調べた量が物語になっている。途中までは。
犯罪心理学、量子物理、登山医学、ユング心理学、哲学。これだけの分野を一本の密室劇に編み込んで、しかもそれが雰囲気の飾りではなく謎そのものの土台になっている。教養の使い方という一点で、ぼくはこの作品をかなり高く買っている。膨大な専門用語が衒いではなく知の厚みとして機能していて、プレイして知らなかったことをいくつも知れた。ただ、本来あるはずの結末をめぐる事情があって、最も知識的に面白くなるはずだった核心の手前で物語が途切れる。その正直な引き算を込めて7.5だ。
スコア詳細
専門書を何冊束ねたら、この一本になるのか
2004年のKID、infinityシリーズ第3作。サスペンスアドベンチャーという棚に置かれているけれど、ぼくにとってこれは「教養の使い方を試した作品」だった。
物語は二つの密室で同時に進む。青森・朱倉岳の避難小屋で目覚めた女子大生・冬川こころ。北海道・青鷺島の精神医療施設スフィアで目覚めた院生・優希堂悟。この二人の意識が、ある条件で33分間隔で入れ替わってしまう。こころは鳩鳴館女子大で人間学を学び、犯罪心理学の資料を抱えている。悟は鳩鳴館大学院の物理工学で、ライプリヒ製薬という日独合弁の企業で研究に関わっている。心理学の側と物理学の側、両方から同じ謎に手を伸ばす構造になっている。これが効いている。
ぼくがこの作品に惹かれたのは、犯罪心理・量子物理・登山医学・ユング心理学・哲学が、ひとつの密室劇に同居していると聞いたからだ。普通こういう「全部盛り」は内輪参照の寄せ集めになる。調べないで雰囲気だけ借りた設定が並ぶ。だから半分は疑って手を出した。やってみて、その疑いはほとんど外れた。何を調べた上で書かれているのか、具体的に挙げていく。
解離性同一性障害が、ちゃんと調べてある
この作品の心臓部のひとつは、解離性同一性障害――いわゆる多重人格の扱いだ。そして、ここがごまかしていない。
序盤、スフィアで目覚めたこころは、内海カーリーという女性――休職中の元小学校教師で、この施設に何か事情があって滞在している――から、自分が抱える障害について突きつけられる。この時に出てくる説明が律儀だった。多重人格は1994年発行のDSM-Ⅳ――精神疾患の診断マニュアル第4版――から「解離性同一性障害」と名称が改められた、と作中で正しく押さえている。それ以前の呼称は「多重人格症」。発症の主因は12歳未満の虐待などによる自我形成の阻害、という記述も臨床的に妥当な線をなぞる。雰囲気で「多重人格」と言っているのではなく、用語の歴史と病態を踏まえた上で物語の土台にしている。
立てて、覆す面白いのはここで、この作品は多重人格をただの便利な装置として使い捨てにしない。心理学の側の説明を一度きちんと成立させ、プレイヤーにそれを信じさせる。そのうえで、別の角度から揺さぶりにかかる。詳しい中身はネタバレになるので避けるけれど、心理学を正確に理解しているからこそ、それを正確に立てて正確に問い直せる、という芸当をやっている。借りてきた知識を飾りに使う作品には、この二段構えは作れない。設定の独自性に9点を置くのはこの点だ。
物理用語を、ちゃんと物理として書いている
悟の側、つまり物理工学の院生が関わる謎の理論基盤――これがエロゲーやギャルゲーの域を超えて律儀だった。
作中で語られる物理は、ひとつも雰囲気で借りていない。量子テレポーテーション、EPRペア――アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼンの三人が提唱した、双子の粒子が遠く離れても運命を共有するという概念。暗号や量子情報の論文で送信者・受信者を指す慣例的な呼び名、傍受者の呼び名まで含めて正しい。調べてみると、現実の物理学の教科書からほとんど崩さずに持ってきている。こういう正確さは、書き手が背景を理解していないと出ない。
概念とテーマの一致この作品はシュレディンガーの猫やラプラスの悪魔も持ち出す。猫のほうは、機内で同乗する少年・ゆに――こころの隣席にいる11歳の不思議な子で、童歌や哲学を口にする――の「後ろの正面は、振り返って目を開くまで……決まらない」という台詞に対応している。観測するまで状態が確定しないという量子力学の入門を、かごめかごめの歌に重ねた。ラプラスの悪魔――世界の全状態を知れば過去も未来も決定している、という決定論――も、運命と歴史を語る場面の哲学的な裏打ちになっている。科学概念を、台詞の意味を支える論理として使っている。飾りで物理用語を並べる作品は、ここまでの一致は作れない。
正直に言うと、SFとして承知の上で踏み込んでいる飛躍はある。けれど土台が正確だからこそ、どこから意図して嘘をついているかが分かる。それは不勉強とは違う。誠実な選択だ。
雪山の側も、登山医学で支えられている
SFと心理学に目を奪われがちだけど、ぼくが感心したのはむしろ朱倉岳の避難小屋――雪山サバイバルの側の地に足のついた知識だった。
こころたちが直面するのは低体温症だ。胴体内部の深部体温が下がり、震えが止まったら危険、という段階が、実際の登山医学のとおりに進む。震えが止まることが「死に向かう」サインだと知っていれば、雪山の緊張感はまるで違って見えてくる。ホワイトアウト――吹雪で視界が白く閉ざされ、高低も方向も失う「白い闇」――が一日まるごとの主題になる場面もある。雪庇、つまり稜線の風下にできる張り出した雪のひさしが、乗ると崩れるという性質。ラッセルで雪をかき分けて進む描写、ピッケルの用途。調べた量が、密室の外側にある雪山という世界をちゃんと存在させている。
奥行きとしてこの作品の用語解説の物量は異様だ。脳の海馬が記憶の製造工場だという脳科学、心神喪失を扱う刑法第39条、境界性人格障害、雪山で自分の影が巨大に見えるブロッケンの妖怪、テレシコワの「私はカモメ」という有名な通信が実はコールサインの誤訳だったという逸話まで入っている。ひとつひとつが本筋に必須というわけではない。けれど、主人公が直接触れない部分にまで本物の知識が敷いてある感触こそが、ぼくの言う世界の奥行きだ。調べれば調べるほど作品が厚くなる。だから世界の奥行きにも9点を出す。テレシコワの誤訳の話なんて、ぼくはこの作品で初めてちゃんと知った。こういう発見があるから、やめられない。
ユングの元型と、東西の出典の幅
教養の織り込み方で、もう一段感心したのが、登場人物の配置にユング心理学の元型を重ねている点だ。
影(シャドウ)、太母(グレートマザー)、老賢者(オールドワイズマン)、仮面(ペルソナ)、そして男性の中の女性像・女性の中の男性像であるアニマとアニムス。各キャラクターがユングの元型に対応している。これは思いつきの飾りではなく、構造としての引用だ。その上で、荘子の胡蝶の夢、ユダヤ神秘思想の生命の木、ギリシャ神話の死の女神、量子論。東洋の説話から西洋の神秘思想まで、出典の幅が本当に広い。これだけの分野を一本に編んだ書き手は、そう多くない。
細部にも仕込みがある。たとえば主人公二人の名前――「悟」と「心」――の関係を、漢字の構造そのものから読み解く件があって、これがいい。学者ぶった引用の羅列ではなく、物語の感情に直結する形で漢字遊びを使っている。衒学が衒学のまま終わらず、ちゃんと物語に溶けている。文章力・描写力に8点を出すのは、この溶かし方への評価だ。
勿体ないと思うのは、いちばん面白くなる手前で途切れること
ここまで褒めてきた。けれど設定の整合性に7、エンディングの満足度に5を置いた理由を、ごまかさずに言っておく。
この作品には、本来用意されていたはずの結末がある。開発側と発売元の間で完結の形をめぐる意見の相違があり、本来の章が収録されないまま世に出た、という事情が公式に明かされている。その結果、提示された大きな謎のいくつかが、回収されないまま幕を閉じる。ここは具体的に書けないけれど、いわゆる「未完の大傑作」という評判は、誇張ではなくこの事情から来ている。
ぼくの評価軸でいちばん痛いところこの作品が積み上げてきた教養――多重人格、心身問題、アイデンティティ――は、すべて「自己とは何か」という一点の解答に向かって配置されていた。ぼくの評価軸でいちばん痛いのは、最も知識的に面白くなるはずだった、まさにその解答篇が欠けていることだ。最高の食材を揃えて下ごしらえまで完璧にしておいて、最後の一皿を出さずに席を立たれたような感触が残る。整合性に7を残したのは、提示された範囲では設定のルールが破綻しているわけではなく、崩れているのではなく続きが無いからだ。そこは区別したい。けれど、知識が解答に至らずに終わる作品を、知識を評価軸に置くぼくが高くは付けられない。エンディングの満足度に5以上は付けられなかった。これは正直なところだ。
7.5——調べた誠実さに加点し、届かなかった解答に減点する
完成していたら、ぼくは迷わず9点台を出していたと思う。それくらい、土台になっている知識の量と正確さは本物だった。
解離性同一性障害をきちんと立てる二段構え、量子テレポーテーションの律儀な参照、低体温症と雪庇で支えた雪山の現実感、ユングの元型をキャラ配置に使った構造、漢字の構造に二人の不可分性を仕込んだ細部。プレイして、テレシコワの誤訳をはじめ、知らなかったことをいくつも知った。それがエロゲーやギャルゲーをやる意味だと思っているぼくにとって、この作品は十分にその役目を果たした。ただ、いちばん深い問いの解答だけが、本来あるはずだった章とともに消えた。7.5という数字は、調べた誠実さへの敬意と、届かなかった解答への正直な減点を、同じ天秤に乗せた結果だ。これは未完の知の遺産として、ぼくの記憶に残った。
