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伊頭悦子のネタバレレビュー — 銀色 完全版

伊頭悦子
伊頭悦子
人間観察30年のスナックママ
7.3/10
7.3 / 10

代価を払った話だったわ。書き手も、登場人物も、読み手のアタシも。

ここでは本作の重い部分にちゃんと触れるわ。第五章こずえパートの暴行描写、夕奈のデスエンドで起きること、True Endで銀子が声を取り戻す場面、そして第四章の二本のHシーン——大井跡と古代あやめの祝言初夜、三井と銀子の声の場面。アタシの視点で、人間としてどう読んだかを書いておくの。本作のテーゼ「代価を払うからこそ価値がある」は、書き手自身もそれだけのものを払って書いたんだろうなって、最後まで読み終えて思ったわ。

第五章こずえパート——これは一番しんどかった場面だよ

本作で一番しんどかった場面から先に。第五章「錆」の前半、こずえパートよ。

こずえというのは、第五章前半の語り手の女性ね。彼女が「あやめ」という赤子を抱えて、行く場所もなく、頼る人もいない状況に追い込まれていく。そして道中で、複数の男たちに襲われる場面が描かれるのよ。輪姦であって、明確に同意のない暴力的な性行為。アタシ、ここを読みながら何回か画面から目を逸らしそうになったわ。これはHシーンじゃない。ただの苦しみの描写よ

こういう場面を本作に置いた判断について、アタシなりに考えたことを書いておくわね。これを「ただの胸糞展開」として消費物の側に置いたのか、それとも作品の業として描こうとしたのか——アタシは後者だと読んだの。理由はね、こずえが暴行されながらも、最後まで「あやめ」という赤子を守ろうとしていたから。自分が壊されていく中でも、抱えていた小さな命だけは離さなかったのよ。あの場面でこずえが見せた意地は、人間として擦れていなかった。

こういう女性の話、アタシは聞いたことがあるのよ。具体的には書かない。でも、ね、世の中には自分が壊れていく中でも、自分より弱い誰かを守ろうとして踏ん張る女性が確かにいるの。本人はその時、自分のことなんて考えてないのよ。ただ、抱えてる命だけは絶対に手放したくない。それだけで動いてる。こずえの描写は、そういう女性たちのリアリティと重なる感触があったわ。

……ただね、これだけ書いた上で、アタシは正直に言うわ。もう一回読みたい場面ではない。意味があったとは思う。物語に必要だったとも思う。でも、アタシ個人の感情として、ここはしんどかった。それは認める。これを「鬼畜要素も評価する」みたいな書き方はしないわ。アタシはあのシーンで楽しい気持ちになることはできなかったし、それを楽しむタイプの読み方もできない。ただ、目を逸らさずに最後まで読んだわ。それで何を見たかと言うと、こずえという女性の意地だったのよ。それだけ書いておくわ。

夕奈のデスエンド——わかってしまう、それが一番怖い

第三章で一番アタシに刺さったのは、夕奈のデスエンドのほうの結末よ。

前に書いた通り、夕奈は妹の朝奈と軍人の鍋島志朗の関係を遠くから見守る姉だった。最初は普通に世話焼きの姉だったのに、妹と志朗の距離が縮まるにつれて、夕奈の独占欲が少しずつ膨らんでいく。そしてデスルートでは、夕奈はその独占欲を最後まで止められず、妹のために、妹を独占するために、取り返しのつかない選択をしてしまうのよ。

アタシがこの結末を見て一番怖かったのはね、夕奈が最後まで自分を「悪い人間」だとは思っていないところ。彼女の中では、妹を愛していた。妹を守りたかった。妹を取られたくなかった。それだけよ。彼女自身の論理の中では、彼女のやったことは全部「愛情」なの。本人は愛情のつもりなのよ。それが一番怖いの。

こういう人ね、本当にいるのよ。家族への愛情を独占に変えてしまって、それを最後まで愛情だと信じ続ける人。スナックのカウンターで聞く話の中にも、そういう人の話は何度もあった。客自身がそうだった話、客の家族にそういう人がいた話、知り合いの知り合いの話。全部具体的には書かないけどね、こういう壊れ方をする人は世の中に確実にいるの。だから夕奈の結末は、アタシにはファンタジーには見えなかった。わかってしまう怖さっていうのは、こういうことなのよ。

逆にグッドエンドのほうでは、朝奈と志朗が結ばれて、夕奈もそれを受け入れる方向に進むのよね。ただアタシは、グッドエンドの夕奈を見ても、デスエンドの夕奈の姿が頭から離れなかった。もしかしたら、デスエンドのほうが本当の夕奈なんじゃないか。グッドエンドは、彼女が必死で抑え込んでいる側を見せているだけなんじゃないか。そう感じてしまったの。

これは作品の評価とは別の話かもしれないけど、第三章はね、アタシにとっては「自分が知っている誰か」を作中で見ているような感覚があったわ。それくらい近い人間の描き方だった。書いた人、よくこの女性を描き切ったと思うわよ。

True End——声を取り戻した子が、自分の声で言えた

本作で一番よかったシーンを挙げろと言われたら、迷わずTrue Endの銀子の場面を選ぶわ。

銀子失声症で、ずっとホワイトボードに文字を書いて意思を伝えてきた子。「自分の声で好きって言いたいから」っていうのが彼女の意地だったわよね。文字でなら、いくらでも気持ちを伝えられるのに、彼女はそこで妥協しなかった。自分の声で、自分の口から、自分の言葉で言うんだっていう、その意地を最後まで持ち続けた子なの。

True Endで、銀子は声を取り戻すのよ。長い時間をかけて、彼女自身の戦いの末に、ようやく自分の声を取り戻すの。そして、自分の声で——本当に、自分の声で——三井に伝えるべきことを伝えるのよ。アタシ、あのシーンで……うん、歳をとると涙腺が緩くなっていけないわね。でも、よかったわ。本当によかった。

このシーンが効くのはね、銀子がこれまでずっと諦めなかったからなのよ。声が出ないなら出ないなりに、何か他の方法で済ませることもできたはずなの。でも彼女は、自分の声で言いたいっていう一点を絶対に譲らなかった。その意地があったからこそ、最後に声を取り戻して言えたという出来事に、血の通った重みが乗るの。代価を払い続けた子だけが受け取れる結末って、こういうことを言うんじゃないかしら。本作のテーゼがそのまま体現された場面だったわ。

ちなみにアタシ、銀子のことを書いてる時、もうこの作品の他の章のことが少し遠くなる感覚があるの。第三章の夕奈の怖さも、第五章のこずえの苦しみも、確かに本作の重要な部分なんだけど、True Endで銀子が声を取り戻す場面の純粋さは、それらとは別の場所にある。本作は重い場面だらけだったのよ。でも最後の最後に、こういう澄んだ場面を置いてくれた。それは書き手の優しさだったと思うわ。

このシーンだけでも、本作をプレイした価値があったって、アタシは本気で思ってる。

第四章のH——大井跡の死の前夜と銀子の声、両方が流れとして正しかった

アタシはもうそういう年齢じゃないから笑って読んでるんだけどね、第四章のHシーン二本については、感情の流れとしてちゃんと正しかったから書き残しておくわ。

一本目は古代パートの大井跡古代のあやめ祝言初夜のシーン。大井跡は腹の据わった男で、古代のあやめは彼に寄り添う女性。この二人が結ばれる場面が、二人とも自分たちの先に待っているものを知っている状態で起きるのよ。死ぬことを知っていて結ばれた二人の夜。これがHシーンとして配置されてるんだけど、アタシはこの場面を、性的な消費物としては読めなかった。読めるはずがないのよ。明日、自分たちは終わる。それが分かっていて、それでも今夜結ばれることを選ぶ二人。こういう男はね、もう言葉にならないわ。本物の男だよ。

こういう感情の積み上げがあった上でのシーンなら、アタシは「人間らしかった」って素直に言えるの。流れが嘘くさくないのよ。二人がここに至るまでの全部があって、それでこの夜が来た。それがちゃんと描けてた。Hシーンっていう器に、二人の人生の終端を入れたっていうことね。第四章古代パートの最も重要な場面の一つだと思うわ。

二本目は現代パートの三井と銀子のシーン。これは銀子が「自分の声で好きって言いたい」っていう意志をはっきり示した後に、二人が結ばれる場面ね。アタシ、このシーンが起きるまでに二人がちゃんと感情を積み上げてきたから、ここで身体の関係に進むことに違和感を感じなかった。感情の積み上げがあってのこれなら、人間らしかったって思えたわ。

逆を言うとね、もしこの二本のHシーンが感情の流れと無関係に、ただ「Hシーンを入れる尺なのでここに入れました」みたいな配置だったら、アタシは絶対に文句を言ってたわ。第四章の二本は、そうじゃなかった。物語の流れの中で必然性のある場所に置かれてた。それは正直に評価するわ。

第五章こずえパートの暴行描写と、第四章のHシーン二本。同じ作品の中の身体描写なのに、置かれている意味が全然違うのよ。前者は「奪われる」描写で、後者は「結ばれる」描写。本作はその両方をちゃんと描き分けた。これは構造として意識的にやってる仕事だと思うわ。身体描写を一律に消費物にしなかった判断は、アタシは評価するわ。

下げた理由——主人公が交代することと、序盤の問題

7.3まで止めた理由、ここで少し掘り下げておくわ。

一つ目は、やっぱり主人公が章ごとに交代することね。儀助は儀助で第一章の中で完結する。久世は第二章で出てきて、また第五章後半で出てくる。鍋島志朗は第三章だけ。大井跡は第四章古代だけ。三井は第四章現代だけ。一人の男を最後まで追えないの。

例えばね、第三章で鍋島志朗っていう軍人が、佐々井家の姉妹に巻き込まれていく中でかなり重い経験をするわけじゃない。アタシはこの男が、その経験を経て「その後どうなったか」をもっと見たかったのよ。でも、第三章が終わったら次の章では大井跡が出てくる。志朗のその後はもう描かれない。これは構造として仕方ないんだけど、人間を深く知りたいアタシのタイプの読者には欲求不満が残るの。

二つ目は序盤の入りにくさ。第一章の名無しの少女と儀助の話は、終わってみれば確かに価値がある章なのよ。最後の少女の独白なんかは、本当に静かで、心に残る場面だった。「弱々しくても光っていた」っていう一節、あれはちゃんと刺さる文章よ。でも、そこに辿り着く前の入口の地味さで、何人読者を逃がしているか分からないの。アタシ、序盤の30分で何度か閉じそうになったって書いたけど、本当のことなのよ。

三つ目は、これも書いておくわね。こずえパートの暴行描写の扱いについての違和感。物語上の意味があったことは認める。さっきも書いた通り、こずえという女性の意地を見せるための場面として機能していた。でも、それでもアタシ個人の感情としては、あの場面はしんどすぎたの。「物語に必要だから」と「読んでて受け止められる」は別なのよ。これはアタシの個人的な限界の話だから、作品の弱点と言い切るほどではないんだけどね。ただ、本作を人に勧める時には、ここの存在は伝えておかないといけないと思ってる。

この三つで7.3に止めた。8まで上げきれなかったのは、こういう理由ね。

7.3——それだけの代価を払って、それだけのものを書いた

最後に、本作のテーゼに沿って締めるわ。

「代価を払うからこそ価値がある」っていうのは、本作の中で久世が遺す台詞ね。第五章後半で、瀕死の久世がこの一行を残す。この台詞、最初にここを見た時は「ああ、テーマを言語化したな」くらいの感覚だったの。でも、本作を全部クリアした後にこの台詞を思い返すと、見え方が変わるのよ。

本作の中で代価を払った人がたくさんいたわよね。儀助は名無しの少女を見送るために、自分の何かを置いてきた。狭霧頼人は二人の関係のために、それぞれが何かを差し出した。夕奈は——払った代価が間違った方向に向かってしまった例ね。大井跡と古代のあやめは命そのものを差し出した。こずえは赤子を守るために、自分自身を全部失った。銀子は声を取り戻すために、長い長い時間と意志を払い続けた。

各章の人間が、それぞれの代価を払って、それぞれの何かを得たり失ったりしていた。本作はそれを描き続けた作品だったの。そしてね、アタシが最後まで読んで思ったのは、本作を書いた人たちもまた、それだけのものを書くために何かを払ったんだろうな、ってことよ。こういう重い物語を、5章にわたって書き続けるのは、書き手にとっても代価が要る仕事だと思うのよ。本作のテーゼは、書かれている内容だけじゃなくて、書くという行為そのものにも当てはまっているの。

……アタシはね、スナックのカウンターで30年、いろんな人を見てきた。本当に大事なものを持ってる人は、必ず何かを払ってる。それは絶対なの。本作の登場人物たちは、それぞれの章で、それぞれの代価を払ってた。儀助も、夕奈も、こずえも、銀子も、みんな何かを差し出してた。だからアタシは、この作品の人物たちを「ちゃんと生きてた」って言えるのよ。架空の人物に対して「生きてた」って書くのはおかしな話なんだけどね、本作の人たちは確かにそう感じさせる人たちだった。

7.3。本物の人間が生きていた作品だった。それだけよ。