弥生ルートでの「やはり…私が誰かを好きになってなどいけなかったのですね…」の一文が、本作の覚悟を象徴いたしますわ。逃げませんでしたの、ここだけは。
ネタバレ全部出して書きますわ。弥生ルートの「契約」関係の構造、美咲ルートの『WHITE ALBUM』をアイテムとして用いた残酷さ、マナの独立決断の構造的役割、由綺ルートで『音楽祭』本番を意図的に描かなかった選択。それぞれが「逃げ」なのか「覚悟」なのかを慇懃に検分いたしますわ。
スコア詳細
弥生ルート——「契約」関係の検分
最初に弥生ルートから検分いたします。本作の覚悟が最も集中している部分でございますわ。
弥生さんは、まず冬弥に対して車内で一方的な性的奉仕——シートベルトに身体を拘束した状態でのパイズリ・フェラチオを仕掛けてまいりますの。連続射精させますわ。冬弥は「強姦されてる気分だったけど、それでも俺の心を占める感覚は、理不尽にも、快感だった」と地の文で告白いたします。ここまでは「マネージャーが部下を性的に支配する」という一見テンプレ的な構図に見えますわね。けれど書き手はここで止まりません。
その後、弥生さんが自分の過去を全告白いたします。「処女を捧げた相手なのに、何の感情も、何の愛情も感じられず…ただ……嘘寒くて…」「それから、悪戯半分に女性の方々と愛し合うことを覚えました」「女性の方達とは何度となく夜を過ごしましたが…愛情を感じることは、やはり、できませんでした」。そして決定的な告白——「私は、由綺さんを愛しております」「彼女を抱きたい、とも、何度も思いました。一つになりたい、と。自分が女性だろうと男性だろうと」。さらに「私は、藤井さんに嫉妬しました。恋人ということで、ではなく、彼女にとって必要な存在ということで…」と冬弥への動機まで明示しますの。
この告白の意味を整理いたしますわ。弥生さんは「他者と感情的な関係を結べない女」であって、「ただ一人の例外として由綺を愛している」。けれどその愛は性別を超えるが故に届かない。だから「由綺の必要な存在」である冬弥を経由して、間接的に由綺との繋がりを持とうとする。「契約」という言葉で呼ばれる関係の本質は、「届かない愛のための代理交換」ですの。論理的にきれいに組まれた動機構造でございますわ。
その上で弥生さんは「私は、藤井さんを愛してはおりません」と明言したまま身体を交える関係を継続いたしますの。中盤の騎乗位での結合シーンで、冬弥が「弥生さんは……俺のこと……愛して……いない……?」と問うと、「ええ…」「…何度も申し上げました通り…私は……藤井さんを……愛しては……おりません…」と返答する。冬弥は「俺は、泣いていた」とそのまま行為を続けるの。「愛してくれなくたっていい。俺も、愛さない。それでいい。」という地の文。この場面の地の文と会話の二重構造、書き手として相当の覚悟が見えますわ。
クリスマスイヴのアパートでのシーンが特に異質ですの。弥生さんが冬弥の乳首を責めて、手淫だけで連続3回射精させる。「藤井さんの身体…女性の方みたいですね…」と冬弥を女役扱いいたします。挿入なし。事後に冬弥が「…弥生さん……俺のこと、好き…?」と問い、弥生は「いいえ」と答える。「キスしていい?」「ええ…」で終わる。男女の役割が完全に逆転しておりますの。
このシーンを「逃げ」と「覚悟」の軸で検分いたしますわね。普通の恋愛ADVなら、ここで「実は弥生さんも冬弥を愛していました」という結末に向かわせたくなるはずですわ。それが読者受けする「逃げ」のパターン。原田氏はそれをいたしませんの。最後まで「私は誰も愛しておりません」を貫徹いたしますわ。終盤の「藤井さんも、独りぼっち。私も独りぼっち」という相互確認で物語を閉じる。互いを救済しない。これが本作で最も顕著な「逃げない覚悟」の表れですの。
1998年時点でこの題材をここまで踏み込んで書ききった作家は、わたくしの知る限り少ないですわ。同性愛感情・愛のない契約・男女役割逆転・連続射精・拘束。題材を借りているだけの作家ではこの精度では書けませんの。書き手が題材を理解した上で、人物の心理として組み立てている。Hシーンの質を7としたのは、この弥生ルートの精度を基準にしておりますわ。
美咲ルート——『WHITE ALBUM』を「アイテム」として残す残酷さ
続いて美咲ルートを検分いたしますわ。
分岐点はクリスマスイヴ=由綺の誕生日=由綺のライブ当日。冬弥が「由綺のライブを諦めて美咲を呼ぶ」を選択いたしますの。能動的な裏切りですわね。美咲は手作りチーズケーキを持参して、「私……初めて…だから……」と処女を捧げます。事後に「だって、私、藤井君のこと……好き…だから…」と告白する。
注目すべきはHシーン中の冬弥の地の文ですの。「映像が白く霞み麻痺してゆく頭の中で、一瞬だけ美咲さんの顔に由綺の顔が重なった気がした」。Hシーンの真ん中に「これは由綺の代替である」と書ききっておりますわ。冬弥は美咲を愛して抱いているのではなく、由綺を抱く代わりに美咲を抱いているのですの。これは書き手が「裏切り」を中途半端な感情で書かない覚悟を示した一文ですわ。
その後、美咲が由綺に全てを告白いたします。「演技、あんまり上手じゃないみたい…」と由綺が地の文で評する場面、美咲の「な、なあに、藤井君…? …私に用…?」というめちゃくちゃな作り声と作り笑いの描写、これらが美咲側の良心の限界を示しておりますわ。美咲は「私……いいんだ…」「だから、ね、藤井君…」「戻ってこなくたって……よかったのに…。約束なんか…」と身を引こうとする。「俺の方こそ、ごめんなさい…」と低姿勢を貫きます。
由綺の側も「結局、私、冬弥君を、嫌いになんてなれないから…」と身を引く。「私、冬弥君が、ずっとずっと、私の側にいてくれるんだと勘違いしてた」「自分が成功すればするほど、冬弥君ももっともっと私を好きになってくれるなんて思いこんじゃって…」と自分を責める。三者全員が「自分が悪い」と背負い合う構図ですの。
そしてエンディング——美咲と冬弥が春先の街でミュージックショップに行き、由綺と理奈のコラボアルバム『WHITE ALBUM』を取り上げて「一緒に聴きましょ…」と二人で歩く。ここの設計に、わたくしは驚きましたわ。
本作のタイトルがそのまま「裏切りの後に残るアイテム」として配置されているのですの。由綺の歌を、由綺を裏切った二人がこれからずっと聴き続ける生活。物理的なアイテムとして由綺の声が二人の生活の中に残る。「裏切り」が完了しても、由綺は二人の中から消えない。これを最後のアイテム配置で書ききった作者は、相当に覚悟がございましたわ。中途半端なハッピーエンドにせず、「裏切りには永遠の代償が付随する」ことを、由綺の歌という物理的形式で残したのですの。
「裏切りエンド」というジャンル設計の中で、ここまで踏み込んだ作品は珍しゅうございますわ。「裏切ったが、二人は幸せでした」と結ぶ作品は多うございます。「裏切ったので、罰として別れます」と結ぶ作品もある。原田氏は、その中間——「裏切りの結果として一緒になったが、裏切られた人物の存在が永遠にそこにある」——という、最も残酷で、最も誠実な着地を選んでおりますの。これは認めますわ。お見事と申し上げますわね。
由綺ルート——『音楽祭』本番を描かない選択
由綺ルートのラストについて検分いたします。
由綺は緒方英二から「愛してる」と告白されてキスを許してしまい、罪悪感で冬弥の部屋に駆け込んでまいります。「気がついたら私…私、緒方さんと…キス…してて…。抱きしめ…られてて…」と泣きながら告白する。冬弥はここで初めて由綺を抱きますわ。「冬弥君で…よかったって思う…」という事後の一言。翌朝、由綺は「冬弥君の為に、歌うんだから…!」と部屋を出て『音楽祭』に向かいます。物語ここで終了。
注目すべきは、『音楽祭』本番のシーンが由綺ルートでは一切描かれない点ですの。結果(最優秀賞は理奈・由綺は2位)は他ルートで触れられますけれど、由綺ルートでは結果を描かずに切る。これを「投げっぱなし」と読むか「覚悟ある選択」と読むかは分かれ目ですわね。わたくしは後者と判断いたしましたの。
『音楽祭』の結果を描かないことで、由綺の「冬弥のために歌う」という意志決定そのものが物語の終点になりますの。勝った歌か負けた歌かは、由綺自身の意味付けと関係ない。由綺は本番の結果に左右されない地点で、自分の歌の意味を確定させています。「アイドルとして勝つこと」と「冬弥にとっての女として在ること」を切り分けて、後者を物語のゴールに据える設計ですの。
これは書き手の選択として誠実ですわ。普通の作家ですと、『音楽祭』本番を見せたくなるはずですの。クライマックスのステージシーンで派手な描写を入れて、読者にカタルシスを与えたくなる。原田氏はそれをいたしません。由綺が部屋を出る瞬間で切る。視点人物の冬弥はステージに行かないから、冬弥の視点では『音楽祭』は描けない——という一人称の制約を、結末の構造設計に転換しておりますわ。一人称ADVの形式そのものを利用して、「結果より意志」のテーマを伝える。これは設計として巧みでございますの。
由綺ルートのHシーン自体も検分いたしますわ。Hシーンの直前に由綺が「胸…小さいし…。身体だって…そんなに綺麗なかたちしてないし…」と自虐する場面。アイドル森川由綺の自評である「特別可愛いとかじゃないから」と地続きの自己認識ですの。冬弥が地の文で「俺は、由綺を愛してるからだ。本当の姿のままの由綺を、愛することができるからだ。ブラウン管なんか通すことなしに」と内語する。「アイドル森川由綺」と「冬弥にとっての由綺」を切り分ける作業が、Hシーンの中で完結する設計ですわ。Hシーンが「関係を決定する儀式」として機能している、典型的な例。本編との整合性は高うございますわね。
マナ・はるか・理奈——ヒロイン側の決断という構造
残り三ルートを短めに検分いたしますわ。
観月マナルートの構造を整理いたしますわね。マナが家庭崩壊(父=外国、母=不在)を告白するシーン「私、家族なんて、いないから…」「ママなんか、家にいないから…」が転換点ですの。家族のいない子の早熟さと孤独が、冬弥の前で初めて言葉になる場面。その後、マナは冬弥に処女を捧げる夜が来ますの。「藤井さんで…よかった…」「私、ファーストキス…」。けれど由綺が冬弥の恋人だと知ったマナは「私が、お姉ちゃんの恋人を取っちゃうわけにはいかないでしょ?」「私、誰も裏切りたくないもの…」と自分で身を引く。マナにとっての由綺は「お姉ちゃん」——疑似家族の代理。それを自分のために壊さないと自分で決める。15〜16の子の決断としては相当に重うございますわ。最後の別れ際「絶対に、藤井さんのところに行くんだから…覚悟してなさいよ…」「私が来るまで、せいぜいお姉ちゃんとラブラブしてなさいよね、藤井さん…!」は、子どもの強がりとしての別れの儀式。本人が「絶対」と言いきる時にだけ、別れは前に進めますの。設計として丁寧でございますわ。
河島はるかには2バージョンのエンドがございますわ。共同浴場で結ばれた後の「行かなきゃ」「どこに?」「…由綺のとこ」と自転車で去る別れエンド——「冬弥」「ん?」「うん」しか喋らない子の最大の発話が、自分の恋愛を終わらせる三言であるという設計。これは美しいですわ。もう一方の春先の青空エンド「目…潤んでるよ…?」「ん…? 風…強いからね…」も、はるかの少ない言葉の特性を貫いた終わり方。2エンド用意することで「はるかは身を引くも引かないも両方できる人物」として設計されておりますの。マナの「身を引くしかない」とは違う、自由意志を持った造形ですわ。
緒方理奈ルートの構造は、由綺ルートの裏返しですの。由綺がアイドルを続けたまま冬弥のために歌うのに対し、理奈は『音楽祭』最優秀賞獲得直後に引退宣言してアイドルを捨てる。海辺で冬弥と再会して結ばれる場面、「いつまでだってここにいたい感じね…」と笑う理奈。彼女の動機は「冬弥君って、すごいのね…。喫茶店と、TV局と、それに家庭教師でしょう…?」「私って、これしかなかったから…」「ひょっとしたら、別のいろんな世界だってあったのかな、なんて…」という独白で示されておりますわ。冬弥は理奈にとって「歌手じゃない自分の可能性」の象徴。これは現実感のある動機設定ですの。「アイドルでいながら愛するか」「愛するためにアイドルを捨てるか」の二択を、由綺と理奈の対比で書く構造ですわね。
三人とも、決断するのはヒロイン側ですの。マナは由綺を尊重して身を引く。はるかは2つの選択肢を自分で持つ。理奈は自分でキャリアを捨てる。冬弥はどのルートでも、決断する側ではなく、ヒロインの決断を受け止める側に置かれておりますわ。これが冬弥の煮え切らなさの構造的役割——ヒロインに能動性を渡す装置——として機能しているのですの。
男キャラ友情ルート——「同性愛にしない」という選択の検分
七瀬彰ルートと緒方英二ルートも検分しておきますわ。
男性キャラ2人(彰・英二)に攻略ルートが用意されておりますの。両者ともHシーンなし。彰ルートは初詣を諦めてカラオケで「今年もよろしく」と新年を迎える「Friend End」。英二ルートは正月深夜の電話で「俺達、ちょっとだけ似てますね」と笑い合う「Friend End」。どちらもロマンス描写を入れずに、友情の確認で終わる構造ですわ。
これは選択として誠実だと判断いたしますの。「同性愛として書くか」「ただの友情として書くか」の選択で、後者を選んだうえで物語を閉じています。中途半端な恋愛色を入れて読者を釣るような書き方ではございませんわ。「男ルートあります」と宣伝してロマンスを匂わせるけれど結局は友情で着地、というようなおためごかしの構造ではないのですの。最初から友情ルートとして設計されている。
英二の冬弥への「いずれ、勝負はつくさ」「感情は抑えておけよ、青年」「俺もがんばらなきゃいけないし、君もがんばらなきゃいけない」というセリフ群が、由綺を巡る恋愛的緊張感を担保しておりますの。これに弥生から「ご覧になってお判りになりませんか? ああ見えて、緒方さんも由綺さんに心惹かれておられる方のお一人なのですよ」という情報が後から差し込まれて、英二の挑発が遡って書き換わる。共通ルートのセリフが、別ルートの情報で意味を持ち直す設計が本作には多うございますわね。これは伏線設計として一段の丁寧さでございますの。
「逃げ」の検出——本作で逃げた箇所はあるか
わたくしの基本軸である「逃げ」の検出をいたしますわ。
本作で書き手が「逃げた」と判断できる箇所は、率直に申し上げて少のうございますわ。むしろ「逃げそうな場面で逃げなかった」例の方が目立ちますの。
第一に弥生ルートの「私は誰も愛しておりません」を貫徹した点。普通の作家ならここで「実は愛しておりました」と着地させたくなるはずですの。それをしなかった。
第二に美咲ルートの『WHITE ALBUM』アイテム配置。「裏切りの後の幸せ」を書く際に、由綺の存在を物理的に残すという残酷な選択をした点。「裏切ったが幸せ」と「裏切ったので別れる」の中間の、最も残酷な解を選んでおります。
第三に由綺ルートの『音楽祭』本番を描かない選択。本番のステージという見せ場を放棄して、由綺の意志決定の瞬間で物語を切った。視点人物の制約を逆手に取る設計ですわ。
第四にマナの独立を「再会の約束」で締めた点。マナが「絶対に、藤井さんのところに行くんだから」と言って独立する場面、「絶対」が本当ではないことを示唆しつつ笑顔で別れさせる。「結ばれる」「別れる」の二択ではなく、「子どもの強がりとしての別れ」を採用しておりますの。
第五に男友情ルートに無理にロマンスを入れなかった点。これは題材の取り扱い方として誠実でございますわ。
逃げた箇所を強いて挙げますなら、攻略パラメータ管理の不透明さでございますの。「すれ違いをシステムで体現する」というテーマと合っているとは言え、プレイヤーへの情報開示が薄すぎる嫌いがございますわ。これは「テーマに殉じた」と読むこともできますし、「ゲーム性として親切さから逃げた」とも読めますの。判定が割れる部分ですわね。わたくしは「テーマ実装としては正しいが、もう少し配慮があってもよかった」と判断いたしました。完全な「逃げ」とは申しませんけれど、惜しい部分ではございますわ。
印象に残ったセリフ——三つだけ
最後に、検分の過程で印象に残ったセリフを三つだけ書き留めますわ。
一つ目、弥生さんの「やはり…私が誰かを好きになってなどいけなかったのですね…」。自分の感情について自分で結論を下す一文ですの。普通、人は自分の感情に対してここまで冷徹な分析をしませんわ。「好きになっていけなかった」と過去形で評価する力は、相当に成熟した知性のものでございますの。弥生さんを「ロボットみたい」と評する地の文の解像度よりも、この一文の方がよほど弥生さんの内部を表しておりますわ。
二つ目、由綺の「冬弥君で…よかったって思う…」。Hシーン事後の一言ですの。「冬弥君が」ではなく「冬弥君で」という助詞の選択が大事ですわ。誰でもよかった候補の中から冬弥を選んだ、というニュアンスが「で」に込められておりますの。これは由綺がアイドルとして他に多くの男性と接触する立場であることを踏まえると、相当に重い助詞選択でございますわ。マナの「藤井さんで…よかった…」と完全に対応していて、二人の少女が同じ助詞で同じ事後の感想を口にする設計。この対応関係が「マナにとっての由綺はお姉ちゃん」というテーマを支えておりますの。
三つ目、英二の「いずれ、勝負はつくさ」。冬弥への挑発として読めば「お前の彼女を奪う」の宣告ですけれど、弥生から「緒方さんも由綺さんに心惹かれておられる」と情報が差し込まれた後では、英二自身の覚悟の表明として読み直せますの。「いずれ」という曖昧な時制が、英二が自分の感情に向き合う猶予を残しておりますわ。書き手はこのセリフに二重の意味を仕込んだうえで、共通ルートに置いている。後付けではない、設計された二重性ですの。これは伏線設計として巧みでございますわ。
7.3——主人公は逃げ続けたが、作者は逃げなかった
最終評価を再確認いたしますわ。
全ルートを検分した上で、本作は「主人公の煮え切らなさを物語の構造として機能させた」「ヒロインに能動性を渡す設計を貫徹した」「特に弥生ルートでは『愛のないまま終わる』を逃げずに書いた」「美咲ルートでは『裏切りの後にも由綺が残る』を残酷に書いた」「由綺ルートでは『結果を描かない』選択をした」と整理できますわ。書き手としては逃げずに、自分が選んだ難しい設計を最後まで貫いておりますの。これが本作の値打ちでございますの。
主人公の造形評価は最後まで5のままですわ。「成長しない主人公」を成功させるための強度には届いておりません。冬弥の動かなさが「設計意図」として機能している場面と、ただ機能していない場面の差が大きい。前者は弥生ルート・美咲ルート、後者はマナルート・はるかルートの一部。これがあと一段揃えば、もう0.5点上がりましたわね。
惜しい部分は、序盤の重さ・パラメータ管理の摩擦・主人公の造形の精度不足。これらで-2点ほどを引きまして、合計7.3。
1998年作品としての覚悟は、率直に申し上げて高うございますわ。同時期の恋愛ADVと比較しますと、ここまで「読者受け」を優先しなかった作品は珍しいですの。特に弥生ルートを書ききった一点だけでも、原田宇陀児氏が「自分の物語を信じる作家」だったと判断できますわ。「人気を取りに行く」のではなく「正しい結末を描く」という選択。これは認めますの。珍しゅう、読んでようございましたわ。
