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新藤エレナのレビュー — 鎖 -クサリ-(ネタバレあり)

新藤エレナ
新藤エレナ
鬼畜の目利き
8.5/10
8.5 / 10

認めるわ。陵辱を「ジャンル」として書ききった、一級品よ。

ネタバレ版はヒロインごとの陵辱シーンを個別に採点した。食肉ウィンチによる明乃の崩壊、ちはやの「精液袋」化と「アンクル・パピィ」の対比、恵の二重拘束、可憐の武道家敗北、そして珠美の規格外拒絶という逆説。和姦シーンでは恭介の求婚と心中の和姦も含めて、本作のエロを「技術評価」として通読した上で並べてある。

スコア詳細

Hシーンの質 9
シチュの多様性 10
文章力・描写力 9
テンポ・緩急 7
エロと物語の相乗効果 10
作品の尖り・唯一無二性 9

折原明乃——食肉ウィンチに「母娘」を組み込んだ設計

最初に明乃から行くわ。本作で最も精神的に重い陵辱シーン群だわ。

調理室食肉用ウィンチ。これだけ聞くと「派手な凶器」って印象だけど、設計を見ると違うのよ。両手枷をフックに通すだけじゃなくて、両足首それぞれ別の鎖を別のレールに通す。つまり、左右に別々の駆動軸で引っ張る構造になっているの。これで「電動で股を裂く」が技術的に成立する。この一段が雑なら、ただの吊るし責めで終わっていたわ。設計してあるから「股が裂ける、股が壊れる」という叫びに説得力が出る。

そして本作で最も巧いのは、この食肉ウィンチに「母娘並列」を組み込んだ判断よ。明乃を吊るしたあとに、母・志乃を首輪付きで連れてきて並べる。母娘で互いを舐めさせる。「あかちゃんできちゃうよ」「ちが・・・ちがう・・・あたしインランちがう」という否定の繰り返しが、その並列構造の中で発される。これが効くのは、それまでの本編で「母を尊敬する娘」「娘を可愛がる母」が丁寧に書かれているからよ。陵辱の効果は、関係性の積み上げの量に比例するの。当然でしょ。

そしてこの場面で志乃が一瞬正気を取り戻して「逃げなさい!! 明乃!! 行きなさい!! 今すぐ!!」と叫ぶ一コマ。これは技術的にうまい。完全な精神崩壊じゃなくて、崩壊の中に正気の閃きを差し込むことで、「壊れている」という事実をかえって強調する。この一行があるかないかで、母娘並列シーンの重みが二倍違うわ。

U字バイブ二穴同時の場面と、首枷手枷をリベットで潰されて「一生そのままだ」と宣告される追加処理も、ちゃんと書き分けてあるわ。一つの場面で全部済まさずに、段階を踏んでいる。明乃BAD系の連続シーン群は、本作の中でもひとつの章として完結している。9つけたい水準よ。

香月ちはや——「アンクル・パピィ」と「精液袋」の対比構造

この作品の核心はこのキャラだわ。エロ評価として一級品。

ちはやは本作で唯一、和姦と陵辱の両方を高水準で書かれているヒロインよ。順に話すわ。

まず和姦から。ウィンチルームの心中シーンよ。「こうでもしないと、お兄ちゃん、あたしに手を出してくれないよね?」と告げて、自分でドアの鍵を飲み込む。恭介は喉に指を突っ込んで吐かせようとして失敗。死を覚悟した二人の最初で最後の結合。「やっと・・・」「これが最初で最後なのに」「お兄ちゃんだけでも、気持ちよくなって」。子供時代の合言葉「アンクル・パピィ」がここで完全な形で発される。恭介の「あいしてる・・・」。直後、岸田が扉を開けて入ってきて「くははははははっ」と哄笑する。これが心中ED。

この和姦シーンが秀逸なのは、シチュの組み立てが「兄妹」「心中」「第三者目撃」の三層構造になっていることよ。どれか一つ抜いても成立しない。心中だけなら陳腐、兄妹だけなら甘い、岸田の哄笑だけなら下品。三層あるから、シーン全体が「逆説的純愛の頂点」として機能する。これは設計だわ。

そしてちはやBAD系の「精液袋」化のシーン群。釣り針で乳首を吊って蒸気管責め。麻袋詰めで首だけ出した状態で連続喉射精。岸田が「お前は精液袋だ。男の欲望をひたすら飲み続ける。わかったな?」を繰り返し刷り込む。ちはやが自分から「セーエキ・・・フクロ・・・ワタシ・・・セーエキフクロ・・・」と自己呼称し始める。人格破壊の完了。

ちはやの場合、本作で最大の対比構造が「アンクル・パピィ」(兄妹の絆の合言葉)と「精液袋」(人格破壊後の自己呼称)の二つの言葉に集約されているの。同じキャラが、ルートによってどちらの言葉に到達するか分岐する。これは陵辱ADVの中でも、ほとんど例を見ない設計だわ。同じ素材から純愛の極北と陵辱の極北を両方取り出している。シコさという軸で言えば、わたしは精液袋化の方が圧倒的に効くと素直に言うわ。和姦の方は涙腺の話で、シコさとは別の領域に行ってしまうから。

ただし両方とも、評価としては一級品だわ。書ける作家はめったにいない。

片桐恵——「岸田様を愛してます」と言わされる二重拘束

は本作で最も「精神的に陰湿」な陵辱を受けるヒロインよ。

陵辱シーンの設計が異常に精緻なの。順に見るわ。

「真の初体験」回想シーン。本編序盤の被害は表向きで、実は事件発生前に既に岸田に屈服していた、という二段構えの真相が明かされる。これが効いているのは、本編中盤での恵の二重スパイぶりが「やむなき従順」として読めていたものが、実は「最初から屈服していた」というより重い真相だったとわかる瞬間の落差ね。陵辱の意味が遡って書き換えられる構造になっている。これは陵辱ADVではあまり見ない技巧よ。

機関室の「岸田様を愛してます」強制告白シーン。これがこの作品で最も陰湿な一撃だわ。床の血溜まりに顔を突っ込ませながら「愛してます」と繰り返させる。「愛している」という言葉の意味そのものを破壊する。これは肉体的な責めじゃなくて、言語的な拘束よ。被害者本人が「愛している」と口に出してしまう瞬間に、その言葉の意味が彼女自身の中でも壊れる。これを書ける作家は本当に少ないわ。

蒸気バルブの責め。岸田の「料理した者としてはこのまま味わってもらいたいが・・・仕方ない、加熱するとしよう」「魚料理が蟹料理になったな」というセリフ回しの冷静さが、陵辱描写の異常さと対比になっていて効いている。岸田というキャラクターの設計の巧みさが、ここで陵辱の質を底上げしている。

尿道カテーテル放置と、水密隔壁のホイールハンドル貫通も書いておくわ。カテーテルは「スカートをまくり上げて・・・パンツはいてるのに、おしっこして・・・」という台詞で、失禁強制という現象を「動作の言語化」で書ききっている。ホイールハンドルは「水密隔壁の手動開閉装置」という船という舞台でしか成立しない凶器を、内臓圧迫死という極限まで使い切っている。「だ、だから言ったのにぃ~~~!」という台詞が間に挟まることで、被害者が自分の状況をある程度自覚しながら壊れていく過程が書かれているのが、わたしの目から見て巧いわ。

そして恵ED側の和姦。「捨ててしまう気なら、まるごと俺によこせ」「片桐恵を、全部」「俺が奴から買い戻す」「一生分のお前を」という求婚台詞に対して、恵が「・・・私のために人が殺せる?」と試問する。結合中の本音吐露。「私、どきどきしてる」「怖くてたまらない。恭介を・・・がっかりさせたら・・・」「本当は、本当は、一人が怖かったの・・・」「誰も助けてくれなかったから・・・」。陵辱の極限を通過したキャラが、和姦の中で初めて本音を見せる構造。これは陵辱と和姦の役割分担として教科書通りの上手さよ。

綾之部姉妹——武道家の敗北と、規格外で「入らない」逆説

姉妹で別系統の陵辱を割り当てている。設計として巧いから書くわ。

姉の可憐から。武道家系名家の長女で、上段蹴り・ローキック・ワンツーを繰り出せる体格と技術を持つ。それが脱衣所で岸田に素手で立ち向かい、片手で受け流されて便器に頭を突っ込まれての尻穴貫通、という敗北シーン。「いやあああっ、抜いて抜いて抜いてええっ」。

陵辱ADVで武道家ヒロインを書く時の典型的な失敗は、「強かったキャラを弱く描く」だけで満足することよ。鎖はそれをしない。可憐の敗北は単なる弱体化じゃなくて、武道家の矜持の壊し方として書かれている。「変態!恥知らず!」「殺してやる」と叫び続けるけれど体は屈服している、というプライドと現実のズレ。「武道家として、恥ずかしい真似はしない」と最初に宣言したキャラを、まさにその「恥ずかしい真似」に追い込む論理が貫かれているわ。

そしてピアノ椅子BADシーン。全身縛りで岸田と友則の連続責め。これは可憐のプライドの完全敗北のシーンだから、シーン単独の派手さよりも、序盤からの矜持の積み上げを全部使い切る配置になっている。BAD系のシーンを「キャラの最終形」として置くのは正しい設計よ。

双頭バイブのジョイベルトでの姉妹責めシーンも書いておくわ。姉妹を同時装着型のバイブで結合させて互いを動かすことで責め合う構造になる、というこのシチュは、姉妹キャラを使う作品でしか実現しない陵辱で、本作で最もシチュ設計が活きている場面のひとつだわ。姉が妹を見て、妹が姉を見て、互いに「自分が動くと相手を傷つける」という構造的二重拘束を負う。これを「姉妹だから」の一行で成立させる作家の手際がいいわ。

そして妹の珠美。これがわたしが本作で最も「巧い」と思った設計のひとつなのよ。珠美は体格が小さくて、岸田が物理的に挿入できないの。「珠美の割れ目を押し広げているが、そこから先、秘壺にはどうしてもモノの先端が入っていかない」と描写される。「赤ん坊みたいだな」「ぐぎぎぃ、は、入らなくていい!」。岸田が「・・・ちっ」「ガキが」と舌打ちして珠美を放棄する。

これが本作で最も逆説的な「陵辱の不成立」シーンよ。陵辱ADVで「入らなくて拒絶される」を真面目に書く作品はほぼ存在しないわ。普通はサイズを無視して全員同じように犯される。鎖は珠美の体格を物理的真実として扱って、それを後の真ED、銃身詰まりトラップで岸田の拳銃を暴発させる場面、への伏線にしているの。「規格外で犯せなかった少女が、岸田の凶器を規格外にして潰す」という対称構造。これは設計として一級品だわ。珠美BADルートでも口腔射精と放置陵辱を割り当てて「規格外ゆえに別の壊し方をする」という処理が丁寧。これを書ける作家を、わたしはあまり知らないわよ。

志乃と岸田——「物理的に死なない陵辱」という発想

志乃の電気室シーンについて、独立で評価するわ。

志乃を電気室で四つん這いに鎖固定して、全身にを塗りたくる。プレイヤーには「焼却される」と見せかけて、岸田がライターを投じる。実は重油の残りカスで着火しない。志乃は燃えないけれど、極度の恐怖で精神が完全に崩壊して「は、はは、あははっ」「うふふ、はははぁ・・・」と笑い続ける、という場面よ。

これは本作で最も陰湿な発想よ。「物理的に死なない」設計をすることで、肉体は無事だけれど精神が崩壊するという形を成立させている。死なないことが、死ぬよりも残酷だという逆転。これを書ける作家は、重ねて言うけれど、本当に少ないわ。

そして岸田が「香月恭介・・・もし見ていたら、今度ばかりは助けに来た方がいいぞ」とモニタールーム越しに恭介に向けて中継するという構造も含めて、「陵辱を他人に見せる」というレイヤーが重なっている。被害者本人の苦しみと、それを見せられる第三者の苦しみを同時に作る。陵辱ADVではあまり見ない多層構造よ。

そして加害者・岸田について改めて書くわ。本作の鬼畜度が10になっている最大の理由は、岸田というキャラの設計が異常に巧いからよ。「玩具は壊す時が一番楽しいものだ」という一行に、岸田の哲学が集約されている。彼は被害者を「壊す」ことに快楽を見出していて、行為そのものに執着しない。「壊された玩具」には興味を失う。だから、ちはやと恭介の心中和姦の最中に乱入しても、岸田は哄笑するだけで手を出さずに退出するの。一貫しているわ。

加害者のキャラクターが哲学を持っていて、その哲学が陵辱の選び方に反映されている、というのが本作のもうひとつの強みよ。陵辱を「単なる暴力」じゃなく、加害者の世界観として描くこと。これが、本作の鬼畜が「ジャンルとして成立している」と言える根拠だわ。

和姦シーンと、テンポの問題——8.5で止まった理由

和姦シーンに触れて締めるわ。

本作の和姦は四件。明乃の貞操帯解除後の浴室、可憐の冷蔵室前立位、ちはやのウィンチルーム心中、恵の機関室求婚。それぞれ書き分けがあるわ。

明乃の和姦は救済の和姦。陵辱から救い出された後の関係性確認として機能する。可憐の和姦は「思い知った?私の気持ち」「絶対に思い知ってない」というツンデレ告白の発露として、武道家の矜持と少女の素直さを統合する場面。ちはやの和姦は前にも書いた通り心中と兄妹の二層構造。恵の和姦は求婚和姦で「捨ててしまう気なら、まるごと俺によこせ」が頂点。

四件とも、シチュとしては破綻していないわ。陵辱パートで積み上げたものを和姦で回収する設計は概ね機能している。ただ、わたしの目から見ると、和姦パートは陵辱パートと比べると描写の密度が一段落ちる場面があるの。具体的には、明乃の浴室和姦は陵辱明乃シーン群の異常な密度と比べると一段あっさりしているし、可憐の冷蔵室前立位もツンデレ告白の言葉に頼っていて行為の描写そのものは控えめ。「陵辱で振り切ったぶん、和姦に同じ尺と密度を割けなかった」という配分上の妥協が、ところどころ見えるのよ。

Hシーンの質だけ見れば9をつけてもいい。シチュ多様性は10、エロと物語の相乗効果も10。けれど8.5で止まったのは、テンポ・緩急の問題を正直に加味したからだわ。

本作の前半は長い。バシリスク号に乗り込んで、キャラクターを紹介して、関係性を積み上げる。岸田が動き始めるまでの時間が、陵辱ADVとして「シコれるか」という軸では重い。前半の丁寧な描写が後半の陵辱に意味を与えているのはわかっているわ。ただ、それを知った上でも、前半対後半の配分は重いわ。後半に入れば緊張と弛緩の切り替えは機能しているし、ちはやの精液袋化と心中和姦の対置は一級品だけど、作品全体として見ると前半が重い。テンポ・緩急に7をつけた理由はそこよ。その一点で0.5を削った。これが8.5という数字の構造ね。

もう一点。これは作品評価には影響させなかったけれど、書いておくわ。本作の凄惨さは、シコさという軸を超えて「気分が悪くなる」領域に踏み込む場面があるの。母娘並列、精液袋化、偽焼却の精神崩壊。このあたりは、シコさで割り切れるかどうかが本当にギリギリだわ。わたしは「鬼畜の目利き」としてその踏み込みを評価するけれど、人によっては「これはもうエロじゃない」と感じる地点を本作は確実に越えてくる。8.5という数字は、その踏み込みを「シコさとして引き取った上での評価」よ。

最後にひとつだけ。本作は2005年の作品。発売から二十年経った今でも、ここまで踏み込んだ鬼畜ADVは数えるほどしか出ていないわ。陵辱を「ジャンル」として書ききった作品として、わたしの中では今でも上位の棚にある。シコれるわ。これは確かに、シコれる作品よ。

「認めるわ。陵辱を『ジャンル』として書ききった、一級品よ。シコれる作品が見たいなら、これを選ぶことを止めはしない。」

— 新藤エレナ