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大和仁のレビュー — Remember11(ネタバレあり)

大和仁
大和仁
専門書の匂いがすると黙れない男
7.5/10
7.5 / 10

調べた量が物語になっている。途中までは。

ネタバレ込みで、この作品が借りてきた知識の量と質を腑分けする。解離性同一性障害、量子テレポーテーション、低体温症、ユングの元型、荘子の胡蝶の夢、ラプラスの悪魔。これだけの分野を一本に編み込んで、しかもそれが飾りではなく謎の機構そのものになっている作品は珍しい。ぼくはこの教養の使い方に9点を出したい。ただ、未収録のセルフ編が抜けたことで、最も知識的に面白くなるはずだった「自己とは何か」という核心の整合だけが宙に浮いた。7.5は、調べた誠実さへの加点と、回収されなかった問いへの正直な減点の差し引きだ。

スコア詳細

設定の独自性 9
世界の奥行き 9
設定の整合性 7
テーマ・メッセージ性 8
文章力・描写力 8
エンディングの満足度 5

専門書を何冊束ねたら、この一本になるのか

2004年のKID、infinityシリーズ第3作。サスペンスアドベンチャーという棚に置かれているけれど、ぼくにとってこれは「教養の使い方を試した作品」だった。

物語は二つの密室で同時に進む。青森・朱倉岳の避難小屋で目覚めた女子大生・冬川こころ。北海道・青鷺島の精神医療施設スフィアで目覚めた院生・優希堂悟。この二人の意識が33分間隔で入れ替わる――最初はそう見える。こころは鳩鳴館女子大で人間学を学び、犯罪心理学の資料を抱えている。悟は鳩鳴館大学院の物理工学で、ライプリヒ製薬という日独合弁の企業で時空間転移装置の開発に関わっている。心理学の側と物理学の側、両方から同じ謎に手を伸ばす構造になっている。

ぼくがこの作品に惹かれたのは、犯罪心理・量子物理・登山医学・ユング心理学・哲学が、ひとつの密室劇に同居していると聞いたからだ。普通こういう「全部盛り」は内輪参照の寄せ集めになる。調べないで雰囲気だけ借りた設定が並ぶ。だから半分は疑って手を出した。やってみて、その疑いはほとんど外れた。以下、ネタバレを許してもらった上で、何を調べていたのかを具体的に見ていきたい。

解離性同一性障害という補助線が、嘘をついていない

この作品の心臓部は、解離性同一性障害――いわゆる多重人格の扱いだ。そして、ここがちゃんと調べてある。

序盤、こころがスフィアで目覚めると、内海カーリーという女性に「冬川こころという女の子はもうこの世界には存在しないの」と告げられる。やがて内海は「あなたは、冬川こころさんであると同時に、優希堂悟さん」だと言い、こころに「あなたはDID(解離性同一性障害)だ」という診断を突きつける。プレイヤーはここで一度「ああ、人格交換の正体は多重人格か」と誤読させられる。この誤読の置き方が巧妙で、心理学の側の説明が成立してしまうように作ってある。

名称の正確さ面白いのはここで、この作品は多重人格をただ「便利な謎の装置」として使っていない。作中で、DIDは1994年発行のDSM-Ⅳ――精神疾患の診断マニュアル第4版――から「解離性同一性障害」と名称が改められた、と正しく押さえている。それ以前は「多重人格症」と呼ばれていた。発症の主因は12歳未満の虐待などによる自我形成の阻害、という記述も臨床的に妥当な線をなぞっている。犯人の犬伏景子、そして悟の妹・沙也香(享年10歳)にこの病が割り当てられているのも、発症年齢の設定と矛盾しない。雰囲気で「多重人格」と言っているのではなく、用語の歴史と病態をきちんと参照した上で物語の土台にしている。

そして真相は心理学を裏切るところが――ここが本当に面白いところなんだけど――終盤、スフィア地下に潜む榎本尚哉が「きみ達は人格交換――人格が転移をしているんじゃない/本当に転移しているのは……/空間」と告げる。多重人格という心理学的説明は、いったん完璧に通したうえで、物理学の側から覆される。DIDは正しく調べられた上で、わざと誤答として配置されていた。これは知識を装飾に使う作品にはできない芸当だ。心理学を理解しているからこそ、それを正確に立てて、正確に倒せる。設定の独自性に9点を置くのは、この「正しく立てて覆す」二段構えに対してだ。

量子テレポーテーションを、ちゃんと量子テレポーテーションとして書いている

人格交換の正体が空間転移だと分かったあと、榎本が持ち出す理論基盤――これがエロゲーの域を超えて律儀だった。

榎本は「きみは量子テレポーテーションって知っているかい?」から説明を始める。ここで出てくる用語が、ひとつも雰囲気で借りていない。EPRペア――アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼンの三人が提唱した、双子の粒子が離れていても運命を共有するという概念。アリスとボブ――暗号と量子情報の論文で送信者・受信者を指す慣例的な呼び名で、傍受者をイヴと呼ぶところまで含めて正しい。ベル測定、ユニタリ変換。これらは1993年の量子テレポーテーション論文で実際に使われた語彙だ。調べてみると、現実の物理学の教科書からほとんど崩さずに持ってきている。

思考実験の使い方この作品はシュレディンガーの猫やラプラスの悪魔も持ち出す。猫のほうは、機内で少年・楠田ゆにが言う「後ろの正面は、振り返って目を開くまで……決まらない」という台詞に対応している。観測するまで状態が確定しないという量子力学の入門を、童歌のかごめかごめに重ねた。ラプラスの悪魔――世界の全状態を知る存在がいれば過去も未来も決定している、という決定論――は、ゆにが海岸で語る「歴史は繰り返される/いつまでも変わることなく永遠に」というテーゼの哲学的な裏打ちになっている。科学概念を、台詞の意味を支える論理として使っている。飾りで物理用語を並べる作品は、こういう「概念とテーマの一致」までは作れない。

正直に言うと、量子テレポーテーションで人間の意識まで転送できるのか、という一点はSFの誇張だ。現実の量子テレポーテーションは情報の転送であって、そこに「意識」を乗せる飛躍がある。けれど、これは作品が無知だからではなく、フィクションとして承知の上で踏み込んでいる。土台が正確だからこそ、どこから嘘をついているかが分かる。それは不勉強とは違う。

雪山の側も、登山医学で支えられている

SFと心理学に目を奪われがちだけど、ぼくが感心したのはむしろ朱倉岳の避難小屋――雪山サバイバルの側の地に足のついた知識だった。

こころたちが直面するのは低体温症だ。胴体内部の深部体温が下がり、震えが止まったら危険、という描写は実際の登山医学の段階どおりに進む。7日目、黛鈴が低体温症で震えが止まる場面は、それが「死に向かう」サインだと知っていれば緊張感が変わってくる。ホワイトアウト――吹雪で視界が白く閉ざされ高低も方向も失う「白い闇」――は4日目「白い世界」の主題になっている。雪庇、つまり稜線の風下にできる張り出した雪のひさしが、乗ると崩れるという性質。7日目、こころを追ってきた登山家・黄泉木聖司が雪庇に乗って転落するのは、この知識を物語の事件として使っている。ラッセルで雪をかき分けて進む描写、ピッケルの用途。調べた量が、密室の外側の世界をちゃんと存在させている。

世界の奥行きとしてこの作品に敷かれた用語解説の物量は異様だ。脳の海馬が記憶の製造工場だという脳科学、刑法第39条の心神喪失無罪規定、境界性人格障害、ブロッケンの妖怪、テレシコワの「私はカモメ」が実は「チャイカ」というコールサインの誤訳だったという逸話まで入っている。ひとつひとつが本筋に必須というわけではない。けれど、この「主人公が直接触れない部分にまで本物の知識が敷いてある」感触こそが、ぼくの言う世界の奥行きだ。調べれば調べるほど作品が厚くなる。だから世界の奥行きにも9点を出す。テレシコワの誤訳の話なんて、ぼくはこの作品で初めてちゃんと知った。こういう発見があるから、やめられない。

ユングの元型と、名前に仕込まれた漢字の遊び

教養の織り込み方で、もう一段感心したのが、登場人物を丸ごとユング心理学の元型に対応させている点だ。

シャドウ(影)が犬伏景子、グレートマザー(太母)が内海、オールドワイズマン(老賢者)が黄泉木、ペルソナ(仮面)が黛、アニマとアニムスがこころと悟、トリックスターがゆに。ユングの元型論をキャラ配置の設計図に使っている。これは思いつきの飾りではなく、構造としての引用だ。第3の人格が「セルフ」と呼ばれること――犬伏景子が逮捕直前に呟いた「セルフはどこ?」――も、ユングにおける自己(Self)、すなわち心の全体性を統合する中心という概念と重なる。多重人格、空間転移、そして「統合されるべき自己はどこにあるのか」という問い。心理学と物理学が、自己という一点に向かって収束していく構図になっている。

赤受咸青という仕込みそして終盤、悟がこころに残すメッセージ「赤受咸青/赤、ことごとく、青を受ける」。これを悟が解く件がいい。「悟」という字は「心」がなければただの「吾/われ」になってしまう、「心」があるからこそ「吾」は「悟」になれる――というキャラクター名そのものに仕込まれた読み解きだ。漢字の構造で二人の不可分性を語る。荘子の胡蝶の夢がバッドエンドの名に使われ、セフィロトの樹という生命の木が3地点間転移の暗喩になり、ヘカーテという死と氷の女神がサトル編4日目の副題になる。東洋の説話、ユダヤ神秘思想、ギリシャ神話、量子論――出典の幅が、とにかく広い。これだけの分野を一本に編んだ書き手は、そう多くない。文章力・描写力にも8点を出すのは、衒学を物語に溶かす筆致への評価だ。

勿体ないと思うのは、自己という核心の整合だけが宙に浮いたこと

ここまで褒めてきた。けれど設定の整合性に7、エンディングの満足度に5を置いた理由を、ごまかさずに言っておく。

真相の核心はこうだ。意識は三つ――悟、こころ、そして第3の人格α――しか地縛されておらず、半径110mのサークルが3つの地点(朱倉岳・青鷺島・穂樽日鉱山)を33分周期で転移する。αは悟の肉体を時折支配し、榎本を惨殺し、穂鳥の肉体に乗り移った者の指を切らせる。映像解析でこころのアリバイが証明され、悟は「オレ自身の中に生まれたオレではない別の人格」がいると確定する。この第3の人格αこそが「セルフ」だ。ところが、αが何者なのかは本編で確定しない。

これは作品の落ち度というより、構造的な未完だ。第三章――セルフ編――が、開発側とKIDの完結形式をめぐる意見の相違で収録されないまま発売された。だから、αの正体も、ライプリヒ製薬の「計画」の全貌も、時計台から悟を突き落とした犯人も、黛が最後に「あなたは悟じゃない」と見抜いた根拠も、すべて宙に浮く。ぼくの評価軸でいちばん痛いのは、最も知識的に面白くなるはずだった一点が回収されないことだ。ユングの自己(Self)、心身問題、アイデンティティの統合――この作品が積み上げてきた教養は、すべて「自己とは何か」の解答に向かって配置されていた。その解答篇だけが欠けている。料理でいえば、最高の食材を揃えて下ごしらえまで完璧にしておいて、最後の一皿を出さずに席を立たれたようなものだ。

整合性に7を残したのは、未完であっても、提示された範囲では設定のルール――3地点・3意識・33分間という枠組み――が破綻していないからだ。崩れているのではなく、続きが無い。そこは区別したい。けれど、エンディングの満足度に5以上は付けられない。知識が解答に至らずに終わる作品を、知識を評価軸に置くぼくが高くは付けられない。これは正直なところだ。

7.5——調べた誠実さに加点し、届かなかった解答に減点する

完成していたら、ぼくは迷わず9点台を出していたと思う。それくらい、土台になっている知識の量と正確さは本物だった。

解離性同一性障害を正しく立てて物理で覆す二段構え、量子テレポーテーションの律儀な参照、低体温症と雪庇で支えた雪山の現実感、ユングの元型をキャラ配置に使った構造、漢字の構造に二人の不可分性を仕込んだ赤受咸青。プレイして、テレシコワの誤訳をはじめ、知らなかったことをいくつも知った。それがエロゲーをやる意味だと思っているぼくにとって、この作品は十分にその役目を果たした。ただ、自己(Self)という最も深い問いの解答だけが、未収録の第三章とともに消えた。7.5という数字は、調べた誠実さへの敬意と、届かなかった解答への正直な減点を、同じ天秤に乗せた結果だ。これは未完の知の遺産として、ぼくの記憶に残った。