ネタバレゾーン — 未プレイの方はご注意ください ← ネタバレなしページに戻る

マルチナのレビュー — Remember11 -the age of infinity-(ネタバレあり)

マルチナ
マルチナ
未完を看取った古参
7.5/10
7.5 / 10

2004年の傑作は、結末だけが時を越えられなかった。

「あなた、誰? あなたは……悟じゃない……」——黛鈴がこのひとことを告げた瞬間、画面が暗転して、それきりじゃ。第3の人格αは何者か。セルフとは何か。何ひとつ確定しないまま終わる。中澤工とKIDの間で完結形式の意見が割れ、第三章「セルフ編」が収録されないまま2004年に世に出た——これは公式が認めておる事実じゃ。前半から中盤までは、わしが500年見てきた中でも上位に入る精度の伏線運用じゃった。だからこそ未完の傷が深い。総合7.5。この数字は「本物の骨格があったのに、結末が時を越えられなかった」という審判の上に乗っておる。

スコア詳細

作品の尖り 9
歴史的意義 8
テーマ・メッセージ性 8
世界の奥行き 8
文章力 8
エンディング満足度 4

当時の記憶——2004年、Ever17の次に何が来るのかを誰もが待っておった

2004年3月18日。あれはな、わしのような古い者でさえ少し前のめりになった年じゃ。

前提を言うておこう。KIDのインフィニティシリーズは、Never7(2000年)で人格と時間の遊びを試し、Ever17(2002年)で「複数視点でしか辿り着けない真相」を一つの到達点まで持っていった。Ever17がじわじわと評判を広げ、ゼロ年代ビジュアルノベルの一つの基準になりつつあった、ちょうどその只中じゃ。だから2004年、シリーズ第3作のRemember11が出ると聞いたとき——業界の空気は「Ever17を超えるものが来るのか」という一点に集まっておった。期待値は異常に高かった。それは嘘ではない。

わしも当時、PS2の前に座った。冒頭、機内で楠田ゆにという少年が冬川こころの目を後ろから覆って「うしろのしょーめんだーれ?」と囁く。あのかごめうたの不穏さ。続けて「この世界は二律背反するふたつの要素がうまく重なりあって共存してるんだ」とゆにが言う。掴みの時点で、わしは姿勢を正した。「これは遊びでうたを引いておらん。作品全体の構造を冒頭で予告しておる」と。

そこからの前半は、いま思い出しても精度が高い。HAL18便が朱倉岳上空で墜落する。こころは登山家の黄泉木聖司、ハイヒールのまま不機嫌な黛鈴、無事だったゆにとともに避難小屋に身を寄せる。同時に、もう一人の主人公・優希堂悟は青鷺島の精神医療施設スフィアで目覚める。二つの閉鎖空間が、同時に、別々に閉じていく。雪山の遭難集団と、隔離施設の収容者たち。どちらも逃げ場がない。この二空間密室を並走させた時点で、緊張の糸が一度も緩まん。当時、ここまで「中弛みのない」シナリオは珍しかった。

そして二人の意識が33分周期で入れ替わり始める。互いの肉体で、互いの場所の謎を背負わされる。情報が片側にしか落ちておらず、もう片側では意味が分からない——この非対称性が動き出したとき、わしには見えた。「KIDはEVEから受け継いだものを、また一段、複雑にしてきた」と。

再プレイして——転移の正体と、第3の人格αを今の目で見る

久しぶりに通しでやり直した。真相を知った上で最初から辿ると、前半の伏線の張り方は、いま見ても緻密じゃ。

核心の説明役は榎本尚哉——スフィアの地下に潜む、悟の同僚じゃ。彼が告げる。「きみ達は人格交換――人格が転移をしているんじゃない。本当に転移しているのは……空間」。ここが一つ目の山じゃ。多くのプレイヤーが「人格が入れ替わっている」と思い込んで進んできたところに、転移しているのは半径110mの空間そのものであり、2011年の朱倉岳と2012年の青鷺島が物質ごと入れ替わっている、と裏返してくる。意識だけが地縛されて残り、空になった器に憑依する。33分という制限時間。量子テレポーテーションの理屈を、アリスとボブの比喩まで持ち出して説明する。

正直に言うと、ここのテキストはやや過剰じゃ。EPRペアだのベル測定だのユニタリ変換だの、専門語を浴びせてくる。当時は「ここまで踏み込むか」と感心したが、今読むと衒学が前に出すぎておる気はする。ただ——衒学に逃げただけの設定ではない。転移の仕組みが、後の謎解きの足場として実際に機能しておるからな。そこは認めねばならん。

第3の人格α

二つ目の山が、第3の意識の存在じゃ。映像解析で、榎本が惨殺された時刻——1月14日午後6時44分からの33分間、悟の肉体を動かしていたのは悟でもこころでもない、第3の意識だったと分かる。「オレ自身の中に生まれたオレではない別の人格――これが答えだ」。悟が自分でそこに辿り着く。3つの地点、3つの意識という構造の完成じゃ。朱倉岳にこころ、スフィアに悟、そして第3地点・穂樽日鉱山にα。

このαが、榎本をナイフで刺し、穂鳥に「悟は、どっちが好き? これで……刺すのと、刺されるの、どっち?」と血まみれで問わせる。冒頭、阿波墨の事件で犬伏景子が逮捕直前に呟いた「セルフはどこ?」——あれがαの別名を示唆しておる。再プレイすると、この「セルフ」という語が冒頭から仕込まれていたことに気づく。初見では聞き流した一語が、2周目で全部繋がる。ここまでの伏線の精度は、500年見てきた中でも上位じゃ。

キャラの再評価もしておこう。ゆにの二重存在が、再プレイで一番効いてくる。避難小屋のゆには「ぼくは……2012年の住人。ぼくは、1度も転移なんてしてない」と打ち明ける。未来から来た本人が、偽の新聞を自分で持ち込んで歴史をなぞらせていた。「ぼくはね? ただ過去を変えたくなかっただけなんだ」「歴史は繰り返される、いつまでも変わることなく永遠に……」——この少年の動機が、無限というテーマの体現になっておる。子安武人が演じた悟の硬質さと、ゆにの掴みどころのなさ。この二人のテキストの書き分けは、いま読んでも崩れておらん。

時間の審判——未完という結末は、時を越えられたか

「残るか残らないか」——わしの審判はいつもここに帰着する。そして、この作品は審判が二つに割れる。

骨格は残る。これは断言できる。前半から中盤の伏線運用、二空間密室の緊張、無限と二律背反というテーマの提示——ここまでなら9を付けても惜しくない仕事じゃ。問題は最後の一歩じゃ。

サトル編の真エンド「Delta」。悟が朱倉岳に転移したスフィアから出て、雪崩に呑まれかけた黄泉木・内海・穂鳥・こころを救う。朝焼けの中で「オレの名前は――優希堂悟だ!」と叫ぶ。ここまでは感情の解放として機能しておる。内海カーリーが——息子の潤一を犬伏に殺され、復讐のためにスフィアへ潜入していたあの女が——青鷺島の海岸で双子の赤ん坊と再会する。黄泉木が雪原で「赤ん坊ができて、ようやく一条の光を見出したんだ」と語っていた、その光がここで形になる。救済の絵はちゃんと用意されておった。

だが、その直後じゃ。黛鈴が海岸で悟に向かって「あなた、誰? あなたは……悟じゃない……私の知っている……優希堂悟じゃないわ……」と告げる。元恋人の女が、本来の肉体に戻ったはずの悟を「別人だ」と見抜く。そこで——終わる。第3の人格αは結局誰なのか。セルフとは何か。ライプリヒ製薬の「計画」の全貌は。黛は何を根拠に気づいたのか。提示された巨大な謎が、何ひとつ確定しないまま幕が下りる。

これはな、書き手が筆を置いたのではない。第三章「セルフ編」が、開発期間とスタッフ間の意見対立のせいで収録されないまま出荷された。デバッグ用のメニューには「セルフ編」の項目だけが亡霊のように残っておる。中身は空じゃ。当時のわしは、エンドロールの後にあの黛の台詞を見て——しばらく動けなんだ。「ここで終わるのか」と。怒りとも落胆ともつかぬ何かじゃった。

再プレイした今、改めて言うておこう。セルフ編がないことで、この作品は「謎を解く快感」を約束しておきながら、最後に約束を破る構造になってしまった。エンディング満足度に4を付けたのはそのためじゃ。3でも5でもない。救済の絵は描けていた、しかし作品が自ら立てた問いに答えなかった——その引き算で4じゃ。「終わってからが本当のループの始まり」などとプレイヤーが言い習わすのも、裏を返せば「作品が終わっていない」という証言に他ならん。

テーマには8を付けた。無限・二律背反・解離。提示の鋭さは本物じゃ。ただ、その問いが結末で収束しなかった以上、9には届かん。一段足りなかった。それがこの作品の宿命じゃ。

業界史の中で——インフィニティの血脈と、未完が残した教訓

作品の尖りに9。歴史的意義に8。わしの基準で、尖りが最高点に近いのに歴史的意義が一段下がるのは——珍しい配点じゃ。

尖りが9なのは明白じゃ。人格交換に見せかけた空間転移、二空間密室、3地点・3意識という構造。この組み合わせの手触りは、他のどこにもない。インフィニティシリーズの中でも、Ever17の閉鎖空間ものとは別の方向に振り切っておる。「これの代わり」は存在せん。だから9じゃ。

では歴史的意義がなぜ8で止まるか。系譜の話をしよう。EVE burst error(1995年)が示した「複数視点が交差してしか見えない真相」というコンセプトは、KIDへ流れ込み、Never7・Ever17・Remember11と発展してきた。Remember11は、その血脈の中で技巧的には最も複雑な位置におる。後にこのシリーズの遺伝子は12Riven(2008年)へ、そして開発者たちが散った先——内藤寛らが関わった後年のビジュアルノベル群へと受け継がれていく。系譜の一里塚としての重みは確かにある。

だがな、歴史的意義というのは「後続が何を学んだか」で測るものじゃ。Remember11が後続に残した最大の教訓は——皮肉なことに、「未完で出すと、どれだけ前半が優れていても作品全体の評価が割れる」という負の証言じゃった。Ever17が「ちゃんと閉じた」ことで歴史に刻まれたのと対照的に、Remember11は「閉じなかった」ことで語り継がれておる。技術の継承よりも、開発体制と完結の覚悟という別の教訓を業界に刻んだ。だから8じゃ。9ではない。

世界の奥行きには8を付けた。ライプリヒ製薬という日独合弁の企業、量子テレポーテーション理論、スフィアという施設、用語と注釈に積まれた膨大な周辺設定——主人公の見えないところに世界が広がっている感触は確かにある。犬伏景子のDID、黄泉木一家の悲劇、沙也香の死。一人ひとりの背後に物語が用意されておる。設定の厚みは当時の水準を超えておった。

文章力に8を付けた根拠も述べておく。緊張する場面の切れ味、二人の主人公の文体の書き分け、ゆにの不気味な台詞回し——テキストとして読める。緊張する場面は今も際立つ。ただ、転移の理論説明の場面で衒学が前に出て、テンポが落ちる箇所がある。その差し引きで8じゃ。

「2004年の傑作は、結末だけが時を越えられなかった。骨格は残るが、最後の扉が開かなんだ——それだけが、いまも惜しい。」

— マルチナ

7.5。これは「本物の骨格を持ちながら、結末が時を越えられなかった一本」という審判の数字じゃ。あの黛の台詞の暗転を、わしは500年後も覚えておるじゃろう。そして同時に、その先が永遠に来ないことも。