2001年9月、わしはこれをジャケ詐欺と読んだ。25年経って、それが作者の戦略じゃったと判ったぞ。
当時、店頭で本作のジャケを見たわしは「みさくらなんこつの絵で従妹奴隷モノ」と判断して、買ったが半年積んだ。プレイ後も「ジャケ詐欺じゃのう」と思った。25年経って判ったのは、ジャケと煽り文句そのものが「読み取れぬ者を篩い落とす装置」として置かれておった、ということじゃ。元長柾木の腹の据わり方は、当時よりも今のほうがよく見える。8.8は、業界史の中でセカイ系初期実装の代表作の一つとして位置づけた上での評価じゃ。これは残る。
スコア詳細
2001年9月、わしが店頭で素通りしかけた作品じゃ
本作の入口について、当時の記憶から話すぞ。
2001年9月21日、otherwiseブランドから発売された恋愛アドベンチャーじゃな。シナリオは元長柾木(メイン)・シュート彦・大瀧大輔の3名体制、原画はみさくらなんこつ、音楽は I've(高瀬一矢ほか)と BIGMADE。当時のエロゲー業界では中堅ブランドの作品じゃが、シナリオの元長柾木は前作『sense off』(1999)でセカイ系の旗手の一人として知られ始めておった作家。「批評の対象として論じられる作家」として、当時の業界では数少ない存在じゃった。
主人公・笹本康介は両親が南米へ行って戻らぬ高校2年生で、叔母夫婦の家で従妹の霞と同居しておる。物語が動き出すのは4月10日からの2週間。叔母夫婦が結婚記念旅行に出かけて、康介と霞は留守を任される。「保護者がいない2週間」という、極めて閉鎖された春の空間じゃな。事件らしい事件は起こらん。学校・台所・通学路・神社の境内・部室——日常の薄皮一枚下の関係の温度を、プレイヤーが選び取る構造になっておる。
登場人物は霞のほか、霞の親友で皮肉屋・神託研究会員の柚木式子、神社の娘で巫女見習いの神澤悠歌、寝坊魔の後輩・守里椎奈、サーフィン青年の中谷海彦、康介の友人の尚樹。少人数の閉じた人間関係の中で、4ヒロインそれぞれとの関係が並走しながら進む。ボイスはヒロイン全員にあり、主人公はボイスなし——当時のエロゲーの標準的な構成じゃな。わしがプレイしたのは2001年9月のオリジナル版じゃ。2005年の Standard Edition は別エンジン(RealLive)に移植されておるが、内容自体は基本的に同一とのことじゃのう。
本作の入口の特徴は、ジャケと煽り文句にある。「奴隷調教ラブコメ」を強く打ち出したパッケージ、従妹を鎖で繋いだ表紙絵、「お兄ちゃん」と呼ばれる従妹ヒロイン——どれも当時のエロゲー市場の「萌え」と「依存系ヒロイン」「タブー恋愛」の記号を集めた典型的なパッケージングに見えた。当時のわしを含めて、多くの購買者がこれを「依存系ヒロインの調教ラブコメ」として購入したわけじゃ。ところがプレイすると、中身はそれと真逆に近い哲学的恋愛ADVが現れる。本作の最初の仕掛けは、ジャケそのものに置かれておるのじゃ。
当時のエロゲー業界——「セカイ系」が実装され始めた年
本作の業界史的位置を、2001年前後の文脈で整理しておくぞ。
2001年は、エロゲー業界が後に「セカイ系」と呼ばれる作風を本格的に実装し始めた年じゃった。前年の2000年9月にKey『AIR』が出て、神奈の物語によって「決定的に救えない少女と寄り添う物語」の文体が業界に定着しておった。Leafの『ToHeart』『WhiteAlbum』が築いた萌え恋愛ADVの枠組みが、2001〜2002年にかけて急速に哲学・喪失・救えなさへと舵を切っていった時期じゃ。本作はその只中、2001年9月に出ておる。
元長柾木は本作の2年前、1999年に『sense off』をotherwiseから出してセカイ系の旗手の一人として知られ始めておった。続いて2000年に『Fluorite ~sukisuki daisuki~』、本作の2年後の2003年に『ラストオーダー』を出しておる。雑誌『新現実』『ファウスト』への寄稿、東浩紀『美少女ゲームの臨界点』『動物化するポストモダン』周辺の議論で、セカイ系の代表的書き手の一人として論じられる作家じゃな。本作はその系譜の中間点に位置する作品じゃ。
……ただし、当時の評価はそう高くなかったぞ。批評空間(Erogamescape)の中央値は76前後で、現在も二極化評価のまま固定されておる。「セカイ系の初期傑作」と評する高評価層と、「萌えゲーとして失敗」「電波自慰」と評する低評価層が並走する状態じゃな。みさくらなんこつのジャケと「奴隷調教ラブコメ」の煽り文句で買った購買層と、元長柾木目当てで買った購買層が、同じパッケージで真逆の読み方をしていたわけじゃ。これは本作が「読み取られないことを織り込み済みの設計」だった証拠じゃ、と今のわしは判断するぞ。
当時のわしの記憶。本作は半年積んだ後にプレイしたが、序盤の「お兄ちゃん、ボクのこと、奴隷にして?」という起動セリフで「ふむ、依存系ヒロインの調教モノじゃのう」と思った。中盤までその印象は変わらん。しかし各ルートの終盤で、本作は構造を反転させてくるのじゃ。「奴隷契約」という萌え記号が、実は別の哲学装置として置かれておった、と判らされる。当時のわしはそこまでは気づいたが、本当の深さは見えておらんかった。25年経って判ったのは、その先にまだ深い地層が埋まっておったことじゃ。
再プレイして気づいたこと——主題歌そのものが物語のメタ要約じゃった
25年後の再プレイで、わしが最も驚いたのは主題歌の歌詞じゃ。
主題歌「Kiss the Future」は SHIHO が歌い、作曲は I've の高瀬一矢、編曲は C.G mix。当時の I've 全盛期の布陣じゃ。これだけ見れば標準的なエロゲー主題歌の作りじゃな。核心は作詞。本作の主題歌の作詞者は、シナリオを書いた元長柾木本人なんじゃ。当時のわしは主題歌を単なる雰囲気装置として聞き流しておったが、再プレイで歌詞を読み直して驚かされたぞ。歌詞は物語を歌っておるのではない。歌詞は物語の哲学的核心を直接的に予告しておるのじゃ。
歌詞の各ブロックが、4ヒロインの4ルートにそれぞれ正確に対応する設計になっておる。これは当時のエロゲー主題歌で、わしが他に知らん作りじゃ。同時期のKey作品『AIR』『CLANNAD』も主題歌に主題性はあるが、ここまで各ルートの結末名と直接対応する歌詞構造は組んでおらん。Leafの『WhiteAlbum』のような「歌そのものが物語の核」の作りとも違う。本作は「歌詞が物語の哲学を二重化する」という独自の構造を取っておる。シナリオライターが作詞も担当できる、という条件が揃って初めて成立する設計じゃな。
本作の構造的特徴は次の点に集約される。萌え記号(従妹・奴隷契約・お兄ちゃん呼び)を借用して、それを哲学装置に転用する。当時の業界では、Key作品が「萌え記号と哲学装置を併存させる」のに対して、本作は「萌え記号そのものを哲学装置に転用する」。奴隷契約は依存系ヒロインのテンプレートではなく、別の意味の装置として置かれておる。お兄ちゃん呼びは依存と自立の装置として、ヒロイン攻略はテーゼの多角的検証の装置として——どれもエロゲーのジャンル約束事を、内側からひっくり返す仕掛けじゃ。
当時のわしには、これが見えておらんかった。みさくらなんこつのジャケと「奴隷調教ラブコメ」の煽り文句で本作の入口を判断してしまったのじゃ。25年後の再プレイで、ジャケそのものが作者の戦略の一部だったと判った。「真面目な絵で出したらセカイ系として読まれる作品を、エロ絵で出して『萌えエロゲー』として誤読させる」——そういう意図的な設計じゃ。誤読されることを織り込んだ作品として、本作は業界の中で異質な位置を保ち続けておる。
業界史の中で——『sense off』『AIR』『家族計画』との関係
本作の業界史的位置を整理しておこう。2001年前後のエロゲー業界マップに本作を置いてみるぞ。
1999年に元長柾木が『sense off』をotherwiseから出した。これがセカイ系の初期実装として知られる作品じゃ。同年6月にKey『Kanon』が出て泣きゲーの文法を業界に定着させ、2000年9月にKey『AIR』が神奈の物語によってセカイ系の文体を業界に広めた。本作(2001年9月)の前後の時期には、アリスソフト『大悪司』(2001年8月)、同人版『月姫』(TYPE-MOON、2000年12月)、D.O.『家族計画』(2001年12月)など、業界が一斉に「真面目に物語を書く」方向へ舵を切った時期じゃ。
本作の位置はその中で特異じゃ。本作は「萌え記号を借用して哲学装置を組む」という、当時としては極めて尖った戦略を取っておる。同時期のKey作品が「萌え記号と哲学装置を併存させる」のに対して、本作は「萌え記号そのものを哲学装置に転用する」。これは当時から見ても珍しい腕じゃった。後続のエロゲー作家にも影響を与えた仕掛けじゃろう。
元長柾木の作家史の中での本作の位置は明確じゃ。『sense off』(1999)で実装され、本作(2001)で4ルート群像劇として展開され、『ラストオーダー』(2003)でさらに先鋭化する——という流れの真ん中。本作が果たした業界史的役割は、セカイ系を「萌えの皮の下に組み込んでも成立する」と実証した点じゃ。Keyのように真正面から泣きゲーとして提示するのではなく、ジャケ詐欺と批判されることを織り込んだ上で哲学装置を仕込む——という戦略は、当時の業界では極めて稀じゃった。
批評空間の中央値76は、25年経った今も二極化評価のまま固定されておる。これが時の審判の結果じゃ。「広く愛される作品」にはなれなかった。だが「一部の読者に深く届く作品」として残っておる。批判される構造として置かれた作品が、25年経っても消えずに語られている事実こそ、本作の業界史的価値の証明じゃろう。みさくらなんこつ起用の判断も、当時から議論があった部分じゃが、これも作者の戦略の一部じゃろうな。誤読されることを織り込んだ作品として、本作は業界の中で異質な位置を保ち続けておるぞ。
8.8——25年経って、これは残る
最終評価を整理するぞ。
本作は時に削られておらん。25年経って、テーゼ・歌詞・構造のすべてが今でも有効じゃ。テーゼの提示は2001年に書かれた言葉として古びておらんし、むしろ現代の意思疎通至上主義の時代に本作の哲学が出した反論は、当時よりも今のほうが鋭く響くじゃろうな。
8.8の内訳について。歴史的意義10はセカイ系初期実装の代表作の一つとしてつけた。これは業界史の中で位置が動かんぞ。尖り9・テーマ9・独自性9は、萌え記号を哲学装置に転用する戦略、4ルートを別々のテーゼで検証する群像劇構造、主題歌が歌詞構造で物語を二重化する設計——どれも本作にしかない発想じゃ。世界の奥行き8・文章力8は、本作の弱点を反映させた数字じゃな。
10に届かなかった理由は3点ある。主人公・笹本康介の前半と後半の声質乖離(前半のシニカルなツッコミ型と、後半の観念モノローガー化した康介の乖離)、複数ライター体制由来の温度差(元長が握っておる哲学パートと他ライターのコメディパートの文体の重さの差)、章間の有機的な絡みの薄さ(4ルートが並列配置されておって、章を跨いだ哲学的対応が主題歌の中でしか結ばれておらん)——これらが構造的弱点として残っておる。
……ただし、この弱点を全部足しても本作は8.8の水準にあるぞ。これは残る。500年後にエロゲー史を語る者は、必ず本作の名を挙げるじゃろう。それは予言ではない、観察じゃ。25年経って消えなかった作品は、もう50年も100年も消えん。
2001年9月、当時のわしはこれをジャケ詐欺と読んだ。25年経って、それが作者の戦略じゃったと判ったぞ。元長柾木の腹の据わり方を、今のわしは敬意を持って評価しておるぞ。8.8は、当時見えなかった作品の真価を25年遅れで承認する数字じゃ。
主題歌「Kiss the Future」の歌詞が4ルートのテーゼを直接歌い込む構造、4ヒロインの哲学的配置、悠歌ルートの「断絶ゆえの希望」の哲学——これらの核心ネタバレについてはネタバレあり版でじっくり論じておるぞ。プレイ後に読んで欲しい。
