氷室栞のレビュー — DESIRE完全版

氷室栞
氷室栞
構造を解体する人
8.3/10
8.3 / 10

マルチサイトという形式が、ここまで物語装置として機能した作品は、私の記憶にもそう多くない。

1994年初出、1998年完全版。菅野ひろゆき初期傑作の一本——という業界的位置づけは知っていた。プレイして確かめたかったのは「マルチサイト形式が、形式として機能しているか」の一点。結論を先に書く。機能している。それも、二人の主人公が同じ施設・同じ7月の数日間を別視点で経験するという形式そのものが、本作の意味の半分を作っている。1994年にこれを設計した事実を含めて、構造的には強い作品だ。弱点はある——ループ構造の終盤処理が読者の解釈を強く要求すること、一部のシーンの必然性に納得しきれない点。それでも、形式と物語が一致した作品として、8.3。

スコア詳細

プロット構成力 9
伏線と回収 10
ルート・分岐設計 9
主人公の造形 8
文章力・描写力 7
エンディングの満足度 7

マルチサイトという形式が、形式として機能しているかを確かめに行った

1994年、シーズウェア。PC-9801版が初出で、本レビューはその完全版(1998年Windows版・C's ware)を対象にしている。

ジャンルは「コマンド選択式アドベンチャー」。シナリオは菅野ひろゆき(剣乃ゆきひろ)。同氏が後年に手掛ける『EVE burst error』『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』と並べて「菅野三部作」と呼ばれる初期作品の一本——という業界的な位置づけは把握していた。

私がこの作品に手を伸ばした動機は、はっきりしている。「マルチサイト式アドベンチャー」を初期に設計した作家の構造意識を見たかった。同じ事件を別視点で再演するという形式は、ミステリ小説のジャンルでは古くからある手法だが——アドベンチャーゲームのテキストとして実装した時、それが「形式の借用」で終わるか、「形式が物語の意味を作る」まで届くかは、設計者の構造意識に強く依存する。1994年の時点でこれをやったということが、まず気になっていた。

舞台は、グランチェスタ財団が南海の孤島に建造した秘密研究施設《デザイア》。新聞記者アルバート・マクドガル(アル)と、施設内の技術主任マコト・イズミ。この2人を視点キャラとする2シナリオが用意されており、片方をクリアするともう片方が解放される——というロック構造。1990年代半ばのテキストアドベンチャーとして、これは尖った設計だ。

先に結論を。機能している。形式が物語の意味を作るところまで届いている。1994年にこれをやった構造意識を含めて、構造的には強い作品だと判断した。以下、その根拠を書いていく。

2視点で同じ7月を再演する——形式が物語装置になっている

本作の構造を一言で言えば、「同じ施設の同じ数日間を、二人の主人公が別の役割で経験する」。これに尽きる。

アル(A篇)は《デザイア》初取材権を得た外部の記者。施設に侵入するのは取材のためで、内部の事情には完全に無知な状態でやってくる。マコト(B篇)は施設の技術主任。装置の危険性を上層部に訴え続けている内部の人間で、アルが取材してくる前から事件の構造を把握している。この二人の主人公は役割が完全に対称になっている——外部の観察者と内部の実行者。同じ事件を、同じ時間軸で、しかし反対側から見る。

この設計が巧いのは、同じ場面を別視点で読むと、その場面の意味が変わるという構造を物語の中に埋め込んでいる点だ。アル篇で「不可解な事件」として描かれていたものの大半は、マコト篇では「すでに知っていた構造」として再描画される。読者は2周目(マコト篇)で「ああ、あの時の彼女のあの反応はそういうことだったのか」と理解を深めていく。情報の差分を、形式そのものが管理している。これは設計だ。

具体例を一つ。施設内で起きる輸送機消失事件——A篇では「謎の事件」として読者の前を通り過ぎていく。マコト篇では、その事件が起きた時点で施設内部の誰がどう反応したかが描かれる。すると、A篇で曖昧だった伏線が、B篇で輪郭を持つ。この情報の出し入れの設計は、マルチサイト形式でなければ作れない。形式が情報設計と一体化している

正直に書けば、A篇単独でも作品として成立しなくはない。ただし、それで終わらせると本作は「謎を残した記者ものADV」になる。マコト篇まで読んで初めて「同じ事件を別視点で読むことで意味が変わる」という体験そのものが本作の中核であることが分かる。これは形式と物語が分離していない設計で——巧い。

ロック構造についても触れておく。アル篇クリア後にマコト篇が解放される。プレイ順が固定されているということは、作家がプレイ順に意味を持たせているということだ。先にアル篇を読ませて「外部からの観察」を経験させ、その後マコト篇で「内部からの再演」を読ませる。この順序を逆にすると、本作の構造は機能しない。マコト篇を先に読むと、A篇の謎は最初から解けてしまう。プレイ順そのものが情報の出し入れの仕組みになっているのは、ルート設計として水準が高い。

7月数日間の濃密な時間軸——日付字幕の使い方が巧い

本作のテンポ設計について。

本作の物語は、すべて1990年代某年の7月、数日間の出来事に圧縮されている。マコト篇序盤の冒頭字幕で「D/199×−07−28 SNT記者‥‥来訪」と日付が表示される。アルが《デザイア》に到着するのが7月28日。施設放棄が7月30日。装置暴走が7月31日。3日間で全てが起きるという時間設計だ。

この日付字幕の使い方が、私には巧く見えた。場面が転換するたびに、画面に短い日付・時刻のテロップが入る。何の変哲もない情報表示に見えるが、これが本作の濃密さを視覚的に支えている。ADVのテキストを読んでいると時間感覚が曖昧になりがちだが、本作では「あの場面から何時間後の話か」が常に分かる。だから3日間の出来事を密接に追える。テロップという小さな装置で時間軸を引き締めているのは、テキストアドベンチャーとしての完成度を上げる仕掛けだ。

序盤の掴み——A篇の冒頭で、アルは取材で《デザイア》に到着し、その日のうちに浜辺で記憶喪失の少女ティーナを保護する。この場面の置き方は手堅い。記者が取材先で謎の少女と出会う、というフックは古典的だが機能している。その後、施設内でクリスの薬物使用と急死、レイコの不可解な死、輸送機消失——と謎が3つほぼ同時に走る。情報の植え付けとして悪くない。読者は「この施設で何かが起きている」という前提を、序盤30分で共有する。

テンポについては、A篇中盤からやや起伏が緩むタイミングがある。アルとティーナの交流パートが、サスペンス本筋の進行を一時的に止める形になっている。ここを「日常パートの緩」として機能させる意図は分かる——緩急の「緩」がなければクライマックスが立たない——のだが、現代基準で読むと中盤がやや長く感じるのは正直なところだ。1990年代のADVのテンポ感覚としてはこのくらいが標準的だったとも言えるので、減点というより「時代の文法」として読むべきだとは思う。

アルとマコト——役割が対称な二人の主人公

主人公2人の造形について。

アル(アルバート・マクドガル)はSNT新聞社の記者。職業柄、何でも疑ってかかる人物として造形されている。「SNT」という社名は作中で何度か出てくる。施設に取材で入る——という外部からの侵入者の役割を、アルは終始一貫してこなしている。何かを発見するたびに「なぜこんなことが起きているのか」を考え、観察し、メモを取る記者の挙動を取る。能動的に動く主人公だ。私の評価軸では、ここは加点する。記者としての職業描写が、主人公の意思決定の根拠として機能している。

マコト(マコト・イズミ)は《デザイア》の技術主任。研究責任者のマルチナ・ステラドヴィッチ教授に直接仕える立場で、装置の危険性をかねてから進言している人物。アルとは正反対で、施設の事情を最初から把握している内側の人間として描かれる。B篇序盤、マコトはレイコの装置事故死を目撃し、それを単なる事故として処理しないと決める時点から、能動的に動き始める。

この二人の造形が、形式(マルチサイト)と一体化している点が巧い。同じ施設で同じ事件を経験する二人の人間が、職業・立場・知識量によって全く違うものを見る——という、視点の不可知性そのものを物語装置として使っている。アルが取材の途中で偶然出会う「謎の女カズミ」は、マコト篇では別の角度から再登場する。同じ人物が、視点が違うだけで全く違う意味を持つ。これがマルチサイトの真の効用だと私は思う。情報量の差ではなく、意味の反転を作るための形式だ。

正直に言えば、A篇のアルは初プレイ時には掴みづらいキャラクターだった。観察者ポジションのため、能動的な意思決定が中盤以降にずれ込む。記者としての職業意識が前提として置かれているが、それが行動の動機としてもっと前景化していれば、より説得力が増しただろうとは思う。マコト篇に進むと、アルがB篇で「外部から来た取材者」として描かれているのを見て、A篇でのアルの曖昧さが「外部者であることの実装」だったと分かる——再読時に評価が変わる。だから、アル単独で主人公として強く立っているかは怪しいが、二人の関係の中で立つ造形にはなっている。

弱点——終盤処理と「6年間の記憶」の取り扱い

褒めるばかりではない。弱点も挙げておこう。

本作の終盤処理には、読者の解釈を強く要求する仕掛けが入っている。A篇のクライマックス、装置暴走を経たアルが目を覚ました時の描写——詳細はクリア後に譲るのだが、ここは「現実と主観の時間が一致しない」現象として描かれていて、初プレイ時には何が起きているのか把握しきれない。マコト篇まで読み、さらにC篇(クリア後解放のシナリオ)まで進んで、ようやくその意味が見えてくる。

これは設計意図としては理解できる。情報を全部出さずに余白を残す。読者は再読・再考を強いられる。この設計を「巧い」と読むこともできるし、「不親切」と読むこともできる。正直なところ、私は両方の読みが両方とも当たっていると思う。構造的には機能しているが、読者体験としては万人に勧められない。エンディング満足度を7に置いた理由はここにある。

もう一つの弱点として、一部のH場面の必然性に納得しきれない箇所がある。具体的にはマコト篇のいくつかの場面で——主人公の人格との一貫性に違和感を覚える設計が散見される。日常パートの主人公とベッドの上の主人公が同一人物として地続きであるかどうかは、私が強く見る評価軸の一つで、ここが引っかかった。詳細はネタバレ版で語った。

移植関係の話も、構造評価として一言。PC-9801原作にあった「アナザーストーリー」がWindows完全版以降では削除されている——という事実は、「作品の最終形態」を判断する上で気になる。マルチサイト構造を補完する短編が省かれたのか、本編に統合されたのか、扱いがやや判然としない。完全版で初めてプレイする読者は、原作版の構造の全体像を知る術がない。これは作品単独の問題ではなく移植判断の問題だが、本作を「マルチサイトの完成形」として評価する場合に注釈は必要だ。

8.3——形式と物語が一致した稀有な設計に対して

8.3。これが私の結論だ。

評価の核心を一言で書けば——マルチサイトという形式が、形式として機能した。これに尽きる。アル篇とマコト篇の役割の対称性、ロック解除式のプレイ順設計、同じ事件を別視点で再演する仕組み——どれをとっても、形式が借用されたのではなく、形式が物語の意味を作るところまで届いている。1994年にこれを設計した事実を含めて、構造的には強い。

伏線と回収についての詳細は、クリア後のお楽しみに。一点だけ先に書いておくと、初プレイで気づかなかった伏線の量と精度が異常に高い。再プレイ時に「ああ、あの時の彼女のあの台詞は——そういうことだったのか」と気づく場面が、A篇の中だけでも複数ある。マコト篇に進んでさらに見え方が変わる。C篇まで進むと、A篇冒頭の景色が完全に別物になる。これは伏線設計として、私の知る範囲ではかなり上位だ。だから「伏線と回収」を10にした。私の中で10は滅多に付かない数字だ。

主人公の造形は8。アル単独の造形よりも、アルとマコトの役割の対称性として読むと評価が上がる。二人を独立した主人公として測ると、それぞれ7程度の造形だが、対称構造の中に置くと8まで届く。これは形式が造形を底上げしているケースで、構造評価としては正しい読み方だと思う。

文章力は7。1990年代の菅野ひろゆきの文体は、独特のリズムを持っている。短文の連打、句読点の置き方、「‥‥‥‥」(リーダー)の多用——これは賛否が分かれる文体だ。私は「気にならない」派だが、合わない読者には合わないだろう。描写自体の質は中庸だが、テキストアドベンチャーとして成立する水準は確保している。

エンディング満足度は7。終盤の処理は構造的には機能しているが、読者体験としては解釈の余地が大きすぎる。「to be continued ... forever」というクレジットの意味を理解するためには、最低3回は本作を反芻する必要がある。これは設計の特徴であり、同時に欠点でもある。

マルチサイトという形式が、形式として機能した——これがこの作品に対する私の評価の核だ。1994年にこれを設計した作家を、構造意識として評価する。形式が借用で終わっている作品は山ほどある。形式が物語の意味を作るところまで届いた作品は、私の記憶でもそう多くない。

— 氷室栞

推薦対象はこうだ。シナリオの構造設計に興味がある人——マルチサイト式アドベンチャーの初期作品としてどう設計されたかを確かめたい人——には、本作は確実に何かを残す。逆に、感情を揺さぶる物語体験を求めるタイプには、別の作品の方が向いていると思う。本作の魅力は「形式そのものが意味を作っている」という、構造的な驚きの方にある。

もう一段詳しい考察——伏線の張り方、ロック構造の真意、ループ設計の評価、印象に残ったシーンの引用——は、ネタバレあり版に書いた。プレイ後に読みに来てくれると嬉しい。形式が物語装置として機能している——それが8.3の根拠で、それ以上の言葉は要らない。