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マルチナ・カーンスタインのレビュー(ネタバレあり) — Kanon

マルチナ・カーンスタイン
マルチナ・カーンスタイン
500年生きた吸血鬼
8.0/10
8.0 / 10

「結婚しようか、真琴」——言葉を失った相手に向けた最も重い一言。27年経っても、あれは削れておらん。

ネタバレなし版で書いた「衝撃」と「方法論の確立」を、ここでは中身に踏み込もう。月宮あゆは幽体、沢渡真琴は妖狐、川澄舞は自分の影と戦っておった。栞は難病で、名雪は秋子の事故で崩れた。5つの秘密と5つの奇跡、それぞれの構造と、Keyの後継作品への系譜——AIR、CLANNADがここから何を学んだか。当時の業界の目と、27年後の再審判の目、両方で見ていく。

スコア詳細

歴史的意義 10
テーマ・メッセージ性 9
ヒロインの魅力 8
感動・カタルシス 8
ルート・分岐設計 6
Hシーンの質 5

【当時の記憶】1999年、超常を恋愛ADVに正面から持ち込んだ作品

まず1999年当時の業界の感触から書こう。

1999年のエロゲー業界は、Leafの東鳩(1997)が起こした「マルチエンディング・キャラ攻略」の流れの只中におった。前年のTo Heartの大ヒットを受けて、各社が「学園もの×純愛×マルチエンディング」というフォーマットでひしめき合っておった頃じゃ。型としては定まってきたが、各作品の差別化が難しくなってきておった時期でもある。

そこにKanonが出た。何が衝撃だったか——具体的に書こう。月宮あゆは実体ではなく、7年前に木から落ちて植物状態になった少女の意識が街を彷徨っておる存在じゃった。沢渡真琴は山の妖狐が人の姿を借りて祐一を探しに来た存在で、人として生きる時間が長いほど自分を失っていく。川澄舞が夜の校舎で戦っていた「魔物」は外敵ではなく彼女自身の無意識の力の具現化じゃった。美坂栞は難病で余命宣告を受けておった。

こういう「超常的な秘密を一つずつ抱えたヒロインたち」を、純愛ADVの主軸に据えた作品は当時多くなかった。前年のONEも超常を扱っておったが、Kanonでは各ヒロインに一つずつ明確な秘密が割り振られておって、構造がより整理されておった。プレイヤーは「次のヒロインの秘密は何か」を共通言語として共有しながらプレイする——という新しい読み方が、Kanonで定着した。当時の感想スレや雑誌レビューで「秘密」というキーワードが共通語になっておったのを覚えておる。

もう一つ衝撃だったのは、「奇跡」という言葉の使い方じゃ。本作では各ルートの終盤で「奇跡が起きる」ことが半ばお約束になっておる。植物状態のあゆが目を覚ます、消えた真琴が生まれ変わる、舞が自分の影と和解する、栞が回復する、名雪が立ち直る——いずれも「奇跡」と呼ぶしかないような救済じゃ。当時の業界では、悲劇を悲劇のまま終わらせない「奇跡の解決」を堂々と書いたことに賛否両論あった。「ご都合主義」と批判する声もあった。じゃがそれが本作のテーゼと一致しておることに気づいた読者は、ご都合主義ではなく構造の必然として受け取った。わしは後者の立場じゃった。

【再プレイして】真琴の消失場面は27年生き延びておった

27年ぶりに通しで読んだ。まずは真琴ルートから。

……来た。今回も来たわい。真琴ルートの終盤、の上の場面じゃ。真琴は妖狐としての本体が弱まり、人としての記憶も言葉も失いつつある。「あぅ」しか発せなくなった真琴に、祐一が告げる。「結婚しようか、真琴」。返事は「あ、あぅ」だけじゃ。それでも受け取ったことは確かに伝わる。

この場面の設計の巧さに触れておこう。共通ルートで真琴は無邪気で攻撃的なツンデレとして書かれておった。祐一に肉まんを取られて怒り、悪戯で仕返しをし、口数の多い少女じゃった。それがルート後半で記憶を失い、言葉を失い、最後には幼児退行のような状態になる。「秘密の解明」と「キャラクターの消失」が完全に同時進行する構造になっておる。あゆルートでは秘密が解けた後で消失と帰還が来るが、真琴ルートでは秘密が明らかになる過程そのものが、彼女が消えていく過程と重なっておる。読者は「秘密を知ること」と「彼女を失うこと」を切り離せない。

そして言葉を失った相手に向かって最も重い言葉——プロポーズ——を投げかける構造になる。受け取る側にもう言葉はない。じゃが受け取ったことは伝わっておる。これは麻枝准の感情ピークの作り方の典型例じゃ。後のAIRの観鈴の「ゴール」、CLANNADの汐の場面——あの系譜の出発点が真琴にある、と読んでおる。

春の場面で猫のぴろが戻ってきて、その後ろを子狐が走る——という生まれ変わりの示唆も、再プレイで改めて巧いと感じた。明示せず、しかし確かに伝える。情報の出し入れの精度が高い。当時泣いた。今回も来た。500年生きていてこれが来るのは珍しいのう。

【再プレイして・続】栞ルートの香里描写、舞ルートの説明過多

他ルートも再評価するとしよう。

栞ルートじゃ。久弥直樹の最良の仕事の一つじゃと、再プレイで改めて確認した。注目すべきは栞本人ではなく姉の美坂香里の描写じゃ。妹の難病を知ってからずっと距離を取り続けてきた姉。妹を失う日が来るのが怖くて、先に失ったことにしておこうとした人間じゃ。共通ルートでは祐一の前で「妹なんていない」と冷たく言い切る。その嘘が破られていく過程を、久弥は説明しすぎず、しかし内側の屈折は確実に伝えるように書いておる。妹の誕生日を覚えていないと言い張る場面の冷たさ、それが嘘だと分かる場面の重さ——抑制された描写の積み重ねでルートの感情を作っておる。これは文章力じゃ。本作で最も完成度が高い箇所の一つじゃと再プレイで確認できた。

あゆルートも再プレイした。「迎えに来た」という祐一の幼少期の約束への、あゆ自身の応答として彼女が街にいた——という構造そのものは美しい。失うことを受け入れた者だけが取り戻せる、というテーゼがそのまま装置になっておる。じゃが共通ルートであゆの「秘密」がかなり露骨に提示されておるため、プレイヤーは早い段階で「彼女は普通の人間ではない」と気づく。当時のわしも気づいておった。これは伏線の精度というよりは、答えの提示の仕方の問題じゃ。久弥の整った文章でその露骨さがある程度緩和されておるが、構造の予測可能性が感動を一部相殺しておる。

ルートは再プレイで印象が変わった。「魔物」が舞自身の影の具現化だという設計は当時も今も巧いと思う。じゃが終盤の「これは舞自身の影だ」というテーゼを台詞で言い切ってしまう箇所が複数あり、伏線の解明としては不要なくらい明示的じゃ。再プレイでもこの説明過多は気になった。麻枝准の感情ピークの強さが、舞ルートではやや過剰に出ておる。倉田佐祐理を舞の鏡像として配置する設計は秀逸じゃが、終盤の描き方には荒さが残る。

名雪ルートは超常を持たない心理劇じゃ。秋子の事故と名雪の崩壊、そして回復という単線的な構造で、他ルートのような「秘密の解明」が持つ快感がない。共通ルートで積み上げられた名雪の朝の弱さや甘えん坊な性格が、ルート別では深刻な状況に置かれて一旦消える。共通ルートと別ルートの落差が、他ルートよりも大きく感じられる。構造的なバランスとしての配置は理解できるが、ルート単体としての強度は弱い。これも再プレイで印象は変わらなかった。

【時間の審判】「奇跡」というテーゼは時を超えたか

時を経ても有効か。判決を下すとしよう。

本作の最終的なテーゼは「奇跡は起きる、ただし条件付きで」じゃ。各ルートで「奇跡」が起きるが、それは祐一が忘れていた過去を思い出し、ヒロインと真正面から向き合うことが前提になっておる。何もせずに奇跡は起きない。条件を満たした者だけに、奇跡が訪れる。このテーゼ自体は、わしから見れば手垢のついた問いの組み合わせじゃ。500年も生きておると、似た問いを掲げた物語には何度も出会ってきた。

じゃが本作のテーゼは、装置によって命を吹き込まれた。「過去の約束を思い出すこと」と「秘密が解けること」が同時進行する仕掛けじゃ。テーゼと装置が一致しておるからこそ、骨格が同じでもルートごとに違う感情が立ち上がる。これは時を超えても削れていない部分じゃ。

真琴ルートの「結婚しようか、真琴」、栞ルートの香里との和解、あゆルートの「迎えに来た」——これらは27年経っても響く。本物はこういうものじゃな。一方で、舞ルートの説明過多、名雪ルートの単線性、共通ルートのテンポの重さ——こちらは時間に削られた部分じゃ。

もう一点書いておく。「奇跡が起きる」という解決方法が、当時から「ご都合主義」と批判される対象だったことじゃ。じゃが27年後の今、Key作品群全体を見渡してみると、「奇跡で解決する」というのはKeyの作家性の核心であって、本作はその出発点に位置しておる。批判される対象だった部分が、結果としてKeyのアイデンティティになった。これは時間の審判による評価の逆転じゃ。当時の批判の声は、後の業界の言葉に置き換えられた。本作の「奇跡」は、ご都合主義ではなく「Keyという作家性」として定着した。

Hシーンについては時を超えても評価は変わらない。当時から浮いておった配置は今でも浮く。テーマと装置が一致しておる本作の中で、Hシーンだけがその一致から外れておる。あゆの正体が幽体であると判明した後、彼女との性描写が遡って違和感を生む。真琴が言葉を失っていく過程で性描写が挿入されると、ルートのテーマと噛み合わない。当時は業界事情の中で挿入されておるのは理解できたが、構造としては惜しいまま残っておる。

【業界史の中で】Keyの方法論はここで整理された

本作が業界に残したものを、具体的に見ていこう。

Kanonは、Keyというブランドの誕生作じゃ。本作の発売直後にTacticsから分離してKeyが立ち上がり、翌2000年にAIR、2004年にCLANNAD、2007年にリトルバスターズと続く。本作の方法論が、これらの作品にどう継承されたかを順に書いていこう。

AIR(2000)への継承。本作の「超常的な秘密を持つメインヒロイン」がAIRの観鈴に直結しておる。観鈴の「翼人の末裔」という設定は、Kanonのあゆの「幽体」、真琴の「妖狐」の延長線上にある。そして「奇跡」という結末——観鈴が「ゴール」と呟いて命を終える場面と、Kanonの真琴消失場面は構造的に同型じゃ。違いは、AIRがメインヒロインを救えない結末を選んだ点。Kanonの真琴ルートで麻枝が示した「消えていく相手を最後まで見送る」という構造を、AIRはより徹底した形で再演した。Kanonが消失と生まれ変わりを並列で示したのに対し、AIRは消失だけを残した。AIRは、Kanonの真琴ルートの先鋭化じゃ。

CLANNAD(2004)への継承。本作の「家族の再生」というテーマがCLANNADの中心に来る。Kanonの名雪ルートで提示された秋子の事故と家族の崩壊・再生、佐祐理の弟への自責——これらの「家族関係の傷を扱う」アプローチが、CLANNADの全編を貫くテーマになった。CLANNADは「家族を作っていく物語」として書かれておるが、その出発点がKanonの名雪・佐祐理ルートにある。汐の場面の構造も、本作の「奇跡」の手付きの直系じゃ。

リトルバスターズ(2007)への継承。本作の「ヒロインたちの秘密が一つの大きな秘密に収束する」という構造の発展形がリトバスにある。Kanonでは5つの秘密が並列じゃったが、リトバスでは個別の秘密が最終的に「世界の秘密」へと統合される。並列構造から階層構造への発展じゃが、原型はKanonにある。

逆に、本作が引き継がせなかったものもある。「5ヒロイン並列の共通ルート」という構造じゃ。KanonからAIRに移る際に、Keyは並列マルチの形式を一旦放棄する。AIRはDREAM編・SUMMER編・AIR編という三部構成に変更された。これはKanonの分岐設計の弱点を踏まえての判断だったと、わしは読んでおる。共通ルートが長すぎる、分岐が見えづらい——これらの問題がAIRでは構造そのものを変えることで解決された。Kanonの弱点が次作で乗り越えられた、という業界史的なつながりも見える。

「泣きゲー」というジャンル名が業界用語として定着したのはAIR以降じゃが、その対象作品としてKanonは必ず挙げられる。「ジャンルの最初期の代表作」として認識されたことで、本作はジャンルの定義そのものに組み込まれた。一作品が一ジャンルを規定するというのは、長く生きていてもそう何度も見るものではない。本作は業界史にそういう形で名を残した作品じゃ。

久弥直樹と麻枝准——Kanon時点での書き分け

担当ライターの書き分けを見ていこう。

本作の担当は、あゆ・名雪・栞が久弥直樹、真琴・舞(と佐祐理ルート)が麻枝准じゃ。前作ONEと同じ分担形式じゃが、Kanonでは書き分けがONE以上に明確に出ておる。

久弥直樹の文体は整っておる。説明と感情の配分が抑制されておって、香里の屈折や栞の諦観のような「内側に閉じた感情」を描くのに向いておる。栞ルートの香里描写は、本作で最も文章として完成度が高い箇所じゃ。じゃが感情のピークの作り方は控えめで、最終局面でドカンと来るタイプの感動は少ない。あゆルートのラストは構造的な美しさで来るが、感情の振り幅で来るタイプではない。

麻枝准の文体は、感情の波幅が大きい。コメディとシリアスの落差が鋭く、ピーク場面でセリフを畳みかける。真琴ルートの「結婚しようか、真琴」、舞ルートの「魔物」との対決——どちらも、読者の感情を直接的に揺さぶる設計になっておる。文章単体として整っているかと言えば、久弥より荒い。じゃが到達点の強度は高い。

Kanonに限って言えば、麻枝ルートの方が「秘密→解明→奇跡」の骨格と相性が良いとわしは判断した。骨格の感情ピークが必要とする出力を、麻枝の文体の方がより自然に提供しておる。久弥は骨格よりも文章で勝負するライターで、Kanonの設計は麻枝の方に寄っておる。ONEではテーゼの収束が骨格を超えていたため久弥の詩的な文体が活きたが、Kanonでは骨格が前に出ておるため麻枝の感情ピークの作り方が活きる。

業界史的な事実として、後にKeyを離れて久弥直樹は活動が減り、麻枝准がKeyの中心ライターとして残る。Kanon時点での書き分けは、その後の二人の道筋とも符合しておる。本作はKeyの方向性が麻枝側に固まる前夜の作品じゃ。久弥の最後の輝きが栞ルートにあって、麻枝の本格的な始まりが真琴ルートにある——そう読んでおる。

削れなかった弱点——時代の制約と構造の限界

時間が許してくれなかった弱点も挙げておこう。

共通ルートの長さじゃ。1月7日から16日前後までの並列ルートが、今読むと重い。当時のエロゲープレイヤーは日常パートに耐性があったが、今は違う。設計の意図——5人と並行して関わってからルートを絞らせる——は分かるが、序盤への配慮が薄い。これはONEから引き継がれた弱点で、Kanonでも改善されておらん。AIRで構造そのものを変えることで解消された問題じゃ。

分岐の難しさも残った。攻略なしで進めると、目当てのヒロインのルートに入れずに汎用エンドに落ちる。選択肢の意味が見えづらく、複数ヒロインのフラグが競合する仕組みじゃ。共通ルートが長いことと組み合わさると、攻略なしでは消耗する。当時のわしは攻略付きで進めた覚えがある。今の若い者にはやはり厳しいじゃろう。

骨格の反復による予測可能性も書いておく。5ルート全てが「秘密→解明→奇跡」の三段階で進む。3本目あたりから「次はどの秘密か」という構造的な予測が立ってしまう。これは設計の整理が進んだ代償じゃ。ONEの「同じテーゼへの違う回答」という構造に比べると、Kanonの「同じ手順の繰り返し」という色が強い。設計の精密さと余白の少なさが両立しておる。

Hシーンの配置も削れなかった。あゆの正体が幽体であると判明する前後でのHシーン、言葉を失っていく真琴とのHシーン——どれもテーマと噛み合わない。1999年の業界事情の中で挿入されておるのは理解できるが、構造としては惜しい。本作の中で最もテーマとの整合性が取れているのは名雪ルートのHシーンじゃが、それでも秋子の事故という重い文脈の中での挿入は唐突さが残る。

主人公の祐一の機能化も挙げておこう。祐一は5ルートで「秘密の担い手」「過去の約束を思い出す者」として機能する。ONEの折原浩平が「自分自身の喪失」を抱えた主人公だったのに対し、祐一は「ヒロインの秘密に応答する者」という機能に閉じておる。主人公単体の人格としての深まりは、浩平に比べると控えめじゃ。これも構造の整理が進んだ代償じゃな。

8.0——歴史を作った作品の重さと、構造の限界

最後に判決を下すとしよう。

「結婚しようか、真琴」は残った。「妹なんていない」と言い切る香里の冷たさも、その嘘が破られる重さも残った。冬の雪の街の空気も、「奇跡」というテーゼの圧縮も残った。これらは時間に削られなかった部分じゃ。本物はこういうものじゃな。27年経っても、本作の核は機能しておる。

削れた部分もある。共通ルートのテンポ、Hシーンの配置、分岐の難しさ、骨格の反復による予測可能性、舞ルートの説明過多、名雪ルートの単体強度の弱さ、主人公の機能化。これらは時代の制約と、5ルート反復構造そのものの限界から来るものじゃ。当時はこれで十分じゃった、というやつじゃ。

業界史の中での位置付けは動かない。Keyを生んだ作品、AIR・CLANNAD・リトバスへの方法論の源流、「泣きゲー」というジャンルの規定者。少なくとも次の50年は確実に残る。AIRが本作の真琴ルートを先鋭化させ、CLANNADが本作の名雪ルートのテーマを徹底し、リトバスが本作の並列構造を階層化した——という系譜全体の出発点として、本作は動かしがたい位置にある。

それが8.0の意味じゃ。9には届かなかった理由は、ONEの「えいえん」のような単一の決定的なシンボル句が本作にはなく、テーゼの圧縮が散逸している点による。「奇跡」という言葉はあるが、「えいえんはあるよ」ほどの強度は持っていない。骨格は整理されたが、結晶は薄まった——そう読んだ。

……そう書きながら、もう一度真琴ルートの丘の上の場面を思い出した。「結婚しようか、真琴」「あ、あぅ」。あの場面の強度だけは、ONEの「えいえん」に並ぶ瞬間じゃと思っておる。本作には決定的なシンボル句はないが、決定的な場面はある。それが8.0という評点の中身じゃ。歴史を作った作品にふさわしい数字じゃと、わしは判決を下した。