ネタバレゾーン — 未プレイの方はご注意ください ← ネタバレなしページに戻る

柊美香のレビュー — MOON.(ネタバレあり)

柊美香
柊美香
覚悟の番人
7.3/10
7.3 / 10

郁未は最後まで逃げませんでしたわ。それだけは、認めますわ。

うそだ」という一語は、郁未という人物の全てを代表しておりますの。母を殺したのは自分だという真実を突きつけられて、なお「信じない」と言える意志。それが物語の積み上げの帰結として機能しておりましたわ。高槻の動機設計の薄さは積み残しが残る。Hシーンの評価は分かれますわ。でも、この作品が問うたことは本物でございます。7.3。

スコア詳細

主人公の造形 8
エンディング満足度 8
テーマ・メッセージ性 7
設定の整合性 8
Hシーンの質 6
文章力 7

「うそだ」——郁未という人物の集約

クライマックスでが「郁未の母親を殺したのは、キミ自身なのだよ」と突きつけたとき、郁未は「うそだ」と言いますの。

この一語に、わたくしは動かされましたわ。

「うそだ」は単純な否定ではございませんの。郁未はその場面で、真実の可能性を理解した上でなお拒絶しておりますわ。論理的に否定しているのではなく、意志の力で押し返している。これは序盤で「本当はよくわからない、ただ悲しみをふっ切るために何かをしたいだけかもしれない」と自己告白していた郁未が、物語を経て辿り着いた答えでございます。自分の動機の曖昧さを知りながらも、最後まで進み続けた人物だけが言える「うそだ」ですわ。

わたくしの評価軸で申し上げると、これは「逃げなかった者の言葉」でございますわ。真実が自分に不利であっても向き合い続けることと、それでも「信じない」と言い切ることは矛盾いたしません。郁未はその矛盾を体現できる人物として最後まで描かれておりましたわ。

この一点で、わたくしはこの作品のエンディングを信頼できますの。

動機の積み上げ——三段階の変化を確認しましたわ

郁未の動機は物語を通じて三段階で変化しておりますわ。この変化が丁寧に積み上げられているかどうかが、わたくしの評価の核心でございます。

第一段階は「母の仇討ち」でございますわ。これは明確な動機ですが、潜入直後の時点で郁未自身が「本当はよくわからない」と揺れを認めておりますの。動機を持ちながらも、その動機に自信がない人物として描かれているのがスタート地点でございますわ。

第二段階は「少年との関係」でございますの。施設中盤、郁未と少年は交わりますわ。「これが人と人との交わり、私が求めていたもの」という独白は、郁未が復讐という目的から外れたところで何かを求めていたことを示しております。孤独な戦いの中で、つながりへの欲求が動機の内側に入ってきておりますわ。

第三段階は「真相と向き合う意志」でございますわ。クライマックスで母を殺したのは自分だという真実が突きつけられる。ここで郁未がどう応答するかが、物語全体の帰結となりますの。「うそだ」を選ぶことで、郁未は復讐という当初の動機を超え、意志の力そのものを発揮しておりますわ。最初の動機が否定された後でも逃げなかった。この変化の軌跡が、主人公の造形に8を付けた理由でございます。

高槻という設計の届かなさ——「なぜ」が薄うございますわ

こちらで申し上げると申し上げていた、B棟巡回員・高槻の評価でございますわ。結論から言いますと、届かなかったのですわ。

高槻は施設中盤で晴香を陵辱し、その後義兄・良祐と晴香への近親強要を行い、終盤で少年の正体を暴露いたします。物語上の機能は明確でございますわ。施設の統制機能と結びついた加害者として配置されており、郁未たちの前に何度も立ちはだかる。この配置は設計として機能しております。

ただ、わたくしが問いたいのは「高槻はなぜそうなのか」でございますわ。作中で高槻の動機はほぼ描かれておりませんの。「狂的サディスト」として処理されており、加害行為に対する内的論理の説明がございませんわ。「いい仕置きじゃないか」という台詞は高槻の認識を示しておりますが、なぜそう認識するに至ったかは描かれていない。

FARGO施設という閉鎖組織の中で、暴力を担う人物がどのようにしてそこに至るか。これは組織論として問えるはずの部分でございますわ。カルト組織における加害者の内的論理は、被害者の傷と同等に問うべき対象でございます。この作品はFARGO施設の設計にある程度の丁寧さを見せているだけに、高槻の「なぜ」が薄い部分は積み残しに見えますわ。

「参ったぁ」と言いながらも奇妙な存在感を持つキャラクターではあるのですけれど、それだけでは覚悟の評価には届きませんわ。

Hシーン評価——物語連動と、そうでないものと

Hシーンの評価が6である理由を申し上げますわ。物語と連動しているものとそうでないものが、混在しておりますの。

評価できるのはH1でございますわ。郁未と少年の交わりは、施設での孤独な日々と少年との関係の積み重ねを経たうえで訪れますの。「これが人と人との交わり、私が求めていたもの」という郁未の独白は、復讐という目的だけでは埋められなかった何かへの渇望を示しております。この場面は物語の文脈の中に置かれており、エロシーンとしてだけでなくキャラクターの変化の証として機能しておりますわ。

H8(DEAD1のバッドエンド陵辱)は、郁未の「Class D降格」という施設の恐怖を体験させるシーンでございますわ。内容は苛烈でございますが、選択の結果として存在する点で作品の因果設計に組み込まれておりますの。覚悟のある悪エンドは、わたくし評価いたしますわ。「思考を閉ざした」という郁未の最終状態は、生存より恐ろしいものとして設計されておりますわね。

H7(晴香の精練の間)については、高槻の動機設計の薄さという問題と重なりますの。晴香が「人には訊かれたくないような辛い出来事」と言うその傷は本物でございますわ。ただ、加害側の「なぜ」が薄いままですと、このシーンの重さが十分に活かされていないと感じますわ。

H2〜H4(シャワーシーン・前哨戦)は施設内日常の描写として機能しておりますが、物語への寄与という観点では補助的でございますわ。全体を見渡すと、質にばらつきがございますの。それが6の理由でございます。

BADエンドの設計——「逃げる」ことへの罰と、逃げない物語

この作品にはいくつかのBADエンドがございますわ。そのいずれかを確認してから申し上げたいことがございますの。

精神世界エンドは、「母を殺したのは私」を認めると郁未が精神世界に閉じ込められ、牛か豚の脳と交換されてしまいますわ。この結末は残酷でございますが、「自分の罪を認めて折れてしまった者への報い」として設計されておりますの。真エンドで「うそだ」を言える郁未と、「そうだ」と折れてしまった郁未の差が結末の差を生む構造は、覚悟の問いとして整合しておりますわ。

DEAD1の陵辱エンドは、施設のルールを破った者への施設側からの応答として存在しておりますわ。主人公が無力化されたまま「一切の思考を閉ざした」状態で終わる。これは見せ方として苛烈ですが、この閉鎖組織がどういう場所かを教えるシーンとして機能しておりますの。

真エンドは真エンドとして、BADエンドはBADエンドとして、それぞれが論理的に成立しておりましたわ。「逃げた結果がどうなるか」を見せた上で、「逃げなかった郁未」の価値が際立つ構造でございます。この設計は評価いたしますわ。

7.3の根拠——逃げなかったことと、積み残された問い

最終的な評価を申し上げますわ。7.3でございます。

郁未という人物が、物語の積み上げの帰結として「うそだ」と言えるところまで描かれたこと。BADエンドの設計が因果として機能していること。エンディングが復讐という当初の動機を超えた場所に着地していること。これらが7.3の根拠でございますわ。

8に届かない理由は申し上げた通りでございますわ。高槻という人物の「なぜ」に踏み込んでいただきとうございましたの。閉鎖組織における加害者の内的論理は、被害者の傷と同等に問うべき対象でございます。FARGO施設の設計に丁寧さを見せただけに、そこに覚悟が足りなかった部分は残念でございますわ。

Hシーンは物語連動のものに評価できる部分がありましたが、全体の質は均一ではございませんの。

それでも。「郁未の母親を殺したのは、キミ自身なのだよ」という真相を用意したこと、そしてその真相に対して「うそだ」と言い切る主人公を描いたこと。1997年の作品がここまで問うたことは、本物でございますわ。

「郁未は最後まで逃げませんでしたわ。それだけは、認めますわ。」

— 柊美香

7.3でございます。