テロメア、依代、覆製身——調べながらプレイできる作品は、それだけで価値があるんだよ。
仙命樹の起源を「4億年前の海底生物」に置く設定の根拠の作り方、テロメア短縮を急速老化の原因として正確に使う知識、地名に「依代」「神渡」と神道概念を意図的に配する設計——竹林明秀というライターは、エロゲーの設定として珍しいくらい「調べた跡」を残している。ぼくが知らなかったことを知れた作品で、それは仁の評価軸では最高の褒め言葉なんだ。文章の知的水準にはムラがあるし、踏み込みが足りない設定もいくつかある。ただ、内輪参照では済ませていない。それが7.5の根拠。
スコア詳細
4億年前の生命と、不老不死の兵士——この設定が気になって
2001年、Leaf。ジャンルは「アクティブドラマタイズノベル」。
ぼくがこの作品に手を伸ばした動機は、はっきりしている。「帝国陸軍の強化兵」と「仙命樹」と「不老不死」——この三語が同じ作品に並んでいると聞いた時点で、興味の方向が決まったんだよ。エロゲーの伝奇SFというジャンルは、設定の借用が雑になりやすい分野で、「歴史的な雰囲気だけ借りて、あとは適当」という作品が圧倒的に多い。だから逆に、設定をきちんと作ろうとした作品があると聞くと、確かめたくなる。これは調べながらプレイできそうだと思った。
主人公の坂神蝉丸は、戦時中に「仙命樹」という微細生命を体内に植え付けられ、石棺の中で50年眠った後、平成の依代町で目覚める。覆製身(ふくせいしん)という造語、影花藤幻流という剣術、水戰試挑躰という奇妙な漢字熟語——固有名詞の作り方からして「作者は調べている人かもしれない」という匂いがしたんだよ。地名が「依代」「神渡」「神楽」と神道用語で揃えてある時点で、何かを意図しているはずだ。
このレビューでは作品の評価はもちろんするけれど、もうひとつ、ぼくがプレイしながら調べたことを共有するのが裏のテーマになる。それが仁としての書き方だから。
仙命樹という発明——4億年の根拠
本作の中核設定である仙命樹について、まず話したいんだ。
仙命樹は強化兵に超治癒能力と不老不死をもたらす微細生命——という設定。これだけ聞くと「またこの手の便利能力か」と思うかもしれない。実際、エロゲー伝奇の超能力設定はそういう「便利な仕掛け」で終わっているものが大半だ。ところが誰彼は、ここで起源を持たせた。仙命樹は4億年前、海底の洞窟に集結した巨大微細生命の集合体——作中では「生命の樹」と呼ばれている——の生き残り「1厘」を、戦時中の研究者が培養したものだ、という設定が後半で開示される。
面白いのはここで——4億年前という数字を作者が出してきていること。実は4億年前というのは生物史的には古生代デボン紀あたりで、地球の生命進化が一度大きな段階を超えた時期にあたる。海中から陸上へ生物が進出し始めた時期だよ。そういう「生命の発生の重要な時期」を起源として置くのは、伝奇設定として知識的に整っている。テキトーに「太古から」とは書かなかった。これは評価していい。
もうひとつ感心したのは、光岡悟の急速老化の原因としてテロメアを出してきた場面。「遺伝子の末端部が異常に短くなって、急速老化が迫っている」と石原麗子が説明するんだけど——これは2001年時点でかなり正確な生物学知識なんだよ。テロメアと老化の関係が一般に知られ始めたのは1990年代後半で、2000年前後は「最先端の科学トピック」だった時期。それを不老不死の副作用として正しく組み込んでいる。竹林明秀というライターは、生物学の本を一冊くらいは読んでいる。これだけで「内輪参照ではない作家」だと判断できる。
催淫の生物学的根拠も誠実なんだ。仙命樹の催淫作用は、ただのエロゲー的お便利機能じゃなくて——「優秀な子孫を残すための生存本能」として設定されている。仙命樹という微細生命が、宿主と異性を掛け合わせて自分の宿主を増やそうとする、という生物学的論理がある。これも「便利だから」じゃなくて「生命の本能だから」という方向で説明している。催淫を生物学に落とし込んだ作品はそう多くない。エロの仕掛けに知的根拠を与えようとする姿勢は、評価したい。
仙命樹が水と陽光を嫌うという弱点設定——これは「恐怖の記憶」とされていて、生物学的にどこまで根拠があるかぼくには判断できない。ただ、弱点を「ただのバランス調整」ではなく仙命樹が4億年前から持っている本能的トラウマとして説明しようとしている姿勢は誠実だと思う。仙命樹という名前自体も——「仙」(仙人=不老不死)+「命」+「樹」(生命の樹)という漢字三字に意味が層状に重なっている命名で、ライターが造語を作る時の知的な配慮が出ているんだよ。
仙命樹は、ただの便利な不老不死設定じゃない。4億年前という時間軸、テロメア短縮という現代生物学、生存本能としての催淫——どれも調べた跡がある。これがぼくの「設定の整合性=10」「世界の奥行き=10」という重視度に直接刺さる作品なんだ。
依代、神渡、鏡間——この地名、調べたら面白かった
これはぼくがプレイ中に気になって調べた話なんだよ。
本作の舞台は架空の島神県鏡間市。地名が——依代町、神渡町、神楽町と並んでいる。最初は「和風の雰囲気を出したくて適当に付けたんだろう」と思っていた。ところが、よく見ると全部神道用語なんだよ。これに気付いた時は、少し興奮した。
依代(よりしろ)依代とは、神道において神霊が降りる対象のこと。木、石、人形、鏡、山——神は形を持たないので、現世に降りるためには「依る対象」が必要だ、という古来の信仰だ。さて、誰彼における依代町には何があるか。岩場の社の地下に強化兵の保管庫があり、石棺に蝉丸たちが眠っている。これは石棺=依代として完全に整合している。蝉丸という不老不死の存在が「石棺という器に降りている」——神道的に読めば、これは神が依代に降りた構図そのもの。地名が舞台装置と呼応しているんだよ。これは偶然じゃない。意図的な設計だ。
神渡(みわたり)神渡という言葉も独自で面白い。一般的には「神渡し」として、出雲大社に集まる神々が通る道、あるいは諏訪湖の御神渡(おみわたり)など、神が渡る・通る場所を意味する語だ。誰彼における神渡町には何があるか。杜若裕司が50年間きよみを匿い続ける北村邸がある。意識を失ったまま生死の境を50年さまよい続けるきよみ——彼女は「神が通る場所に留め置かれた者」として神渡町に置かれている。これも偶然か? ぼくには偶然に見えない。
神楽(かぐら)神楽は、神道の祭祀における神事の歌舞のこと。「神を楽しませる」儀式だ。神楽町は鏡間市の繁華街で——最終決戦の舞台となるオリエントホテルがここにある。神楽は本来、神を呼び出す儀式の場だから、「ここで何かが召喚される」場所として設計されている。実際、最終決戦では仙命樹を巡る存在たちが集結する。地名どおりだよ。
鏡間(かざま)鏡間市の「鏡」も神道において重要なシンボルなんだ。三種の神器のひとつ「八咫鏡」を考えれば分かるとおり、鏡は神霊を映し、神を呼び寄せる道具だ。「鏡の間」という地名は、原身と覆製身、本物のきよみと覆製きよみ、月代という三体目のクローン——本作の「映し合う者たち」のテーマと完全に呼応している。地名のレベルで覆製身というテーマが先取りされているんだよ。
これ知ってた? ぼくは知らなかった。地名を調べてようやく見えてきた構造で、このゲームをプレイしてはじめて、神道の地名概念を勉強する機会があった。仁の評価軸では、こういう発見をくれる作品が一番好きなんだ。「プレイして知らなかったことを知れる作品を高評価する」——その基準にぴったり合う。竹林明秀というライター、地名の選び方一つで「設計が深い」と判断していい。
覆製身——2001年にこの問いを立てた作者の誠実さ
時代背景の話を少しさせてくれ。
誰彼が発売された2001年というのが——クローン倫理論争の真っ只中だった時代なんだよ。世界初のクローン哺乳類「ドリー」が誕生したのが1996年。その後の数年間は、世界中で「人間のクローンは作れるか」「作っていいのか」「作られた個体に魂はあるか」という議論が新聞・雑誌・テレビで繰り返されていた時期だ。生命倫理学が一般人の話題に上った、近代でも稀な時期。誰彼の発売年は、その熱気がまだ冷めていない時期にある。
そういう時代に、竹林明秀は「覆製身(ふくせいしん)」という造語を作った。これは英語のcloneを「クローン」とカタカナ表記するのではなく、「覆う」と「製」を組み合わせて独自の漢語にしている。これは何を意味するか? クローンというカタカナ語が持つ近代科学のニュアンスを意図的に避けているんだよ。覆製身という言葉のほうが、和風伝奇の世界観に馴染む。同時に、漢字の意味の層——「覆う」(コピーする・上書きする)+「製」(造られたもの)+「身」(身体)——で、「製造された複製の身体」というニュアンスが直接に伝わる。造語のセンスが知的なんだ。
もうひとつ、「原身(げんしん)」という対概念も作っている。覆製身に対して本体を「原身」と呼ぶ——この対立構造の作り方も、和漢混淆の世界観に合っている。蝉丸が老蝉丸を見て「覆製身が原身より老いるはずがない」と驚く場面で出てくる語で、これだけで「原身=本物、覆製身=複製」という階層意識が立ち上がる。
そして決定的なのが——蝉丸の哲学的立場だ。月代がきよみのクローンだと判明した直後、蝉丸は言うんだよ。「魂は複製できん。俺の持論だ」。さらに「お前はきよみかもしれん。しかし、お前は月代だ」と続ける。これが——2001年のクローン倫理論争への明確な回答になっている。当時、生命倫理学者たちが立てていた問いそのものだ。「クローンは元の個体と同一人物か」「魂・人格は遺伝子で決まるか」——蝉丸の答えは「否、魂は遺伝子に還元できない、目の前にいる個体は目の前の個体である」というもの。これは哲学的にはアイデンティティの社会構築主義に近い立場で、当時の議論の流れに沿った誠実な回答だ。作者が考えていない問いには、作者は答えを出せない。竹林明秀は、考えた上でこの答えを出している。
本作のクローン構造は3段階で配置されている。老蝉丸(蝉丸の覆製身。仙命樹が根付かず老化した失敗作)、覆製きよみ(犬飼が造ったきよみのクローン。「あたしはあなたに振り向いて欲しかった」と言って犬飼の刃を受ける女)、月代(きよみの3体目のクローン。最も「成功」したが、養子として育てられたため自我が完全に独立している)。この3段階で「クローンとは何か」が3通りの形で提示される。老蝉丸は「失敗したクローンが本体に抱く嫉妬と恐怖」、覆製きよみは「本物に成りたかったクローンの絶望」、月代は「クローンであることを知っても自我を保てる個体」——この3層はクローン倫理論の3つの典型的論点を網羅している。意図的かどうかは分からない。ただ、結果として倫理学の議論の地図と一致する設計にはなっている。
2001年にこのテーマを正面から扱った作家は、現実の倫理論争を意識していたはずなんだよ。漢語の造語を使い、神道地名で世界を整え、蝉丸に「魂は複製できん」と言わせた——これは設定の一貫性の問題じゃなくて、作家としての知的誠実さの問題だ。それを高く評価している。
帝国陸軍の人体実験——この作品が踏み込んだ場所
ここはぼくも少し慎重に書きたい。
強化兵という設定は、表面的には「不老不死の超人兵士」という伝奇SFの便利な舞台装置に見える。だけど——「帝国陸軍が戦時中に開発した人体改造兵士」という設定をそのまま受け取ると、これは1940年代の人体実験の歴史的記憶に触れている。具体的に作中で731部隊の名前は出てこないんだけど、2001年の日本の読者にとって、「帝国陸軍の人体実験部隊」と聞いて連想するのは——間違いなく731部隊だ。これは作者が意識していたかどうかにかかわらず、そういう連想を呼ぶ位置に強化兵設定が置かれている。
本作では、強化兵は「7名造られた」とされ、蝉丸以外は全員何らかの欠陥を抱えている。御堂は炎耐性と引き換えに水に弱い、岩切は水中適応の代償で陸上機動が落ち太陽光を嫌う、光岡はテロメア短縮で急速老化する。「実験体としては失敗作」とされた人々の物語として読むと、本作の哀愁の半分はここから来ている。光岡が自分の死期を早くから悟っていて、蝉丸に斬られて死ぬことを自分で選ぶ場面の重さは、「実験で生み出された欠陥品が自分の終わり方を自分で決める」という構図そのものだ。
敗戦で部隊は解散し、強化兵たちは石棺に眠ったまま50年放置された——これは設定として残酷で美しい。実際の731部隊や類似組織の研究者・関係者の戦後を考えると、「研究は途中で止まり、関係者は散り散りになり、実験体だった人々は歴史から消された」という構図がある。誰彼の強化兵たちは、その歴史的に消された者たちの「もしも」として読める。「敗戦で解散した部隊、眠ったまま残された兵士たち」という設定の重みは、エロゲーの設定としては相当深いところに足を踏み入れている。
真の黒幕である犬飼俊伐というキャラクターも、「研究のために人を道具として扱った者の末路」として位置付けられている。生科研——「生物科学研究所」——という名称も、戦時中の医学研究機関の系譜を意識した命名だ。きよみを蘇生させた犬飼の倫理的越境(死者を勝手に蘇生し、覆製身を造り続けた)は、マッドサイエンティストの戯画ではなく、「研究への情熱と私的執着の境界を越えた研究者」として描かれている。最後に覆製きよみが自ら蝉丸の刃を受けて「あたしは……あなたに振り向いて欲しかった」と言って死ぬ場面——犬飼が初めて泣く——これは、「研究対象を人として扱わなかった者が、対象を失って初めて人と認める」という遅すぎた贖罪の構図で、歴史の人体実験の文脈と並べて読むと相当に重い。
欠陥品として作られた強化兵たちの扱いは、本作の隠れたテーマだとぼくは思うんだ。御堂は劣等感のあまり生命の樹の根を食らって自滅する、岩切は仙命樹に意志があると知って自分を刺して死を選ぶ、光岡は六七式菌を塗った剣で蝉丸に斬られに行く——3人とも、自分の意志で自分の終わりを引き受ける。「実験体として作られた者たちが、最後に自分の死だけは自分で選ぶ」——これは作者が意図したかどうかに関わらず、歴史的な苦さを持つ場面群になっている。
作者は調べている——ただし均一ではない
ここまで褒めてきたから、弱点も。
竹林明秀の文章は知的水準が均一ではない。ぼくはこれを6点と付けたんだけど、その理由はこうだ。
知的に発動している場面はかなり光っている。テロメアを「遺伝子の末端部」として正しく解説する麗子の台詞、覆製身/原身という和漢造語のセンス、蝉丸が現代のテレビを見て「アイコノスコープ管と記憶しているが」と呟くくだり——これは時代設定の精度として完璧なんだ。アイコノスコープ管は1930年代の撮像管で、戦後はブラウン管に置き換えられた。蝉丸が知っているのは戦時中までの技術だから、テレビを見て戦前の最先端技術名で呼ぶのが正しい反応になる。これを書けるライターは「ちゃんと調べている」。セルロイドを見て蝉丸が「せるろおすか?」と呟く場面も同じく時代精度の高い小ネタだ。
ところが——催淫の生物学的メカニズムが、途中から雰囲気に流れる場面が散見される。設定としては「優秀な子孫を残すための生存本能」という論理が立っているのに、Hシーン本体になると「仙命樹の力で痛みも快楽になる」「催淫が気化して充満する」というように、生物学的に踏み込めばもう一段深く語れるはずの場面が、雰囲気の用語で済まされている。仙命樹の伝達経路(血液中にどう存在するのか、気化するなら微細生命がどう空中を移動するのか、催淫を受けた相手の脳内でどんな反応が起きているのか)まで踏み込めば、もう一段「調べている」ライターに見えた。催淫の生物学を最後まで貫徹していたら、ぼくはこの作品にもう0.5点足していたと思う。
影花藤幻流という剣術流派の描写も、内部一貫性はあるけれど、知識的深度は不明だ。心眼で気を見るという極意自体は、新陰流・心形刀流など実在の古流剣術が共有する哲学的伝統に乗っていると言えなくもない。蓮行法師の「邪念を捨てよ」「音を見るのではない。見なければならないものは“気”じゃ」という指導も、禅の影響を受けた剣術書(沢庵宗彭の不動智神妙録など)の系譜と整合する。ただ、ここを「作者が剣術書を読んだ上で書いている」のか「アニメ・漫画的な剣術描写を継承して書いている」のか、ぼくの目では判別できない。剣術描写の知的深度は、評価を保留する。
もう一つ気になるのが——生命の樹という用語の選び方だ。「生命の樹」は西洋の系譜(旧約聖書、カバラの生命の樹)でも、東洋の系譜(道教の不老不死信仰)でも、神話的に重要な概念だ。本作はどちらの系譜を意識しているのか? カバラ的な10セフィロトの構造を意識した気配はないし、道教的な仙人信仰のニュアンスも薄い。「生命の樹」という強い名前を借りておきながら、その名前の持つ神話的重量を活かし切っていないのは少し勿体ない。仙命樹の「仙」一字に道教的ニュアンスを残しているので、たぶん道教寄りなんだろうけど、もう一歩踏み込んで欲しかった。
結論——調べた形跡はある。ただし、調べが足りないと感じる場面もいくつかある。これがぼくの正直な評価で、文章の知的水準を6にした理由だよ。
7.5。ぼくが調べながらプレイできた作品——それが最高の褒め言葉
7.5。これがぼくの結論だ。
仁としての評価軸は一つ——「プレイして知らなかったことを知れたか」。誰彼に対するぼくの答えはイエスだよ。具体的に挙げると3つの知識的発見があった。
一つ目、仙命樹の起源。4億年前という時間軸とテロメア短縮という現代生物学を組み合わせた設計から、ぼくは「2001年時点で生物学を勉強しているライターが書いている」と確信した。光岡の急速老化をテロメアの語一つで説明したくだりだけで、この作家は信用できると判断した。
二つ目、地名の神道的設計。依代・神渡・神楽・鏡間——これは間違いなく意図的だ。神道地名と物語要素の対応を読み取ったとき、本作の世界観の見え方が一段変わった。地名を調べただけで、本作の構造が透けて見える——これがあると、「世界の奥行き」(ぼくが10点と置く重視度の指標)が本物として立ち上がる。
三つ目、覆製身という概念設計。2001年というクローン倫理論争の渦中で、漢語造語を作り、3段階のクローン構造を配置し、蝉丸に「魂は複製できん」と言わせた——これは作者がクローン論議を頭の中で消化した上で書いている。同時代の哲学的問いに作品で応答しているのが分かる。
残念だった点を3つ。催淫の生物学的踏み込みが雰囲気に流れたこと。影花藤幻流の知識的深度が判断不能であること。「生命の樹」という命名の神話的重量を活かし切っていないこと。これらが解消されていれば8.0、もう一段で8.5まで届いたと思う。
主人公の蝉丸の哲学的態度——「魂は複製できん」「お前は月代だ」——も、月代がクローンであると判明した場面の哲学的応答として誠実だった。元軍人として時代錯誤な発言をする一方で、クローン倫理という現代的問いには現代的に応答する。この二重性が、蝉丸という主人公の知的造形を支えている。エロゲー主人公として、これは相当に高水準の設計だよ。
光岡のテロメア短縮——あの一語だけで、この作者は生物学を勉強していると確信した。それくらい、知識のある作家にとっての「正しい単語選び」は雄弁なんだよ。エロゲーで2001年にテロメアを使った作家がどれだけいたか。たぶんそんなに多くない。
ぼくはエロゲーをやる時、いつも一つだけ祈っているんだ——「この作品は、ぼくに何かを教えてくれるか」と。誰彼はそれをくれた。テロメア、依代、覆製身——プレイ中に手元のメモに書き留めて、後で本を引いた言葉が3つもある。これは仁の評価軸では最高の褒め言葉なんだ。調べながらプレイできた——それが7.5の根拠で、それ以上の言葉は要らない。
