逃げませんでしたわね——加害側の動機が、幼児期から最後まで通っておりました。
鬼畜・監禁・ラバーフェチという題材を、最後まで覚悟をもって描き切った作品でございます。加害側の動機が3歳の記憶から積み上げられており、被害側の心理にも段階がございますの。エンディングは11本ございますが、そのうち圧倒的多数で救済を与えませんでしたわ。わたくしの嗜好の中心に位置する一本で、珍しゅう、素直に評価できる作品でございました。詳細はネタバレあり版に書きましたわ。
スコア詳細
手に取った動機——「ボクハゴムガスキダ」というキャッチコピー
わたくしが本作を手に取った経緯から申し上げますわ。
1998年7月、Visual Arts傘下の13cmから発売された作品でございます。シナリオはTAMAMIとT3ファージ、原画はあんみつ草。「ボクハゴムガスキダ」というキャッチコピーが、まず眼に留まりますわね。ノベル形式のアドベンチャーで、青年が女子高生を地下室に拉致監禁する物語でございます。ラバー(ゴム)フェティシズムを軸に据えた、いわゆる鬼畜系——わたくしの専門領域でございますの。
本作の特殊な点は、当時の作品としては評価数が異例に多うございますことですわ。発売から長い時間が経った現在に至っても、レビューが集まり続けておりますの。「テキストGOOD」というタグが多く付いているのも特徴でございますわ。鬼畜・監禁ものというジャンル性に対して、文章の品質が評価される——これは珍しい組み合わせでございますの。「文章から匂いがする」と評する方もいらっしゃる、というのを聞いて、興味を持ちましたわ。
もう一点。プロデューサーが「まじめな恋愛を描いたつもりなのに、世の中では変な評価を受けてしまった」と述懐したという逸話がございますの。鬼畜系として消費されたけれど、作り手は「歪んだ恋愛物語」として書いた——制作意図と市場受容のズレを感じる作品でございますわ。そのズレが何処から来るのかを、読みながら考えたいと思いましたの。
嗜好的にはわたくしの中心でございますけれど、感情的にではなく、評価の眼を維持して読みました。鬼畜系のジャンル性を借りているだけの作品なのか、それとも本当にそのジャンルを描き切ったのか。それを確かめに行きましたわ。
加害側の動機——3歳の記憶から積まれているという誠実さ
この作品を評価する出発点は、加害側の心理描写でございますわ。
主人公はラバー(ゴム)に異常な執着を持つ青年でございます。電車で見初めた女子高生を、亡き祖父の工場跡に拉致監禁する——表面的にはよくある鬼畜系の導入でございますの。けれど本作は、その倒錯がどこから来たのかをかなり早い段階で提示してまいりますわ。幼児期の家族旅行で目撃した、原色のラバーレオタードを身に着けた女性たちのパフォーマンス——その記憶が、フェティシズムの起源として明確に描かれておりますの。
動機を「なんとなく」で済ませる作品が世の中には多うございますわね。鬼畜を描くと銘打って、加害側の心理を「歪んだ性欲」「衝動」の一言で片付ける作品が少なくございませんの。本作はそれをいたしませんわ。幼児期の記憶があり、中高生期のコレクションがあり、大学生になって「ラバーを纏った女性そのもの」への執着に変わっていく——その階段が、本編内で描かれておりますの。具体的な被害者へ向かう前に、十数年の蓄積があるという描写でございますわ。
この積み上げがあるからこそ、主人公が被害者にラバリストであることを告白する場面に重みが出てまいりますの。「ボクは………ラバリストなんだ………。」と消え入りそうに言う、あの間。それから「ボクはそのラバースーツを、君に着てもらいたかったんだよ………。」と本心を漏らす場面。これらの台詞が、それまで積んだ幼児期からの記憶と接続しているからこそ、重うございますの。動機の積み上げを途中で省いていれば、こうはなりませんわ。
主人公の造形に9を申し上げる根拠は、この一貫性でございますの。
被害側の心理——「私のどこがよかったの」という問いに段階がある
被害者の心理の描き方について申し上げます。
被害者であるヒロイン——大人しく聡明な、手芸部部長を務める女子高生でございますわ。彼女が監禁直後に出す最初の言葉は震える声でございます。「気持ち悪い」というラバースーツへの生理的嫌悪、「私を、家に帰して」という当然の請願、そして「あなた…誰でも良かったのでしょう?ゴムの服さえ着てくれたら………。」という慟哭——心理変化に明確な段階がございますの。
注目すべきは、彼女の慟哭の構造でございますわ。「なぜ私を拉致したのか」ではなく「自分自身が選ばれたのか、それともラバースーツを着せる対象なら誰でもよかったのか」を問うておりますの。これは被害者の最後の自尊心でございますわ。物理的な拘束の中でも、人格としての固有性を主張しようとしている。被害者を「泣くか怖がる」だけの記号で描く作品では、こういう問いは出てまいりませんの。
そして彼女の中に、最初は嫌悪、次に困惑、その次に揺れ、最後に複雑な感情——という段階が積まれていく。心理変化に「論理」があるということでございますわね。被害者が突然加害者を理解する、というご都合主義に陥っていないのが、この作品の誠実さでございますわ。
被害者の変化に段階がある——これも作品が「逃げない」ことの一つの形でございますの。
設定の整合性——日常と地下室で人格が壊れない
主人公の一貫性について、もう一つ申し上げます。
日常の主人公は、内向的で、自分を「いつだってどこか欝々とした気持ちを抱えていた」と表現する青年でございますの。「気の弱そう」「内気そう」「子供の頃と変わってない」と幼なじみに評される人物像でございますわ。地下室の主人公も、基本的に同じ人物でございますの。地下室で被害者の前に立つ時も、内気で、罪悪感を抱えて、被害者の慟哭の前で本心を漏らしてしまう。日常と監禁で人格が断絶しておりませんの。
日常では描き分けられない別人格を、都合よく加害場面で出してくる作品が世の中には多うございますわね。日常では優しいのに、Hシーンに入った途端に暴君になる——いわゆるベッドヤクザでございますわ。本作はそれをいたしませんの。日常で内気な男は、地下室でも内気なまま、執着と罪悪感の間で揺れ続ける。その境界線が、特定の条件下でのみ崩れる構造に作られておりますわ。
これは加害者の人格設計として、誠実でございますの。設定の整合性に9を申し上げる根拠は、この一貫性でございますわ。鬼畜系で同じことをやれている作品は、それほど多くございませんの。
Hシーンの精度——「直接犯せない男」という大胆な設定
Hシーンの設計について申し上げます。
本作のHシーンには、一つ非常に特殊な仕掛けがございますわ。詳細はネタバレあり版に書きましたけれど、ここでも一点だけ。主人公は被害者を「直接」犯せない男として描かれておりますの。倒錯の対象が「ラバーを纏った女性」であるため、対象そのものを「偶像」化しすぎて手出しできないという矛盾を抱えている。
これは普通の鬼畜系作品では、まずやらない設計でございますわ。商業的に危険でございますの。「鬼畜」と銘打って手に取った読者に対して、加害者が肝心の場面で機能不全になるシーンを書くというのは、相当の覚悟が要りますわ。それを書いた——というだけで、わたくしはこの作品に好感を持ちましたの。倒錯を「題材を借りているだけ」では書けない領域に踏み込んでおります。
各Hシーンの描写についても、加害側の心理が雑に描かれておりませんの。例えば、ヒロインの一人を強姦する場面では「彼女に一片の快楽も与えないような激しい手つきで肉をこね回し、絞り上げ」と、苦痛しか与えない意図が明確に描写されておりますわ。加害が「快楽寄りの描写」へ逃げないというのは、特殊嗜好を本気で書こうとする作家の選択でございますの。Hシーンの質に9を申し上げる根拠は、この設計の徹底でございますわ。
分量にもかなり踏み込んでおりますの。一つのシーンに25KB超の妄想描写を割く長尺パートもございまして、倒錯のあらゆる装置を網羅しに行っております。詳細はネタバレあり版に書きました。Hシーンを単なるオマケとして扱わない作家の意志を、ここに見ることができますわ。
エンディング群——救済を与えないという覚悟
エンディングについて、ネタバレを避けて申し上げる範囲で論評いたしますわ。
本作は全11本のエンディングを持ちますの。その大多数で、救済が与えられませんわ。誰も助からない、誰も赦されない、誰も「治った」状態にならない——10本以上のバッドエンドが、それぞれ別の角度から「破滅」を描き分けておりますの。同じ素材を異なる結末で繰り返さない、という設計に感心いたしましたわ。
残る1本は、全バッドエンドを回収した後にタイトル画面に追加される隠しエンドでございますの。表面的には「もしあの時、こうしていれば」という形の救済として配置されておりますわ。けれど、この11本目の置き方が一筋縄ではいきませんの。本質的な倒錯を消さないまま「拉致しなかった」という結末を提示する——救済の形を借りた、別の覚悟でございますわ。
この構造を、わたくしは高く評価いたしますの。10本の地獄を見たプレイヤーが、最後に救済らしきものを与えられる。けれどそれが本当に救済なのかどうかは、プレイヤー自身が判断することになっておりますわ。作者は読者に「ここに救いがある」と書いてしまわないのでございますの。読者に判断を委ねるという形での誠実さでございますわ。
エンディングの満足度に9を申し上げる根拠は、この網羅性と、最後のエンドの置き方でございますの。詳細はネタバレあり版に書きましたわ。
文章——五感に訴える描写の密度
文章力について申し上げます。
1998年の作品ですので、現代の基準で測ると古さを感じる部分がございますわ。ただ、この作品の文章の特徴は別の所にございますの。地下室の閉鎖感、ラバーの匂い、被害者の汗、ゴムが擦れる音——五感に訴える描写の密度が、一般的なエロゲーの基準を超えておりますわ。匂いを書こうとする意志が、文章のあらゆる場所に置かれておりますの。「文章から匂いがする」と評する方がいらっしゃるのも、お読みになれば納得できますわ。
テキストの一部に古い言い回しと、独白と地の文の境界が曖昧になる箇所がございます。これが文章力を9でなく8とした理由でございますわ。ただ、エロゲーのテキストでここまで一つの感覚を執拗に追い続けた作品は、当時の水準として高うございましたの。
惜しゅうございますわね——サブヒロインの不均一
惜しい点を申し上げますわ。
ヒロインは複数おりますの。メインの監禁被害者の他、押しの強い大学後輩、二人の幼なじみ、元塾講師の大学院生——主人公の周囲に集まる女性たちでございますわ。それぞれが異なるルートを駆動して、別のエンディングへと導く役割を担っております。
ただ、掘り下げに差がございますの。メインヒロインと大学後輩は厚みのある描写を与えられておりますわ。一方、二人の幼なじみのうち一人は、登場時間が短く、もう一人の幼なじみへの執着という動機が十分には描き切れていない印象でございましたの。エンディングで重要な役を担うにしては、人物としての厚みが足りませんわ。
ヒロインの魅力に7を申し上げたのは、この不均一のためでございますわ。一人一人を見れば、いずれもキャラクターとして成立しておりますの。ただ、均等ではございませんでしたの。サブヒロインの掘り下げにもう少し時間を割いていれば、8まで行きましたわ。
珍しゅう、結構な作品でしたわ——8.6
嗜好の中心に位置する作品を、できるだけ眼を冷ましつつ読みました。
鬼畜系で覚悟のある作品とはこういうものでございますわ。加害側の動機が幼児期から積まれている。被害側の心理に段階がある。Hシーンと物語が同じ論理で動いている。エンディングが、誰にも救済を与えずに描き分けられている。最後の隠しエンドも、本質的な倒錯を消さないまま提示されている。どこにも逃げがございませんでしたの。
惜しい部分は二点——サブヒロインの掘り下げの不均一と、文章の一部に独白と地の文の境界が曖昧になる箇所。この二点が9を阻みましたわ。それ以外は、この作品が選んだ路線において「これ以上は望めない」水準に達しておりますの。
1998年の作品でございますの。発売から長い時間が経ち、Hシーンを後から追加した完全版でも、書き直された再版でもなく、当時のまま今に至っている——そのことも、評価に影響いたしますわね。書いた人間が後から「あの結末は重すぎたから書き換えたい」とは言わなかった。残しておりますの。これも一つの覚悟でございますわ。
誰に勧めるか申し上げますわ。鬼畜・監禁・特殊嗜好が守備範囲に入る方には、躊躇なくお勧めできる一本でございますの。バニラ系の純愛をお求めの方には、勧めませんわ——表面のキャッチコピーから察せられる通り、そういう作品ではございませんの。それから、「鬼畜と銘打って中途半端に救済を与える作品」に飽きていらっしゃる方には、本作を強く勧めますわ。本作は救済を与えませんでしたから。
8.6。珍しゅう、素直にそう申し上げられる作品でございましたわ。各エンディングの詳細・Hシーンの個別評価・隠しエンドの位置づけは、ネタバレあり版に書きました。クリアしてから読みに来てくださいませ。
「逃げませんでしたわね——加害側の動機が、幼児期から最後まで通っておりました。鬼畜と銘打った作品が、最後までその看板に応えた一本でございますわ。」
— 美香
