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大和仁のレビュー — ビ・ヨンド(ネタバレあり)

大和仁
大和仁
設定考察担当
7.0/10
7.0 / 10

原始の4王という設定の規模感は買う。ただ、それは全部自前の宇宙論で、実世界の知識の裏付けとは別物だ。

ネタバレ込みで、この作品の設定の野心と限界はこうだ。「宇宙の歴史に現れる漆黒の魔王」「原始の4王(黒王・白王・金王・白金王)」「造物主としての影」——これらを一本に詰め込んだ設計の志は買う。核心は「恐れられてきた魔王である主人公自身が、影の手で作られた黒王のレプリカ=駒に過ぎなかった」という二重の転落構造だ。ただ、これは全部この作品が自前で作った宇宙論で、実世界の神話・宇宙論・思想を素材にして組み替えたものではない。だから調べて裏が取れる奥行きが増えていかない。加えて、影が「宇宙を無に還す」具体的な手段の描写と、「数千年周期で現れる魔王」という現象の機構が最終局面で説明されないまま決戦に移行する点が、設定考察担当としての消化不良を残す。ぼくの軸で正直に測ると、嘘はないし内輪参照でもない、教養の痕跡はある——ちょうど7.0だ。野心に敬意を払って上乗せはしない。

スコア詳細

設定の独自性 7
世界の奥行き 7
時空越え設定の論理 7
クライマックスの整合性 7
テーマの一貫性 7
設定と物語の整合 6

原始の4王という設定——1996年のエロゲーに詰め込まれた宇宙論

ネタバレ込みで、この作品の根幹設定「原始の4王」へ。

終盤のクライマックスで開示される設定によれば、宇宙の始まりに「白王」「金王」「白金王」「黒王」という4つの原初的な存在(原始の四王)がいた。本作の主人公は、「終焉と死」を司る黒王と同一の細胞情報をベースに作られたレプリカだ——このことは終盤でレ'ンが「ますたぁが‥‥『黒王』の細胞をベースに造られた‥‥レプリカ」と明言する。は「コレデ駒ハスベテソロッタ」と宣言し、「我コソガ造物主!」と叫ぶ。主人公はその「駒」の一体に過ぎなかった、というのがこの作品の真相の核心だ。

設定の独自性として評価するのは、①最強の漆黒の魔王として恐れられる主人公自身が、によって作られた「黒王の細胞情報をベースにしたレプリカ」でしかなかったという二重の転落構造——宇宙の脅威と恐れられてきた存在が実は影の「駒」に過ぎなかった、という逆転、②そのレプリカが記憶喪失で「自分が魔王だと知らない」というコメディ構造を同居させた点、③影という敵が数億年をかけて「駒を集めてきた」という壮大な時間軸を持つ点だ。ここまでの宇宙設定を一本に書こうとした野心は、設定の独自性の点数を支えている。ただ、断っておくと、これは作品の内側で自前に組み上げた独自性であって、実世界の宇宙論や神話を素材に新しい角度で組み替えた知識的な独自性ではない。だからぼくの物差しでは、9ではなく7に置く。

主人公がレプリカであることは確定している。ただし「数千年周期で現れる漆黒の魔王」という現象の機構については明示がない。9章では別のレプリカ個体の遺骸も発見され、主人公は唯一の個体ですらなかったことになる。「同一のレプリカが周期ごとに再覚醒するのか、影が周期ごとに新しいレプリカを生成しているのか」——この機構の詰めがクライマックスで説明されないまま決戦に移行する点が、設定考察担当には引っかかる。

5章から6章への時空越え——設定の論理と物語上の機能

5章末から6章の時空越えという設定の論理について。

5章でエバが仕掛けたマイクロブラックホールの罠に巻き込まれた主人公は、次元装甲をエバに移譲して自ら時空の彼方へ送り出される。6章では、現代から遙か過去の惑星ウィランディ(古都ウィネリア)に降臨する。この時空越えは「ブラックホールの時空湾曲効果による過去への転移」という雑な説明だが、SF設定として厳密さを要求する作品ではないので許容範囲だ。

問題は、なぜ主人公が過去のウィランディに戻れたのか、という経路の論理だ。レンが「強制帰還」の操作をして黄金の翼を展開し、現代へ引き戻すシーンは描かれているが、「なぜレンがそれをできるのか」「次元装甲はエバに渡したのに黄金の翼は使えるのか」という疑問に対して明示的な説明がない。これが設定と物語の整合6点の一因だ。

ただ、6章の時空越えが「5章でエバへの情が生まれた直後に分断される」という物語上の機能として見ると、設定よりも感情的な展開のための仕掛けとして読むのが正しい。チャイムとの出会い・一夜・8章での20年後再会——という時間軸の非対称性は、設定の厳密さとは別の次元で機能している。7点でも「物語上の機能は達成している」という評価だ。

影という存在——造物主の設定強度と、使い方の粗さ

真の敵・影について。

原始の四王に滅ぼされた古代文明の魂だけが生き残ったもの」という設定は、面白い。肉体を持たない怨念が、「造物主として宇宙を無に還す」という目的を持ち、数億年をかけて「駒を集めてきた」——この規模感は1996年の作品として過剰なほど大きい。「コレデ駒ハスベテソロッタ」という台詞が全て計算だったとすれば、1〜8章のコメディは全部この「駒集め」の副産物だった、という読み方もできる。

ただし、影が具体的に「宇宙を無に還す」手段として何を使うのかが、クライマックスで明示されない。「造物主として宇宙を作り直す」「無に還す」という言葉だけが前面に出て、その手段論が描かれないまま主人公たちとの決戦に移行する。これが「設定は壮大だが、使い方がオペラ的」——つまり、登場人物が大きな言葉を叫び合うが具体的な行動が不明確、という問題につながる。

7.0という総合評価は、この設定の野心と、ぼくの評価軸との折り合いの結果だ。設定の独自性は買う。ただ、それは作品の内側で建てた独自性で、実世界の歴史・科学・神話を素材に組み替えた知識的な裏付けとは別のものだ。調べれば裏が取れて奥行きが増す、という手応えがない。とはいえ嘘はない、内輪参照でもない、教養の痕跡はある——ぼくの物差しだと、そこがちょうど7.0だ。ちなみにこの作者は後に「うたわれるもの」を手がけるんだけど、それは知識的な組み替えの証明というより業界での履歴の話で、この作品の評価に足し引きするものじゃない。黒大将一行の冒険を書いたこの時期の設定は、方向性の野心は本物だが、ぼくの軸——実世界の知識の裏付け——では7.0が正直な数字だ。野心に敬意を払って上乗せはしない。