氷室栞のレビュー — 遺作

氷室栞
氷室栞
設計を読む
7.3/10
7.3 / 10

閉じた校舎を一階ずつ降りていく脱出と、密室の謎を当てる推理。二つの仕掛けを同じ探索で兼ねさせた組み方を評価した。

先に断っておく。私は鬼畜も純エロも苦手で、加害そのものに点を甘くする趣味はない。だからこの作品も、内容ではなく構造だけを抜き出して見た。エルフが1995年に出した、鬼畜系サスペンスの原点とされる一本。閉じ込められた旧校舎を五階から一階へ降りていく脱出と、館を徘徊する何者かの正体を当てる推理。この二つを同じ密室で走らせる組み方に、構造を読む人間として最初から興味があった。結論から書くと、設計の射程は長い。ただし設計に最適化された分、人物が薄い。そこが惜しい。総合7.3。

スコア詳細

プロット構成力 8
伏線と回収 8
ルート・分岐設計 8
テーマ・メッセージ性 7
エンディングの満足度 7
主人公の造形 6

脱出と推理が同じ校舎に同居している

遺作は、閉じ込められた密室からの脱出と、敵の正体を当てる推理を、一つの校舎の中で同時に走らせている作品だ。その器の作り方に最初から興味があった。

1995年、エルフのリリース。鬼畜系サスペンスアドベンチャーと銘打たれ、後の伊頭家シリーズの第一作にあたる。主人公は桜蘭学園に通う最終学年の生徒・小暮健太。推理小説とパソコンに親しむ、好奇心の強い少年だ。ある登校日の夕方五時、健太は差出人不明の手紙で、普段使われていない旧校舎の五階・音楽室へ呼び出される。彼のほかにも何人もの生徒と担任教師が、それぞれ別々の手紙で同じ部屋に集められていた。

全員が揃った直後、鳴るはずのない校舎のチャイムが鳴り響き、扉に鍵がかかる。窓には外から板が打ちつけられ、出入口は施錠されている。閉じ込められたと気づいた一同に恐怖が走る。校舎の中には、館の主のように徘徊する何者かの気配がある。健太は機械油や錆びた鍵を集め、仕掛けを解いて各階の扉を一つずつ開けながら、五階から下の階へと脱出路を探っていく。だがその間に、仲間が一人、また一人と姿を消していく。

私がこの作品に手を出したのは、それが「脱出ゲームの形をした推理もの」だと聞いていたからだ。普通の鬼畜系は加害を見せることが目的になる。だがこの作品は、密室の物理的な脱出と、徘徊する敵が誰なのかという推理を、同じ探索の中で兼ねさせていると。冒頭に置かれた「誰も定められた運命から逃れる事はできない」という一文が、どう構造に効いてくるのか。以下、何が起きるかは伏せたまま、この作品の設計への着眼点だけを。

謎と情報の配置——逆説で組まれた脱出

この作品の本体は、脱出の達成と「見せ場」の回収を真っ向から相反させた設計にある。

具体的な中身は伏せるが、構造の感触だけ言う。遺作には、健太が謎を上手く解いて速く動くほど、ある種の見せ場が解放されないという逆説が組み込まれている。逆に手間取れば、それが解放される。つまり「上手くプレイすること」と「全部を見ること」が原理的に両立しない。これは尋常な作りではない。普通のこの手の作品は、過激な場面を見せることが目的化してプレイヤーの操作と一致する。ここでは逆だ。プレイヤーが優秀であるほど、見られるものが減っていく。加害を消費させるという、このジャンルの構造そのものへの批評にすらなっている。正直、感心した。これは巧い。

情報の配置も丁寧だ。序盤は、ただ不気味なだけの装飾に見えるものがいくつも校舎に置かれている。各階の扉に書かれた赤い文字、バラバラの形で届いた呼び出しの手紙、館に響く奇妙な気配。これらが一周進めるうちに、すべて一つの意図のもとに配置されていたと判明していく。背景の不気味さに見えたものが、終盤で犯人を指す証拠に変わる。露骨に説明しないまま、世界の手触りの中に手がかりを溶かし込んでいる。情報配置の精度が高い。

推理を担うのは、健太とともに探索する才女・榊美由紀だ。彼女が閉じ込めの仕掛けそのものを論理で組み立て直す場面は、本作で一番ミステリらしい瞬間だった。密室がなぜ密室になったのか、その前提を内側から覆す。学園と密室と推理が、ここで噛み合う。何が解かれるかは、ぜひ自分の目で確かめてほしい。

真相の組み立て方——回収を二段に分ける

伏線回収のタイミングで、この作品は一番大胆な手を打つ。

詳しい中身は書けないが、組み方だけ言う。遺作の真相は一段で終わらない。まず読み手に「これが答えだ」と思わせる重い真相を一つ提示する。普通の作品なら、ここで幕を引く。だがこの作品は、その答えが出たところでもう一段ひっくり返す。一段目で確定したと思った事実が、二段目で別の形に移される。しかも一段目の回収がなければ、二段目の衝撃は成立しない。つまり一回目の回収そのものを、二回目のためのミスリードとして使っている。伏線を二回に分けて配置し、一回目の納得を踏み台にして二回目で覆す。この置き方は巧い。

背景にある設定の使い方も無駄がない。この校舎で起きたことには社会的な土台があって、たった一つの不正が、複数の謎を同時に支えている。なぜ敵がこの立場でいられたのか、なぜある人物が巻き込まれたのか。別々に見える疑問が、一個の前提で一気に腑に落ちる。設定を一つ置いて二つの謎を支える。経済的だ。風呂敷を広げて回収しない作品が多い中で、この作品は広げた分をきちんと畳む。

一年前の未解決事件という前史を背骨に置いているのも効いている。閉じ込めの現在進行形の恐怖と、一年前から続く因縁が、終盤で一本に束なる。現在の密室を解くことが、過去の事件を解くことに直結している。時間の異なる二つの謎を、一つの真相で同時に閉じる。骨格として整っている。

エンドの設計——分岐が全体を照らすか

この作品はキャラ別の恋愛分岐ではなく、脱出の成否を起点に複数の結末へ枝分かれする。各エンドがどう全体を照らすかを見た。

分岐の起点は一点に集約されている。終盤のある場所が、捕縛・破滅・生還という複数方向への分岐点として機能していて、誰を伴って、どう動くかでその先が変わる。分岐をあちこちに散らさず、最終局面の一点に集めて意味を持たせる。組み方として整っている。プレイ順と選択に意味があり、選択肢が飾りになっていない。

結末で私が一番この作品らしいと感じたのは、生還した後に置かれたビターな後日エンドだ。中身は伏せるが、脱出に成功して事件が終わっても、物語は美しく閉じない。冒頭の「扉を開けてしまう」というテーマが、ここで円環として閉じ直される。逃げ切ったはずなのに、運命の輪からは出られない。喪失の余韻を残すこの結末が、テーマの最終確認になっている。逃げていない。ここは強い。

一方で、救いを置く方向の成就エンドは、構造から少し浮く。物語として救済を用意したいのは理解できる。だが、この作品が積み上げてきた脱出構造とテーマの力学からは、その救済が別の論理で付けられているように見える。商品としての要請なのだろうが、構造の一貫性という点では、ここで線が一度切れる。ビターエンドの円環と同じ重さで設計に組み込まれていれば、結末群の全体がもっと締まったはずだ。もったいない。

「扉を開けてしまう」テーマと、駒として消費される人物

テーマの一貫性は高い。だがその一貫性が、人物を犠牲にしている。ここははっきり言う。

遺作を貫くテーマは、冒頭の詩に集約されている。不幸が待つと知っていても、人は操られた人形のように扉を開けてしまう。健太を操作して鍵を集め、扉を開けて進めるという行為そのものが、このテーマと一致している。脱出のために扉を開けるのに、開けるほど運命に近づく。プレイヤーの操作とテーマが噛み合っている。軽いテーマではあるが、最初から最後まで貫徹していて、途中でぶれない。テーマ設計として整っている。

問題は人物だ。主人公・健太は推理力と観察眼を持ち、設計上は「謎を解く者」として必要な能力を備えている。だが一人の人間としては受け身だ。物語を能動的に動かすのは推理役の美由紀のほうで、健太は探索の操作を担う器に近い。彼自身の倫理が明確に出る場面は終盤に一つあって、そこは良かった。だがそこに至るまで、主人公の内面は薄い。構造の駒として機能はするが、人物としての厚みでは美由紀に劣る。この評価で6だ。

誤解のないように言う。これは私が鬼畜が苦手だから減点しているのではない。加害の不快さは、私の評価軸では加点も減点もしない。問題は構造上の話だ。脱出と推理に最適化された設計が、人物の内面を回収しきれていない。校舎に集められた人物たちは、謎解きの報酬または罰として配置され、内面を掘る余地が削られている。脱出と推理の骨格があれだけ精密なのに、その骨格に肉付けされるはずの人物が薄い。設計の達成と人物の犠牲が、同じ作品の中で同居している。惜しい。

7.3——脱出構造の達成と、人物の犠牲

最後に総評を。

遺作の本体は、閉じた校舎を縦に降りる脱出と、密室の真相を当てる推理を、同じ探索で兼ねさせた構造にある。冒頭の「扉を開けてしまう」という詩を操作系にまで貫き、謎を解くほど見せ場が減る逆説を仕込み、真相の回収を二段に分けて一段目を二段目のミスリードに使う。そしてビターな後日エンドで、円環を閉じる。プロット・伏線・分岐の三点で、私はこれを高く評価した。鬼畜系サスペンスの原点と呼ばれるだけの骨格はある。

弱点も整理しておく。第一に、脱出と推理に最適化された設計が、人物の内面を回収しきれていない。第二に、救いを置く方向の成就エンドが、テーマと別の力学で付けられていて、構造の一貫性を一度切る。この二点が、もう半歩上に行けなかった理由だ。

業界史の中での位置付けで言えば、遺作は鬼畜系サスペンスという系譜の起点に置かれる。だが私が評価したのはその看板ではなく、脱出と推理を同じ密室で走らせ、プレイヤーの優秀さと見せ場の回収を相反させた、その一手の射程だ。加害の不快さに点を甘くしたつもりはない。構造だけを抜き出して、なお巧いと言える。それが7.3を付けた理由だ。あと一歩、人物に肉が付いていれば、もう半歩上だった。そこが惜しい。何が解かれ、何が覆されるかは、ぜひ自分の目で確かめてほしい。