1999年。「こんな泣かせ方があるのか」——雪の街で業界が震えた、あの一作じゃ。27年分の雪が積もってなお、震えはまだ消えておらん。
1999年6月。Tactics ブランドの最終作にしてKeyの原点。前年のONE〜輝く季節へ〜の手付きを引き継ぎながら、超常的な設定を純愛ADVに正面から持ち込んだ作品じゃ。当時の業界にとっては衝撃じゃった。妖狐、幽体、無意識の具現化——こういう設定を恋愛物に組み込んだ前例は多くない。27年経って再びディスクを回した。残ったもの、削れたもの、両方じゃ。後のAIR、CLANNADの源流がここにある。
スコア詳細
1999年、雪の街の話——小さなブランドの一本を、前作ONEの縁で見届けた
まずは雪の降り続ける、あの地方都市の舞台から書こう。
1999年6月、Tacticsという小さなブランドから出た恋愛ADVじゃ。プレイしたのはPC版(ボイスなし)。前年のONEを書いた同じ顔ぶれの次作と聞いて、わしはその縁でこれを手に取った。当時はまだ、この一本がジャンルの起点になるとは誰も思っておらん。雪の降り続ける地方都市が舞台で、主人公の相沢祐一という高校2年生が、7年ぶりに親戚の家に下宿することから物語が始まる。下宿先は水瀬名雪——祐一のいとこで陸上部、朝に異常に弱い少女じゃ。物語は1月7日から始まり2月1日前後で終わる、約一ヶ月の冬の話じゃな。
攻略対象のヒロインは5人。名雪、リュックを背負った謎の少女月宮あゆ、記憶のない居候沢渡真琴、夜の校舎で剣を振る無口な川澄舞、舞の親友で明るい倉田佐祐理、病弱な美坂栞。共通ルートでこの5人と並行して関わり、ヒロイン別ルートに分岐するマルチエンディング構造じゃ。
シナリオは久弥直樹と麻枝准の分担。両名は前年1998年に同じTacticsからONE〜輝く季節へ〜を出しておる。Kanonはその次作で、Tactics名義の最終作にしてKeyの誕生作じゃ。本作の直後、Tacticsから分離してKeyが立ち上がり、AIR(2000)、CLANNAD(2004)と続く。後の10年の「泣きゲー」というジャンルの原点が、ここに置かれておる。
「こんな泣かせ方があるのか」——1999年の業界の震え
まずは当時の業界の感触から。
1999年、エロゲー業界はLeafの東鳩(1997)が起こした「マルチエンディング・キャラ攻略」の波の只中におった。同年には先輩のTo Heart 派生作品が並び、純愛ADVが「ヒロインを選んで個別ルートを回る」という遊び方として固まりかけておった頃じゃ。各社が同じフォーマットで似た方向のものを量産しておった時期じゃな。
そこへKanonが投げ込まれた。何が衝撃だったか——超常的な設定を純愛ADVの主軸に据えた点じゃ。本作のヒロインたちには、現実の論理では説明できない事情が一つずつ与えられておる。詳しくはネタバレあり版で書くが、当時のエロゲープレイヤーが慣れ親しんだ「学園恋愛もの」の枠組みに、ファンタジー要素を正面から組み込んだ作品は多くなかった。前年のONEも超常を扱っておったが、Kanonでは各ヒロインに一つずつ秘密が割り振られておって、構造がより明確じゃった。
そして泣かせ方の方法論じゃ。本作は5ルート全てで「ヒロインの秘密の解明→悲劇→奇跡」という三段階の骨格を共有しておる。共通ルートで違和感を積み、ヒロイン別ルートで祐一が忘れていた過去の記憶を取り戻し、秘密が明かされ、最後に奇跡が起きる——この型を5回反復した。当時のわしの感想は「こんな泣かせ方があるのか」じゃった。型として完成しておった。後のKey作品が同じ型を繰り返したことを思えば、本作が泣きゲーというジャンルの方法論を確立したのは間違いない。
もう一つ。冬の街、雪、夕焼け、廃墟ではない日常——こういった舞台設定の選び方もKanonが定着させた型じゃ。後のAIRの夏の海辺、CLANNADの坂道の街と並んで、Key作品のビジュアル設計の起点になった。
27年後に再プレイして——残ったもの、削れたもの
27年ぶりに通しでさらい直した感触はこうじゃ。
……残っておった。真琴ルートの終盤、丘の上で祐一が彼女に告げる「結婚しようか、真琴」の場面じゃ。500年生きておると、こういう短い一言が時間を越えて来るのは珍しくはない。じゃが珍しくはなくても、心は動く。あれは構造で泣かせる場面じゃ。麻枝准の最良の仕事の一つだと、当時も今も思っておる。
栞ルートも残っておった。姉の香里が妹の病から目を背けて「妹なんていない」と言い切る場面の冷たさ。それが嘘だと分かる場面の重さ。久弥直樹の抑制された筆が、姉妹の屈折した感情を丁寧に積み上げておる。再プレイで改めて文章力の高さを確認できた。
逆に削れたものもある。共通ルートのテンポじゃ。1月7日から16日前後まで、5人のヒロインと並列に関わる時間が長い。当時のエロゲープレイヤーは日常パートを長く読む耐性があったが、今は違う。本題に入るまでの助走が、現代の感覚では重い。これはONEから引き継がれた弱点で、Kanonでも改善されておらん。
もう一点削れた部分がある。Hシーンの配置じゃ。本作はHシーンを持つ18禁原作じゃが、配置がテーマと噛み合わない場面が多い。秘密が明かされた前後や、感情的なピークの直前に挿入されると、流れが一度切れる。当時から「浮いておるな」と感じておったが、再プレイで印象は変わらなかった。1999年という時代の業界事情——成人向けである以上はHシーンを入れねばならぬという制約——の中で書かれておるのは理解できるが、構造としては惜しい。
分岐の難しさも残っておった。攻略なしで進めると、目当てのヒロインのルートに入れずに汎用エンドに落ちる場面がある。選択肢の意味が見えづらく、複数ヒロインのフラグが競合する仕組みじゃ。共通ルートが長いことと組み合わさると、攻略なしでは消耗する体験になる。当時のわしは攻略を見ながら進めた覚えがある。今の若い者には更に厳しいじゃろうな。
時間の審判——真琴ルートは27年生き延びた
時を経ても有効か。中間的な判決を下すとしよう。
本作のテーゼを一言で言えば「奇跡」と「過去の約束」じゃ。各ルートで祐一が忘れていた過去の約束が掘り起こされ、その清算として奇跡が起きる。このテーゼ自体は、わしから見れば手垢のついた問いの組み合わせじゃ。500年も生きておると、似た問いを掲げた物語には何度も出会ってきた。
じゃが本作のテーゼは、装置によって命を吹き込まれた。具体的な装置の正体はネタバレあり版で書くが、ヒロインたちに割り振られた「秘密」が、テーゼと完全に噛み合うように設計されておる。「過去の約束を思い出すこと」と「秘密が解けること」が同時進行する仕掛けじゃ。テーゼと装置が一致しておるからこそ、骨格が同じでもルートごとに違う感情が立ち上がる。
真琴ルートは特に強い。あの「消えていく相手と最後まで居る」という結末は、27年経っても削れておらん。麻枝准の真琴を書いた手付きは、後の彼の代表作の感情ピークの作り方の原型じゃ。AIRの観鈴、CLANNADの汐——あの系譜の出発点が真琴にある、と読んでおる。
栞ルートも強い。久弥直樹の香里描写は、本作の中で最も文章として完成度が高い。妹の死を恐れて距離を取る姉、という設定を、感情に振り切らずに丁寧に書いた仕事じゃ。久弥の代表的な仕事の一つだろう。
逆に時間に試されたのは舞ルートと名雪ルートじゃ。舞ルートの「自分の影との戦い」というテーマは設計として面白いが、終盤の説明的な台詞が当時から気になっておった。今読むと、もう少し抑制された描写の方が良かったと感じる。名雪ルートは超常を持たない心理劇じゃが、ルート単体としての強度は他に比べて弱い。バランスを取るための配置という色が強く、独立した感動には届かない。あゆルートは本命じゃが、答えが共通ルートで露骨すぎて、構造の予測可能性が感情を一部相殺しておる。
業界史の中で——Keyを生んだ作品、後のAIRはここから学んでおる
本作が業界に残したものはこうじゃ。
Kanonは、Keyというブランドの誕生作じゃ。発売直後にTacticsから分離してKeyが立ち上がり、翌2000年にAIR、2004年にCLANNAD、2007年にリトルバスターズと続く。後の10年のKey作品群が、本作で確立された方法論の上に立っておる。
具体的に何が継承されたか。一つは「ヒロインの超常的な秘密」というフォーマット。AIRの観鈴、CLANNADの汐、リトバスのクド——どれも程度の差はあれ、現実の論理では説明できない事情を抱えておる。これはKanonで型として整理された。二つ目は「奇跡」という結末の手付き。AIRの「青空」、CLANNADの汐の場面——いずれも「奇跡的な解決」がKanonの真琴・栞ルートの延長線上にある。三つ目は冬・雪・廃墟ではない日常の街、というビジュアル設計。これはAIRの夏に対する冬としてKanonが定着させた型じゃ。
方法論の確立という観点で言えば、本作の業界史的な意義は動かない。ONEで原型を組んだ二人——久弥直樹と麻枝准——が、Kanonで型を整理した。整理された型がKeyに引き継がれて、後の作品群に展開した。原型はONEにあったが、形として整えたのはKanonじゃ。
もう一つ業界に残したものがある。「泣きゲー」というジャンル名じゃ。この言葉が業界用語として定着したのは、AIR以降じゃが、その対象作品としてKanonは必ず挙げられる。「ジャンルの最初期の代表作」として認識されたことで、本作はジャンルの定義そのものに組み込まれた。一作品が一ジャンルを規定するというのは、長く生きていてもそう何度も見るものではない。
逆に、本作が引き継がせなかったものもある。「5ヒロイン並列の共通ルート」という構造じゃ。KanonからAIRに移る際に、Keyは並列マルチの形式を一旦放棄する。これはKanonの分岐設計の弱点を踏まえての判断だったと、わしは読んでおる。共通ルートが長すぎる、分岐が見えづらい——これらの問題がAIRでは構造そのものを変えることで解決された。Kanonの弱点が次作で乗り越えられた、という業界史的なつながりも見える。
8.0——歴史を作った作品の重さと、時に削られた装飾
最後に判決を下すとしよう。
「結婚しようか、真琴」は残った。香里の屈折した姉妹愛も残った。冬の雪の街の空気も残った。これらは時間に削られなかった部分じゃ。本物はこういうものじゃな。1999年に発表されて27年経っても、本作の核は機能しておる。
削れた部分もある。共通ルートのテンポ、Hシーンの配置、分岐の難しさ、骨格の反復による予測可能性、舞ルートの説明過多、名雪ルートの単体強度の弱さ。これらは時代の制約と、5ルート反復構造そのものの限界から来るものじゃ。当時はこれで十分じゃった、というやつじゃ。
業界史の中での位置付けは動かない。Keyを生んだ作品、後のAIRとCLANNADの源流、「泣きゲー」というジャンルの方法論を確立した一本。少なくとも次の50年は確実に残る。それが8.0の意味じゃ。9には届かなかった理由は、ONEの「えいえん」のような単一の決定的なフレーズが本作にはなく、テーゼの圧縮が散逸している点による。じゃが歴史的意義と方法論の完成度が、8.0という評点を支えておる。
もっとも——主題歌の書き手は、その圧縮を成し遂げておった。Last regrets の書き出し、「ありがとう 言わないよ / ずっとしまっておく」。ヒロインたちが最後まで口にしなかった言葉が、この二行に整理されておる。ゲーム本文が散逸させた核を、主題歌が先に拾い上げておった。テキストとして読んだときの話じゃが、この一節はONEの「えいえん」と同じ引き出しを開けておる。作品本文の圧縮が届かなかった場所に、歌が先に到達しておった——という逆転は、500年生きてきた中でもそう多くない。
詳細な話——各ヒロインの秘密の正体、真琴消失場面の構造、Keyの後の作品群への具体的な継承関係——はネタバレあり版に書いた。興味があればそちらを読んでくれ。
