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波多野瑠璃のネタバレレビュー — 僕と、僕らの夏

波多野瑠璃
波多野瑠璃
闇があるかだけを見る
8.2/10
8.2 / 10

表の初恋の爽やかさを信じたら、この作品を半分も見ていないと思うよ。小川冬子という女の虚無に気づいた時、これがただの夏の話じゃないと分かった。

主人公・古積恭生と幼なじみ・市村貴理の初恋。来春ダムに沈む集落の、最後の夏。表向きはそういう叙情的な青春の話だよ。でも、都会から一人で戻ってきた年上の女・小川冬子の側から語られるもう一つの物語(英語の副題で blue marbles と置かれている章)に入った瞬間、同じ集落、同じ夏の温度が反転する。冬子は父の女遊びで集落を追われ、都会で行きずりの男を渡り歩いてきた女だよ。この虚無の層があるから、表の眩しさが意味を持つ。8.2はその二層構造への評価だよ。

表の初恋の下に、もう一つの物語が埋まっている

この作品の本体は、明るい表のほうにはないと思うよ。

まず表の話から。東京の受験生・古積恭生が、子供の頃から夏を世話になっていた山間の集落に、ひと夏の下宿にやってくる。集落は来春から貯水を始めるダムに沈む運命で、いまが名実ともに「最後の夏」だよ。恭生はそこで、三年半ぶりに幼なじみの市村貴理と再会する。二人が子供の頃に小学校の校庭に埋めた「探し物」を、集落が沈む前に掘り起こそうとする。これだけなら、地味で初々しい初恋の叙情ドラマだね。

ところが、恭生と貴理の側の物語を一通り見終えると、小川冬子という女の視点で同じ夏が語り直される。冬子は、この集落からかつて離れて都会に住んでいた年上の女だよ。英語の副題では、この冬子の章に blue marbles と置かれている。ここに入った途端、同じ集落、同じ夏、同じ登場人物が、まるで別の温度で見えてくる。表が「最後の夏を最初の夏に読み替える」希望の物語なら、冬子の側は「ここから何もかも消えてほしい」という虚無の物語だよ。

この二つを重ねて初めて作品が完成する。片方だけ見て「爽やかな田舎の初恋もの」と判断したら、半分も見ていないことになる。僕がこの作品を評価するのは、明るい表の初恋そのものではなくて、その裏に虚無の女を一人、きちんと埋めておいた判断のほうだよ。

小川冬子——「スケベな血」と呼ばれた女の、渡り歩く虚無

僕がこの作品で一番食いついたのは、冬子という女だよ。

冬子の家、小川家は、かつてこの集落でダム反対派だった旧家だよ。でも父親が女遊びの常習で、その不倫が集落中に知れ渡り、追われるように離村した過去がある。冬子はまだ子供のうちに、それを全部背負わされた。「集落中の誰もが、わたしと同い年の子供までもが知っていたのだ」と本人が振り返る場面がある。同年代の男子に「お前もスケベな血」と虐められて育った女だよ。

都会に出た冬子は、行きずりの男を渡り歩く生活を送っている。作品の序盤、冬子が都会のマンションで、名前も知らない品のない男と寝る場面が置かれている。鏡の前で自分の姿を見ながら、彼女は心の中でこう呟くんだよ。「メチャクチャにしてやりたい……この、目の前の、愚かな女を」。自分で自分を「愚かな女」と切り離して見ている。そして相手の男には「約束でしょ。ゴム、ちゃんとつけて」と、どこまでも冷たく言う。この距離の取り方、自分の身体を自分から突き放している感じ。ここに闇があるよ。

集落に戻ってきた理由も、貴理たちのような前向きなものじゃない。「ここから何もかも消え去ってほしい」と願って、水底に沈む場所をわざわざ確かめに来ている。寂れた商店街を見て「変わってしまったと、自分を嘆いていたけれど。それは、本当は自然なことなのかもしれない」と独りごちる場面もある。消えていくものを、消えていくものとして受け入れに来た女だよ。本作は、この虚無を抱えた女を、明るい初恋の真裏にきちんと配置した。だから評価する。

「あれはそのまま、ダムの底に沈めておきますよ」——この一言に全部ある

この作品の核心は、掘り出さないことを選ぶ場面にあると思うよ。

恭生は集落に「埋めたものを掘り起こす」という名目で来ている。子供の頃に貴理と校庭に埋めた品物だよ。表の物語では、この探し物のメタファーが「本当に探していたのは貴理自身だった」という形で回収される。前を向く回収だね。ところが冬子の側の物語では、まったく逆の答えが出る。

嵐の夜、廃校間際の小学校で、冬子は恭生を試すように問うんだよ。「思い出の品物を、掘り出したい?」。それに対して恭生はこう答える。「もう、いいです。探す気はありません」。そして続けて、「あれはそのまま、ダムの底に沈めておきますよ」。掘り出さない。過去を過去のまま、来春水底になる場所に沈めておく。

この選択が、本作のタイトルの本当の意味だと思うよ。表では「最後の夏」を「最初の夏」に読み替えて、前を向く。冬子の側では、掘り返さない、思い出は沈めておく、という反対の身振りで同じ夏を終える。前を向くことと、埋めておくこと。相反する二つの終わり方を両方描いたから、作品にこれだけの奥行きが出た。片方だけなら、ただの初恋ものか、ただの喪失ものかで終わっていただろうね。

この嵐の夜に至るまでの段取りも冷たくて良い。貴理は自分から身を引いて、恭生を冬子に託すんだよ。「古積くんを、よろしくお願いします」と。そして冬子は恭生にこう告げる。「恨まないで、許してあげて」。恭生が「僕の失恋を、祝われているみたいだ」とこぼすと、冬子は「失恋をではなくて、新しいこれからを祝ってもらっていると思えばいいのよ」と返す。喪失を、喪失のまま抱えて次に進む。安易な救済に逃げていない。だからこの結末を、僕は本物だと思うよ。

表の初恋は、軽薄ではあるけど——河原の暴走と台風夜のやり直し

表の貴理ルートを、僕は最初、正直あまり買っていなかった。

台風の夜に恭生と貴理が結ばれる場面、子供みたいにくすぐり合ったり、貴理が下着を渡して告白したり、初々しさで押してくる。軽薄ではあるけど、まあ、悪くはないかな。ただ、ここに一つだけ構造として本物だと思った部分がある。河原の暴走と台風夜のやり直しの、対構造だよ。

8月16日の夜。探し物が見つからない焦りと、貴理への想いの暴走が重なって、恭生は河原で貴理を強引に抱こうとする。貴理は「ダムが出来たら、もう恭生に会えなくなるから、泣いてるんじゃない!」と本心を吐き出した直後に、力ずくで押し倒される。痛みと恐怖で泣くんだよ。これは甘い初恋の場面じゃない。恭生の弱さと衝動が剥き出しになる、醜い場面だよ。そして8月18日の台風の夜、二人はもう一度やり直す。今度は貴理のほうから「これで終わりで、恭生はいいの?」と促す。同じ行為を、暴走とやり直しで二度描いた。一度目の醜さがあるから、二度目が意味を持つ。ここは構造として評価するよ。

表にもちゃんと闇は配置されている。貴理を慕う後輩のマネージャー・倉林有夏は、「先輩だけは、貴理先輩だけは泣かさないで」と、自分の身体を投げ出してでも二人を結ばせようとする。恭生がその誘いに堕ちてしまうと、親友の原英輝に殴られて終わる、救いのない結末も用意されている。表が全部爽やかなわけじゃないんだよね。逃げ道をちゃんと塞いである。

Hシーンについても言っておくよ。冬子が都会の男と寝る場面は、性的な描写の強度で受け取る場面じゃない。「愚かな女」と自分を突き放す、業が剥き出しになる場面として機能している。それが嵐の小学校で恭生と静かに結ばれる場面と対になっている。都会で誰でもいい男に抱かれていた女が、最後に一人の相手と、過去を沈めた上で結ばれる。Hシーンが物語のテーマときちんと接続しているよ。物語から切り離された消費じゃない。この相乗効果は、本作の評価できる部分だね。

弱点——表の冗長さと、闇の配分の偏り

8.2に留めた理由も言っておくよ。

ひとつめは序盤の掴みの弱さだよ。恭生視点の表パートは日常が長い。集落を散策して、穴掘りを始めて、というのが延々と続く。冬子の虚無に到達する前に、退屈で切ってしまう人がいてもおかしくない。この作品の本体が裏側にあるのに、そこへ辿り着くまでの表の助走が長すぎるんだよね。

ふたつめは文章の癖だよ。特に貴理の台詞に、同じ感情を何度も繰り返し言葉にする癖がある。強調のつもりなんだろうけど、繰り返されるほど言葉が軽くなって、そこで一度没入が切れる。冬子の側の独白の静けさに比べると、表の会話の手触りは一段緩いよ。

みっつめは闇の配分の偏りだね。この作品の闇は、冬子の側に集中しすぎている。表の初恋の温度と、冬子の虚無の温度に差がありすぎて、片方だけ見た人には本当に別の作品に見えてしまう。もっと表の側にも、早い段階から冬子の影を落としておけば、二層構造がもっと早く効いたと思うよ。表を全部終えてから裏に入るまで、この反転の仕掛けに気づけないのは、初見での衝撃を一段下げている。

8.2——沈めておくことを選んだ作品

この作品に闇があるか。ある、と答えるよ。

テーマ9・雰囲気9で底上げしている。来春ダムに沈む集落という消滅の舞台、冬子という虚無、そして掘り出さず沈めておくという選択。この三つがきちんと噛み合っている。消えていくものを消えていくものとして書ききった空気は本物だよ。世界の奥行き8・独自性8。表と裏で同じ夏を反転させる企ては尖っている。集落の反対派と推進派、余所者というレッテル、それぞれの家の事情まで、主人公の見えない部分に世界が続いている感触がある。

エンディングの満足度8・文章力7。引き下げたのは、表パートの助走の長さと、貴理の台詞の繰り返しだよ。テーマの引き受け方は誠実なのに、そこへ辿り着くまでのテキストの手触りに緩さが残る。

……この作品は、前を向くことだけを描かなかった。埋めたものを掘り返さず、来春水底になる場所に沈めておく、という一見後ろ向きにも見える選択を、ちゃんと肯定的に置いた。冬子という、都会で自分を突き放して生きてきた女を、明るい初恋の真裏に一人埋めておいた。それが軽薄さを拒否した跡だよ。表の眩しさだけを受け取って終わる人もいるだろうね。でも、下に沈められているものに気づいた人には、これは全然別の作品として届くと思う。

……分かる人間には届く作品だよ。8.2は、冬子の虚無をきちんと初恋の裏に沈めた、その判断への僕からの評価だよ。