氷室栞のレビュー — 僕と、僕らの夏

氷室栞
氷室栞
設計を読む
8.3/10
8.3 / 10

ダムに沈む集落の「最後の夏」を、視点を入れ替えながら描く四部構成の作品。序盤は重い。だが構造を面白がれるなら、確実に得るものがある。

2002年のlight作品。来春ダムに沈む山間の集落で、東京の受験生・恭生がひと夏を過ごす。プレイ前から興味があったのは、これが単一の主人公の一本道ではなく、視点を変えて同じ夏を語り直す四部構成だと聞いていたからだ。恭生の視点で始まり、途中から別の人物の視点に切り替わる。その視点の交差が全体の意味をどう変えるのか。そこに惹かれて手を出した。結論から書くと、設計は面白い。ただ、そこに辿り着くまでの序盤が長い。承知の上で点をつけると8.3だ。

スコア詳細

プロット構成力 9
ルート・分岐設計 9
テーマ・メッセージ性 8
文章力・描写力 8
伏線と回収 7
テンポ・緩急 5

「最後の夏」を複数の視点で、と聞いて手を出した

この作品に興味を持ったのは、構造の話を耳にしたからだ。

2002年にlightが出した恋愛ADV。舞台は、来春から貯水が始まってダム湖の底に沈む、山間の小さな集落だ。家屋は順に取り壊され、住人は秋までに立ち退く。名実ともに「最後の夏」を迎えた村。

主人公は東京の受験生・古積恭生。子供の頃から夏になるとこの集落の英助爺さんの家に世話になってきた少年で、その最後の夏をここで過ごすために戻ってくる。バスを降りて最初に再会するのが、三年半ぶりに会う同い年の幼なじみ・市村貴理。ダム建設の現場責任者を父に持つ、弓道部の選手だ。

気になっていたのは、これが恭生一人の一本道ではないと聞いていたことだ。同じひと夏を、複数の視点から語り直す構造を持っている。プレイ前から、そこに惹かれていた。

「埋めたもの」というモチーフの置き方

まず、物語を引っ張るモチーフの話をしたい。

恭生がこの集落に戻ってきた表向きの理由は、子供の頃に貴理と一緒に小学校の校庭に埋めた品物を、村がダムに沈む前に掘り起こすことだ。同郷の受験仲間・英輝や、貴理の二学年下の弓道部後輩・有夏まで巻き込んで、毎日校庭に穴を掘る。

このモチーフの置き方が丁寧だ。「埋めたものを掘り起こす」という行為は、そのまま「過去を掘り返す」ことの比喩になっている。村のすべてを水底に沈めるダムを背景に置いて、その手前で少年少女が土を掘る。沈められる前に、掘り出せるものは掘り出そうとする。この構図だけで、作品が何を扱おうとしているかが伝わってくる。掘り起こすことに意味があるのか、それとも沈めるに任せるべきなのか。その問いにどう答えるかが、この作品の背骨になっている。

視点が入れ替わる、四部構成という作り

本作は、英語の章題を持つ四部構成になっている。

恭生の視点で始まる物語は、途中から別の人物の視点に切り替わる。同じ夏を、違う人物の目でもう一度なぞる。恭生には見えていなかったものが、視点が変わった途端に見えてくる。

栞がこの手の構造を面白がるのは、視点を変えるだけで、同じ出来事の意味が変わるからだ。主役だと思っていた人物が、別の視点では脇に退く。脇にいたはずの人物が、実は自分の物語の主役だった。誰の視点で語るかで、何が中心で何が周縁かが入れ替わる。本作の章題の付け方には、その意図がはっきり出ている。どの章が誰のもので、なぜその順で並んでいるのか。その妙は、結末まで行ってから振り返るのが一番効く。

都会から戻ってくる年上の女性・小川冬子が、物語の後半で大きな意味を持ってくる。彼女がなぜこの村に戻ってきたのか。その答えが、視点交差の構造とがっちり噛み合っている。序盤に見えている情報だけでは、この作品の形は半分もわからない。

古積恭生という、受動的な主人公

主人公・恭生の造形は、好き嫌いが割れるだろう。

恭生は、ほとんど自分から動かない。貴理に対しても、有夏に対しても、態度を曖昧にしたまま流されていく。自分でも「そりゃ、僕は阿呆だよ。子供だよ」「僕が弱虫だっただけだ」と自己嫌悪を繰り返す。序盤から中盤にかけて、この煮え切らなさに付き合わされる時間は、正直長い。当時から「主人公がとっつきにくい」という感想があったと聞くが、それはわかる。

ただ、この受動性が「ただのヘタレ」なのか「意図された弱さ」なのかは、最後まで行くと見え方が変わる。恭生が自分から動かないからこそ、ヒロインの側が動く。彼女たちが自分で選び、自分で決める。恭生が空っぽな器であることには、構造上の役割がある。ここに気づく前に脱落する人は当然出るだろうが、気づいてから見ると、序盤の煮え切らなさが違う色に見えてくる。

文章と、消えゆく集落の描き方

文章の手触りについても書いておきたい。

地の文は恭生の一人称で、派手さはないが、消えゆく村の質感を掬うのが巧い。廃校間際の木造校舎、五右衛門風呂のある英助爺さんの古い農家、川風の通る縁側、集落最後の夏祭り。何でもない日常の細部を、これが最後だと知っている視線で丁寧に撮っていく。夏祭りで英輝が集落の名を染め抜いたはっぴを広げて「お前がこれを着たって、誰も文句をいいやしねーよ」と恭生に勧める場面のような、小さなやりとりに村の温度がある。

世界の奥行きという点で、この集落はよく出来ている。ダム反対派と推進派の分断、余所者として扱われてきた家、母子家庭で村のみんなに育てられた子供。主人公の周りだけでなく、村そのものに歴史と生活がある。だから、沈むという事実が重い。舞台が書割ではなく、ちゃんと一つの世界になっている。この土台があるから、恋愛の帰結が「村の消滅」と重なったときに効いてくる。

序盤が重い、という弱点をはっきり書いておく

褒めるだけでは公平ではない。この作品は、動き出すまでが長い。

到着、下宿、再会、穴掘り。日常の描写がしばらく続いて、物語が転がり始めるまでにかなりの助走を要求してくる。恭生の受動性も相まって、序盤で「これは何を見せられているんだ」と手が止まる人は少なくないはずだ。実際、退屈だという感想は当時から根強い。

ただ、これは後で効いてくる助走でもある。序盤に何気なく置かれた日常が、後半で視点が変わったときに意味を変える。長さは設計の一部だった、と後から納得する作りだ。とはいえ、その納得に辿り着く前に振り落とす作りでもある。テンポは褒められない。ここは正直、もったいない。もう少しだけ早く物語が動いてくれれば、拾えたはずの人がいると思う。

8.3——序盤の重さの先に、設計がある

点数の根拠はこうだ。

この作品の強さは、「埋めたもの」というモチーフと、視点が入れ替わる四部構成が、同じ一つのテーマに向かって束ねられていることにある。掘り起こすのか、沈めるのか。誰の視点で見るのか。その問いが、複数のルートを貫いて一本に通っている。角度は違うのに、行き着く先が同じ方向を向いている。この一貫性は珍しい。

弱点は、序盤の長さと、主人公の受動性。どちらも「設計に殉じた結果」だが、その設計に気づくまでの忍耐を要求してくる。読み解ければ確実に得るものがあるが、そこまで到達できるかはプレイヤー次第だ。

2002年という時代に、これだけ明確な構造意図を持って作られた恋愛ADVは貴重だと思う。「地味だが泣ける」というラベルだけで片付けるのは、もったいない。設計として見れば、ひと夏の恋愛の枠を超えて「過去とどう別れるか」を問うてくる一本だ。私の評価は8.3。各ルートの結末が構造的にどう対になっているのかは、もう一本のほうで詳しく扱った。