大和仁のレビュー — STEINS;GATE

大和仁
大和仁
教養の番人
8.5/10
8.5 / 10

ジョン・タイター・LHC・@ちゃんねるオカルト板・脳科学を一本の糸で繋いだ、2009年の知的誠実さ。

2009年10月、5pb.×MAGES.がXbox360専用ソフトとして発売した科学アドベンチャー。ぼくが評価するのは、この作品が「タイムトラベルもの」を題材にしながら、ネット伝説のジョン・タイター、CERN(作中ではSERN)のLHC、2000年代の@ちゃんねる文化、脳科学の海馬・エピソード記憶モデル——これだけ異なる分野を一本の論理で繋いでいる点だ。内輪参照では絶対にこの組み方は出てこない。ぼくがエロゲーをプレイする理由は「知らなかったことを知るため」なんだけど、本作はその意味で当たりだった。8.5。

スコア詳細

設定の整合性 9
世界の奥行き 9
設定の独自性 9
テーマ・メッセージ性 8
文章力 8
作品の尖り 9

タイムトラベルもの——ぼくが確かめたかったのは、どの分野を、どこまで調べた人が書いたのかだった

「タイムトラベルを扱った2009年のADVがある」と聞いて、ぼくがまず気になったのは、作者がどの分野の知識をベースにこの設定を組んだのかだった。

STEINS;GATEは2009年10月15日、5pb.×MAGES.がXbox360専用タイトルとして発売した科学アドベンチャー。原案・企画は志倉千代丸、シナリオは林直孝、キャラクターデザインはhuke。前作CHAOS;HEAD(2008年)に続く「科学アドベンチャーシリーズ」の第2弾という位置づけだ。Xbox360版発売後、PS3・PSP・PC・Steamと移植され、2011年のTVアニメ化で爆発的に認知が広がった。シリーズ累計は2026年5月時点で400万本を超えるとされる。

主人公の岡部倫太郎は18歳の大学生。鳳凰院凶真を名乗り「狂気のマッドサイエンティスト」を自称する青年だ。秋葉原の大檜山ビル2階に「未来ガジェット研究所」を構え、幼なじみの椎名まゆり、親友の橋田至(通称ダル)とともに、役に立たない発明品を作っている。物語の舞台は2010年7月から8月の秋葉原だ。

ある日、ラジオ会館で開催された学術発表会に乱入した岡部は、そこで天才少女・牧瀬紅莉栖と出会う。直後、彼が手にした電子レンジ改造ガジェット「電話レンジ(仮)」が、携帯電話のメールを過去へ送信できる「タイムマシン」であることが判明する。岡部たちはこの偶然の発明にはしゃぎながら、ラボメンを増やし、過去を改変する実験を繰り返していくが——その先には、彼らの手に余る規模の事件が待っている。

ぼくがこの作品を読む軸は決まっている。タイムトラベルもの・SFもの・伝奇ものをエロゲー(あるいはADV)で扱うときに、作者がどの分野の知識を持っているか、それがどの程度まで誠実に詰められているか。それだけだ。STEINS;GATEは、ぼくが想像していた以上の幅で調べていた。

紅莉栖の講演——タイムトラベル理論の網羅と相互否定関係

まず検証したいのは、紅莉栖がラジ館の講演で挙げるタイムトラベル理論の網羅性だ。

第1章序盤、紅莉栖がATF(先進的時間旅行フォーラム)の講演で並べていく理論を、聞きながらぼくは半分以上メモした。中性子星理論、ブラックホール理論、光速理論、タキオン理論、ワームホール理論、エキゾチック物質理論、宇宙ひも理論、量子重力理論、セシウムレーザー光理論、素粒子リング・レーザー理論、ディラック反粒子理論。これだけの理論を列挙したうえで、それぞれの問題点と相互否定関係まで紅莉栖は把握している。岡部が「12番目の理論が発見されたら?」と挑発すると「13番目の理論によって否定されるかもしれませんね」と即応する。

面白いのはここなんだよ。これらの理論名は実在する。タキオン(超光速粒子)はジェラルド・ファインバーグが1967年に提唱した仮説粒子だし、宇宙ひも理論は1980年代に宇宙論の文脈で議論された欠陥構造のモデルだ。エキゾチック物質も、キップ・ソーンがワームホールの形状維持に必要だと論じた負のエネルギー密度を持つ仮想物質を指す。作者は本物の物理学用語を順番に並べて、しかもそれぞれの問題点を把握したうえで紅莉栖に語らせている。これは内輪参照では出てこない深さだ。

さらに紅莉栖は、タイムトラベル実現の最大の障害として「質量保存の法則」ではなく「親殺しのパラドックス」を挙げる。これも勉強している証拠だ。物理初学者がぶつかる古典的な誤解が「過去に行ったら質量はどこから来るのか」というほうで、本来の物理学的な障害はそこではなく因果律の崩壊側にある。作者はそこをちゃんと押さえている。「パラドックスは理論上の思考実験にすぎない。現実に起きることはないし、起きてはいけないことなんです」「多世界解釈や自己無矛盾の原理っていう抜け道もありますが、個人的にはファンタジーすぎると思うので、認めたくないですね」——この紅莉栖の発言の中に、多世界解釈とノヴィコフの自己無矛盾原理という二つのSF的逃げ道まで挙げている。物理屋の語り口だ。

ぼくは紅莉栖の講演シーンだけで、作者の幅を信頼することにした。

ジョン・タイター×@ちゃんねる×LHC——分野横断の構図

本作の知識的厚みは、単一分野の深さではなく分野横断の組み合わせ方にある。

もう一つの構図の核はジョン・タイターだ。これは作中だけの架空人物ではなく、現実に2000年から2001年にかけてアメリカのインターネット掲示板(Art Bell BBS、後にAnomalies.net)に書き込まれたタイムトラベラー名乗りの伝説的投稿者を指す。タイターは2036年から来たと主張し、IBM5100というレトロコンピュータを取りに来た、母系列のタイムマシン理論を披露した——というネット文化のお馴染みの題材だ。ぼくは大学院時代にネット文化研究の論文でジョン・タイター事例を読んだ記憶があるんだけど、本作はその実在ネタを物語の根幹に組み込んでいる。

そして@ちゃんねる(作中での2ちゃんねるのパロディ)の文化描写。ダルが多用する「常考」(常識的に考えて)、「乙」、「ktkr」、語尾の「お」、「のだぜ」、「うへうへ」——これら2000年代のネットスラングは、当時のネット掲示板文化を実際に通った人間でないと書けない密度で並べられている。岡部の「機関」「邪気眼」設定にしても、Tips102で「中二病ではなく邪気眼」と明確に区別している。中二病が「自分は普通とは違う」という背伸びを指すのに対し、邪気眼は「自分にはアニメ的・ファンタジー的な特殊設定が本当にある」と思い込む症状——これはネットスラング史の中で実際に区別されてきた用語の使い分けで、作者は分かっていて使っている。

さらにSERN(CERN=欧州原子核研究機構のもじり)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)をタイムマシン理論と接続する発想。LHCは2008年に稼働開始した実在の素粒子加速器で、当時「ミニブラックホール生成」「タイムマシン化」といった陰謀論がネット上で飛び交っていた。本作はその当時のネット陰謀論の文脈をそのまま物語に取り込んでいる。2009年というタイミングでこの題材を選んだのは時代の空気の読み方として的確だ。

ジョン・タイター(ネット伝説)、@ちゃんねる文化(ネットスラング史)、LHC(実在の物理装置と陰謀論)、紅莉栖の物理学講演(量子論・SF理論)、岡部の邪気眼(オタク文化用語史)——これだけ別領域の知識を、一本の「タイムトラベル発明」の物語に統合している。どの分野も雑学レベルの借用ではなく、その分野を実際に追っていた人間でないと書けない密度がある。これがぼくの言う「幅が広い」だ。

2010年秋葉原のディテール——世界の奥行きの根拠

物語が動く舞台のリアリティも見逃せない。世界の奥行きの指標だ。

本作の舞台は2010年7月から8月の秋葉原。具体的な場所として、ラジオ会館、ラジオセンター、メイクイーン+ニャン²(後に⑯)、柳林神社、神田明神、ジローというカレー屋、スタベというカフェチェーン、晴海大橋、御茶ノ水駅——これらが頻繁に登場する。ラジオ会館は2010年代に建て替えで一度解体された秋葉原のランドマークだし、神田明神は秋葉原徒歩圏の実在の神社で、IT関係者・オタクの参拝先として有名な場所だ。柳林神社というのは作中の架空社だが、構造的には神田明神周辺の小さな社をモデルにしていると思う。

面白いのは、これらの場所の描写が単に観光案内的じゃないところだ。フェイリスが働くメイクイーン+ニャン²の店内描写、岡部とダルがラジオセンターでパーツを買う場面、コミックマーケットの準備描写——これらは秋葉原という街を「主人公の周りだけ書き込んでハリボテ」にしていない。たとえばラジ館で開催される「ATF(Annual Time travel Forum?)」という学術発表会、メイクイーン+ニャン²の店内のヲタ文化的会話、コミマでまゆりがコスプレ衣装を出展する流れ。これらは2010年前後の秋葉原文化を実際に体験した人間が書いている密度がある。

ジョン・タイターネタが秋葉原文化と接続するのも納得できる。秋葉原は2000年代当時、ネット文化と現実空間が最も近い距離で接続していた街で、@ちゃんねるユーザーが現実に集まる場所でもあった。岡部がブラウン管TVの修理を頼みに行く「ブラウン管工房」も、2010年当時の秋葉原裏路地にありそうな架空店として説得力がある。

ぼくが「世界の奥行きが深い」と評価するのはこの点だ。作者は2010年の秋葉原という時代と場所を、内輪参照ではなく現地調査の積み上げで書いている。

岡部の邪気眼語彙——「機関」「運命石の扉」を支える文体

設定の幅とは別に、文章自体の構築力にも触れておきたい。

岡部の口から飛び出す邪気眼語彙——「機関」「運命石の扉」「エル・プサイ・コングルゥ」「リーディング・シュタイナー」「狂気のマッドサイエンティスト」「IQ170の灰色の脳細胞」——これらは表面上、ただの厨二病キャラの定番セットに見える。でも一つ一つの語の選び方を見ると、作者の語彙選択は意外と慎重だ。たとえば「エル・プサイ・コングルゥ」は、シナリオ担当の林直孝のインタビューによると「特に意味はない、語感で決めた」とのことだが、エル(el = スペイン語の定冠詞)・プサイ(Ψ = ギリシャ文字、量子力学で波動関数を表す)・コングルゥ(congruence = 数学・物理での合同性)と分解すると、知らない単語の組み合わせに見せて、それぞれが科学用語っぽい音韻を持っている。語感だけで決めたとしても、語感の選び方に「科学アドベンチャー」としての文体的整合性がある。

「機関」「運命石の扉」「狂気のマッドサイエンティスト」も同様だ。Tips037には「『機関』はそれ以上でもそれ以下でもない。正式名称は別にあるが、その名を口にすれば命はないだろう」という岡部の妄想設定文がある。これは岡部一人の頭の中で完結する架空組織の設定なのだけど、その「正式名称は別にある」という言い回しを含めて、陰謀論コミュニティ独自のジャーゴンに似せて作られている。本作の岡部の邪気眼語彙は、@ちゃんねるオカルト板に長く浸かった人間が、自分だけの神話体系を作るために用意したような語彙の選び方だ。

こういう細部の語彙の選び方に、作者が「ただ厨二病キャラを書いた」のではなく、「邪気眼という症状をリアリティを持って描こうとした」跡が見える。文章力8という評価の根拠はここだ。文体の派手さや美文の意味での文章力ではなく、語彙選択の整合性という意味での文章力が高い。

8.5の根拠——ぼくに新しい教養をくれた、それだけで読む価値があった

「教養が作品を豊かにしているか」。それがぼくの評価軸だ。

STEINS;GATEは、ぼくの基準で「新しい教養をくれた作品」に該当する。ジョン・タイター事例の詳細、2000年代の@ちゃんねるオカルト板のスラング史、LHCを巡る2008〜2009年当時のネット陰謀論の空気感、紅莉栖が並べる11の物理学的タイムトラベル理論——これらをこの密度でまとめて押し込んだエロゲー周辺ジャンルの作品を、ぼくは他に知らない。プレイ後、ぼくは関連書籍を3冊読み返した。それくらいの知的刺激を受けた。

8.5は、8の「明確な知識的根拠がある」を確かに超えて、9の「幅広い教養を元に誠実に構築されている」に手が掛かっている、その半歩手前の評点だ。9まで振り切らずに半点を引いたのは二つの理由による。一つは紅莉栖の物理学講演の密度に対して、後半の哲学的な議論(「自分を騙す理論」周辺)の論理的詰めが、講演シーンほど厳密ではないこと。これはクリア後にもう一本のほうで詳しく語った。もう一つは、Xbox360版の制約下で書かれたことから、専門知識の解説と物語の感情的なクライマックスが、もっと有機的に統合できたはずだという惜しさが残ること。この二点が、9の「誠実に構築されている」に完全には乗り切れていない距離として残る。

ちょっと補足すると、本作の科学アドベンチャーシリーズの系譜は前作CHAOS;HEAD(2008年)から始まっており、後にROBOTICS;NOTES(2012年)、ANONYMOUS;CODE(2022年)と続く。志倉千代丸・林直孝らMAGES.のチームは、エロゲーとは異なる「科学+ネット文化+陰謀論」というニッチな題材を長期にわたって掘り続けてきた。本作はその系譜の中で最も完成度が高く、商業的にも400万本を超える成功を収めた一本だ。歴史的意義という観点でも、ぼくは9をつける。

「ジョン・タイター、@ちゃんねる、LHC、脳科学、邪気眼。これだけ別領域の知識を一本のタイムトラベル発明物語に統合した2009年の作品。ぼくが本作を8.5と評価するのは、知らなかったことを本気で知らせてくれたからだ。」

— 大和仁

クリア後の話を一本にまとめてある。「自分を騙す理論」の哲学的位置づけ、リーディング・シュタイナーの脳科学的解釈、TRUEルートまでの設定整合性、ジョン・タイター実在性ネタの決着——プレイし終えた人にはそっちを読んでほしい。