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加藤萌絵のレビュー — Kanon(ネタバレあり)

加藤萌絵
加藤萌絵
キャラが全て
8.0/10
8.0 / 10

真琴の動機が完璧。そのためにこのゲームをやった、と言える。

ネタバレ版だから全部しゃべる。真琴が妖狐だった件、天野美汐の立ち位置、あゆの「想念」と病院の本体、栞ちゃんの誕生日、舞佐祐理の関係性、名雪と秋子さんの事故、Hシーンの解釈違いポイント。動機ベースで全キャラを見ていく。最終結論は変わらない。真琴が完璧だったからわたしの『Kanon』は8.0。真琴単体なら9.5、Hシーンの解釈違いで-0.5、共通ルートの長さの問題で-1.0。差し引いて8.0。

スコア詳細

ヒロインの魅力 9
キャラ間の関係性 9
感動・カタルシス 8
主人公の造形 7
伏線と回収 7
Hシーンの質 5

真琴の動機が、完璧すぎる

沢渡真琴の正体は山に住む妖狐。子供のころの祐一が、その狐に人の温もりを与えた。だから狐は人になった。

この動機設計、わたしの中で完璧の極み。動機を一個書くだけで真琴の全行動が説明できる。「祐一にもう一度会いたかった」。それだけ。なんで街に出てきたのか、なんで祐一にだけ執着するのか、なんで肉まんが好きなのか(子供のころに祐一にもらった)、なんでイタズラばかりするのか(祐一の関心を引きたい)、なんで人間社会のルールを知らないのか(妖狐だから)。ぜんぶ「会いに来たから」で説明がつく。これがキャラの動機の理想形。

しかも、動機が物語の中で「裏返る」設計になっている。真琴は祐一に会いたかった。でも、人として暮らしていくほど、人としての時間が削れていく。動機が叶うほど、自分が消える。これが悲劇の構造として完璧。「願いを叶えると願った本人が消える」っていう構造は神話レベルで普遍的なんだけど、それを「妖狐が人になりたかった」っていうキャラ動機に落とし込んだのが上手い。麻枝准、わかってる。

真琴が言葉を失っていくパート。最初に「祐一」が呼べなくなる、次にスプーンが持てなくなる、次に立てなくなる。一個ずつ減っていく描写は、キャラの解像度を下げる方向に動いてるように見えて、実は逆。減っていく中で残った「祐一のそばにいたい」っていう動機の純度だけが上がっていく。動機の純度を上げるために能力を奪っていく、っていう演出。これも上手い。

そして「結婚しようか、真琴」のシーン。祐一は、もう真琴が「結婚」っていう言葉の意味を理解できないことをわかった上でこのセリフを言う。真琴は嬉しそうにする。動機の純度100%の真琴が、動機の核(祐一と一緒にいる)を肯定された瞬間。これ、観客のわたしから見ても完璧な構造。意味の理解はもう必要なくて、感情の方向だけが合っていれば、二人は通じてる。これを「結婚」っていう一番重い言葉で書いたのが祐一の覚悟だった。祐一、ここでようやくキャラとして立ってる。皮肉屋を捨ててる。

の上で真琴が祐一の腕の中で消えるシーン。妖狐としての真琴は山に還る。猫のぴろが春に戻ってきて、子狐が走る。これは「真琴の生まれ変わりかもしれない」って観客に思わせる演出で、断言はしない。断言しないのが正解。断言したら、それは「キャラを生き返らせた」になっちゃう。生まれ変わったかもしれない、っていう余白で終わらせることで、真琴は真琴のまま終われる。動機を完成させたキャラを生き返らせない判断、わたしは支持する。完璧。

真琴単体の評価は9.5。0.5引いてるのはHシーンの設計に違和感があるから。詳細は後述。

天野美汐がわかってる、これ大事

真琴ルートで決定的な役割を果たす天野美汐っていうキャラがいて、彼女の立ち位置が解釈一致の塊。

天野美汐は、真琴の正体(妖狐)を最初から知っている存在として登場する。彼女は妖怪を見る目を持っていて、街の中で「人ならざるもの」を見分けられる。だから真琴を見た瞬間に「ああ、この子は妖狐だな」ってわかってる。わかってるんだけど、それを祐一には言わない。これが大事。

美汐の動機は「人ならざるものとの距離をとる」だった。彼女自身が妖怪と関わってきた人間で、その経験から「人と妖の境を越えると不幸になる」って知ってる。だから真琴に対しても本来なら警告すべき立場。でも美汐は、真琴と祐一の時間を見守ることを選ぶ。「人になりたかった妖狐」と「妖狐が人だと知らずに家族として扱う人間」の関係を、外から静かに見ている。これが美汐のスタンス。

美汐の凄いところは、真琴が消えていく時に「悲しい」と言わないこと。「これは妖狐の運命だから」って、淡々と受け入れる。でも淡々と受け入れることが、美汐なりの「真琴の選択を尊重する」になってる。これは動機が完成してる脇役の典型。「妖怪に対する距離感」っていう動機があるから、彼女の言動が全部その動機から説明できる。サブキャラとしての解像度が異常に高い。わかってる。

美汐は名雪の同級生で、ルート的にも別軸を持ってるキャラなんだけど、真琴ルートで観客側に「外からの視点」を提供する役を完璧にこなしてる。彼女がいなかったら、真琴の妖狐設定はもっと唐突に見えたはず。美汐の存在で、「妖狐が街にいるのが普通の世界」っていう設定の整合性が補強されてる。これは設計として上手い。

あゆの「想念」と「本体」の二重構造

月宮あゆの正体は、7年前に木から落ちて植物状態になった「本体」の想念。これも動機ベースで読むと面白い構造。

あゆの動機は「祐一が迎えに来てくれる」っていう約束を信じ続けること。7年前に祐一と交わした約束を、彼女は本体(植物状態の身体)の中で抱え続けてた。意識は、その約束だけを支えに、想念として街に出てきていた。「うぐぅ」って言いながらリュック背負ってたい焼き探して街をうろうろしてる女の子の正体が、植物状態の患者の想念だった。属性塊にしか見えない子の裏にこんな動機があったって明かされた瞬間、共通ルート全部の意味が書き換わる。これがわたしの好きな伏線回収。

あゆの「うぐぅ」とか「赤いカチューシャ」とか「リュック」っていう記号は、本体が植物状態になる前の月宮あゆの記憶を、想念があゆ自身の姿として再構成してたもの。記号として置かれてた装飾が、全部「本体が覚えていた自分」っていう動機で再定義される。だからあゆの記号は記号じゃない。本体が「これがわたしだった」って覚えていたものをそのまま着てる。これは演出として尊い。

BAD ENDだと、あゆが街から消えて、それで終わる。これは動機としては「祐一は迎えに来てくれた、もう想念は街にいる必要がない」っていう完結。寂しいけど、動機としては閉じてる。

TRUE ENDだと、本体が病院で目を覚ます。エピローグで春の街で再会する。これも動機としては「祐一が迎えに来てくれた」の完結なんだけど、本体側で完結してる。想念は本体に戻って、本体として祐一に会いに行く。動機が想念と本体の両方で同時に達成される。だから二重構造として綺麗に閉じる。これは構造的にもキャラとしても完璧。あゆの評価は9。真琴に次いで好き。

栞ちゃんと香里、姉妹の動機がぶつかってる

美坂栞は難病で余命宣告されてる。姉の美坂香里は、妹を「いないこと」にして距離を置いてる。この姉妹の動機構造が解釈一致。

ちゃんの動機は「生きたいけど、長くないことも受け入れてる」っていう二重性。雪の中でマフラーをしてないのは、寒さを感じるっていう「生きてる感覚」を、わざと手放してたから。「死ぬ準備」を自分でしてた。これがキャラの行動原理として完璧に一貫してる。寒さに耐える姿、姉と距離を取る姿、祐一に対して時々見せる弱さ、ぜんぶ「もう長くない自分」っていう動機から説明できる。

香里の動機は「妹を失うのが怖いから先に距離を置く」。これは防衛機制で、姉として冷たいんじゃなくて、「あとで壊れないように先に切っておく」っていう動きをしてる。学校で栞のことを話題にしないのも、栞を抱えると自分が崩れるってわかってるから。香里は冷たい姉に見えて、実は妹のことを誰よりも考えてる人。動機がわかると印象が180度変わるキャラ。

この姉妹は、ずっとお互いを思ってるのにすれ違ってる。栞は香里を傷つけたくないから自分の症状を隠して、香里は栞を失う準備をしてて、その準備が栞には「冷たい」に見えてる。動機としては両方とも妹(姉)への愛なんだけど、表現の仕方がすれ違ってる。これが姉妹劇として強い構造。お互いの動機がぶつかってこそ、和解した時のカタルシスが効く。

栞ちゃんの誕生日のシーン。「16歳になれた」って栞が言う場面、これが解釈一致の極み。栞ちゃんは毎年の誕生日を「次はもうないかもしれない」って思いながら生きてきた子。だから「なれた」っていう過去形が異様に重い。この一言で、栞ちゃんが今までどう生きてきたかが全部わかる。動機をセリフ一つに凝縮した良い場面。

そして栞は奇跡的に回復する。動機としては「諦めなかった栞と支えた香里」への応答。これも「ご都合奇跡」って言われがちなんだけど、わたしは違う。栞ルートでは「諦めない」と「諦めも持ってる」の二重性をずっと描いてきた。その上で最後は「諦めない」の側を選ぶ、っていう動機の更新がある。動機が更新された結果として奇跡が起きる、っていう構造。だから物語の論理として成立してる。

舞と佐祐理、二人の関係性で読むのが正解

川澄舞のルートは、舞と倉田佐祐理の関係性の話として読むのが解釈一致だと思う。

の動機は「自分の力で生まれた魔物と戦う責任」。子供のころに超常的な力で周囲を傷つけてしまった経験から、彼女は「自分は化け物」っていう自己認識を持ってる。だから夜の校舎で剣を振って、自分の力が顕現した魔物と戦い続けてる。動機としては「自罰」と「責任」の混合。誰にも頼らないのは、自分が「孤独で戦うべき存在」って思ってるから。これは動機が一貫してる。

佐祐理ちゃんの動機は「弟・一弥を傷つけた自責から、もう一人になりたくない」。佐祐理ちゃん自身の手で一弥が傷ついた過去があって、その自責から自殺未遂もしている子。明るく振る舞ってるのは、自分が崩れない方法として笑顔を選んでるから。彼女が舞のそばに居続ける理由は、「舞を孤独にしない」っていう動機と、「自分が一人になりたくない」っていう動機の両方が一致してる場所が舞のそばだから。

つまり、舞と佐祐理ちゃんは、お互いの動機が「相手のそばに居る」で完全に一致してる二人なんですよ。これがわたしの中での舞佐祐理ルートの核心。舞は「孤独でいたい」って思ってるようで、本当は誰かに「お前は化け物じゃない」って言ってもらいたい子で、その役を佐祐理ちゃんが完璧に務めてる。佐祐理ちゃんは「一人になりたくない」って思ってて、その願いを舞のそばで叶えてる。二人で一つの動機が完結してる関係性。これが尊い。バカップル(褒め言葉)。

舞が魔物と決着をつける場面で、佐祐理ちゃんが弟への自責と向き合う場面が並走する。二人が同時に「自分の中の何か」と向き合うっていう構造。動機の対応関係が綺麗。最後に三人で(祐一含む)未来に向かうエンディングは、舞と佐祐理ちゃんの動機がそれぞれ完結した上での着地だから、奇跡や派手な仕掛けがなくても十分に重い。穏やかな着地、わたしは好き。

このルートのHシーンに関しては正直、舞と祐一の二人の場面より、舞と佐祐理ちゃんの関係性のほうが濃度が高くて、Hシーンの存在意義がやや薄かった印象。後述。

名雪と秋子さん、家族の動機が一回崩れて戻る

水瀬名雪の動機は「家族と日常を大事にしてる」っていう、超常的じゃないもの。だから個別ルートで日常が壊れた時の重みが強い。

名雪は『Kanon』の5ヒロインの中で唯一、超常的な秘密がないキャラ。妖狐でもないし、想念でもないし、難病でもないし、魔物とも戦ってない。彼女の動機は「家族と日常を大事にする」っていう、ふつうのもの。これが共通ルートでは「いとこの祐一にもマイペースに接する穏やかな子」として描かれる。

個別ルートで、母の秋子さんが交通事故にあって意識不明になる。名雪が引きこもる。あの「いつもの名雪」が完全に消えて、声を出さなくなる落差が、このルートの全てなの。共通ルートで何度も繰り返した日常パートで「ふつうにかわいい名雪」を観客に刷り込んでおいて、それを一個の事故で壊す、っていう設計。これは日常パートに動機を仕込んでおいた効果が直撃する場面。

秋子さんっていうキャラの存在感もここで効いてくる。秋子さんは共通ルートで何度もジャム作って、食卓を温かくしてた、あのお母さん。秋子さんがいなくなったら水瀬家の食卓は成立しない。共通ルートで秋子さんのキャラを「立たせて」おいたから、彼女が欠けた食卓の重さが効くわけ。「食卓が止まる」っていう演出を成立させるために、共通ルートで何度も食卓を描いてきた。これは伏線の張り方として超わかってる。

名雪を引き戻すのは祐一の役で、ここで祐一が「いとこ」から「家族」に踏み込む。共通ルートで皮肉屋として振る舞ってた祐一が、ここでは皮肉を捨てて、名雪のそばに立つ。動機が更新されて、ようやくキャラとして立つ瞬間。秋子さんも目を覚まして、家族の食卓が戻ってくる。動機としては「日常を取り戻す」で閉じる、シンプルだけど強い構造。

名雪ルートは『Kanon』の中で奇跡の度合いが一番低い(秋子さんの回復はあるけど、超常じゃなくて医学的な意識回復)。だから観客としては地に足のついたカタルシスがある。動機が日常的だから、奇跡も日常的でいい。整合性が取れてる。

Hシーンの解釈違い、ルート別に書く

ネタバレ版でしか書けないHシーン評価。一番不満なのは名雪。

名雪のHシーン。これがわたしの中で最大の解釈違い。名雪は共通ルートを通じて「家族・日常・マイペース」っていう動機で動いてきたキャラで、個別ルートの後半で「家族の崩壊と再生」っていう極端な状況に置かれる。その流れの中で、Hシーンが入る位置が、名雪のキャラとして「ここでこの行為するキャラだったっけ?」になる。名雪ちゃんへの解釈違いを感じた。彼女は穏やかな日常の中に肉体性をそんなふうに持ってこないと、わたしは思ってる。これはキャラ崩壊一歩手前。

真琴のHシーン。真琴の動機は「人になりたい・祐一のそばにいたい」で、消えていく過程の中でHシーンが入る。妖狐としての真琴は人間社会の性的な行為のコードを知らないはずなのに、Hシーンでそこを完全に踏襲する場面が出る。これは動機との整合性で言うと「?」になる。真琴の核心は「結婚しようか、真琴」のセリフに集約されてるべきで、Hシーンの存在がむしろあの完璧な場面の温度を下げてる。マイナス。

あゆのHシーン。あゆは想念として街にいる存在で、肉体性とどう関わるかが本来曖昧な存在。そこにHシーンが入ると、設定との齟齬が走る。「想念ってどこまで実体あるんだっけ」っていう疑問が物語のメイン軸を引っ張る。これは設定の側にもう少し説明が必要だったか、Hシーン自体を本体覚醒後に回すべきだった。動機ベースで読むと不整合。

栞のHシーン。栞ちゃんは「もう長くない自分」を抱えてて、生きてる感覚を取り戻す方向で祐一と関係を深める動機がある。だから栞ルートのHシーンは比較的、動機との整合性が取れている。栞ちゃんが「生きてる」を実感する場面としてHシーンが機能してる。これは許容できる位置。

舞のHシーン。舞は「自分は化け物」って思ってる子で、その自己認識を「化け物じゃない」に書き換えるのが祐一との関係の核。Hシーンは舞にとって「人間として扱われる」体験になる可能性はある。ただ、舞ルートのHシーンは、舞と佐祐理ちゃんの関係性の濃度に比べると、舞単体のものとしてはあまり強くない。舞佐祐理の関係性が強すぎて、舞祐一のHシーンが軽く見えてしまう、という構造的な問題。

佐祐理ちゃんはサブヒロイン扱いでHシーンがあるけど、これは正直キャラ的に許容できなかった。佐祐理ちゃんの動機は「舞のそばにいる」で完結してて、祐一とのHシーンが彼女の動機に対して必要だったとは思えない。これも解釈違い気味。

総じて、Hシーンが「キャラの感情ラインの集大成」として機能してる場面が少ない。動機を持ってないキャラ動作になっちゃってる。これがH指標を5点に下げる理由。

8.0——真琴の動機完璧さで底上げされた

真琴単体9.5、あゆ9.0、栞8.0、舞佐祐理8.5、名雪7.5、Hシーンの整合性-0.5、共通ルートの長さで-1.0。総合で8.0。

『Kanon』のキャラ設計は1999年の作品としては異常に細かい。5人のヒロインそれぞれに動機があって、共通ルートで仕込みの「異物感」を提示して、個別ルートで動機の中身を開示する。動機の開示がそのままカタルシスになる。この設計はキャラベースで作品を評価するわたしには合ってる。特に真琴の動機設計は完璧で、わたしの『Kanon』はほぼ真琴で成立してる。

不満は3つ。Hシーンがキャラの動機と整合してない場面が多い(特に名雪と佐祐理ちゃん)。主人公の祐一が皮肉屋モードでシリアス場面の温度を狂わせる時間帯がある。共通ルートが長すぎて、キャラを立たせる前にプレイヤーの集中が切れかける場面がある。これらは設計の問題で、キャラそのものの問題じゃない。だから減点の幅は限定的。

あと、天野美汐が良かった。サブキャラの動機設計までちゃんと立ってる作品は信頼できる。美汐の存在が真琴ルートの説得力を支えてる。「妖狐がこの街にいて誰も気づかない」を成立させるために、最初から知ってる人を一人置く、っていう設計判断はわかってる。サブキャラを動かない記号で済ませない作品は、わたしの中で評価が一段上がる。

真琴のためにこのゲームをやって、損したと思わなかった。それだけは確実。8.0は固いです。

「結婚しようか、真琴」

— 動機の純度100%同士の二人が、言葉の意味の外で通じる瞬間

このセリフを言える祐一を最後まで連れてきた構成、わたしは尊敬する。皮肉屋から始まった主人公が、ここまで踏み込めるキャラに変わった。動機の更新ってこういうこと。真琴ルートで『Kanon』は完成してる。他の4人は、その完成に4方向から光を当ててる。そう読むと作品が綺麗に閉じる。