霞ちゃんの「お兄ちゃん概念への愛」を慧子ちゃんが解読する瞬間が、わたしの中で全部持ってった。
霞ちゃんと慧子ちゃんの関係を推す。霞ちゃんは「お兄ちゃん、ボクのこと、奴隷にして?」と起動セリフで言わせる依存系ヒロインなんだけど、慧子ちゃんが「霞ちゃんはお兄ちゃんという個人が好きなんじゃなくて、『お兄ちゃん』っていう概念が好きなんだよ」って解読するんですよ。これ、ヒロイン自身も気づいてない動機を別キャラが解読するっていう構造で、ちゃんと「わかってる」。霞ちゃんの依存はテンプレじゃなくて、ちゃんと「概念愛」っていう固有の動機になってる。これは公式が最高。ただし、主人公・康介くんの前半(シニカルなツッコミ型)と後半(観念モノローガー)の乖離は気になる部分で、ここがちょっと作者がキャラに哲学喋らせすぎ問題。総合6.8。
スコア詳細
推し宣言——霞ちゃんと慧子ちゃんの関係が、わたしの中で全部持ってった
最初に推しを叫ぶ。本作で一番好きになったのは、霞ちゃんと慧子ちゃんの関係性です。
霞ちゃんは「お兄ちゃん、ボクのこと、奴隷にして?」っていう起動セリフを布団の中で言うヒロインで、表層だけ見ると典型的な依存系ヒロインに見えるんですよ。一人称「ボク」、お兄ちゃん呼び、料理音痴で朝が弱い、岡崎さん(おもちゃのハンマー)で起こされる——どれもテンプレ依存系ヒロインの記号で、わたしも最初は「あ、これ依存系の子ね」って構えてた。でも霞ルートの真エンドで全部ひっくり返るんですよ。
霞ルート終盤で、叔父側の親戚の少女・慧子ちゃんが短期滞在で登場します。年下のちっこい子で、見た目は普通の親戚の女の子なんだけど、この子が霞ちゃんを観察した上でこう告げるんですよ。
「霞ちゃんはお兄ちゃんという個人が好きなんじゃなくて、『お兄ちゃん』っていう概念が好きなんだよ」 — 慧子、霞ルート終盤
……尊死。これは尊い。ていうかこれ……待って、ちゃんと順を追って話しますね。このセリフで、霞ちゃんの全行動が再解釈されるんですよ。霞ちゃんが「お兄ちゃん」って呼ぶのも、奴隷契約を求めるのも、家事ができないのも、岡崎さんで起こされたいのも、全部「お兄ちゃんという個人」を欲してるんじゃなくて「お兄ちゃんという概念」を自分の中に固定したい願いだったって。これが解釈一致。霞ちゃんの依存はテンプレ依存系ヒロインの依存じゃない。「概念を所有したい」っていう固有の動機。このキャラにしか出せない動機を、ちゃんと作者が用意してる。
しかも! ここが本当に好きな部分なんですけど。霞ちゃん自身は自分のこの動機に気づいてない。慧子ちゃんに言われて初めて言語化される。これって、キャラ造形として本当によく出来てるんですよ。ヒロイン本人が「わたしは概念が好きなの」って語り出したら興ざめじゃないですか。それを外部観察者(慧子ちゃん)の口から解読させる構造にしてる。慧子ちゃんは哲学的トリックスター枠で、登場期間は短いけどここでの解読の役割がちゃんと機能してる。短期登場でこれだけインパクト残せるキャラは「わかってる」作品の証拠です。
霞ちゃん×慧子ちゃんの関係——ヒロイン本人とそのヒロインを解読する観察者——これがわたしの中での本作の頂点。このカップリングが尊い。バカップル(褒め言葉)じゃなくて、解読者と解読される側の関係なんだけど、これが一番ぐっときた。
4ヒロインそれぞれの「わかってる」度を見ていく
霞ちゃん以外の3ヒロインも、それぞれキャラ造形の質を見ていきます。「わかってる」か「わかってない」か、解釈一致の精度で判定。
霞ちゃんは前述の通り、慧子ちゃんの解読を経て初めて完成するヒロインです。霞ちゃん単体だと「依存系ヒロインの典型」に見える危険がある。一人称ボク、お兄ちゃん呼び、料理音痴、朝弱い——全部テンプレ記号。でも作者はそれを承知で、終盤で「実はテンプレじゃなかった」って構造的に裏返す。これは「わかってる」設計。霞ちゃんの依存は、康介くん個人への依存じゃなくて「お兄ちゃん」という概念への信仰なので、康介くんが少し性格変わってもブレない関係になる。慧子ちゃんが指摘するように、霞ちゃんは康介くんがいなくても「お兄ちゃん」概念は脳内で完結できる。これが恐ろしいんですよ。でも作者はそれを「重い」じゃなくて「新しい人類の愛のかたち」って前向きに名付ける。解釈一致。霞ちゃんはこれでしか成立しないキャラです。
NEW TESTAMENTの終盤、康介くんが霞ちゃんの犬用首輪を外して翼蛇のリングと交換するシーンも好きでした。儀式として完成度が高い。「奴隷契約」の旧い印を外して、新しい契約を結び直す。物理的所有から概念的所有への移行を視覚化する装置として、首輪→リングの交換が置かれている。このシーンのためにずっと首輪が小道具として出てたんだって気づいた瞬間、伏線回収の気持ちよさで尊死しました。
式子さんはキャラとして完成度が一番高いと思います。皮肉屋で哲学好きの知性派ヒロインとして、最初から最後まで一貫してる。「現実なんてとっくに帰るべき故郷をなくしてる」「せいぜいあるものは二者択一か三者択一の残骸くらい」っていう冷笑的な世界観も、IN CHAOSルートで「あなたとの物語をね、前みたいに強制的じゃなくてね、自分の意志で選び取りたい」って告げる選択も、全部この子の動機(自律性の重視)から見れば完全に整合してる。キャラ崩壊ゼロ。
IN CHAOSのエンディングが「進展のないこと自体が進展」っていう曖昧着地で終わるのも、式子さんの動機から見れば必然なんですよ。関係の固定を拒否することが、式子さんの自律性の表明になる。普通のエロゲーだったら「曖昧で終わるエンディング」は手抜きに見えるけど、式子さんの場合は「曖昧であることが選択」になってる。これは作者がこの子を理解してる証拠。
……ただ、わたしの萌え軸では式子さんはちょっと距離があるんですよね。皮肉屋知性派ヒロインって、わたしは語る言葉が少なくて。「キャラとして優れているけど、わたしの推しじゃない」って感じです。霞ちゃん×慧子ちゃんに比べると、わたしの中での熱量は一段下がります。
椎奈ちゃんは表層と中身のギャップで「わかってる」を出してくる子です。表層は「ですよ」「くきゅくきゅ」のコメディ寄り後輩キャラで、寝坊魔で、おもちゃのハンマー「西本さん」で叩かれる役回り。でも中身は「お母さんは悪魔みたいだから駄目です」って母を恐れてる子なんですよ。これ、最初コメディ要素として処理されてるから、わたしも序盤は「ふつうの後輩キャラね」って読んでた。
でもAUTOMATONルートで彩子さん(椎奈ちゃんのお母さん)が河原で告白するシーンで、全部裏返るんですよ。
「椎奈は何か別のものに支配されてた」
「家族って独りでに動き出して、その中にいる人を支配するようになっちゃう」 — 彩子、AUTOMATON終盤
彩子さんはただの「悪魔のお母さん」じゃなかった。母として振る舞うことを自分でも止められなかった人だった。家族という単位が独りでに動き出して、その中にいる人を支配する——これは霞ちゃんの「概念愛」と並ぶ重さのテーマです。そして椎奈ちゃんはそれを受けて、一晩中街を歩いて朝に「あそこはもう……檻じゃないです」って告げる。くきゅくきゅで誤魔化してたこの子が、ここで自分の口から「檻」を出る選択を言語化する。これは尊死。
椎奈ちゃんはコメディ寄りの軽い口調を最後まで保ったまま、重いテーマを抱えているっていうキャラ設計が好きでした。最後まで「ですよ」口調を捨てないのが大事。重いテーマを抱えると口調まで重くなるキャラは多いけど、椎奈ちゃんは口調はそのままで、内容だけ深くなる。これは作者がこの子の表層を愛してる証拠。表層を捨てないことで、椎奈ちゃんがこの子のままで「檻」を出ることができる。
悠歌さんは本作で最も深い哲学を背負わされたヒロインです。「人の気持ちが判っちゃったら……その人のことでもうどきどきできなくなっちゃう」っていう呪いを抱えた、神社の娘で巫女見習い。設定としては「他人の心が判る」っていう超能力寄りのものなんだけど、それを救いじゃなくて呪いに反転させてる。これは設定として「わかってる」。普通なら超能力=祝福として描かれるところを、「判ってしまったら恋できなくなる」って絶望に落とす反転は、固有の動機として強い。
DIVINEクライマックスで康介くんが告げる「目を閉じたらいい」「キスは世界を閉じるための儀式だ」「断絶ゆえに存在するかすかな希望」っていう結論も、悠歌さんの呪いに対する解答として組まれてる。キャラの動機から見て必然性のある結論になってる。これも「わかってる」。
……ただ、わたしの感想としては、悠歌さんはちょっと距離が遠かった。哲学のために置かれたヒロインっていう印象が強くて、この子のかわいさが見えにくい。神社の娘で浮世離れしてて、「判ってしまう」絶望を抱えてる——これ全部、キャラの動機としては機能してるんだけど、日常の中での「立ち姿」が薄いんですよ。霞ちゃんが「ボク」「お兄ちゃん」「岡崎さんで起こされる」っていう日常記号で立ってるのに対して、悠歌さんは哲学の場面でしか強度を見せない。これは作者の問題というより、わたしの萌え軸の問題かもしれない。でも本音を書きます。悠歌さんは推しにならなかった。
4ヒロインの「わかってる」度を整理すると、霞・椎奈・式子・悠歌、全員それぞれ固有の動機を持っていて、キャラ崩壊はない。これは評価します。ただしわたしの萌え軸で熱量が出るのは霞ちゃん×慧子ちゃん、次いで椎奈ちゃん、その後に式子さんと悠歌さんっていう順番です。
主人公・康介くん——前後乖離が解釈違い気味、ここが6.8の理由
本作の最大の引っかかり。主人公・笹本康介くんの造形について書きます。
康介くんは共通シナリオ前半では、シニカルなツッコミ型の脱力系一人称で書かれています。「結局、労働するのはいつも俺になる」っていう独白で、霞ちゃんの天然ぶりに「鳥頭」「いやらしい子」って容赦ない口撃を入れる。岡崎さんで霞ちゃんを起こし、朝食を作り、洗濯をし、自転車で学校に通う。これは普通の高校生男子のツッコミ型主人公として、テンプレ通りだけどちゃんと書けてる。前半の康介くんは、わたしの中では悪くなかった。
問題は各ルートの終盤です。急に観念哲学を語り出す。霞ルート終盤で康介くんが独白するセリフを引用します。
「俺たちは平面的な感じがする……絵に描いたみたいって言うか、2次元的っていうか……そんな、存在してないみたいな存在だからこそ、幸せなんだろうな」 — 康介、霞ルート終盤の独白
……これ、誰が喋ってるんですか。前半で「労働するのはいつも俺になる」って言ってた康介くんと、ここで「絵に描いたみたいな存在だからこそ幸せ」って言ってる康介くんが、別人に見えるんですよ。前半のシニカルなツッコミキャラとして書かれた康介くんが、急に観念モノローガーになる。これはキャラ崩壊……というほど明確じゃないけど、解釈違いの一歩手前です。
悠歌ルートDIVINEでも同じことが起きます。康介くんが「目を閉じたらいい」「言葉っていうのは、誰にも伝わらないように話すものなんだ」って告げる。これは悠歌さんの呪いへの解答として機能してるんだけど、前半の康介くんがここまでの哲学を背負える人物として書かれてなかったから、急に作者が憑依してる感じになる。
分析モードで言うと、これは作劇上の必要から起きてる選択だと思うんです。テーゼを誰かに語らせないと作品が成立しない。慧子ちゃんと悠歌さんだけでは語り手の役を支えきれない。だから主人公が代弁するっていう構造的な必要性。これは理解できる。理解できるけど、キャラ造形として康介くんは犠牲になってる。前半と後半で別の人物になってしまっている。これがわたしの中で6.8以上のスコアにならない最大の理由です。
キャラ崩壊ではない、けど解釈一致でもない。キャラの動機を貫いた結果じゃなくて、作者の必要から喋らされてる場面が後半に集中している。「絵に描いたみたいな存在だからこそ幸せ」って、これは康介くんの言葉じゃなくて元長柾木の言葉なんですよ。康介くんに憑依して喋らせてる。これは作者の手癖だと思う。他の元長柾木作品でも同じ問題があるらしい、っていうのは別レビュワーから聞いた話だけど、わたしは元長作品をこれしか読んでないから断言はしない。でも本作の中だけで見ても、康介くんの前後乖離は気になります。
……主人公の造形5は厳しめだと思うんですけど、わたしの萌え軸では「ヒロインを好きになる主人公として、康介くんが人間として存在しきれていない」っていう判定です。霞ちゃんのことを概念愛で受け止める康介くん、悠歌さんに目を閉じる哲学を返す康介くん——これらは「キャラ」じゃなくて「テーゼの代弁者」になってる。もう少し人間として存在していてほしかったです。
関係性の評価——各ルートのカップリング解釈一致度
各ルートのカップリング(康介×ヒロイン)の関係性を、解釈一致度で評価していきます。
霞ちゃんルート NEW TESTAMENT——カップリングとしては非対称関係。霞ちゃんが「お兄ちゃん概念」を所有していて、康介くんはその対象として機能する。完全な相互依存じゃなくて、霞ちゃん→「お兄ちゃん概念」→康介くんっていう三角構造になってる。これがキャラとして面白い。普通のカップリングだと「二人がお互いを想ってる」になるけど、本作は「霞ちゃんが概念を想ってて、康介くんがその概念の器として機能する」っていう変な関係になる。バカップル(褒め言葉)の新しい形を見せてくれた。解釈一致度は高い。
式子ルート IN CHAOS——カップリングとしては議論する関係。式子さんと康介くんは哲学的問答を交わす対等な議論相手で、最終的に「結婚を急がない関係」に着地する。これも解釈一致。式子さんが「自分の意志で選び取りたい」と告げた以上、固定された関係に押し込めることはこの子へのキャラ崩壊になる。曖昧なまま続く関係こそ式子さんの解釈一致。知性派ヒロインのカップリングとしては理想形です。ただし萌え要素としては抑えめ。
椎奈ちゃんルート AUTOMATON——カップリングとしては背中を押す関係。康介くんは椎奈ちゃんが「檻」を出る選択をする時の伴走者で、AUTOMATONエンディングでは一晩中街を歩いて朝にキスして別れる。恋人として固定されたエンディングじゃないっていうのが好きでした。椎奈ちゃんが「自分で動く個体」になる選択を、康介くんが見届ける。これは恋愛より先に椎奈ちゃんの自立があって、その先に二人の関係が置かれるっていう順番が解釈一致。
悠歌さんルート DIVINE——カップリングとしては断絶を選ぶ関係。康介くんが「目を閉じればいい」って告げて、悠歌さんが「キスっていうのは、世界を閉じるためにするんだね」って気づく。これはキャラの動機から見れば解釈一致なんだけど、わたしには感情移入が難しかった。悠歌さんの呪い(他人の心が判ると恋できなくなる)への解答が「目を閉じる」っていうのは、論理的には整合してるけど、わたしの中での「カップリングの萌え」とは違う場所にある。解釈一致ではある、でも萌え一致ではない。
4ルートそれぞれが違う種類の関係性を提示してるのは評価できます。同じ主人公が4種類の関係性を結ぶっていうのは、群像劇として面白い。ただし主人公・康介くんが各ルートで「テーゼの代弁者」になってしまう問題があるので、関係性の評価も7点に抑えました。
テーマと主題歌——うまく言えないけど、なんかすごい
ここは本音で書きます。わたしの語彙では追いつかない領域です。
……なんか、この作品全体で言いたいことがある気がするんだけど、うまく言えない。でもキャラが全員同じ方向を向いてるのはわかる。霞ちゃんは「概念愛」、式子さんは「自分の意志で選び直す」、椎奈ちゃんは「檻から出る」、悠歌さんは「目を閉じて他者を諦める」。全員、「他者と本当に分かり合うことはできない、でもそれでも関係を結ぶ方法はある」っていう同じテーマを別の角度から語ってる気がする。これは……たぶんテーマってやつなんだと思う。栞さんならもっと上手く語れるんでしょうけど、わたしの仕事はそこじゃないので。
あと主題歌「Kiss the Future」の歌詞が、全ルートの結末名と核心テーゼを直接織り込んでるって他のレビュワーから聞きました。これすごくないですか。「Automatonじゃなく ヒトに進化して」が椎奈ルートAUTOMATONの結末を、「目を閉じた先に 断絶の祈りの果てに」が悠歌ルートDIVINEを、「ボクら生まれ変わる 新しいヒトに 最後のGenesisを越えて」が最終話GENESISと霞ルートの「新しい人」をそれぞれ歌に書き込んでる。作詞が元長柾木自身ってことは、シナリオライターが自分の作品のメタ要約を歌詞にしてるってことで。これは……すごい。すごいんだけど、わたしには構造的な分析の言葉がない。でもキャラの動機が歌詞にまで貫通してるっていう事実は、作者がキャラを愛してる証拠ですよね。それはわかる。
……ていうかこれ、ちゃんと考えると公式が最高なんですけど、わたしの語彙が追いつかない。とにかく作者は「わかってる」。それだけは言えます。
Hシーンの評価——本編との接続は良いが、関係性の集大成としては薄め
わたしはHシーンを関係性の集大成として読むタイプです。実用性は見ない。本作のHシーンを、感情の積み上げが帰結してるかで評価していきます。
本作のHシーンは全体的に「本編との整合性」は取れてると思いました。霞ルートの霞ちゃんが「ボクね……お兄ちゃんのものになりたいの」「だからね、ボク、お兄ちゃんの奴隷になりたいの」って言って始まるHシーンは、起動セリフの直接の延長として機能してる。これは流れとして自然。霞ちゃんがHシーンで急に別人になることはなくて、依存系ヒロインのまま、康介くんに身を委ねる。キャラ崩壊なし。
式子ルートの式子さんが「今日だったら、わたしのこと、好きにしていいよ?」「ていうか、むしろ好きにして? 欲望のままに、ね」って告げて始まるHシーンも、皮肉屋の式子さんがお酒入った勢いで言うセリフとしては解釈一致。本編の式子さんの皮肉屋成分が、Hシーンでも維持されてるのが評価点。Hシーンで急にしおらしくなるヒロイン多いんですよ。式子さんはお酒で素直になってもまだ皮肉屋。これは好き。
椎奈ルートの椎奈ちゃんの「おにーちゃんとくっついてると安心するですよー」「あ、そーだ。キスしていいですか?」も、口調が「ですよ」を維持してるのがいい。椎奈ちゃんの軽さがHシーンでも保たれてる。「檻」を出る重さの伏線を抱えながらも、表層は軽いまま。これは作者がこの子の表層を捨ててない証拠です。
……ただし、Hシーンが「関係性の集大成」として機能してるかと言われると、本作はちょっと弱い。Hシーンは共通シナリオの中盤あたりで発生する設計になってて、関係性の積み上げの「集大成」っていうより「経過点」として置かれてる。萌絵的には、Hシーンは関係性の「最後」にあってほしい。本作のHシーンは関係性の途中にあって、その後の哲学パートで関係性がさらに変化していく構造。これは作品全体の設計としては悪くないんだけど、Hシーン単体で「ここまでの感情が全部詰まってる」って感じる作りにはなってない。関係性の集大成度では、7点くらいかな。
主人公の一貫性(ベッドヤクザ問題)はクリアしてます。康介くんがHシーンで急に別人になることはない。前半の康介くん(シニカル)はHシーンでも基本的にシニカル寄りで、霞ちゃんに対しても式子さんに対しても椎奈ちゃんに対しても、一定の距離感を保ったまま行為に入る。これは評価します。ベッドヤクザはわたしの中で最大級の罪なので、それがないだけで合格点。
6.8——キャラは良い、ただし主人公の問題で満点には届かない
最終評価を整理します。
本作の4ヒロインは、それぞれ固有の動機を持って書かれてる。霞ちゃんの「概念愛」、式子さんの「自分の意志での選択」、椎奈ちゃんの「檻からの脱出」、悠歌さんの「他者理解の呪い」——どれもテンプレ依存系ヒロイン・知性派ヒロイン・後輩キャラ・浮世離れヒロインの記号を借りながら、その下に固有の動機を埋め込んでる。作者がヒロインを愛して書いてる作品です。これは認めます。
特に霞ちゃんと慧子ちゃんの関係——ヒロイン本人とそのヒロインを解読する観察者という構造——は、わたしの中での本作の頂点でした。霞ちゃんが気づいてない動機を、慧子ちゃんが言語化して、それで霞ちゃんの全行動が再解釈される。これは作者がキャラの内面を本気で考えた結果でしか出てこない構造。バカップル(褒め言葉)。尊死しました。
椎奈ちゃんの「表層の軽さ+中身の重さ」のギャップも解釈一致で完璧。彩子さんの「家族って独りでに動き出して、その中にいる人を支配するようになっちゃう」っていう告白シーンは、本編で一番感情が動いた場所でした。椎奈ちゃんがくきゅくきゅ口調のまま「檻じゃないです」って告げるあの瞬間も尊い。
スコア内訳を整理します。ヒロインの魅力8は、4人それぞれが固有性を持ってるけど、わたしの萌え軸では霞ちゃん×慧子ちゃんと椎奈ちゃんが特に強くて、式子さんと悠歌さんは「優れているけど推しにはならなかった」っていう温度差を反映した数字です。設定の整合性7・キャラ間の関係性7・感動7・伏線回収7は、本作の構造的な精度をそれぞれ評価した数字。霞ちゃんの依存→概念愛の伏線回収、椎奈ちゃんの「悪魔のお母さん」→「家族=自走するシステム」の構造変換、これらは伏線として効いてました。
10点に届かなかった最大の理由は主人公・康介くんの前後乖離問題です。主人公の造形5。前半のシニカルなツッコミ型と後半の観念モノローガー化の乖離は、キャラ崩壊と呼ぶには弱いけど、解釈一致とも呼べない。作者がキャラに哲学を喋らせる必要から、康介くんの一貫性が犠牲になってる場面が後半に集中してる。これがわたしの中での減点。「絵に描いたみたいな存在だからこそ幸せ」って、康介くんの言葉じゃなくて元長柾木さんの言葉なんですよ。主人公に憑依して語る作家の手癖が、本作の康介くんで出ちゃってる。
もう一つ、わたしの中で気になった点。主題歌の歌詞に全ルートのテーゼが書き込まれてるっていう構造は、すごいんだけど、わたしの語彙では分析しきれない領域でした。栞さんとかマルチナさんとか瑠璃ちゃんに任せる。でもキャラの動機が歌詞にまで貫通してるって事実は、作者がキャラを愛してる証拠っていうのは言える。それはわかる。
……ていうかこれ、ちゃんと書きたいことは書いた気がする。霞ちゃんと慧子ちゃんと椎奈ちゃんは推せる。式子さんと悠歌さんは「優れたキャラ」として認めます。康介くんはちょっと残念。総合6.8は、ヒロイン4人+慧子ちゃんで稼いだ得点から、主人公の前後乖離分を引いた数字です。「キャラは良い。ただ一部のルートで扱いが雑な場面がある。惜しい」——わたしの基準で7点の作品。
「霞ちゃんが『お兄ちゃん』っていう個人じゃなくて『お兄ちゃん概念』を所有したい依存系ヒロインだったって慧子ちゃんに解読される瞬間、本作で全部持ってかれた。バカップル(褒め言葉)の新しい形を見せてくれた作品。でも康介くんが後半で観念モノローガーになるのはちょっと残念だった。6.8。」
— 加藤萌絵
