全にひっくり返ったわ。だらしない女が、いざとなったら一番強い母親になる。こういう女、いるのよ。普段はどうしようもないのに、子供のことになると別人になる。うちのお客さんの奥さんにね、そっくりな人がいたわ。

最後、観鈴を看取ったあと、晴子が橘の男に言うのよ。「うちは、あの子の母親なんやって」「立派と違うかもしれへんけど、あの子の母親なんや」「ずっと、神尾晴子の娘は、神尾観鈴だけなんや」ってね。血が繋がってるかどうかなんて、もうどうでもよくなってる。十日の土下座も、観鈴と歩いたゴールも全部背負って、この女は「あの子の母親」になりきった。「家族って、すごいなぁ」「このうえない幸せと、このうえない辛さ…すべてがそこにある」——この台詞ね、ただの泣かせ台詞じゃないのよ。子供を持って、子供を失った女しか言えない重さがある。これは血の通った人間の言葉だわ。

姉妹の話も効いてた。佳乃の姉・聖は、妹のために医者になった女でね。神社の羽根に最初に触ったのは自分なのに、罰を受けたのは妹だった。「なぜあの子が…あの子だけが、罰を受けなければならないのだろう」って。妹のために医者を継いで、妹のために嘘のお守りを作って、最後の祭で風船を買って渡す。「お姉ちゃんみたい」って言われて泣きながら走り去る。この姉ね、アタシは好きよ。自分を出さずに妹のために生きる女。立派とは言わないけど、こういう姉に守られた妹は幸せだわ。母娘も、姉妹も、誰かのために腹をくくった女ばっかり出てくるの。だから刺さるのよ。

千年前の話と、序盤のもたつき——正直、最初は乗れなかったのよ

褒めてばかりもなんだから、引っかかったところも正直に言うわ。まず序盤ね。アタシ、序盤で掴まれないと閉じる女なのよ。これは最初の三十分、ちょっと退屈だった。男が町をぶらぶらして、変な女の子に会って、また別の女の子に会って、人間関係が積み上がる前に、出会いだけがぽんぽん並ぶ感じでね。ふざけた小ネタは多いんだけど、アタシが見たい「この人たちの何が積み上がっていくのか」がなかなか見えてこなかった。中盤からぐっと良くなるんだけど、最初の損は大きいの。だから掴みは満点にはできなかったわ。

それと、千年前の話。神奈っていう翼人のお姫様と、警護役の柳也と、女官の裏葉の話が、現代の話の途中でどーんと入ってくるのよ。最初は「なんで急に時代劇が始まるの」って戸惑ったわ。話を広げすぎだろうって。でもね、最後まで読んだら、これが全部繋がってたの。神奈が空に封じられて千年泣き続けてて、その悲しみが観鈴に流れ込んでた。柳也と裏葉が子をなして、その血が往人まで続いてた。裏葉が死期の迫った柳也に「子をお作りくださいませ」って自分から願うところなんてね、これは女が腹をくくる場面よ。「いやでございます」「わたくしは、ひとりではございません」——柳也に「忘れていい」と言われて、忘れないと言い切る。この女も強かったわ。

だから長いのは許すの。長い割に中身が薄い作品なら時間を返してって言うけど、これは長くても各章に見せ場があった。千年前があるから、観鈴の重さが地に足ついたものになる。削れるところは正直あったと思うし、序盤はもっと早く人間関係を見せてほしかったけど、終わってみれば「長かったけど、よかった」って言える。これは中身が詰まってる方なのよ。

あの夜のこと——アタシはもうそういう年齢じゃないけど、流れは見てたわ

こういう作品にもそういう場面はあるからね。アタシはもうそういう年齢じゃないから笑って読んでるけど、感情の流れが嘘くさくないかどうか、そこだけはちゃんと見るのよ。

観鈴とのあの夜は、よかったわ。体が壊れていく子が、花火の音の中で痛みに耐えながら「行かないで」って泣いて、そこに往人が「俺がおまえのそばにいたいから」って寄り添う。観鈴は何をしていいかもわからなくて、おずおずと体を寄せるだけ。ここまでの流れがあってのこれなら、わかるわ。人間らしかった。翌朝「往人さん、ずっと一緒にいてね」って言うのに、往人がそのあと黙って町を出ていくのが、また切ないのよ。この男、優しくしておいて勝手に背負って消える。こういう不器用な男、いるのよね。

佳乃の夜も、ただくっつくだけじゃなくて、バンダナを外せるかどうかっていう、この子の人生がかかってた。「これ取ったら、あたし…空、飛んじゃうかもしれないし」って怯える子に「空なんか、飛べなくていい」って言って、地上に引き止める。ちゃんと意味のある夜だったわ。どの場面も、その子が次の段階に進むための区切りになってた。普段優しい男が急に別人になる、みたいな気持ち悪さはなかったの。そこは安心して見てられたわ。

8.7——恋を見てきた女が、家族で泣かされた話よ

最終的に八・七。アタシが付けた点数としては、かなり高いほうよ。序盤のもたつきがなければ、もう少し上だったかもしれない。でもね、終わったあとに残ったものが、それを補って余りあったの。

アタシはずっと、恋愛を見る目だけで生きてきた女なの。男が信用できるか、女が自分を持ってるか、恋がちゃんと終わるか。それで作品を裁いてきた。でもこの作品はね、恋愛の評価軸だけじゃ測りきれなかったわ。観鈴と往人の恋は確かにあるんだけど、本当に重かったのは、晴子っていうだらしない女が母親になりきる話と、誰かのために腹をくくる女たちの連なりだったの。血が繋がってなくたって母娘になれる。十日土下座すれば、姪は娘になる。そういうことを、嘘くさくなく見せてくれた。

「もうゴール、していいよね」って自分の足で歩いた観鈴も、「うちは、あの子の母親なんや」って言い切った晴子も、しばらく忘れられそうにないわ。歳をとると涙腺が緩くなっていけないね。まあ、よかった。恋ばっかり見てきたアタシに、家族ってこういうものよって教えてくれた作品だった。それだけで、十分だわ。