1995年。マルチサイトシステムを初めて見た時の感覚は、今も消えておらんぞ。
「完成された[μ-101]有機ヒューマノイド……それがお前だ」——御堂真弥子の正体を告げるこの台詞は、1995年のPC-98の画面で読んだ時も、31年後に読み返した時も、同じ重さで落ちてきた。True Endの終盤でA系とB系が交差し、二人の主人公が同じ船倉で同じ少女の最期を見届ける。このゲームの設計の核心はここじゃ——「どちらか一方の目だけでは、この結末に辿り着けない」。マルチサイトシステムとは、ゲームのメカニクスがそのままテーマになった例じゃ。業界史における証言として、8.5以外の数字は出てこなかった。
スコア詳細
当時の記憶——PC-98の黄昏に現れた異形の構造
1995年11月。PC-98の全盛期から衰退期への移行が始まりつつあった頃じゃ。
当時の「標準」を知っておかねば、この作品の異常さは分からん。1995年前後の市場では、主人公は一人。物語は線形か、選択肢による分岐が数本。「A系とB系が並走し、プレイヤーが任意に往来する」などという設計は——それ以前に存在しておらんかったのじゃ。
わしはEVE burst errorを手に取って、マルチサイトシステムが動き出してすぐに確信した。「これはゲームの読み方そのものを変えようとしておる」と。A系で小次郎が掴んだ情報が、B系のまりなの行動の意味を変える。まりなが聞いた台詞が、小次郎側に戻った時に別の重みを持つ。情報の非対称性を、メカニクスとして実装した。これをPC-98の時代にやり切った。
当時、「バーストエラー」というタイトルの意味を最後まで引っ張り続けておく設計も上等じゃった。プリシアを拾った夜から始まるA系の軽口と、まりなの公務という義務感から始まるB系の緊張。この「空気の差」を最初から保てておる書き手は、当時から稀じゃった。
Hシーンの扱いについては当時から一言あった。シリア=フラットの最初のシーン——状況の力学と緊張感は機能しておるが、本編全体のトーンから見てやや浮く。弥生の二つのシーンは復縁・感情の積み上げと繋がっており、これは水準を満たしておった。まりなのシーンは「オジサマ」との感情線の到達点として機能しておる。問題は深度の不均一さじゃな。全体として「本編と切り離されていない」という点では合格じゃが、一様ではない。
再プレイして——真弥子の正体と、True Endの設計を今の目で見る
久しぶりに読み返した。真弥子の正体を知った上で最初から読み直すと——別の作品になる。
御堂真弥子。表向きはエルディア大使の娘。外国人学校の生徒。慢性の「糖尿体質」を抱えた少女。しかし正体は——μ-101有機ヒューマノイド。プリシアの遺伝情報を元に培養液で急成長させた人造体であり、前国王の意志を継ぐ存在じゃ。実年齢は1歳。
「完成された[μ-101]有機ヒューマノイド……それがお前だ」という台詞が語られるのはTrue Endルートの中じゃ。この言葉が来る前に、真弥子が日記を書き続けておるシーンを何度も読んでいる。「今日は学校で……」という普通の少女の日記が——True Endで読み返した時に、まったく別の意味を持ち始める。この積み上げは再プレイで初めて分かる設計じゃ。初見では普通の日記に見えた。2周目以降、全部が伏線に変わる。
まりなの「オジサマ」——鈴木源三郎と名乗っていた初老の紳士の正体は、桂木源三郎じゃ。小次郎の師匠であり、弥生の父。「鈴木源三郎は、戸籍上存在しない」という事実を、まりなが自分で突き止めるシーンの静かさが好きじゃ。激情せず、静かに「分かった」と受け入れる。その後に「第2機関室の爆発」が来る。源三郎とシリアの最期——この落差が、まりなを「もうこれ以上、誰も死なせない!」という台詞に至らせる動力になっておる。
天城小次郎とプリシアの関係描写も、再プレイで見直した。拾った金髪の小娘を「プリン」と呼んで頭痛薬を買いに行ってやる男が、物語の最後に「親代わり」のような立場になる。この関係の積み上げ方は、当時も今も上等じゃ。
ヒロインとして見た時、真弥子の造形が最も深いのは明らかじゃ。実年齢1歳でありながら少女の外見と意識を持つ存在が、自己犠牲を選ぶ——その選択の意味は、「人造人間と人間の境目」というテーマに接続しておる。ただし、他のヒロイン——シリア・アクア——の描写深度と比べると差がある。そこが「8」止まりの根拠じゃ。真弥子ひとりに9が付いても、群としては8じゃ。
時間の審判——True Endの設計は今も有効か
「残るか残らないか」——わしの審判はいつもここに帰着する。
EVE burst errorは——残る。31年経って、確信は揺らいでおらん。2016年にはリメイク版「EVE burst error R」が、2022年にはシリーズ新作「EVE rebirth terror」が世に出た。リメイクされ、さらに新作まで生まれた——市場がこの作品を「まだ有効だ」と繰り返し判断してきた証拠じゃ。
True End(Ending III)は、A系とB系を両方走り切った後に解放される。この条件設定自体がテーマの一部じゃ。「どちらか一方だけでは辿り着けない」——それがこの作品の言いたいことそのものじゃ。Ending I(A系のみ完走)はバッド相当。Ending II(B系のみ完走)もバッド相当。二人の視点を統合して初めて、真弥子の存在と結末の全体像が見える。
真弥子が「結婚して」と小次郎に告げ、小次郎が「わかった……」と答えるシーン——この告白が成立するのは、船倉の密室という閉じた時間の中じゃ。その後に自己犠牲が来る。トリスタン号の機関室爆発。真弥子が自分の存在を消すことで、物語は完結する。
……再プレイして、あのシーンでわしの何かが動いた。500年生きていると、こういうことは滅多に起きない。動かされた理由を分析すると——「この少女は何者なのか」を知った上で読んでいるからじゃ。初見では「告白と死」として読んだ場面が、再プレイでは「人造体が初めて人間として扱われ、人間として逝く」場面として機能する。これは設計の勝利じゃ。「おお。まだあったか」と思った。
エンディング満足度に9を付けた根拠はここじゃ。True Endのプリシア戴冠とその後の含み——小次郎・まりな・弥生がそれぞれの場所に戻っていく静かな収束——これは感情的な解放とテーマの収束が同時に訪れる構造じゃ。まりなが弥生に泣きつく「わぁぁぁぁぁぁぁっ!!」からTrue Endの静かな結末への落差。そのリズムが機能しておる。
テーマに8を付けた。「秘密と真実のすれ違い」という問いは今でも有効じゃ。ただ——μ-101という人造人間のテーマが、物語の構造として十分に活かし切れているかどうか、と問われると若干の詰めが甘い。真弥子が「人造体であること」に苦しむ場面のテキスト密度がもう少しあれば、9に届いたじゃろう。一段足りなかった。そこが8の理由じゃ。
業界史の中で——マルチサイトシステムの血脈
歴史的意義に9。唯一無二性にも9。両方が最高点に近い作品は、わしの500年の経験の中でも少ない。
マルチサイトシステムの系譜じゃ。EVE burst errorが1995年に示した「複数視点の並走交差」というコンセプトは、後のKIDインフィニティシリーズに受け継がれた。Never7(2000年)・Ever17(2002年)・Remember11(2004年)——複数視点が交差することでしか見えない真相、というコンセプトはここで開花した。Ever17が世界規模で評価された時、その血脈の起点がEVEにあることをわしは知っておった。後の制作者がここから学んでおる——それはわしには見える。
菅野ひろゆき(剣乃ゆきひろ)がEVE burst errorで何を達成したかを業界史として記録しておく。二人の主人公を「別人の文体」で書き分けること。謀略小説の文法とゲームのメカニクスを接続すること。そして——「エンディングの到達条件そのものをテーマにする」という設計。これはEVE以前には成立していなかった。
セガサターンマガジンの読者調査で全1,156タイトル中1位。ErogameScapeの中央値は87(660件)。これらの数字は「当時の評価」じゃが——内藤寛(打越鋼太郎)が「暴力的に叩きつけられた」と証言し、後にEVE new generationのシナリオを担当したことは「業界史への影響」の証言として記録に値する。
ゲームライター・葛西祝は菅野ひろゆきの2012年追悼記事で「STEINS;GATEやまどか☆マギカが当たり前のように使うストーリーテリングを1995年に実現した」と述べた。これは正しい。ゼロ年代以降に「当たり前」になった技法を、1995年のPC-98の時代に実装した。後の10年を変えた一本じゃな——などと言うと過大かもしれんが、変えようとした意志は確かにある。そしてその意志は、KIDを経由して実際に後続に届いた。
「1995年。マルチサイトシステムを初めて見た時の感覚は、今も消えておらんぞ。後の〇〇がここから学んでおる——わしには見える。」
— マルチナ
8.5。これは残るぞ。500年後も、業界史の記録の中に刻まれておるはずじゃ。
