柊美香のレビュー — 月姫

柊美香
柊美香
鬼畜は覚悟で決まる、と心得る女
7.3/10
7.3 / 10

2000年の同人作品で、これだけ覚悟を持って一つの女を最後まで書ききった一本ですわ。

奈須きのこという書き手が「自分の書いた物語を最後まで信じる」タイプかを確かめにまいりましたの。聞こえてまいる評は「Fateの前身」「直死の魔眼」「重い」——核心を避けたものばかりで、こういう作品にこそ覚悟が眠っている可能性がございます。結論を申し上げますわね。逃げきれてはおりませんけれど、一本の柱だけは最後まで折らずに立てきった作品でございました。主人公の動機の設計には惜しい点が複数ございますし、Hシーンには一箇所、整合性で看過できない瑕疵がございますわ。それでも、ある一人の女の壊れ方を真正面から書ききった事実が、本作を上の級に押し上げております。7.3。

スコア詳細

主人公の造形 7
設定の整合性 8
ヒロインの魅力 8
エンディングの満足度 8
Hシーンの質 6
文章力・描写力 7

奈須きのこという書き手を確かめにまいりましたの

2000年、同人サークルTYPE-MOONの伝奇ビジュアルノベル。シナリオは奈須きのこ、原画は武内崇。

こちらに手を伸ばしましたのは、奈須きのこという書き手が「自分の書いた物語を最後まで信じる」タイプかを見定めたかったからでございます。耳に入ってまいる評は「Fate/stay nightの前身」「直死の魔眼」「重い」——作品の核心を避けた語りが目立っておりまして、こういう作品ほど中身に覚悟が眠っている可能性がございますの。それで踏み込ませていただきました。

主人公は遠野志貴、17歳。9歳の事故で直死の魔眼を得てしまい、視界の中で人や物の「死の線」を視てしまう体質ですわ。普段は魔眼殺しの眼鏡でその眼を抑えております。8年ぶりに実家・遠野家へ戻り、現当主となった妹秋葉、双子の侍女琥珀翡翠に出迎えられる——という導入。街でアルクェイド・ブリュンスタッドという金髪の女と出会ったところから、志貴の日常がずれ始めますわ。

ヒロインは5人。真祖の吸血鬼アルクェイド、教会の代行者シエル先輩、当主となった妹・秋葉、無口な侍女・翡翠、そして明るい侍女・琥珀。それぞれ独立したルートが用意されており、最終ルートとして琥珀ルートが解放される構造ですわ。

結論から申し上げますわね。逃げきれてはおりませんでした。一方で、ある一人の女の壊れ方を真正面から書ききった事実が、本作の中核的な価値を作っておりますの。その一点だけで、本作はわたくしの中で7.3まで届きましたわ。詳しい中身はこの先で申し上げます。

主人公の造形——加害の自覚がございますわね

わたくしが最初に検分しますのは、主人公が「加害の自覚」を持って書かれているかどうか。

遠野志貴は、序盤から自分の中の「殺意」と向き合わされる主人公でございますわ。直死の魔眼で死の線を視てしまう体質、それを衝動的に「使ってしまう」瞬間が起こり得る体質——本人もそれを自覚しておりますの。「俺は人を殺せる」という前提を抱えて生きている主人公として、まず造形が成立しております。これは加点ですわ。普通の伝奇ものでしたら、主人公はこの種の自覚から目を逸らして「世界の犠牲者」のポジションに収まるところ。志貴はそこに収まらず、自分の中の暴力性を直視させられる場面が複数用意されておりますわ。

具体的には、ある場面で志貴は強い殺意に駆られて、ヒロインの一人を路地裏で衝動的に傷つける——という出来事が物語の極めて早い段階で起こりますの。重い導入でございますわね。「主人公が出会ったヒロインに刃を向ける」という展開を作品開始30分で出してくる思い切りは、書き手の覚悟として認める必要がございますわ。媚びておりません。

ただし、惜しい点もはっきり書いておきますわ。志貴の動機の設計には、わたくしの基準で看過できない弱さがございますの。志貴は物語全体を通じて受動的に巻き込まれる場面が多う、自分から物語を駆動する瞬間が少のうございます。ヒロインの誰かが行動を起こし、その尻尾を捕まえて志貴がついていく——という構造が繰り返されますの。「達観した諦観」を装っておりますけれど、実際の行動原理を追っていきますと、ほとんどの場面で状況に流されているだけなのでございますわ。動機の覚悟と行動の覚悟が一致しておりませんの。これが志貴という主人公の弱点でございますわ。

もう一点。志貴の中には殺意を担う別の人格的な何かが眠っているという設定がございますけれど、本編はその「別の何か」と日常の志貴を、読者にとって地続きに読ませる設計になっておりません。両者の間に作家自身が距離を置いておる。詳細はネタバレ版に書きました。気になる方はそちらをご覧くださいませ。

琥珀という人物の設計——明るさの意味が変わりますわ

本作でわたくしが最も時間をかけて検分しましたのは、琥珀という侍女でございますわ。

琥珀は、遠野屋敷の侍女。常に明るく、笑顔で、屋敷の家事を取り仕切り、志貴を「お帰りなさい志貴さま」と出迎える——表面の人物像はそういう設計でございますわ。4ルートを通じて、琥珀はこの「明るい侍女」の振る舞いを崩しませんの。

ところが、本作の最終ルートで開示される琥珀の内側は、その表面とまったく地続きにならない種類の壊れ方をしておりますの。詳細はネタバレ版に書きましたから伏せますけれど——一言で申し上げれば、彼女が抱え続けてきたものの重さは、わたくしが読んできた範囲でも上位に位置する設計でございましたわ。重い加害が長年にわたって積み重ねられた人物の、その「明るさ」の意味が、最終ルートで完全に裏返ります。

ここで重要なのは、奈須きのこが琥珀という人物を逃げずに最後まで書いた事実でございますの。中途半端に救って終わらせる選択肢は無数にございましたわ。「実は陰謀の犠牲者でした」「実は記憶を取り戻せば大丈夫」「実は誰かが助けに来てくれます」——どれも本作で採用されておりません。琥珀は壊れたまま、壊れた状態で物語の中に居続けますの。書き手が彼女を「壊れている人」として最後まで信じて書いた。これはわたくしが高く評価する部分でございますわ。

結末の処理についても申し上げたいことがございますけれど、ネタバレに踏み込まずに語れる範囲では限界がございますわね。一点だけ書いておきますわ——琥珀ルートの最終的な結末は、現実の救済としては成立しておりません。それを「逃げ」と読むか、「ここまでしか書けないことを正直に書いた誠実」と読むか、読者の側に判断が委ねられる設計でございますわ。わたくしは後者と読みました。理由はネタバレ版に書きましたわ。

逃げた場所・逃げなかった場所

本作を全体として見たときに、書き手がどこで逃げ、どこで逃げなかったか——を整理いたしますわ。

逃げなかった場所は、先述の琥珀という人物の設計と、もう一つ、ある重要な敵キャラクターの設計でございますわ。十七回の転生を経て志貴の前に立つこの敵は、自分の存在意義と志貴という対峙者の格を、台詞だけで成立させてくる設計でございますの。「敵側の論理」と「主人公側の論理」が、どちらも同じ地平で立っている瞬間がきちんと用意されておりますわ。これも書き手の覚悟ですわね。

逃げた場所も書きますわ。本作のルート構造には、書き手が「読者を不快にさせきれなかった」選択がいくつか見えますの。具体的には、アルクェイド・シエル・秋葉の3ルートに用意されている「優しい救済」の濃度ですわ。彼女たちのルートで描かれる結末は、もう一段冷たく書ききる選択肢があったはずでございますの。けれど作品はそこに踏み込まず、読者に逃げ場を残しておる。「優しい結末を求める読者の期待」に書き手が応えてしまっている。これは、琥珀ルートの覚悟と比較すると一段落ちますわ。

もう一点。秋葉ルートのある選択について申し上げます。志貴が「壁越しに直死で秋葉を討つ」覚悟を見せる場面がございますの——この描写自体は強うございますし、わたくしが本作で評価する場面の一つですわ。けれど作品は、この覚悟をその後の展開できちんと回収しないまま終わらせる傾向がございますの。「重い決断の場面を書く」ことと「重い決断の重さを最後まで運ぶ」ことの間には距離がございまして、本作はその距離をきちんと跨ぎきれていない場面がございますわ。

総括いたしますと、本作は「一本の柱」(琥珀ルート)で覚悟を成立させ、その他の柱では覚悟を一段緩めた——という設計でございますの。一本でも覚悟を立てきった事実を評価しますか、複数の柱で覚悟が緩んだことを減点しますか——わたくしは前者を取りますわ。一本も立てきれない作品が大半の中で、一本でも立てきった作品はそれだけで貴重でございますの。

Hシーンについて——一箇所、問題がございますわ

Hシーンの評価は6でございます。理由を正直に申し上げますわ。

本作のHシーンは、ルートによって評価が割れますの。琥珀ルートのHシーンは、性的接触よりも感情の吐露と精神的な接近を中心に書かれておりまして、わたくしの評価軸では悪くございませんわ。書き手が「Hシーンを物語の延長として書こう」と意識した痕跡がございますの。

翡翠ルートで、志貴が翡翠から血を口移しで与えられる場面も評価できますわ。性的接触と救命行為が重なる構造で、感情の流れが切れておりませんの。翡翠の「この事は誰にも言わないでください」の強い拒絶を含めて、彼女の人格と地続きで読める場面でございますわ。

ところが、ある一箇所だけ、わたくしが看過できない瑕疵がございますの。翡翠ルートのHシーンの一場面で、本来の翡翠とは別の人物の体験として描かれるべき内容が、翡翠認識として挿入されている部分がございますの。これは設定整合性として明確に破綻しておりまして、「夢」「混在」という設計で片付けるには重すぎる場面ですわ。詳しい指摘はネタバレ版に書きました。本作のHシーン評価が7に届かなかったのは、ここの一箇所が大きい理由でございますわ。

もう一点。志貴の中の「殺意の何か」が発露する場面のHシーンが複数ございますけれど、これは主人公の責任の所在を曖昧化する仕掛けに使われておりますの。「あれは俺じゃない、別の何かだった」という逃げ道を、Hシーンを通じて作品が用意してしまっておる。先ほど主人公の動機の弱さとして書きました件と同じ構造でございまして、本作の主人公造形の弱点が、Hシーン側にも染み出しておる構図ですわ。

7.3——覚悟の密度で上の級に届いた作品

7.3。これがわたくしの結論でございますわ。

評価の核心を申し上げますわね。奈須きのこは、一本の柱だけは最後まで折らずに立てきった書き手でございました。その一本——琥珀という女を、壊れたまま壊れた状態で書ききった事実——だけで、本作は上の級に押し上げられておりますの。2000年の同人作品でこの覚悟を持ち出してきたという出自の重みも込みで、わたくしは7.3を出させていただきますわ。

主人公の造形7。志貴は加害の自覚を持って書かれた主人公として最低水準は確保しておりますわ。一方で、動機の覚悟と行動の覚悟が一致しておらず、受動的に巻き込まれる場面が多い点が減点要素ですの。8に届かない理由はここでございますわ。

設定の整合性8。本作の世界設定(直死の魔眼・真祖と死徒・教会と遠野家)は、ルートを跨いで一貫した運用がされておりますわ。9に届かない理由は、最終ルートで開示される情報が他ルートに遡って整合する設計には今ひとつ届いていない点。それから、Hシーンの一箇所の整合性破綻でございますわ。

ヒロインの魅力8。琥珀の設計の重さがほぼ全ての加点要素ですわ。アルクェイドの「重い背景を子供のような顔で背負う」造形も独自で、9に届かなかったのは他のヒロインの造形が「優しい救済」に流れた点でございます。

エンディングの満足度8。琥珀ルートTRUEの「現実では救えなかったものを夢の中でだけ迎えに行く」結末は、書き手が逃げきらずに着地した結末でございますわ。9に届かない理由は、他ルートの結末が一段優しすぎる点。本作の評価は琥珀TRUEの強さで持ち上げられている構造でございますの。

Hシーン6・文章力7。Hシーンは前述の整合性瑕疵と、責任所在の曖昧化が減点要素。文章力は、奈須きのこ独特の句読点の癖(「‥‥‥‥」の多用、句点の位置の崩し)が読者を選びますわ。わたくしは気にならない側ですけれど、合わない方には引っかかる文体だと思います。一方で、琥珀ルートの「俺が好きなのは秋葉じゃないだ」という、句点の壊れた一文を原文ママで残した編集判断は、わたくしは高く評価いたしますわ。あれを「じゃないんだ」に直さなかった編集の覚悟も込みで、本作の文章力は7まで届いておりますの。

推薦する相手を申し上げますわ。「壊れた人を壊れたまま受け取る覚悟がある方」には、本作の琥珀ルートだけは確実に何かを残します。「優しい結末で全部包んでほしい」タイプには勧めませんわ。本作の真価は琥珀ルートの覚悟にございますのに、そこを「重すぎて受け入れられない」と切ってしまう方には、本作の中核は届きませんから。それから、Hシーン目当てで踏み込むのは止しておかれませ。本作のHシーンは物語の補助線として書かれており、Hシーン自体の精度を求めると期待外れになる可能性が高うございますわ。

もう一段詳しい考察——琥珀ルートの根源にある加害の構造、志貴の動機の精査、Hシーンの整合性瑕疵の具体、各エンドの誠実さの判定——は、ネタバレあり版に書きました。クリア後に読みに来てくださると嬉しゅうございます。一本の柱を立てきった書き手を信頼する——それが7.3の根拠でございますわ。

逃げきれてはおりませんでした。一方で、ある一人の女の壊れ方を真正面から書ききった事実が、本作の中核的な価値でございますわ。書き手が彼女を「壊れている人」として最後まで信じて書いた——その一点で、わたくしは本作を上の級に置きますわ。

— 柊美香