河原で恭生が貴理ちゃんに手を出したとこ、アタシは本にビンタしたわよ。でも台風の夜にやっと腹を据えたのは認める。そして渡世を生きてきた冬子さん。この夏の女は、みんな地に足がついてた。
ここからは全部話すわ。恭生が河原で貴理ちゃんを押し倒したこと、そのあと逃げ帰ろうとして英輝に殴られたこと、台風の夜にやっと貴理ちゃんの家で謝って告白したこと。貴理ちゃんの「全部わたしのなの!」って独占欲、有夏ちゃんが自分の身体を差し出してまで先輩を守ろうとしたこと。それから、冬子さんが背負ってた父親のスキャンダルと、都会での荒んだ暮らし、貴理ちゃんから恭生を託されて「ダムの底に沈めておきますよ」って言葉で結ばれる夜。全部、現実の人間として読んでいくわ。恭生への辛口は、最後まで変わらないけどね。
スコア詳細
恭生と、河原の夜のこと
先に、いちばん引っかかったところから話すわ。河原の夜のこと。
主人公の古積恭生って子はね、東京の受験生で、来年ダムに沈む集落に、ひと夏だけ下宿にやって来た高校三年生。「子供の頃に校庭に埋めたものを掘り出す」っていう名目でこの集落に戻ってきてる。でも本音は、幼なじみの市村貴理ちゃんに会いたかっただけ。それは自分でもわかってるの。「誰が、なんのためにここまで来たと思ってるんだ」って自分に突きつける場面で、ちゃんとバレてる。
で、探し物が見つからないまま夏が終わりに近づいて、貴理ちゃんが河原で泣くの。「ダムが出来たら、もう恭生に会えなくなるから、泣いてるんじゃない!」って。この一言はね、女の側からしたら精一杯の告白なのよ。それを聞いた恭生が「思い出より、貴理の方が大事な事くらいは、判ってるんだよ」って言う。ここまではいいの。問題はその直後。恭生が衝動で貴理ちゃんを草の上に押し倒して、力ずくで胸をはだけさせる。貴理ちゃんは「い、痛い」「今日の恭生、やっぱり変だよ」って怯えてるのに、止まらない。
アタシ、ここで本にビンタしたわよ。「あんたねぇ! 好きな女を怖がらせてどうするの!」って。好きだから抱くんじゃないの、これは。逃げ場のない相手に、自分の焦りをぶつけてるだけ。こういうことをする男はね、だいたい後で自分に呆れて、余計に動けなくなるのよ。案の定、恭生はこの後で自己嫌悪に沈んで、逃げるように東京に帰ろうとする。ほらね。暴走した男が次にやるのは、たいてい逃げなの。アタシ、カウンター越しに何度も見てきたパターンよ。
この河原の夜を、アタシは恭生の一番のマイナスとして数える。感情の積み上げはあったのよ、二人とも好き合ってるのは間違いない。でも、好き合ってることと、相手の怖がる顔を見ないで手を出すことは、別の話。ここで一回、恭生は「男として最低」をやってる。それは動かない。
貴理ちゃん——「全部わたしのなの!」
貴理ちゃんの話。この子は、アタシは好きだったわ。
市村貴理ちゃんは恭生と同い年の幼なじみで、弓道部の選手。父親の章さんはダム工事の現場責任者で、集落からずっと「余所者」扱いされてきた人。貴理ちゃんはその娘だから、子供の頃から同級生に虐められて、母親も祖母の看病で家を出てて、父と二人暮らしで家事を全部背負ってる。要するに、早くに大人にならざるを得なかった子なの。だから軽口には強気で返すし、弱音は滅多に吐かない。強がる子ほど、内側はぎゅっと詰まってるのよ。
この子が最高だったのは、台風の夜。恭生を家に上げて、エプロン姿で手料理を出す。父親のために練習してたコーヒーを恭生に出して、一口飲ませて「恭生、本当はコーヒー嫌い?」ってすぐ見抜く。付き合いの長さって、こういうとこに出るのよね。それから子供の頃に恭生のために作ってた酷い味の弁当の話をして、「あの頃から、ずっと恭生に食べてほしくて」って言う。もうね、この一言で、この子が何年この気持ちを抱えてきたかが全部わかる。歳をとると涙腺が緩くなっていけないね。
そして極めつけが「全部わたしのなの! だから、他の女性に手を出したら駄目!」っていう独占欲の爆発。これをね、はしたないとか重いとか言う人もいるんでしょうけど、アタシは逆。ずっと我慢して、ずっと控えめにしてきた子が、一度だけ「あなたは全部わたしのものだ」って言いきる。この一回のために、それまでの遠慮が全部あったのよ。言いたいことを言える女は、ちゃんと自分を持ってる。
最後の分かれ道で、貴理ちゃんが「来年は、ここはもう、水の底なんだね」って言って、それから恭生の「最初の夏」って言葉を引き取って「最初の夏、だよね」って言う。集落にとっては「最後の夏」を、自分たちにとっての「最初の夏」に読み替える。これはね、待つだけの女には言えない台詞。自分で意味を決めにいってる。この子は恭生がいなくても、ちゃんと自分の足で立って生きていくわ。アタシが保証する。
有夏ちゃん——身を引くのが優しさだと思ってる子
有夏ちゃんの話。この子は、心配になる子だったわ。
倉林有夏ちゃんは貴理ちゃんの二学年下、弓道部のマネージャー。母子家庭で、父親を事故で亡くしてて、集落のみんなに父親代わりに可愛がられて育った子。表向きは元気で無邪気なんだけど、この子は貴理先輩のことを、姉としても、それ以上のものとしても、本気で慕ってる。
河原の夜のあと、恭生が逃げようとしてる時にね、この子が夜の教室に恭生を呼び出して「あたしの身体なら、いくらだってあげるから」「先輩だけは、貴理先輩だけは泣かさないで」って言うのよ。自分の初めてを差し出してでも、恭生に立ち直ってもらって、貴理先輩を泣かせないでほしいって。十五、六の子が、だよ。読んでてつらかった。アタシ、こういう子を見ると「あんた、もうちょっと自分を大事にしなさい」って言いたくなるの。人のために身を投げ出すことを愛だと思い込んでる子は、たいてい自分がいちばん傷つくのよ。
恭生がそれをちゃんと断ったのは、この作品で数少ない、恭生の良かった判断。「貴理は泣くよ、きっと」って言って、有夏ちゃんに手を出さなかった。ここで受け取ってたら、恭生は完全に終わってたし、有夏ちゃんも壊れてた。断ったことだけは褒めてあげる。
そして貴理ちゃんの側から夏を見た物語では、恭生を諦めた貴理ちゃんと有夏ちゃんが結ばれる。「同情とか、そんな理由で、わたしが本当にあんな事をすると思うの?」って貴理ちゃんが一蹴して、「好きよ、有夏」ってちゃんと自分の言葉で受け止める。ここでね、有夏ちゃんが初めて「身を引く役」じゃなくて「選ばれる側」になる。アタシはこっちの有夏ちゃんの方がずっと好き。自分を差し出す優しさより、ちゃんと誰かに選ばれて、幸せになりなさいよ。そう思ったわ。
冬子さん——アタシのカウンターにいた女
冬子さんの話。ここが、アタシの本領よ。
小川冬子さんは、恭生より二つ年上。昔この集落に住んでたけど、今は都会暮らしで、夏に一人でふらっと戻ってくる。旅館に一人で泊まって、両親は来ないって嘘をついてる。都会での暮らしはね、行きずりの男を渡り歩く生活なの。名前も知らない男と、洗面台の鏡の前で。「ちゃんと、つけて。約束でしょ。ゴム、ちゃんとつけて」って、そういう時にだけ妙に冷静で、頭の隅で「メチャクチャにしてやりたい、この、目の前の、愚かな女を」って自分を突き放して見てる。
なんでこうなったか。冬子さんの父親が女遊びの常習犯で、そのスキャンダルが集落中に知れ渡ってたの。「集落中の誰もが、わたしと同い年の子供までもが知っていた」って。同い年の男の子たちに「お前もスケベな血だ」って虐められて、家ごと集落を追い出された。だから冬子さんが集落に戻ってきたのは、恋しさじゃない。「ここから何もかも消え去ってほしい」って、自分を傷つけた場所が水の底に沈むのを見届けにきたの。復讐でも懐かしさでもない、その中間みたいな気持ち。
こういう女ね、アタシのカウンターにいたのよ。若い頃に故郷で嫌な思いをして、都会に出て、男で自分を紛らわせて、でも心のどこかでずっと故郷に縛られてる。うちの常連さんにもいたわ。「あの町が地図から消えたら、あたし楽になれるのかしら」って言ってた人。冬子さんの「変わってしまったと、自分を嘆いていたけれど。それは、本当は自然なことなのかもしれない」っていう独白、あれは擦れた女がやっと自分を許しかけてる瞬間の言葉なの。アタシは、この一行でこの人を丸ごと信じたわ。血の通った、年季の入った女だった。
で、貴理ちゃんが恭生を冬子さんに「古積くんを、よろしくお願いします」って託す夜が来る。嵐の小学校で、冬子さんが恭生を試すの。「思い出の品物を、掘り出したい?」って。恭生が「もう、いいです。探す気はありません」「あれはそのまま、ダムの底に沈めておきますよ」って答える。この受け答えが、冬子さんの心を決めさせる。過去を掘り返さない、沈んだものは沈んだままにする。それは冬子さん自身が一番できなかったことだから。
結ばれる夜に、恭生が「僕の失恋を、祝われているみたいだ」って言って、冬子さんが「失恋をではなくて、新しいこれからを祝ってもらっていると思えばいいのよ」って返す。渡世を生きてきた年上の女が、若い男に世界の見方を一つ教えてる。この関係はね、都会での荒んだ抱かれ方とは全然違う温度なの。同じ人が抱かれてても、こんなに違う。作者はそれをちゃんと対にして書いてる。ここは腹が据わってると思ったわ。アタシは冬子さんの側から見た夏が、この作品で一番刺さった。
英輝——殴ってでも引き留める、いい男
この夏で、いちばんまともに動いた男の話。
原英輝は恭生の同郷の親友で、経済学部志望の高校三年生。集落の名前を染め抜いたはっぴを大事にしてて、ダムに沈む故郷を誰よりも痛感してる男よ。この子がね、河原のあとで逃げ帰ろうとした恭生を、朝っぱらから殴るの。「いいか、このままただ逃げ帰ったりしたら、俺は絶対お前をゆるさないからな!」「貴理は絶対にな……とにかく、ちゃんと自分で聞け!」って。
殴れる友達って、いい男なのよ。都合の悪い時に距離を置く男が世の中には多いなか、こいつは自分の拳を汚してでも友達を止めにいく。しかも「お前を引き留めさせようとしたのは、俺なんだ」って、裏で有夏ちゃんを動かしたことまで自分で引き受ける。責任を人に回さない。アタシはこういう男に弱いのよ。
それとね、選択を間違えると、この英輝が壊れるのを見ることになる。恭生が教室で有夏ちゃんに手を出してしまう筋では、英輝が「言い訳、しろよ。してくれよ……」「バカ野郎……バカ野郎……」って泣きながら殴る、後味の最悪な結末になる。ここが上手いのよ。恭生がどれだけダメな選択をするかを、貴理ちゃんの涙じゃなくて、英輝の絶望で測らせる。友達をここまで悲しませる男にはなるな、って作者が突きつけてくる。この英輝がいるおかげで、恭生のダメさに「取り返しのつかなさ」の重みが出てる。いい脇の置き方だわ。
恭生への最終判定
全部やり終えた上で、恭生の判定。
正直に言うと、恭生は冬弥系のダメ男なの。自分から決められない、肝心なところで逃げる、女の子に引っ張られてやっと動く。河原では焦って暴走して、そのあとは逃げようとして、英輝に殴られてやっと踏みとどまる。自分の足で「留まる」って決めたわけじゃなくて、拳で止められたのよ。そこはアタシは甘くしない。
ただね、台風の夜だけは違った。貴理ちゃんの家で、ちゃんと謝って、ちゃんと「貴理が好きだよ」って口に出して、「ようやくみつけたんだ。たぶん、僕の求めていた、本当の探し物」って言う。埋めたものを掘り起こしにきたつもりが、探し物は初めから貴理ちゃん自身だったって気づく。この告白は、河原の暴走を、ちゃんと言葉でやり直してるの。力ずくで奪おうとした男が、今度は言葉で気持ちを差し出す。同じ相手に、二回目でようやく正しくやる。順番は最悪だけど、やり直せたことは事実。
それと、この子はまだ高校生の初恋なのよね。五十過ぎのアタシから見たら、ダメさに可愛げもある。大人の男が同じことやったら論外だけど、十七、八の子が不器用に焦って、殴られて、泣いて、やっと一言絞り出す。それは若さの範囲。だからアタシは恭生に五点はつける。河原の暴走で四点まで落としたいのを、台風の夜と英輝を断った判断で、五点まで戻した。それがアタシの正直な採点。
6.5——女たちが地に足ついてたから、ここまで来た
最終評価の話。
主人公の恭生は五点。河原の暴走は最後まで許さないし、自分で留まれなかった弱さも引く。序盤も長くて、集落での日常がだらだら続くところは、アタシは何度も閉じかけた。掴みの弱さはこの作品の一番の損よ。
それでも六点台の半ばまで来たのは、この夏の女たちが、みんなちゃんとしてたから。貴理ちゃんの独占欲と「最初の夏」の読み替え。有夏ちゃんの、身を引くのを覚えてしまった危うさと、選ばれる側になれた救い。冬子さんの、渡世で擦れた末にやっと自分を許しかける横顔。そこに英輝っていう、殴ってでも友達を止める血の通った男が一人いる。恭生が動けない分、周りの人間が全員、自分の足で動いてる。この配置が効いてるのよ。
テーマも強い。来春に水の底へ消える集落、掘り起こすはずだった思い出を「そのまま沈めておく」って選ぶこと。過ぎたものを未来に持ち越さない、って話を、ダムっていう物理的な形でやりきってる。冬子さんが背負えなかった「過去を沈める」を、恭生が引き受ける対比まで組んである。恋愛ものを綺麗事で終わらせてない、その一点は評価するわ。
だからひっくるめて6.5。恭生さえもう少し腹の据わった男だったら、あと一点は乗せられた。でもね、彼が空っぽだから、女たちの「自分で選ぶ」が全部立つ。そういう作りだってのはわかってる。わかってるけど、アタシは恋愛ものの主人公に、やっぱり腹の据わった男を期待しちゃうのよ。それがアタシの正直なところ。6.5。冬子さんの夏に免じて、この点は下げないわ。
