大和仁のレビュー — 僕と、僕らの夏

大和仁
大和仁
小学校教諭・知識人
8.0/10
8.0 / 10

恋愛ものの皮をかぶった、戦後開発史の一断面だよ。村を沈めるダムが、その村の山を削った岩で作られている。ぼくの得意ジャンルの外で、予想以上に遠くまで連れていかれた。

2002年、light。来春に水没するダムの底に沈む山間の集落を舞台にした、ひと夏の物語だ。主人公・古積恭生は東京の受験生で、子供の頃から世話になった集落へ、消える前の最後の夏を過ごしに戻ってくる。幼なじみの市村貴理と再会し、村が沈む前に、二人で校庭に「埋めたもの」を掘り起こそうとする。ぼくが普段使う歴史考証やSFの知識は、一見この現代の田舎恋愛ものでは出番がなさそうに見えた。ところが、ダムに沈む集落という舞台の背景を調べ始めた瞬間に、ぼくの一番大事な「世界の奥行き」の軸が正面から動いた。雰囲気で田舎を借りてきた作品じゃない。8.0でつけた。踏み込んだ話はネタバレ版に書いた。

スコア詳細

世界の奥行き 9
設定の整合性 8
テーマ・メッセージ性 8
設定の独自性 8
文章力・描写力 7
主人公の造形 5

ダムに沈む村という舞台を、雰囲気で読まない

プレイする前、この作品はぼくの評価軸では測りにくいだろうと思っていた。歴史ものでもSFでもオカルトでもない、現代の田舎恋愛ものだからね。

ところが、舞台の背景を調べ始めたら足場が見つかった。この村は、来春に貯水を始めるダムで水没する。家屋は順に取り壊され、住人は秋までに立ち退きを終える。この「ダムに沈む村」というのは、フィクションのための都合のいい舞台装置じゃなくて、戦後日本で現実に何十件も起きてきた出来事なんだよ。高度経済成長期に治水と電源開発のためのダム建設が一気に進んで、そのたびに一つ、また一つと集落が水の底に消えていった。補償交渉、反対運動、そして敗北。ぼくはこの作品をやりながら、実際に沈んだ村の記録をいくつも調べる羽目になった。作者は、この現実を雰囲気だけで借りてきていない。ちゃんと踏まえている。ここがぼくの評価の出発点だ。

面白いのはね、貴理の父・が現場責任者を務めるダムの型式だ。彼が娘に、掘った岩を積み上げて堤を作るダムなんだと説明する場面がある。これ、調べてみるとロックフィルダムというやつで、コンクリートを大量に使わず、現場の山を削って出た岩石そのものを材料にする型式なんだよ。つまり、この村を沈めるダムは、この村を囲む山を削った岩で作られている。村の土地が、村を殺す構造物に姿を変える。この円環の残酷さが、ダムの型式一つに畳み込まれている。「岩を積むダム」という正確な型式を選んで章に喋らせている時点で、雰囲気で書いていないのは確かだよ。設定の整合性は8。世界の奥行きは9でつけた。この村には、主人公の見えないところにも、生活と歴史がちゃんとある。

校庭に「埋めたもの」を掘り起こす——という時間の物質化

本作の中心にあるモチーフは、恭生と貴理が子供の頃に小学校の校庭に「埋めたもの」を、村が沈む前に掘り起こそうとする、という行為だ。ここが文学的にきれいに作られている。

校庭に何かを埋める、というのは、日本の学校文化だとタイムカプセルの記憶と地続きだよね。子供時代を土に埋めて、大人になってから掘り返す。時間を物質に託す行為だ。恭生はそれを「村が水没する前に掘り出したい」という切実な締切とともに背負っている。土の中の品物には、締切がついた瞬間に別の意味が宿る。水の底に沈めば、二度と掘り出せない。だからこの穴掘りは、単なる思い出探しじゃなくて、消える前に間に合わせるための、時間との競走になっている。ここに有夏や同郷の親友英輝も巻き込まれて、四人が炎天下で土をふるいにかける。

ぼくが評価したのは、この「埋めたもの」が、掘り起こす方向だけで語られていないことだ。物語には、掘り起こそうとする者もいれば、埋めたものを埋めたままにしておこうとする視点もある。この村には、都会から一人の年上の女性、冬子が、なにかを確かめるように戻ってくる。彼女が背負っているものが、恭生の「掘り起こす」という行為に、正反対の問いを突きつける。過去を取り戻すことと、過去を水に還すこと。そのどちらが救いなのか。この対の構造が、恋愛の筋と重なって進む。ここの答えの出し方はネタバレになるから、続きはもう一本のほうで書いた。テーマ・メッセージ性は8。「最後の夏」という言葉が、終盤に別の言葉へ読み替えられる、その一歩手前まで、筋がきれいに通っている。

教育者の目で見た、子供たちの描かれ方

ここからは、ぼくの本職の目線で書きたい。小学校で子供たちを見ている人間として、この作品の子供の描き方には、見過ごせないものがあった。

河原に一人で出てくる和多田恵という低学年の少女がいる。夏休みの課題で、河原のゴミを拾っている。「みんなで、何か一つ、よい事をしよう」という約束を、彼女は素直に守っている。「綺麗に見えても、みんな、ゴミを捨てていくから」と言う。この子は、もうすぐ沈む村の河原を、それでも綺麗にしようとしているんだよ。数か月後に水の底に消える場所を掃除する子供。この一場面に、作者の目線の位置がよく出ている。大人はもう諦めている場所を、子供はまだ諦めていない。教育の現場にいると分かるんだけど、子供は「もうすぐなくなるから」という理屈では動かない。今そこにあるものを、今のこととして扱う。恵の造形は、そこをちゃんと分かっている。

子供を「風景の一部の可愛い添え物」として置くこともできたはずなんだよ。夏祭りで金魚すくいに夢中になる和典のような少年も出てくるけれど、彼らはただの賑やかしじゃない。この作者は、村の子供たち一人ひとりに、消えていく故郷への固有の反応を用意している。その反応がどこまで伸びるかは、物語を最後まで進めると分かる。子供を通して村の消滅を書くという選択に、ぼくは教育者として敬意を持った。感傷で子供を使わず、記録として使っている。

余所者・共同体・分断——村が人をどう選別するか

村を舞台にした作品だから、ぼくは共同体の描かれ方を注意して見た。ここも雰囲気だけの田舎じゃなかった。

この村には「余所者」という言葉が生きている。貴理の父・章は、外から来てダムを作る技術者だ。村が消えるのを望まない反対派からすれば、村を沈める側の人間で、長く「余所者」扱いされてきた。その娘である貴理も、数少ない同級生から虐められて育った。ダム反対運動の中で、たった一人ダム建設のために働き続けた父を持つ子供が、村の中でどんな位置に置かれるか。この孤立を、作者は同情を煽らずに、事実として置いている。推進派と反対派の分断は、抽象的な対立じゃなくて、一人の少女の幼少期に具体的な傷として刻まれている。共同体というのは、こういう風に人を選別する。

反対派の側にも、ちゃんと芯を持った人物がいる。恭生の下宿先の老人・英助は、最後までダムに反対してきた側の人間で、口は悪いが芯の通った爺さんだ。彼が「皆、それぞれ事情がある。軽々しく、そんな事を言うんじゃない」と、推進派と反対派の分断について漏らす場面がある。反対派の中心にいた人間が、それでも推進派を単純に悪者にしない。この一言に、村を長く見てきた者の複雑さが出ている。ダム問題を「正義の反対派 対 悪の推進派」という単純な図式に落とさない。ここも作者の目線が信用できるところだ。世界の奥行きに9をつけた理由の一つは、この英助のような人物が、主人公のためではなく、村の一部として存在しているからだよ。

弱点——恭生の煮え切らなさと、最初の数時間

背景と主題を高く買った以上、引っかかったところも正直に書いておく。

まず主人公の恭生。優柔不断で、能動的な選択をなかなかしない。想いを掘り起こすと決めていながら、それを口実の穴掘りにすり替えて先延ばしにする。貴理に対しても、都会から来た冬子に対しても、態度が曖昧なまま夏が進む。彼の弱さには物語上の意味があとで与えられるんだけど、その意味に気づくまで、恭生のグダグダに付き合う序盤は、正直ぼくも何度か集中が切れた。主人公の造形は5でつけた。意図を認めた上で、体験としては5、という意味の数字だよ。

序盤の負荷も書いておく。この作品は、村での日常描写がとにかく長い。ゆっくりした夏の空気を味わわせる作りで、それ自体は消えゆく村を描くのに必要な時間なんだけど、物語が動き出すまでが重い。最初の数時間で「これはぼくの評価軸では測れないかもしれない」と一度は諦めかけた。踏みとどまれたのは、背景を調べ始めて世界の奥行きの軸が動いたからで、そこに火がつかなかったら、退屈な田舎恋愛ADVに見えたまま終わっていたかもしれない。この重さは、作品の狙いの代償として存在している。だから「直せ」とは言いにくいんだけど、体験の負荷としては確かにある、という形で記録しておく。

文章については、叙情的な情景描写は確かに強い。ただ、会話の彫りは場面によってムラがあって、特に感情が高ぶった場面で、同じ想いが少し表現を変えながら何度も繰り返される癖がある。純朴さとして愛せる人もいるだろうが、掘り下げるべきピークで言葉が同じ場所を回ると集中は削れる。文章力・描写力は7。背景とテーマがこれだけ緻密なだけに、中心人物の描線がもう一段くっきりしていたら、とは思った。

8.0——ぼくの軸の外で、たくさん知れた

点数の理由をまとめて締める。

プレイ前は、これはぼくの評価軸では測りにくいだろうと思っていた。ところが蓋を開けたら、ダムに沈む集落という舞台が、ぼくの一番大事にしている「世界の奥行き」の軸を正面から動かしてくれた。戦後のダム建設で実際にいくつもの村が消えたこと、補償と立ち退きと反対運動の顛末、掘った岩で堤を作るダムの型式。ぼくはこの作品をやりながら、そういう現実をいくつも調べた。プレイして知らなかったことを知る、というのがぼくのエロゲーをやる理由の中心にあって、本作はその基準をしっかり満たしたよ。

校庭の「埋めたもの」を掘り起こすモチーフ、余所者として選別される親子、単純な図式に落とさない反対派の老人、そして河原で一人ゴミを拾う少女。故郷の喪失というテーマを、大人と子供の両方の身体を使って書こうとしている。感傷で泣かせて終わりにせず、消えていく共同体の記録として残そうとした跡がある。雰囲気で田舎を借りてきた作品じゃない。外の現実に足をつけて書かれた作品だよ。内輪参照ではない、というのがぼくの最大の加点ポイントだ。

弱点として、恭生の煮え切らなさは体験の負荷になるし、序盤は重い。中心人物の描線がもう一段くっきりしていたら、8.5まで行けたと思う。だが背景の厚みとテーマの誠実さは本物だ。総合8.0。故郷を失うということ、共同体が人をどう覚えているかということ、そういう問いに正面から向き合いたい人に、ぼくはこの一作を勧める。埋めたものを掘り起こす夏が、最後にどこへ着地するかは、ぜひ自分の手で確かめてほしい。