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波多野瑠璃のネタバレレビュー — Prismaticallization

波多野瑠璃
波多野瑠璃
闇があるかだけを見る
8.0/10
8.0 / 10

爽やかな夏の表層の下に、人を奪った女と父に捨てられた娘の憎悪が沈んでいる。そして外で時間が繰り返している理由は、主人公が一歩を踏み出せないことそのものだよ。

表面はよくある夏の山荘もの、女の子に囲まれて湖で泳いだりトランプをしたりする日々に見えるだろうね。でも本作の本質はそこじゃない。みゆの「その人が、父を取ったんです」という告発、さよりの「人を好きになるのに、理由なんて無いから」という開き直り、沢村の兄の「必要なのは、雪乃だけだ」という独白。この三つの濁った想いが、爽やかな避暑地の底に静かに沈んでいる。そして最も巧いのは、林の中で同じ一日が微妙にずれて繰り返される外的なループと、主人公・荘司が誰にも踏み出せず疑念を回し続ける内的なループが、構造として同期していることだよ。外の時間が解けるのは、彼が「自分で踏み出せば良かった」と気づいた瞬間。考察の余白も十分にある。これは本質に触れている作品だと思うよ。

「時間が、それに差し込む」——タイトルそのものが世界観の定義になっている

本作の闇の輪郭は、序盤の林の中で草加が口にする一文から始まるよ。

主人公・射場荘司が林で出会う男・草加武則。彼が荘司に手渡す半透明にきらめく鉱石、プリズム結晶について、こう説明する。「それ自体が過去。過去の結晶。世界そのもの」。そして決定的な一文。「同様に、時間が、それに差し込む。するとプリズムのように、様々に見える」。これが作品タイトル『Prismaticallization』の意味そのものだよ。過去・現在・未来は一直線に流れているのではなく、結晶の中に閉じ込められた多面的な可能性として「在る」。光、つまり観測や意識が差し込む角度を変えれば、別の物語が見える。

この設定のいいところは、それが単なるSFギミックで終わっていないことだよ。プリズム結晶という一個のオブジェが、草加・みゆ・荘司・沢村兄・澄香の手を経由して循環する。草加が「始めに俺が拾った。それを彼女が持っていった。それを多分、落として……それを君が拾った」と語るとおり、所持そのものが円環を描いている。物が時間軸の中を循環し、その物を巡って同じ夏が繰り返される。設定が物語の構造そのものを駆動している。テンプレの飾りではない。設定の独自性として高く見ているのはこの点だよ。

そして荘司が木の幹の小さな十字の傷を見て「この十字の、ふたつの傷は時間をおいて付けられている。これは樹液の染み具合から判る」と推理する場面。あれは彼の観測眼を見せる小道具に見えて、本当は「同じ瞬間が繰り返されている物的証拠」を提示している。表層は雑学披露、本質は時間異常の最初の手掛かり。本作はこの二重構造を、序盤の何気ない一場面に仕込んでいるんだよ。

みゆの「その人が、父を取ったんです」——爽やかな夏の底に沈む家族崩壊

本作で最も濁った闇は、寡黙な少女・みゆが抱えているものだよ。

みゆは離人症を患っている。丘の上で荘司に「実在感、現実感、充実感、重量感、所属感……」と自分の喪失を医学用語で語り、「エポケーの結果に、コギトが残る。……だから、自分がある。……でも私には、何も残らない」と訴える。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」を、自分には当てはまらないと否認する小学生だよ。この台詞だけ取り出すと、早熟な少女の哲学ごっこに見えるかもしれない。でも本作はその空虚の原因を、後半できちんと用意している。

みゆの父・琴原耕一は、義理の姉である木ノ下さよりへの想いを抱えたまま、妻と娘を捨てて蒸発した。みゆはそれを察している。だからクライマックスで、さよりに向かって「その人が、父を取ったんです」「その人が、母から、わたしから、父を取ったんです」と告発する。爽やかな避暑地で、湖で泳ぎ、トランプをしていた少女が、内側ではずっとこの憎悪を抱え続けていた。みゆが時計を見つめ続けていたのも、木の幹に手を伸ばしていたのも、地面を這うように何かを探していたのも、全部プリズムを使って父を呼び戻すためだった。離人症という設定は、感情を持つことそのものを拒絶した結果なんだよ。さよりが「あの子は……人を嫌いだなんて、言える子じゃないの。人を嫌いにならないように、人を好きにならないように……ずっと」と語るとおり。

これは本物の暗さだと思うよ。明るい夏休みの群像劇の意匠の下に、「父に捨てられた娘が、その原因である女を憎みながら、それでも家族をやり直したくて時間に手を出す」という業を埋め込んでいる。表層しか読まない人間には、みゆはただの無口で不思議な子に見えるだろうね。でも本質を読めば、彼女がこの作品の闇の中心であることが分かる。

さよりの「人を好きになるのに、理由なんて無いから」——奪った側の開き直り

そしてさよりの側にも、対になる業があるんだよ。

木ノ下さよりは、屈託なく明るい山荘のホスト役として書かれている。荘司を「荘司ちゃん」と呼び、年齢を気にして「もうすぐ24だもの」と落ち込む、人懐っこい女性。表層だけ見れば、彼女はこの作品の癒し枠だよ。でも、みゆの告発を受けたときの応答が、彼女の本性を剥がす。

「馬鹿にしないで。わたしが何をしたっていうの。……何もしていない。できるわけ無いじゃない」。ここまでは弁明だよ。でもその後に続く一文が容赦ない。「それが……あの人を苦しめたとしても……でも、それで逃げるのは、弱い男よ。わたしは、そんな男に惚れちゃった。馬鹿みたい。……でも、そのことに後悔は無いの。人を好きになるのに、理由なんて無いから」。

これは謝罪じゃない。開き直りだよ。義理の弟である男に恋い焦がれ、結果としてみゆの家庭を壊す一因になった女が、子供を目の前にして「後悔は無い」と言い切る。普通の純愛ものなら、ここで罪悪感の涙を流させて和解に持っていく。でも本作のさよりは、自分の感情を撤回しない。「人を好きになるのに、理由なんて無い」という言葉は、純愛の肯定であると同時に、誰かを傷つけることへの免罪符にもなっている。この両義性を抱えたまま、彼女はみゆを抱きしめ、「その子に、あの人の子に、指一本でも触れたら、承知しないわよ」と草加に立ちはだかる。奪った側でありながら、守る側に回る。この矛盾を矛盾のまま提示しているのが誠実だと思うよ。本質から逃げていない。

そして琴原本人。一度だけ娘を迎えに来て、「お母さんは?」と問われると言葉が詰まり、荘司にだけ「違うんだ……私は気付いたんだ。自分が誰を……」「私に、親の資格は無いんだよ」と告げて、再び去る。妻ではなくさよりを愛していたという自覚。この男は最後まで自分の弱さと向き合えない。みゆの「えぅっ……えぅっ……おとうさん……」という幼い号泣の前で、それでも逃げる。さよりの業、琴原の業、みゆの憎悪。三人の濁った想いが一つの家族の崩壊として絡み合っている。これは関係性の構造として、相当に深いところまで掘っていると思うよ。

沢村の兄「必要なのは、雪乃だけだ」——主人公の卑屈さの行き着く先

もう一つの闇は、雪乃の兄が体現している。そしてこれは主人公の鏡像なんだよ。

沢村雪乃は、妹への歪んだ執着を抱えている。受験勉強を「下らないから、止めてきた」と捨て、「雪乃が心配だったんだ。見張っていた。ずっと」と妹を追跡し、最後にはプリズムの力で現実そのものを書き換えようとする。彼の人格を集約する一文がこれだよ。「この世には、無駄なものが多すぎる。必要なのは、雪乃だけだ」。世界の大半を「無駄」と切り捨て、たった一つの執着だけを現実に残そうとする。これは依存の極端な形だね。

本作が巧いのは、この兄を主人公・荘司の鏡像として配置していることだよ。荘司は兄と対峙したとき、内心でこう認める。「こいつは俺に似ている。だから腹立たしい。近親憎悪」。荘司もまた、序盤からずっと「自分は正しいのか。無駄なことをしているのではないか。より良い生き方が他にあるのではないか」と疑念を回し続け、「現在に生きる。今を捌くことに忙殺されれば、来るべきものを直視せずに済む。……ただの逃避だが」と自分の生き方を逃避と断じている人間だよ。沢村兄は、その卑屈さがプリズムの力と結びついたら何になるかという戯画なんだよ。世界を「退屈で、鈍重だ」と見下し、自分の執着だけを正当化する。荘司が一歩間違えればああなる。

だから荘司が兄に向けて「下らないと感じても、それでは何も変わらない。俺は、既に諦めた口だが」と言うとき、それは兄への拒絶であると同時に、自分自身の過去への決別でもある。同じ穴の住人だったからこそ刺さる。この鏡像構造を、ただの当て馬キャラではなく、主人公の内面の外在化として機能させているのは、本質に触れた設計だと思うよ。

外的ループと内的ループの同期——本作の核心はこの構造だよ

そして本作の闇の最も深い層は、この同期構造にあると思うよ。

表層で起こっているのは、プリズムを使ったみゆ・草加・沢村兄の介入によって、山荘の夏の一日が微妙な差異を伴って繰り返されるという外的なループだよ。これがSF的な仕掛けの部分。でも本作はもう一つ、内的なループを主人公の中に置いている。荘司はずっと、誰にも踏み出せず、疑念だけを回し続けている。みゆに対して「俺は、いつも訊きたいのだ。自分は、本当に必要な人間なのか。しかし言えない」とこぼすとおり、彼の精神は同じ場所を何周もしている。

この二つのループが、構造として完全に重なっているんだよ。外で時間が解けないのは、中で荘司が止まっているからだ、という読み方ができる。そして荘司が辿り着く確信。「ようやく気付いた。ただ単に、自分で踏み出せば良かったんだ」。この内的ループの解消が、外的ループの「解放」と同期する。草加が「絡みは解けた。記憶が連続しているのも、そのためだ」と言うとき、それは時間の絡みであると同時に、荘司の心の絡みでもある。

失せ物発見伝承「三度呼べ」という謎解きも、この構造を補強している。明美が語る「無くしたモノが判らないのに、呼べるのか?」「問と答が同じ……それを呼べる時点で、もう手に入れてる」という自家撞着。これは「自分の本当の想いは、それを名指せた時点でもう手の中にある」という主題と接続している。荘司の内的ループが解けるのは、彼が自分の想いを「呼べる」ようになった瞬間だ。雪乃が読んでいる『不思議の国のアリス』の「ここではみんな狂っている」という引用、雪乃が兄から贈られた『夏への扉』というタイムトラベルSF、『真夏の夜の夢』の「恋人が取り変わる」モチーフ。これらの文学引用も、全部この作品の構造を多面的に照らすために配置されている。考察の余白として、ここまで張り巡らせている作品はそう多くないよ。

……まあ、具体的に全部の引用がどう収束するかは、もう少し読み込まないと言葉にならないけどね。でも、表層の夏の日常の下に、これだけの仕掛けが二重三重に組まれている。それだけは確かだよ。

弱点も整理しておく——掘り切れていない深淵と、日常の尺

公平のために、深みを出しきれなかった部分も書いておくよ。

一つ目。日常パートの尺が長い。湖の水遊び、バドミントン、釣り、占い、トランプ。これらは5人の関係を成立させるために必要だとは理解している。でも本作の本質を覗きにきた読者にとっては、みゆの離人症やさよりの過去という濁った核心に到達するまでが、やや遠い。澄香の「秘めた想いを抱いた者同士!協力し合いましょう!先輩!!」という勢い任せの誤解や、相愛指南本の騒動は、軽薄ではあるけど……まあ、テンポの作り方としては悪くはないかな。ただ、この尺をもう少し圧縮して、みゆと琴原の関係や沢村兄の崩壊にもっと筆を割いてくれれば、より純度の高い闇になっただろうとは思うよ。

二つ目。草加という男の扱いだよ。彼は「世界変革」を企てる男として、荘司の卑屈さの「もう一段先」を体現する重要な存在のはずだ。でも、その動機の核心、彼が断り続けた「想う相手」が誰なのかは最後まで明かされない。「俺には、想う相手がいるからと。……それは変わらない。変わったのは、俺だ」という台詞だけが残る。考察の余白と言えば聞こえはいいが、これは余白というより、掘り切れずに放置された深淵に見える部分もあるよ。草加が何を抱えてあそこまで世界を憎むに至ったか、その業の根っこにもう一段踏み込んでほしかったね。

三つ目。後日談のコミカルさだよ。沢村兄が「嫌がらせ」として雪乃を荘司の家に料理持参で送り込む、という奇妙に笑えるオチ。あれは、それまで積み上げた兄の狂気の重さを、最後にやや軽くしてしまっている。荘司が「現実への復讐の傑作」と笑い出すのは分かるが、闇を求める側としては、もう少し兄の崩壊を冷たいまま終わらせる選択もあっただろうと思うよ。

8.0——夏の表層の下に、ちゃんと闇が沈んでいる作品

最終評価を整理するよ。

本作の本質は「夏の山荘で女の子に囲まれる話」ではない。「父に捨てられた娘の憎悪、奪った女の開き直り、妹に執着する兄の崩壊——この三つの濁った想いが、時間の繰り返しという装置の中で解かれていく話」だよ。そして最も評価しているのは、外で時間が繰り返している理由が、主人公が一歩を踏み出せないことそのものだという、外的ループと内的ループの同期構造だ。SF的な仕掛けと、人間の内面の停滞が、構造として一つに溶けている。これは本質に触れている設計だと思うよ。

テーマ8・世界の奥行き9・雰囲気8——本作の評価の底はここだよ。爽やかな夏の意匠の下に不安と離人感を沈めた空気の作り方、プリズム結晶という設定が物語構造を駆動する手腕、文学引用を多面鏡として張り巡らせた考察の余白。これらは、知る人ぞ知る作品の孤高さとして、十分に尖っている。大衆に媚びていない。誰にでも届く作品ではないし、届かせる必要もない深さを持っている。

引き下げているのは、日常の尺の長さと、草加の業を掘り切れていない部分、そして後日談の軽さだよ。深淵に手を伸ばしながら、その底まで降りきらずに引き返した箇所がある。それでも、本作が本質から逃げていないことは確かだ。みゆの「その人が、父を取ったんです」、さよりの「人を好きになるのに、理由なんて無いから」、沢村兄の「必要なのは、雪乃だけだ」——この三つの台詞が同じ作品の中に共存していること自体が、この作品の誠実さを示していると思うよ。

……まあ、そういう作品だよ。表層の夏の爽やかさだけ見て通り過ぎる人が多いだろうね。でも、本当の輪郭は、その下に沈んでいる三人の業と、二重に重なったループの構造を読み込んだ時に立ち上がってくる。分かる人間には届く作品だと思うよ。8.0という評価は、その深さへの敬意と、掘り切れなかった箇所への留保の両方を含んでいる。