海の底の数字が、どれも調べると本当に合う。
水深51メートルの海中テーマパークで浸水事故が起き、閉じ込められた人たちが脱出の手を探す。気圧や潜水の数字、ドイツ語の名札、幻の大陸の学説史まで、持ち込まれた知識の多くが調べると裏づけの取れるものだった。前の作品で薄いと感じた舞台の外側も、今回はちゃんと厚い。生物学の設定にいくつか食い違いが残ることを差し引いて、8.5だよ。
スコア詳細
館内は6気圧、という一行に釣られた
テーマパークの館内が6気圧の混合ガスで満たされている。プロローグのこの説明で、ぼくはこの作品を最後まで遊ぶことに決めた。
KIDの『Ever17 -the out of infinity-』。2002年のinfinityシリーズ第2作で、ぼくはシリーズ第1作のNever7も遊んでいる。今回遊んだのはドリームキャスト版(2002年)。この作品は後にシナリオを書き直したリメイクが出ていて、2025年のリマスターもそちらの本文だから、ここで話すのはあくまで2002年の版の中身だよ。
舞台は東京都駒ヶ原諸島M島の沖16キロ。洋上の人工島インゼル・ヌルと、その真下の海中テーマパーク「LeMU」だ。水深17メートル、34メートル、51メートルに三つの階が沈んでいる。5月の連休に停電と浸水事故が起き、数人が館内に閉じ込められる。外との通信は途絶え、上へ出る非常階段も隔壁で塞がれた。案内役の茜ヶ崎空は、5月7日の午前4時30分前後に施設が完全に潰れると告げる。
視点は二人。友人とはぐれて館内をうろついていた大学3年の倉成武と、救護室で目を覚ましたとき自分の名前も年齢も思い出せなかった少年だ。プロローグの最後に、どちらの一人称で続けるかを選ぶ。
海の中の施設が舞台の作品は、たいてい水圧も減圧もふんわりと済ませる。だから半分は疑っていた。やってみて、疑いはほとんど外れた。何を下敷きにしているのか、謎の中身に触れない範囲で見ていきたい。
水深と気圧の数字が、ちゃんと合う
最初に電卓を出したのは、気圧の数字だった。
海水の中では、10メートル潜るごとにおよそ1気圧ずつ水圧が増える。水面の大気圧1気圧を足すと、水深51メートルの最下層はだいたい6.1気圧になる。館内を6気圧に保つ、という係員の説明は、いちばん深い階の外の水圧とほぼ釣り合う値なんだよ。入館者が加圧室で17分かけて体を慣らすのも、急に圧を上げれば耳や体を傷めるからで、理屈が通っている。
係員は「ところで、このLeMUは、飽和潜水仕様の設計になっています」と言う。飽和潜水というのは、潜水士の体を高い気圧に慣らしきってしまう、実在の潜水の方法だ。そのうえで「内部の気圧を高めているので、このLeMUが水圧によって押し潰されることは絶対にあり得ないのです」と胸を張る。内側から押し返して外殻を守るという理屈そのものは正しい。だからこそ、この断言が物語の最初の皮肉になる。
音声変換機の話もいい。「LeMUの中にはヘリウムガスが充満しているので、この変換機を耳につけていないと、アヒルのような声に聞こえてしまうのです」。深い潜水でヘリウムを混ぜたガスを吸うと声が甲高くなるのは、実際の現象だ。武がこれを外して遊ぶ場面まで用意してある。事故のあとは、急な減圧で血の中の窒素が泡になる減圧症が最初の脅威として語られる。空が、水深51メートルから自力で泳いで出るのは「15階建てのビルの屋上まで泳いで登るのと同じこと、です」と説く場面も、1階あたり3.4メートルで計算が合う。物理の数字が、閉じ込めの重さをそのまま支えているんだよ。
ドイツ語の名札と、幻の大陸の学説史
LeMUの中の名前は、ほとんどがドイツ語だ。しかも、ちゃんと意味が通る。
係員は「インゼルは島、ヌルはゼロという意味のドイツ語です」と説明する。その下のエルストボーデン、ツヴァイトシュトック、ドリットシュトックは、ドイツ語で一つ目の床、2階、3階にあたる言い方だね。中性浮力式のエレベーター「アイ」は、ドイツ語で卵を意味する Ei。クラゲ型のゴンドラ「クヴァレ」は、クラゲの Qualle だろう。3階には、ヒンメルという名の開かない扉がある。ドイツ語の Himmel は空と天国の両方を指す語で、ぼくはこの扉の名札を見た時点で、少し身構えた。何に身構えたかは言わないでおく。
レムリアという器
LeMUの表向きの由来は、幻の大陸レムリアだ。プロローグの地の文が、イギリスの動物学者スクレーター、地質学者ブランドフォード、ドイツの動物学者ヘッケルと、学説史を順に紹介する。調べてみると、この三人の並びは実際の学説史どおりで、キツネザル(レムール)の分布を説明するために陸橋を想定した話が、のちに大陸説として膨らんでいったものらしい。マスコットの着ぐるみ「みゅみゅーん」がキツネザルなのも、そこから来ている。そのうえで作品は、LeMUという名前にもう一つ別の由来があることを、早い段階で明かす。日独合弁の製薬会社ライプリヒ製薬の名前だ。雰囲気で古代文明を借りたのではなく、学説の素性を知ったうえで、表の看板として使っている。この使い方は誠実だと思う。
第3の眼と松果体
少年の道では、「第3の眼」の伝承が話題にのぼる。ヨガの眉間のチャクラ、密教の虚空蔵菩薩求聞持法と、宗教の側の話を並べたうえで、一部の動物には頭頂眼という眼に似た器官が実在し、人間ではそれが退化して松果体として残っている、という生物学の話につなぐ。トカゲやムカシトカゲの頭頂眼は本当にあるし、松果体が体内時計に関わるのも事実だ。伝承と生物学を同じ語の下に並べる手つきが、この作品の語り口そのものになっている。
海月の虚空に、季語がひとつ多い
この作品でいちばん教養の使い方が冴えていたのは、一句の俳句だった。
少年の道で、管理システムに入るための合言葉らしきものが、プリンタの不調で潰れた紙に印字されている。少年が「わかった! ほらっ、こうやって紙を寝かして見れば……」と紙を寝かせて読み取り、優が「たぶんこれは、正岡子規の俳句『水無月の虚空に涼し時鳥』をもじったものだと思う」と見抜く。真上からではなく横から見ないと読めない紙、という小道具がいい。視点を変えないと見えないものがある、という感触が、こんな小さな場面にまで行き渡っている。
印字されていた句は『海月の虚空に秋涼し時鳥』。季語を数えてみると、引っかかるところが一つある。元の句は夏一色なんだよ。もじった句のどこがずれていて、そのずれが何を指すのかは、クリアしてから数えてみてほしい。俳句の作法を知っているほど、あとで効いてくる一字がある。
ほかにも、優が語るピグマリオンの神話がある。自分で彫った像に恋をした王の願いが、女神アフロディテによって叶えられる話で、優はそこから、期待が相手を変えるというローゼンタールのピグマリオン効果にまで話を広げる。オウィディウスの『変身物語』で知られる神話と、教育心理学の実験。古典と現代の心理学を一続きに語る手つきは、ぼくの好きな種類のものだ。
YとW、それからΨ
三日目に空が武に向けてする講義は、授業として聞いてもかなり面白い。
空は、同じ由来から分かれた二つの存在は、無関係な2本の線のWではなく、根元の一点でつながったYの形をしている、と説く。枝分かれした先にいる者は、もう一方の枝の自分に気づけない。一段上の次元に出て初めて、自分がYの字の一部だったと分かる。3次元から4次元へ上がると、Yの字はΨの字になる、とも言う。そして「私は――遍在している」と結ぶ。
面白いのはここで、Ψは量子力学で波動関数を表す記号なんだよ。分かれた自分たちを一段上から同時に見る、という図は、多世界解釈と呼ばれる考え方の絵を思わせる。空がそこまで言うわけではないし、作品も物理の講義として押しつけてはこない。ただ、選んだ記号が偶然とは思えない。ギリシャ文字一つに、物理の一分野の匂いを忍ばせている。こういう細部があると、ぼくは講義の場面でも退屈しない。この講義が物語のどこにつながるのかは、クリア後に考えてみてほしい。
前の作品の島と比べて、舞台の外側が厚い
Never7のとき、ぼくは世界の奥行きに6を付けた。島の外の世界が見えない、と書いた。
前の作品は、絶海の孤島のゼミ合宿が舞台で、持ち込まれる知識も精神医学と物理を中心に、島の中で完結していた。素材は少ないけれど、組み合わせ方が新しい。それが前の作品の良さだった。この作品は違う。館内の設備の一つ一つに理屈があり、その外側に、施設を運営する会社、その筆頭株主の製薬会社、海上の人工島と救難の体制が控えている。主人公の見ていない場所にも、ちゃんと世界が続いている。今回は世界の奥行きに9を付けた。点がこれだけ動いた理由は、そこに尽きる。
共通しているところもある。どちらの作品も、登場人物が講義のような長い説明をする。前の作品ではそれが物語の速度を落とすと書いたし、この作品でも、空や優の説明はかなり長い。ただ、この作品の講義は、後になって全部効いてくる。説明が飾りで終わらない。文章力・描写力に8を置いたのはそのためだよ。前の作品と続けて遊ぶと、語の使い回しや名前の響きに、思わずにやりとする場面もある。物語も人物も別だけれど、何がどう響き合うかは、クリアしてから確かめてほしい。
ちょっと残念なのは、終盤の生物学
設定の整合性は7で止めた。
この作品は、物語の後半で、ある生物学の仕組みをかなりはっきり言い切る。言い切ったうえで、その仕組みと合わない出来事がいくつか残る。説明されないまま終わる食い違いもあるし、医療の常識からするとSFとして飛躍している数字もある。どれも物語の根本を壊すほどではないけれど、気になって調べてしまった人間としては、もう一歩詰めてほしかった。具体的にどこかは、もう一本のほうで挙げた。
もう一つ、これは知識とは別の話になるけれど、序盤から中盤にかけて、閉じ込められた人たちの暮らしがかなり長い。食事を作り、遊び、言い争う日々に、理屈の講義が挟まる。ぼくは講義の場面が嫌いじゃないから楽しめた。ただ、急いで先を知りたい人には、長く感じるかもしれない。
8.5——調べるほど、海の底が深くなる
持ち込まれた知識の幅が広く、そのほとんどが雰囲気で借りたものではなかった。
飽和潜水と気圧の計算、ヘリウムの声、ドイツ語の名札、幻の大陸の学説史の使い方、第3の眼と松果体、子規のもじりとピグマリオン。前の作品で薄いと感じた舞台の外側が、今回はちゃんと厚い。エンディングにも9を付けた。前の作品で、答えの置かれない謎に不満を書いたぼくとしては、この作品の終わり方は素直に嬉しかった。終盤の生物学にいくつか食い違いが残ることを差し引いて、8.5だよ。プレイを終えてから、ぼくは潜水の気圧表と、ドイツ語の辞書を引き直した。それだけで、この作品をやった意味は十分にあった。
