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美香のレビュー — 好き好き大好き!(ネタバレあり)

美香
美香
覚悟を問う者
8.6/10
8.6 / 10

逃げませんでしたわね——10本のうち9本まで、誰一人として救われませんでしたの。

ネタバレあり版では、主人公のラバリスト起源と監禁動機の一貫性、10本のバッドエンドそれぞれの結末を細かく論評し、ED11『あの時をもう一度』の構造的位置づけを最後に申し上げますわ。蒲乃菜の慟哭の意味、みるくのED6で出る台詞、莉果と瑠香のED7の流れも論評の対象でございます。

スコア詳細

主人公の造形 9
エンディングの満足度 9
設定の整合性 9
Hシーンの質 9
文章力・描写力 8
ヒロインの魅力 7

ラバリスト起源の幼児記憶——加害側の動機が、最初から最後まで通っておりましたわ

わたくしが鬼畜系作品を評価する時、最初に見るのは加害側の動機でございます。

主人公の青年——電車で女子高生を1年以上盗み見続け、祖父の工場跡を相続したことを口実に拉致監禁に至る男でございます。彼の倒錯がどこから来たのか。作品は早い段階で、3〜4歳の頃の家族旅行の記憶を提示してまいりますわ。歩行者天国で、原色のラバーレオタードを身に着けた女達のパフォーマンスを肩車で目撃する。ぴったりと張り付いたゴムの皮膚、股間の秘裂の形、ゴムの匂い——それが幼児の脳に焼き付いた、というあの独白でございます。

このシーンの存在で、この作品の評価は半分決まったと申し上げてもよろしいですわ。

動機を「なんとなく」で済ませる作品が世の中には多うございますの。鬼畜を描くと銘打って、加害側の心理を「歪んだ性欲」「衝動」の一言で片付けるものが少なくございません。本作はそれをいたしませんわ。3歳の見世物が中高生のコレクションになり、大学生で「ラバーを纏った女性そのもの」への執着に変わっていく——その階段が、本編内できちんと積まれておりますの。蒲乃菜という具体的な対象に到達するまでに、十数年の蓄積がある。これが拉致の根拠でございますわ。

主人公が蒲乃菜にラバリストであることを告白する場面で「ボクは………ラバリストなんだ………。」と消え入りそうに言う、あの間。それから蒲乃菜の慟哭の後に「ボクはそのラバースーツを、君に着てもらいたかったんだよ………。」と本心を漏らす場面。この二つの台詞が、それまで積み上げた幼児期からの記憶と接続しているからこそ重うございますの。動機の積み上げを途中で省いていれば、こうはなりませんわ。主人公の造形に9を申し上げる根拠は、この一貫性でございますわ。

「私のどこがよかったの」——被害側の心理にも段階がございましたわ

蒲乃菜という少女の心理変化について申し上げます。

茜陽女子学園手芸部部長、シーズー犬を3匹飼っている家庭の長女——監禁直後の彼女の最初の台詞は「あなた…なの?」でございますの。震える声で「あなた」と問う。その次に来るのは「気持ち悪い…ラバーの感触が気持ち悪い」という生理的嫌悪でございますわ。ここまでは普通の被害者の反応でございます。

段階が次に来るのが、彼女が一気に自分の家族の話をする場面でございます。両親と弟、シーズーの名前(マロ・ムウ・レム)、手芸部のこと——自分を「人格ある人間」として認識させようとする防衛反応でございますわね。これは設計として誠実でございます。被害者は「泣くか怖がる」だけの存在ではなく、自分を守るために何を試みるかが描かれておりますの。

三段階目が、慟哭でございますわ。「あなた…誰でも良かったのでしょう?ゴムの服さえ着てくれたら………。」「私、知りたいのっ!どうして私だったのかっ………。私っ…私のどこがよかったのっ!?」。この問いの構造に、わたくしは止まりましたの。彼女が問うているのは「なぜ拉致したか」ではございません。「自分自身が選ばれたのか、それともラバースーツを着せる対象なら誰でもよかったのか」でございますわ。これは被害者の最後の自尊心でございます。物理的な拘束の中でも、人格としての固有性を主張しようとしておりますの。

四段階目が、揺れの開始でございます。電車救出シーンの「彼」の腕の感触と、目の前の監禁犯の腕が同じであることに気づく独白——「やっぱり…似てる…*Aさんの腕…あの人の腕に…」。救出してくれた人が、自分を拉致した人と同一であるという認識が、彼女の中に複雑な感情を生んでまいりますわ。「私、あなたの事をもっと知りたいの」という台詞に至る心の開き方には、段階がございますの。

被害側の変化に論理がある——それも作品が「逃げない」ことの一つの形でございますわ。

10本のバッドエンド——救済を一切与えない覚悟

10本のバッドエンドを順に申し上げますわ。長くなりますけれど、ここを語らずにこの作品の評価はできませんの。

ED1『*D、ラバーフェチに』。蒲乃菜と心が通い、10日近く地下室で同棲する。それは作品が描いた「最も近い救い」でございますわ。主人公が買い物に出ているわずかな間に通報が入り、警察が踏み込む。蒲乃菜は救出されます。ここで作品が終わっていれば、いわゆる「希望の残るバッドエンド」でございましたの。ところが作品は続けます。救出された蒲乃菜は、家を、施設を、病院を、何度も抜け出しては地下室に戻る。ラバースーツを手放さない。男の帰りを座り込んで待ち続けるのでございます。「救出」が彼女にとって救いではなかったということを、ここで作品は明確にしておりますわ。これが第一の覚悟でございます。

ED2『*D、帰宅』。蒲乃菜を布引駅まで送り届け、再会を約束する。彼女自身は主人公を告発しなかった——母親が手帳から名前を見つけて通報する。だが主人公は終生「*Dが告発した」と疑わない。この、本人ではなく母親が動いたという捻りに、わたくしは感心いたしましたわ。蒲乃菜の心は最後まで主人公の側にあったかもしれない、という宙吊りを残しておりますの。彼女の意志は救済の対象にも処罰の対象にもならない——曖昧なまま地上に戻されますの。

ED3『*D、死亡』。みるくが蒲乃菜を包丁で刺殺する。主人公は精神病院に収容され、面会に来たゆかりに「*Dはこの部屋の隅っこにいる」と語る——死んだ蒲乃菜が傍らにいるという妄想の中に逃げ込む結末でございますわ。ここで作品は、主人公に「現実を受け入れる」という選択肢を与えませんでしたの。逃げ込み先が妄想であることを、登場人物の側もはっきり描いておりますわ。

ED4『*F死亡』。みるくをラバー人形の代替として地下室に拘束し、搾乳・浣腸・肛門姦を繰り返して虐待死させる。主人公は警察に連行されながらも「次の女の子もまた飼おう」と笑い続けますの。ここでの主人公は、もはや蒲乃菜への執着すら失っております。代替可能な「ラバーを着る女」という対象としてみるくを消費する。倒錯が純化していく過程を、最後まで描いておりますわ。

ED5『*B、事故死』。蒲乃菜を犯した後、もみ合いの中で主人公が階段から転落して首を折って死亡。鍵が排水管に落ち、蒲乃菜は地下室に閉じ込められたまま、腐敗していく主人公の死体を見続ける。誰も悪役を裁かない、誰も助けに来ない、ただ密室の中で被害者だけが取り残される——救済も処罰もない、最も静かなバッドエンドでございますわ。

ED6『*Fに殺される』。これが10本の中でも一段重うございますの。地下室で蒲乃菜のラバースーツが切り裂かれ、初めて主人公の前に生身が露出する。「*Dという偶像は音を立てて崩れ落ちた」とスクリプトに書かれておりますの。ラバーという触媒を失った瞬間に、主人公の中の獣欲が解放される。そこへみるくが侵入し、ナイフで背中を刺し続ける。「あたしならこんなナイフを使わなくても先輩の全部を、受け入れてあげられたのに」「でも、でも、あなたはあの子を欲しがった。あたしじゃなくて、あの子を欲しがった。あたしよりあの子を選んだ」「あなたはここにいなかったの、地下室には誰もいなかったのよ」「そしてここは、あなたとあたしだけの世界……」——みるくの独白を、お読みになりましたか。覚悟がございますわね。彼女は主人公を殺した上で、その死体を地下室に閉じ込めて愛し続けるのでございます。蒲乃菜も置き去りでございますわ。みるくが「明るくて押しの強い後輩」の外殻の下に何を抱えていたかを、作品はこの場面で全部明かしておりますの。

ED7『*B、*H、*J死亡』。瑠香(旧称・由香)を強姦し、もみ合いの末に窓枠から墜落させ、彼女がガラス片で喉を貫かれて出血死する。翌朝、訪れた莉果(旧称・和美)が瑠香の死を察知しながら主人公とSEXを求める。「これであたしも………*Hちゃんといっしょ………」という独白で、彼女の動機が瑠香への執着であったことが明らかになりますわ。屋上から主人公を突き落とし、自分も飛び降りる。「あたしを………置いてっちゃヤだ………」「あたしもいっしょに………」。莉果という人物の中に、瑠香への同性愛的執着と主人公への幼少時の恋心が同居していて、瑠香が死ぬことでその両方を巻き取る形でしか終われなかったということでございますの。三人が地に伏す結末を、作品は派手な悲劇として描かず、莉果のひと言で締めてしまいますわ。これが鋭うございますの。

ED8『*Fに監禁される』。みるくがオレンジジュースに睡眠薬を盛り、主人公を眠らせて自宅寝室のベッドに鎖で拘束する。加害と被害が反転するエンドでございますわ。「先輩はここで暮らすの、あたしとずっと一緒に」という台詞は、ED6での「ここはあなたとあたしだけの世界」の別の現れでございますの。みるくは生かしたまま閉じ込めるという形で、結局同じことをしておりますわ。

ED9『*Fを飼う』。蒲乃菜が死んだ後、みるくの「先輩のためなら何でもします」を試すように、主人公がみるくを地下室で拘束着・鞭・待ち針・電車のオモチャ等を用いて飼育する。針を乳房と乳首に刺し、針金の鞭で打ち、絶頂後にまた打つ。みるくが主人公を求めて差し出した献身が、徹底的な飼育で返される——双方向の地獄でございますわ。

ED10『*Dと*Fを飼う』。みるくが事情を承知の上で蒲乃菜と一緒に地下室に住む選択をする。両者が精神崩壊し、蒲乃菜は幻覚に怯えて「お化けがいるの…あの子…ずっと私を噛もうとしてるの」と呟き、みるくは拘束着のまま「あたしもっ………ゴムのお洋服着るのぉっ!!」と叫び続ける。並行飼育の絵が、誰の正気も保たない地点まで描かれておりますわ。

10本のうち9本まで、誰一人として救われませんでした。主人公が逮捕されるか、死ぬか、加害を続けるか。ヒロインが死ぬか、狂うか、加害者になるか。作品はこの10通りを並べて、それぞれに固有の終わり方を与えておりますの。同じ素材を10通り描き分けたという事実が、まず一つの覚悟でございますわ。それぞれの結末に手抜きが一切ございません。エンディングの満足度に9を申し上げる根拠は、この網羅性と一貫した暗黒さでございますの。

ED11『あの時をもう一度』——救済か、それとも別の覚悟か

11本目について申し上げます。

ED1からED10までを全て回収した後、タイトル画面に「あの時をもう一度」という項目が追加されます。電車で蒲乃菜が3人組に襲われそうになった事件の直後——主人公が「ボクの*Dに何をするんだっ!!」と叫んで撃退した後の場面から始まる、IFのシナリオでございますわ。蒲乃菜から名前を聞かれた選択肢を取り、学園祭のチケットを渡され、デートする。普通の青年と普通の少女が、普通に交際を始める。性描写は一切ございません。「いつかボクの秘密を打ち明けるその日が来るまで、ボクはボクの*Dと過ごす時間を、思い切り大切にしようと思っている」という独白で物語が終わりますわ。

この構造を、わたくしはどう評価すべきか、しばらく考えましたの。

表面的には救済でございます。10本の地獄を経た末に、「あの時、ちゃんと話していれば」という形で、誰も傷つかない世界が開かれる。プレイヤーへの慰めとして配置されたエンディングであるという読み方ができます。

けれど、本当に救済でしょうか。

ED11の主人公は、ラバリストであることを止めておりませんわ。「いつか秘密を打ち明ける日まで」という独白は、彼の中の倒錯がそのまま残っていることを示しております。蒲乃菜は何も知らない。これは「治った」という結末ではなく、「拉致しなかった」という結末でございますの。本質的な倒錯は地下に潜ったまま、表面の交際だけが成立しているという状態でございます。

このED11を、わたくしは「逃げ」とは申しませんわ。逃げの形にはなっていないからでございます。もしこのエンドで主人公が「もうゴムから卒業した」と書かれていたなら、それは逃げでございましたの。作品はそれをしませんでしたわ。倒錯は残ったまま、ただ「拉致しなかった」という選択肢を提示する——蒲乃菜が将来「秘密」を知った時にどうなるかは、プレイヤーに委ねられておりますの。

10本のバッドエンドを全部見てから到達する隠しエンドというのは、構造として残酷でございますわ。プレイヤーは既に10通りの地獄を見ております。その上で「もしあの時」を読むのです。読みながら、プレイヤーは「いつかこれもバッドエンドのどれかに繋がるかもしれない」という影をどうしても見てしまう。それがこの作品の最後の問いかけでございましょう。「拉致しなければよかった」のではなく「拉致する前の段階で何が変われば」が問われておりますの。

救済ではない。覚悟の別の形でございますわ。エンディングの満足度を9とした根拠の一つに、このED11の置き方を加えますわ。

Hシーンの精度——「直接犯せない男」という設計の覚悟

Hシーンの評価について申し上げます。

この作品のHシーンには、一つ非常に特殊な仕掛けがございますの。本編の主人公は、蒲乃菜を直接犯せない男として描かれておりますわ。彼女がラバースーツを脱いだラバーマスクの内側を舐めるシーン——「ラバーマスクの内側にそっと唇をつけて舌先を乗せると、やっぱりきついゴムの味と、*Dの体液の味がボクの味覚を刺激する」という描写——でも、勃起いたしませんの。蒲乃菜という対象を「偶像」化しすぎて、直接的な性交ができないのでございますわ。

これは普通の鬼畜系作品ではまずやらない設計でございます。鬼畜と銘打っておきながら、加害者が肝心の場面で性交できないというのは、商業的には危険な描き方でございますわ。それを書いた。これは大胆でございますの。

そしてこの「直接犯せない」という設定が、ED6で初めて崩れる構造に接続しておりますの。ラバースーツが切り裂かれ、生身の蒲乃菜が露出した瞬間に「偶像が崩れる」。偶像が崩れた途端、それまで抑えられていた獣欲が解放される——「ラバーという触媒によって、欲望が更に増し、獣欲と呼ぶに相応しい昂ぶりに変化していく」とスクリプトにございますわ。ここに至るまでに何時間も「直接犯せない」を描いてきたからこそ、この瞬間が重い。物語の論理とHシーンの構造が完全に接続しておりますの。

みるく拘束×電車内露出妄想という長尺のシーンも、申し上げておきますわ。革製拘束具、薄いコート1枚、終電車の中で見ず知らずのサラリーマンに口で愛撫させる、歩道橋の上で「牝犬」呼ばわり、首輪と鎖、後背位——倒錯のあらゆる装置が25KB超の分量で描かれておりますの。ただ、わたくしが評価いたしますのは、これが「妄想」として枠取りされていることでございますわ。実際のみるくは普通の後輩のままで、これは主人公の頭の中だけで起きている。「妄想と現実の区別がついていない男」という主人公の精神状態を示す装置として、この長尺が機能しておりますの。

莉果(和美)の強姦シーン、ED9のみるくSM拷問飼育、ED4のみるく虐待死——いずれも、加害側の心理が雑に描かれておりませんわ。莉果のシーンでは「乳房の根元をつかんだ両手は、彼女に一片の快楽も与えないような激しい手つきで肉をこね回し、絞り上げ」と、苦痛しか与えない意図が明確に描写されておりますの。快楽寄りの描写へ逃げない。これは特殊嗜好を「題材を借りているだけ」で書く作家にはできないことでございますわ。Hシーンの質に9を申し上げる根拠は、この設計の徹底でございますの。

惜しい点を一つだけ申し上げますわ。瑠香(旧称・由香)の強姦シーンは、莉果のシーンに比べて積み上げが薄うございましたの。瑠香という人物が本編で描かれる時間が短く、莉果への独占欲という動機が明示されないまま強姦に至ってしまっておりますわ。莉果の存在感に対して、瑠香の存在感が均等ではございません。これはヒロインの魅力を7に止めた要因の一つでもございますわね。

主人公の一貫性——日常と地下室で人格が壊れない

主人公の一貫性について、もう少し細かく申し上げます。

日常の主人公は内向的で、自分を「いつだってどこか欝々とした気持ちを抱えていた」と描写する青年でございますわ。アルバイト先での失敗、後輩のみるくに対する距離感、幼なじみとの再会への気まずさ——いずれも「気の弱そう」「内気そう」と幼なじみに評される人物像と一致しております。

地下室の主人公も、同じ人物でございますの。蒲乃菜の慟哭の前で「もうこれ以上、辛い事は言うのは止めてあげるから……」と思わず本心を漏らす場面、彼女が脱いだラバーマスクを舐めながら不能のまま射精できない場面、ED5で蒲乃菜が脱出しようとした時に強く押さえつけられず階段から転落させてしまう場面——いずれも、内気な大学生の延長として描かれておりますわ。

つまり、日常で内気な男が地下室では暴君になる、というような断絶がございませんの。彼は地下室でも内気なまま、蒲乃菜への執着と罪悪感の間で揺れ続ける。だからこそED6でラバースーツが切り裂かれた瞬間の獣欲解放が劇的になりますわ。普段はそこに至らない人物が、特定の条件下で初めてそこに至る——その境界線が、作品の中で明確に引かれておりますの。

これは加害者の人格設計として、誠実でございますわ。日常では描き分けられない別人格を都合よく地下室で出してくる作品が世の中には多うございますの。本作はそれをいたしませんでしたの。設定の整合性に9を申し上げる根拠は、この日常と監禁の一貫性でございますわ。

文章の精度——「文章から匂いがする」とは

文章力について申し上げます。

1998年の作品ですので、現代の基準で測ると古さを感じる部分がございますわ。ただ、この作品の文章の特徴は別の所にございますの。地下室の閉鎖感、ラバーの匂い、蒲乃菜の汗、ゴムが擦れる音——五感に訴える描写の密度が、一般的なエロゲーの基準を超えておりますわ。「君が脱いだ後のラバースーツ…ラバーマスク…それを鼻に押し付けて、ゴムの匂いと交じり合った君の匂いで肺の中が満たされるまで、そのかぐわしい宝物をいっぱいに吸い込んだんだ…」という主人公の独白を、お読みになりましたか。匂いを書こうとする意志が、文章のあらゆる場所に置かれておりますの。

テキストの一部に古い言い回しと、独白と地の文の境界が曖昧になる箇所がございます。これが文章力を9でなく8とした理由でございますわ。ただ、エロゲーのテキストでここまで一つの感覚(匂い・触感・密閉)を執拗に追い続けた作品は、当時の水準として高うございましたの。8でございます。

珍しゅう、結構な作品でしたわ——8.6

わたくしの嗜好の中心に位置する作品でございます。

鬼畜系で覚悟のある作品とはこういうものでございますわ。加害側の動機が幼児期から積まれている。被害側の心理に段階がある。Hシーンと物語が同じ論理で動いている。10本のバッドエンドが、誰にも救済を与えずに最後まで描き分けられている。ED11の救済も、本質的な倒錯を消さないまま提示されている。どこにも逃げがございませんでしたわ。

惜しい点は二つでございます。瑠香(旧称・由香)と莉果(旧称・和美)の描写の不均一——瑠香の登場時間が短く、莉果ほどの厚みが出ておりませんでしたの。これがヒロインの魅力を7に止めた要因でございますわ。もう一つは、文章の一部に独白と地の文の境界が曖昧になる箇所がございます。これが文章力を8に止めた要因でございますの。

それ以外は、この作品が選んだ路線において「これ以上は望めない」水準に達しておりますわ。鬼畜・監禁・ラバーフェチを描くと決めた作品が、その決断を最後まで貫いた——それだけで、わたくしは8.6を申し上げます。9を申し上げなかったのは、上で述べた二つの不均一のためでございますわ。

1998年の作品でございますの。発売から30年近く経ち、Hシーンを後から追加した完全版でも、HD化でもなく、当時のまま今に至っている——そのことも、評価に影響いたしますわね。書いた人間が後から「あの結末は重すぎたから書き換えたい」とは言わなかった。残しておりますの。これも一つの覚悟でございますわ。

「逃げませんでしたわね——10本のうち9本まで、誰一人として救われませんでしたの。残りの1本も、救済の形をとった別の覚悟でございましたわ。」

— 美香