大和仁のレビュー — 誰彼 -たそがれ-

大和仁
大和仁
調べながらプレイする男
7.5/10
7.5 / 10

地名を見た瞬間に、調べたくなった——それが、ぼくの評価軸では最高の褒め言葉なんだよ。

2001年のLeaf作品。帝国陸軍の強化兵が50年眠って平成に目覚める、という伝奇SFの建て付け。設定の語彙が独特で——仙命樹、覆製身、依代町、神渡町——並んだ時点で「これは適当に名前を付けた作品ではない」と分かった。プレイ中にメモが3つ増えた作品で、ぼくの評価軸ではそれが7.5の根拠だ。文章には知的水準の揺らぎがあるし、踏み込めるはずの場所で雰囲気に流れる場面もある。それでも、内輪参照では済ませていない。

スコア詳細

仙命樹の知識的誠実さ 8
地名・概念の知識的深度 9
覆製身とアイデンティティ論 8
軍事史的背景 7
文章の知的水準 6
知的刺激として 8

地名を見た瞬間に、調べたくなった

2001年、Leaf。ジャンルは「アクティブドラマタイズノベル」を自称している。

帝国陸軍特殊歩兵部隊の強化兵が、戦時中に石棺に封じられ、50年後の平成の街で目覚める——というのが本作の骨子だ。主人公は坂神蝉丸、舞台は鏡間市依代町

ぼくがこの作品に手を伸ばした動機は、はっきりしている。「帝国陸軍の強化兵」と「伝奇SF」と「2001年」——この三つが揃うジャンルは、設定の借用が雑になりやすい分野なんだ。「歴史的な雰囲気だけ借りて中身は適当」という作品が圧倒的に多い。だから逆に、設定をきちんと作ろうとした作品があると聞くと、確かめたくなる癖がぼくにはある。

決定打は、地名だった。依代町、神渡町、神楽町——攻略サイトでパッと見たときに、「これは神道用語で揃えてある」と気付いた瞬間に手を伸ばすことに決めたんだよ。和風の雰囲気を出したいだけなら、もっと一般的な地名でいい。わざわざ依代・神渡・神楽という神道祭祀の用語で固めているのには、たぶん意図がある。これは調べながらプレイできる作品かもしれないと思った。期待は半分が当たって、もう半分は予想以上だった。それを以下で書いていく。

仙命樹という設定の作り方——雰囲気じゃなくて根拠がある

本作の中核設定である仙命樹について、まず話したい。

仙命樹は強化兵の血に宿り、不老不死と超治癒能力をもたらす微細生命——という設定。これだけ聞くと「またこの手の便利能力か」と思うかもしれない。実際、エロゲー伝奇の超能力設定はそういう「便利な仕掛け」で終わっているものが大半だ。ところが誰彼の場合は、ここで一段踏み込んでいる。詳細はクリア後に話すけど——少なくとも仙命樹という設定は「便利だから採用した」のではなく「ちゃんと根拠を作ろうとした」跡が見える。これは評価していい。

感心したのは、強化兵に「欠陥品」がいるという設計だ。本作の強化兵は7名造られたとされ、それぞれが個別の超能力を持っているんだけど——蝉丸以外の全員が、何らかの代償を抱えている。御堂は炎耐性と引き換えに水に極端に弱い、岩切は水中適応の代償で太陽光を嫌う——というように、能力に対応した弱点が一人ずつ違う形で配置されている。これが序盤の早い段階で明示される。「全能の超人を量産する」という安易な設計を作者が拒否しているのが分かる。能力にコストを払わせる作りには、知的な誠実さがあるんだよ。

もうひとつ気になったのが、覆製身(ふくせいしん)という造語の存在だ。蝉丸と同じ顔の老人が序盤に現れて、自分のことを「お前の覆製身だ」と名乗る場面がある。これがね、面白くて——英語のcloneを「クローン」とカタカナで書かずに、「覆う」と「製」と「身」を組み合わせた漢語にしている。意味としては「覆い被せて製造された身体」、つまり複製された個体ということなんだけど、和風伝奇の語彙体系の中にきちんと馴染ませている。クローンというカタカナ語が持つ近代科学のニュアンスを、わざわざ意図的に避けているわけだ。2001年のクローン倫理論争(ドリーが1996年だから、まだ熱気が冷めていない時期)の只中に、和漢造語でこの概念を作った作家——この造語のセンス自体が、知的だと思う。詳しい考察はクリア後に書くけど、この一語だけでも竹林明秀というライターは「考えている人」だと判断できる。

時代設定の精度にも調べた跡がある。一例を挙げると——蝉丸が現代のテレビを見てアイコノスコープ管と記憶しているが」と呟くシーンがあるんだよ。アイコノスコープ管というのは1930年代に開発された撮像管で、戦後はブラウン管に置き換えられた技術だ。蝉丸の知識は戦時中までで止まっているから、テレビを見て戦前の最先端技術名で呼ぶのが正しい反応になる。この一語だけで「ライターは時代差をちゃんと意識して書いている」と分かる。セルロイドという単語の使い方も同じく時代精度の高い小ネタで、こういう細部に「内輪参照ではない作家」のエビデンスが落ちている。

仙命樹という言葉自体の作り方も気が利いている。「仙」(仙人=不老不死)+「命」(生命)+「樹」(生命の樹)——漢字三字に意味が層状に重なっている。便利な不老不死設定として「○○因子」みたいに片付けることもできたはずなんだけど、わざわざ漢字を三つ重ねた造語にして、和漢の語彙体系の中に置いている。名前の作り方一つに、作家としての配慮が出ているんだよ。

依代、神渡、神楽——この地名を調べた話

これが本作でぼくが一番興奮した話なんだよ。

本作の舞台は架空の島神県鏡間市。鏡間市の中の地名が——依代町、神渡町、神楽町と並んでいる。最初は「和風の雰囲気を出したくて適当に並べたのかな」と思っていた。ところが、よく見ると——これは全部、神道用語で固めてある。気付いた時は、少し早口になった。地名を一つずつ調べていく。

依代(よりしろ)

依代とは、神道において神霊が降りる対象を意味する語だ。木、石、人形、鏡、山——神は本来形を持たないので、現世に降りるためには「依る対象」が必要だ、という古来の信仰。神社の御神体や注連縄に囲われた巨木・岩などはすべて依代の概念に属する。本作の舞台が「依代」町と名付けられているのは、偶然じゃないとぼくは思う。詳細はクリア後に書くけど、この地名は本作の核心的な設定と直接呼応している。

神渡(みわたり)

神渡という語も独自で面白いんだ。一般的には「神渡し」と書かれて、出雲大社に集まる神々が通る道、あるいは諏訪湖の御神渡(おみわたり)——冬に湖面の氷が裂けて隆起する現象を、神が通った跡とした古来の信仰——として知られている。「神が渡る/通る場所」を意味する語だよ。これも本作の中で意味を持っているんだけど、何にどう対応しているかはクリア後の詳細版で。

神楽(かぐら)

神楽は、神道の祭祀における神事の歌舞のことだ。「神を楽しませる」儀式で、巫女舞や能の原型に繋がる芸能。神楽町は鏡間市の繁華街として描かれているんだけど、「神楽」は本来、神を呼び出す儀式の場だ。地名としての意味と、本作で神楽町が果たす劇中の役割は、ちゃんと呼応している。これも詳細はクリア後に。

鏡間(かざま)

鏡間市の「鏡」も神道において重要なシンボルなんだよ。三種の神器のひとつ「八咫鏡」を考えれば分かるとおり、鏡は神霊を映し、神を呼び寄せる道具だ。「鏡の間」という地名は——本作のテーマと直接結びついている。これも詳しくはクリア後に語るが、地名のレベルで本作のテーマが先取りされている、という構造がある。

ぼくはこういう地名の意味を、最初は知らなかった。依代という言葉がここまで具体的な信仰用語だと知ったのは、このゲームをきっかけにして調べたからだ。神渡という語が御神渡という冬の湖の現象から来ていることも、知らなかった。プレイして知らなかったことを知れる作品が、ぼくの評価軸では一番好きなんだ。竹林明秀というライター、地名の選び方一つで「設計が深い」と判断していい。架空の街の名前を四つ並べるだけで、神道の語彙集を一冊めくらせる作家——なかなかいない。これだけでも、本作には知的価値がある。

帝国陸軍の強化兵という設定が意味すること

ここはぼくも少し慎重に書きたい。

強化兵という設定は、表面的には「不老不死の超人兵士」という伝奇SFの便利な舞台装置に見える。だけど——「帝国陸軍が戦時中に開発した人体改造兵士」という設定をそのまま受け取ると、これは1940年代の人体実験の歴史的記憶に触れている。具体的に作中で固有名詞は出てこないし、ぼくも特定の組織名を持ち出して論評するつもりはないんだけど——2001年の日本の読者にとって、「帝国陸軍の人体実験部隊」と聞いて何かを連想しないでいるのは難しい。作者が意識していたかどうかにかかわらず、強化兵設定はそういう連想を呼ぶ位置に置かれている。

本作では、強化兵たちは欠陥を抱えて生まれた者として描かれる。先に書いたように御堂は水に弱く、岩切は陽光を嫌い、他の兵士たちもそれぞれの代償を負っている。「実験体としては失敗作」とされた人々の物語として読むと、本作の哀愁の半分はここから来ているんだよ。便利な能力を持った超人兵士たちではなく、欠陥を抱えて作られ、自分の身体に違和感を持ったまま生きる人たちとして描かれている。この扱いには重さがある。

もう一つ重要なのが——「敗戦で部隊が解散し、強化兵たちは石棺に眠ったまま50年放置された」という設定の重みだ。これは設定として、残酷で美しい。戦争が終わったら研究は止まる、関係者は散り散りになる、実験で生み出された者たちは行き場を失う——という構図が、誰彼の世界には敷かれている。蝉丸が50年眠っていた、というのは単なる「タイムスリップの便宜」じゃなくて、歴史的に消された者たちの「もしも」として読める設計になっている。

エロゲーの伝奇SFで、ここまで歴史の暗い場所に踏み込んだ作品は、ぼくの知る限りそう多くない。「強化兵」という設定の歴史的射程をきちんと意識している作家と判断していい。

覆製身という造語が立てる問い

時代背景の話を少しさせてくれ。

誰彼が発売された2001年というのが——クローン倫理論争の真っ只中だった時代なんだよ。世界初のクローン哺乳類「ドリー」が誕生したのが1996年。その後の数年間は、世界中で「人間のクローンは作れるか」「作っていいのか」「作られた個体に魂はあるか」という議論が新聞・雑誌・テレビで繰り返されていた時期だ。生命倫理学が一般人の話題に上った、近代でも稀な時期。誰彼の発売年は、その熱気がまだ冷めていない時期にある。

そういう時代に、竹林明秀は覆製身という造語を作った。先に少し触れたんだけど、改めて——cloneを「クローン」とカタカナで書かずに、漢語三字に置き換えている。これは何を意味するか? クローンというカタカナ語が持つ近代科学のニュアンスを意図的に避けているんだよ。覆製身という言葉のほうが、和風伝奇の世界観に馴染む。同時に、漢字の意味の層——「覆う」(コピーする・上書きする)+「製」(造られたもの)+「身」(身体)——で、「製造された複製の身体」というニュアンスが直接に伝わる。造語のセンスが知的なんだ。本体側を指す「原身(げんしん)」という対概念も同時に作られていて、原身/覆製身という対立構造が和漢の語彙の中にきちんと組み込まれている。

序盤に蝉丸の前に、自分と同じ顔の老人が現れる。彼は自分のことを「お前の覆製身だ」と名乗る。これだけが事実として序盤に提示される——その先で何が起きるかはクリア後に話すんだけど、この一場面に「クローンとは何か」「複製された個体は本体と同じ存在か」「魂は遺伝子で決まるのか」という、当時の倫理学の中心的な問いが全部埋め込まれている。本作はその問いに対して作品全体で応答していくんだけど、その応答の仕方には、ちゃんと作家としての考えがある。詳細はクリア後に書くから、興味があれば。

2001年にこの問いを作品で立てて、しかも漢語造語で語ろうとした作家——たぶん、そんなに多くないんだよ。同時代の哲学的問いに、和漢造語で応答した。これは作家の知的誠実さの問題で、ぼくは高く評価している。

7.5。ぼくのメモに3つの言葉が増えた——それが全てだ

7.5。これがぼくの結論だ。

仁としての評価軸は一つ——「プレイして知らなかったことを知れたか」。誰彼に対するぼくの答えはイエスだよ。具体的には、3つの知識的発見があった。

一つ目、地名の神道的設計。依代・神渡・神楽・鏡間という4つの地名を調べただけで、神道祭祀の語彙集の入口を一つ通った。御神渡という諏訪湖の冬の現象も、八咫鏡が神霊を映す道具として位置付けられていることも、ぼくは本作をプレイするまで深くは知らなかった。地名を調べただけで一冊本が読めた——これがあると、ぼくが10点と置いている「世界の奥行き」の指標が本物として立ち上がる。

二つ目、覆製身という和漢造語。クローンというカタカナ語を避けて漢語で概念を作る——この発想自体に、当時の生命倫理論争に作者なりに応答しようとした姿勢がにじんでいる。同時代の哲学的問いに作品で答えようとしているのが分かる。

三つ目、時代設定の精度。アイコノスコープ管、セルロイド——蝉丸の語彙が戦時中までで止まっていることを、ライターはちゃんと意識して台詞を書いている。こういう細部の積み重ねが、「内輪参照ではない作家」のエビデンスになるんだよ。

弱点も正直に挙げておく。文章の知的水準が均一ではないのがこの作品の引っかかりだ。ぼくが文章の知的水準を6にしたのはそのせいで——知的に発動している場面はかなり光っているんだけど、その温度が最後まで保たれているわけではない。踏み込めるはずの設定が雰囲気の語彙で済まされている場面が散見される。具体的にどこかは、もう一本のほうで触れた。このムラさえなければ8.0、もう一段で8.5まで届いたと思う。

推薦対象を、はっきり書いておく。知的刺激を求めてエロゲーをやる人——歴史・科学・宗教・民俗学の知識が誠実に使われた作品が好きな人——には、誰彼は確実に何かを残す作品だよ。プレイ前後で、たぶん手元のメモに2つ3つ単語が増える。逆に、ストーリー展開の派手さやエロの実用性を最優先するタイプの人には、たぶん他の作品のほうが向いている。本作の魅力は「調べ物をしながら読める作品」という、特殊な楽しみ方の方にある。

ぼくはエロゲーをやる時、いつも一つだけ祈っているんだ——「この作品は、ぼくに何かを教えてくれるか」と。誰彼はそれをくれた。手元のメモに書き留めて、後で本を引いた言葉が3つもある。これは仁の評価軸では最高の褒め言葉なんだ。

— 大和仁

知識的根拠についてのもう一段詳しい考察——具体的にどの設定がどこまで踏み込めていて、どこで雰囲気に流れたか——は、クリア後の詳細版に書いた。地名と物語要素の対応関係、覆製身という設定の哲学的射程、強化兵設定の歴史的読み方も、本気で書いてある。プレイ後に読みに来てくれると嬉しい。調べながらプレイできた——それが7.5の根拠で、それ以上の言葉は要らない。