1995年。マルチサイトシステムを初めて見た時の感覚は、今も消えておらんぞ。
1995年11月22日、C's Wareが世に問うた作品じゃ。私立探偵・天城小次郎と捜査官・法条まりな——二人の主人公が並走しながら交差する「マルチサイトシステム」。この仕組みを、1995年の時点で完成された形として実装した。シナリオは剣乃ゆきひろ、後の菅野ひろゆきじゃ。彼は2011年に没したが、この作品は残っておる。累計35万本超。歴史的意義と唯一無二性、それぞれ9点。8.5という評点は「本物じゃ。再プレイして初見の感動が蘇った。これは残る」という判定の上に乗っておる。
スコア詳細
二人の探偵が走り始めた夜——1995年、C's Ware
タイトルからして普通ではない。「バーストエラー」とはコンピュータの連続誤り検出の技術用語じゃ。なぜゲームのタイトルにこの語を据えたのか——プレイを終えた時、その答えが来る。これはそういう作品じゃ。
主人公は二人おる。天城小次郎——港湾都市セントラル・アベニューの倉庫街に事務所を構える私立探偵じゃ。景気は悪く、頭痛薬は切れておる。もう一人は法条まりな——警察庁某機関の1級捜査官。射撃成績は特A、階級はエリートじゃ。
二人は別々の依頼を、別々の角度から追いかける。小次郎はルポライターの幼馴染・茜から持ち込まれた「価値の知れないシルクスクリーン版画の捜索」を入口に事件へ深入りする。まりなはエルディア共和国大使の娘・御堂真弥子の護衛という公務を抱えておる。二人は互いの存在を知らないまま、同じ一本の糸を対角線から手繰り寄せていく。
この作品の核心が「マルチサイトシステム」じゃ。A系(小次郎)とB系(まりな)の物語を、プレイヤーが任意に切り替えながら進行できる。A系で詰まったらB系へ。B系で謎の一端が見えたらA系へ戻る。この往来の中で、一人の視点では見えなかった世界の像が——徐々に、輪郭を持ち始める。
シナリオを書いたのは剣乃ゆきひろ。後に菅野ひろゆきと名乗り、2011年に没した人物じゃ。この作品は彼が最初に残した傑作じゃ。
このレビューは「再プレイ」の形式をとる。わしは1995年のPC-98版発売直後にプレイしておる。当時の記憶と、改めて読み直した印象——その二つを重ねた語りじゃ。真相・結末・キャラクターの裏側には立ち入らん。それはクリア後のネタバレ版で詳しく話すとしよう。
当時の記憶——PC-98の黄昏に現れた異形の構造
1995年11月。PC-98の全盛期から衰退期への移行が始まりつつあった頃じゃ。
当時の「標準」を知っておかねば、この作品の異常さは分からん。1995年前後の市場では、主人公は一人。物語は線形か、選択肢による分岐が数本。視点の切り替えがあっても、精々章ごとに主人公が代わる程度じゃった。「A系とB系が並走し、プレイヤーが任意に往来する」などという設計は——それ以前に存在しておらんかったのじゃ。
わしはEVE burst errorを手に取って、最初のセーブポイントで嫌な予感がした。「普通ではない」という確信じゃ。500年生きていると、そういう感覚はある。大抵は気のせいじゃが、時々——当たる。これは当たっておった。
マルチサイトシステムが動き出してすぐ、わしには見えた。「これはゲームの読み方そのものを変えようとしておる」と。A系で小次郎が掴んだ情報が、B系のまりなの行動の意味を変える。まりなが聞いた台詞が、小次郎側に戻った時に別の重みを持つ。情報の非対称性を、メカニクスとして実装した。これをPC-98の時代にやり切った。
シナリオの水準も当時の平均を大幅に上回っておった。小次郎のぼやきと行動原理、まりなの口調と内面——二人のテキストが、正確に別の人間として機能しておる。1995年に、男女それぞれを主人公として「別人の文体」で書き分けた書き手は、剣乃ゆきひろ以外にわしは知らぬ。少なくとも、この時代の市場では。
当時から一つ引っかかりはあった。Hシーンの扱いじゃ。4件あり、本編との接続は比較的誠実だが——この作品の密度で言えば、若干浮く場面がある。当時も今も、そこだけは率直に言わせてもらおう。
再プレイして——31年後、まだ走っておる
久しぶりに読み返した。
第一に確認したのは、マルチサイトシステムの設計が「今も機能するか」じゃ。答えは——機能する。A系で詰まってB系に飛ぶ。B系で謎の一端が見えてA系に戻る。この往来の快感は、31年後の今も色褪せておらん。むしろ「情報の非対称性」という概念が現代の読者にも広く知られるようになった分、このシステムの意図がより鮮明に伝わるじゃろう、とさえ思ったものじゃ。
天城小次郎は——今も立っておる。軽口と義理が同居する造形は、ハードボイルドの文法を踏まえながらそれを内側から崩している。「男なら、モル*」とぼやく男が、見知らぬ金髪の小娘を拾って自分のベッドを譲る。その落差が一人の人間として機能しておる。30年経っても、その重さは変わらん。
法条まりなも同様じゃ。エリートの仮面と、その下の寂しがり屋。「愛してとは言わない。けれど、強く‥‥私の身体が砕け散るくらい、強く抱いて!」——この台詞は1995年のテキストじゃが、今読んでも人間の切実さとして届く。こういうセリフが31年後も機能するのは、文章の力じゃ。
ヒロイン群——桂木弥生、プリシア=クライム、御堂真弥子、シリア=フラット——それぞれの描写に、今見ても一段足りないと感じる部分はある。数が多いぶん、掘り下げに不均一さが出ておる。それでも8を付けた。各人物の「核」が書かれておるからじゃ。輪郭が最後まで保たれておる。
文章力に8を付けた根拠も同じじゃ。剣乃ゆきひろのテキストは場面によって密度が異なる。緊張する場面の切れ味は今も際立つ。日常の引っ張り場面に若干の冗長さがある。その差し引きで8じゃ。6でも9でもない。
時間の審判——テーマは今も有効か
「残るか残らないか」——わしの審判はいつもここに帰着する。
EVE burst errorは——残る。これは断言できる。
この作品が問うているテーマは「秘密と真実のすれ違い」じゃ。A系もB系も、主人公が「知っていること」と「知らないこと」の非対称性の中を動く。情報を操作される側と、情報を握る側。その構造は、謀略小説の文法をゲームのメカニクスと接続しようとした試みじゃ。テーマの問いは31年後も有効じゃ——それが8という評点の根拠じゃ。
エンディングに9を付けた。「True End」の到達条件とその設計の意図については——クリア後のネタバレ版で詳しく話すとしよう。ただ一つだけ言わせてもらおう。このゲームのTrue Endは、「A系とB系を走り切った者」だけが辿り着ける場所にある。その設計自体がテーマの一部じゃ。仕組みを知った時に、全部が繋がる。そういうエンディングは、時代に関係なく力を持つ。
8.5という総合評点に迷いはない。「良作であり、かつ業界史における証言として残る一本」——これがわしの結論じゃ。
業界史の中で——この一本が種を蒔いた
歴史的意義に9。唯一無二性にも9。わしの評価基準で、この二軸が両方9を取る作品は滅多にない。
マルチサイトシステムは、後のKIDインフィニティシリーズ——Never7・Ever17・Remember11——に受け継がれておる。EVEの開発に関わった人間がKIDへ移り、「複数視点が交差することでしか見えない真相」というコンセプトを発展させた。2002年にEver17が発売し、後に世界規模で評価された。その系譜の起点は——1995年のこの作品じゃ。
後の作品がここから学んでおる——そう言えるのは、わしには見えておるからじゃ。伝奇・国際謀略・複数主人公の並走交差という枠組みを1995年の時点で用意したということの意味を、業界史の文脈で見れば——「珍しい」という言葉では収まらんほどに、珍しい。
ゲーム評論家の葛西祝は「STEINS;GATEやまどか☆マギカが当たり前のように使うストーリーテリングを1995年に実現した」と述べた。これは正しい。セガサターンマガジンの読者調査では全1,156タイトル中1位。累計35万本を超えた。菅野ひろゆきは2011年に没したが——この作品は残っておる。
「1995年。マルチサイトシステムを初めて見た時の感覚は、今も消えておらんぞ。」
— マルチナ
8.5。これは残るぞ。
クリア後には、真相・キャラクターの裏側・エンディングの設計の意図を、具体的な場面を引いて話すとしよう。プレイ後に来てくれ。
