大和仁のレビュー — Prismaticallization

大和仁
大和仁
教養の番人
8.0/10
8.0 / 10

時間を結晶に見立てる発想、現象学の語彙、三冊の引用書。これだけ別系統の教養を、夏の山荘という小さな箱に畳み込んでいる。

1999年、アークシステムワークスがPS・DCで出した全年齢のアドベンチャー。シナリオ池田修一、原画射尾卓弥。題名のPrismaticallizationはPrism(プリズム)+crystallize(結晶化する)+-ationの造語で、序盤に作中人物が語る「時間が結晶に差し込むと、プリズムのように様々に見える」という発想がそのまま題名の定義になっている。ぼくがこの作品に唸ったのは、この一つのメタファに、物理の語彙・現象学の概念・三冊の文学引用が同じ方向を指して配置されている点だ。本作は時間の繰り返しを扱った作品だが、その「時間」を物理と文学の両側から考えた跡がある。内輪参照では絶対に出てこない幅だ。8.0。

スコア詳細

設定の整合性 8
世界の奥行き 8
設定の独自性 9
テーマ・メッセージ性 8
文章力 8
作品の尖り 8

このゲームについて

時間の繰り返しを扱ったADVがあると聞いて、ぼくがまず気にしたのは、作者がその「時間」を物理の言葉で考えたのか、文学の言葉で考えたのか、どっちなんだろう、ということだった。

Prismaticallizationは1999年、アークシステムワークスからPlayStation・ドリームキャストで発売された全年齢のアドベンチャー。シナリオは池田修一、原画は射尾卓弥。ジャンルは「サークレイト・アドベンチャー」と名乗っている。サークレイト(circulate=循環する)の名のとおり、夏休みの山荘で過ごす一日が、微妙な差異を伴って繰り返される構造を持った作品だ。

主人公の射場荘司は18歳の受験生。隣家の幼馴染柊明美に連れられ、山奥の山荘へやってくる。そこは五歳年上の木ノ下さよりと、寡黙な少女みゆが切り盛りする避暑地で、先客の鳴川澄香沢村雪乃も加わって、女ばかりの中で荘司の夏が始まる。

ぼくがこの作品でやろうと思っていたのは、いつもの読み方だ。SFや伝奇や時間ものをADVで扱うとき、作者がどの分野の知識を持っていて、それをどこまで誠実に使っているか。見るのはそこだけだ。結論から言うと、本作は物理と文学と哲学を同時に持ち込んでいて、しかもそれが散らからずに一つの主題に向かって並んでいた。序盤で見える範囲の、その仕事ぶりから。

プリズムというメタファ——序盤の一台詞が、題名そのものになっている

まず核になるのは、序盤に荘司が聞かされるプリズム論だ。これは早い段階で提示される。

林の中で出会う一人の青年が、半透明にきらめく鉱石を見せながら、それは「過去の結晶」「世界そのもの」だと語る。そして「同様に、時間が、それに差し込む。するとプリズムのように、様々に見える。一本の時間線上では通過しない事象も、角度を変えるなり、何かを刻み込むなりすれば……」と続ける。これがそのまま題名Prismaticallizationの定義になっている。

面白いのはここなんだよ。プリズムというのは、白色光を波長ごとに分解して虹を見せる光学素子だ。一本に見えていた光が、ガラスを通すと複数の色に分かれる。これを時間に当てはめると、一本道に見えていた過去・現在・未来が、結晶を通すと複数の可能性として分かれて見える、ということになる。本作が「繰り返される一日」を扱う作品であることを思えば、その構造そのものを、光学の比喩一つで言い切っている。比喩が飾りではなく、世界のルールの説明として機能している。これはなかなか出来ることじゃない。

しかも作者は、この比喩を量子論の語彙で補強している。タイトル画面のシステム用語を見ると、内部状態が基底状態/励起状態で分類されている。基底状態というのは原子が最も安定した最低エネルギーの状態、励起状態はそれがエネルギーを得て高い準位に上がった状態を指す物理用語だ。時間軸の「重ね合わせ」というモチーフは、まさに量子力学の重ね合わせから来ている。プリズム(古典光学)と基底/励起(量子論)という、物理史の異なる時代の概念を、時間の多面性という一点に向けて束ねている。ぼくが「設定の独自性」に9をつけたのは、この束ね方の巧さが理由だ。

夜の哲学談義——フッサールとデカルトを、ヒロインの口に乗せる度胸

本作で序盤からぼくが驚いたのは、寡黙な少女みゆの語る言葉の選び方だ。これは正直、覚悟のいる書き方をしている。

みゆは自分の感覚について、「実在感、現実感、充実感、重量感、所属感……」「自己意識、それに時間感覚……」、そしてデペルソナリザシオンという語を口にする。これは仏語Dépersonnalisationの音写で、離人症・離人感障害を指す医学用語だ。荘司が即座に「離人症か……君が?」と和訳で返すあたり、主人公の博識を見せる場面でもあるんだけど、ぼくが感心したのはその先だ。

みゆは続けて「エポケーの結果に、コギトが残る。……だから、自分がある。……でも私には、何も残らない」と言う。これは凄いことを言っている。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、あらゆるものを疑い尽くした後に、疑っている自分の存在だけは疑えない、という近代哲学の出発点だ。フッサールのエポケー(判断停止)も、世界の存在を一旦カッコに入れて、最後に残る純粋意識から哲学を始め直す手続きを指す。ところがみゆは、その「最後に残るはずの自己」自体が自分には残らない、と訴える。離人症という症状を、近代哲学が前提にしてきた「思考する自己」の不成立として言い換えている。医学と哲学を一本で繋いでいる。さらに荘司との談義ではノエマとノエシスも出てくる。1999年に、これを少女のヒロインの口に乗せた作者の度胸には、素直に唸らされた。

この哲学の語彙が物語の解決にどこまで効いているかは、最後まで読んで判断したいところなので、踏み込んだ評価はクリア後のもう一本に回した。ここでは、作者が「雰囲気で哲学用語を借りた」のではなく、症状の説明として一貫した使い方をしている、という点だけは確かだ。用語の選び方に内輪参照の匂いがない。

アリス・夏への扉・真夏の夜の夢——三冊の本が、作品の地図になっている

引用の配置という点で、本作は相当に意識的だ。読書家の雪乃が持ち込む三冊の本が、それぞれ別の角度から本作の手触りを予告している。

雪乃が荘司との最初の会話で読んでいるのは『不思議の国のアリス』だ。彼女が読んでいるのはチェシャ猫の場面で、「ここではみんな狂っている」というあの台詞のところ。荘司が「『でなければ、ここへ来たりはしなかったさ』……かな?」と続きを暗誦する。ぼくはこの引用の選び方に膝を打った。「ここに来た者は皆狂っている、なぜなら狂っていなければここに来ない」という自家撞着は、観測者の側に世界の成立条件を置く論理で、プリズム論の「角度を変えれば違って見える」の文学版になっている。荘司自身が「アリスの気が振れることは、即ち、彼女の世界の変容を意味する」と内省する。

二冊目は『夏への扉』。ハインラインのタイムトラベルSFの古典だ。荘司は表紙を見て即座に「誰か、男性から贈られた、というところかな?」「ある趣味の男が、女性に勧める定番だからね」と当てる。コールドスリープと時間旅行で「失われた時間」を取り戻すこの物語が、本作の時間の主題と響き合っているのは言うまでもない。この本が誰から贈られたものなのかが、後の人物関係の手掛かりになっていく。

三冊目は『真夏の夜の夢』。雪乃は「恋人が取り変わっちゃうのは、ちょっと……ですけど」と言う。シェイクスピアのこの戯曲は、妖精パックの惚れ薬で恋人の組み合わせが夜の森で入れ替わる喜劇だ。荘司も「妖精が暗躍していそうな雰囲気だ」と山荘に重ねる。本作が荘司と複数のヒロインの誰とでも結ばれ得るマルチルートであることを思うと、「恋人が取り変わる」というモチーフは、本作の分岐構造とプリズム論の両側から同じ一点を照らしている。三冊の選び方が偶然なら凄い、計算なら見事だ。ぼくは計算だと思っている。

三度呼べ・失せ物の伝承——民俗の言い伝えを、主題の論理に変えている

世界の奥行きという点で見ておきたいのが、山荘に伝わる失せ物の伝承だ。これも序盤に明美が語る。

無くしたものを「三度呼べ」ば見つかる、という言い伝えで、対象は「人、物、そして想い……」。荘司が「無くしたモノが判らないのに、呼べるのか?」と突っ込むと、明美が「問と答が同じ……それを呼べる時点で、もう手に入れてる……って、ことじゃないかな」と返す。これはなかなか深い逆説で、呼べる=名前を知っている=既にその存在を手にしている、という自家撞着になっている。失くしたものの名を呼べる時点で、それは失われていない。

荘司はこれを「典型的な、失せ物発見伝承だ。たとえば、27代安閑天皇の皇后が失踪した際にも……」と雑学で相対化する。安閑天皇は六世紀前半、在位わずか数年の天皇で、こんなところを引いてくる荘司の博識はキャラ造形として効いている。ただ、ぼくがここで評価したいのは、ありふれた民俗伝承を、作者が本作固有の主題に作り変えているところだ。普通の失せ物伝承は「物」を探す。本作の伝承は「想い」も探せる、というところに一点だけ手を加えている。明美は「迷って、見失ってしまった自分自身の心……それも見つかる」と言う。この一点の改変で、民俗的な失せ物の話が、自分の本心を取り戻す物語の主題装置に化けている。

そしてこの伝承は、プリズム論ともきれいに接続する。物理(プリズム)・哲学(現象学)・文学(アリスの自家撞着)・民俗(失せ物伝承)が、全部「観測すれば失われたものは見つかる」という一つの命題に向かって配置されている。世界の奥行きに8をつけたのは、山荘という狭い舞台の裏に、これだけの知識的な裏付けが層になって積まれているからだ。八年前まで複数の家族が同じ近所に住んでいた、という背景設定も、登場人物の関係が舞台の外側にちゃんと歴史を持っていることを示している。

8.0——時間を題材にした作品で、ここまで複数の学問を一点に揃えた例は珍しい

「教養が作品を豊かにしているか」。それがぼくの評価軸だ。本作もそれで測った。

Prismaticallizationは、ぼくの基準で「教養が構造として機能している」作品に該当する。プリズムという光学の比喩で時間の繰り返しを説明し、基底/励起という量子論でそれを補強し、ノエマ・ノエシスとコギトという現象学で寡黙なヒロインを造形し、アリス・夏への扉・真夏の夜の夢という三冊で物語の手触りを予告し、失せ物の民俗伝承で主題を一言に畳む。これだけ別系統の知識を、夏の山荘という小さな箱に、散らからずに畳み込んでいる。1999年の全年齢ADVでこの密度は、内輪参照では絶対に出てこない。

8.0という評価は「明確な知識的根拠があり、それを誠実に構造へ組み込んでいる」という評点だ。9や10に届かなかった理由は、終盤の着地に関わる話なので、踏み込んだところはネタバレ版に書いた。ここでは、道具立ての精緻さと、その使い切りの間に、ぼくは半歩の隙間を見た、とだけ言っておく。

それでも、これは「やって良かった」と思える作品だった。ぼくはプレイ後、フッサールの現象学入門書と、『真夏の夜の夢』を本棚から引っ張り出した。プリズムで時間を語るという発想がどこから来たのか気になって、結晶光学の項も読み返した。こういう発見があるのが、この趣味をやめられない理由なんだよ。題名の意味を最後まで考えさせる作品は、それだけで価値がある。

「プリズムの光学、量子論の基底と励起、現象学のノエマとノエシス、三冊の引用書、失せ物の民俗伝承。これだけ別系統の教養を、夏の山荘という一点に揃えた1999年のADV。ぼくが8.0と評価するのは、知識を見せびらかしではなく構造として使い切ったからだ。」

— 大和仁

クリア後の話を一本にまとめてある。プリズム=時間結晶のメタファがどう物語の核心に効いてくるか、離人症と現象学の接続が解決にどう関わるか、三冊の引用が予告した伏線の回収、記録・参照・解放の二重構造、そして終盤の着地への評価——プレイし終えた人にはそっちを読んでほしい。