波多野瑠璃のレビュー(ネタバレあり)— 雫

波多野瑠璃
波多野瑠璃
闇の審美眼
9.0/10
9.0 / 10

瑠璃子が兄を許していた——その一行が、この作品に深みを与えている。

全ルートを通してから、一番深く刺さったのは月島の悪でも電波の設定でもなかった。「…お兄ちゃん…私…もう…許してたよ…」という瑠璃子の一言だよ。兄に強姦され、精神を壊され、それでも屋上で待ち続けた少女が——ずっと赦していた。この一行があるかどうかで、作品の深さが決まる。

スコア詳細

テーマ・メッセージ性 9
雰囲気・没入感 10
設定の独自性 9
世界観の奥行き 9
文章力・描写力 8
作品の唯一無二性 9

このゲームについて

1996年、Leaf Visual Novel Series第1作。シナリオは髙橋龍也。

3月の高校が舞台。主人公・長瀬祐介は妄想癖のある内向的な少年で、「狂気の扉」が見えている。クラスメイト太田香奈子の発狂事件をきっかけに深夜の学校を調査し、月島瑠璃子と出会う。真相は「毒電波」を操る月島拓也——瑠璃子の実兄だった。13エンドを持つ作品だよ。

月島と主人公——「闇」の源泉は同じだった

クリア後に俯瞰して、最初に思ったのはそのことだよ。

「もともと電波を使えたのは瑠璃子だった。僕は瑠璃子と交わることで電波の存在を知った」——月島が崩壊しながら叫ぶこの台詞が、全ての設計を開示する。主人公も瑠璃子と性交することで電波を覚醒する。源泉は同じだよ。

月島は4歳で両親を失い、伯父に引き取られ、暴力と夜の喘ぎ声の中で育った。妹への愛が屈折して暴力に変わった。主人公も孤独な少年で、「狂気の扉」の前に立っていた——その空白に、月島と同じ暗さがある。違いは「誰かを傷つけることで力を持とうとしたか、傷ついている誰かを救おうとしたか」の一点だけだよ。

この鏡像設計があるから、月島は単なる「悪役」ではない。主人公が別の選択をしていれば月島になっていた可能性を、テキストが静かに示している。「鏡に映った自分のような月島さん」という主人公の内面描写は——この設計の自覚だよ。

「…お兄ちゃん…私…もう…許してたよ…」

この一行のために、全ルートある。

4歳で両親を失い、伯父宅で兄と二人だけで育って、中学生の頃に兄から強姦された——瑠璃子の背景を知った上で、もう一度あの台詞を読む。「…お兄ちゃん…私…もう…許してたよ…」。

恨んでいなかった。ずっと「助けて、助けて」と泣き続けながら、月島のことを赦していた。だから屋上でずっと待っていた——月島を止められる誰かを探しながら、同時に月島を救える誰かを探していた。その两立が、瑠璃子というキャラクターの核心だよ。

月島の精神世界に現れる幼い拓也が言う。「るりこが…ぼくのいもうとの…るりこが…いなくなっちゃったんです…」「ぼく…もうやだよ…ひとりっきりなんて…もう…やだよ…」。月島の暗さの源泉が4歳の孤独だった——この開示があるから、瑠璃子の「許していた」が嘘にならない。傷つけた人間の中にある子供の泣き声を、瑠璃子は見ていた。……これは、相当な深さだよ。

「…お兄ちゃん…私…もう…許してたよ…」

— 月島瑠璃子

Hシーンの設計——物語と接続しているか

全部読んで、機能しているものとそうでないものがある、と判断した。

瑠璃子との合意シーンが最も設計として機能している。「好きにしていいよ」という台詞から始まり、性交の最中に夢の波紋として瑠璃子のトラウマ——兄による強姦の記憶——が主人公に流れ込む。そして電波が覚醒する。「魂の接触」として描かれているよ。快楽の描写ではなく、二人が心の底で出会う場面として。瑠璃子が処女ではなかったことも、その意味でここに乗っている。月島との過去が、主人公との「初めて」に影を落としている。この重層性は、相当なものだと思うよ。

強姦バッドの選択肢——「劣情に身をまかせ」を選んだ場合に主人公が瑠璃子を犯す——は鏡像構造の最も暗い具現化だよ。行為後の「うわああああああ」という絶叫と激しい自己嫌悪が、月島との違いをより際立たせる逆説として機能している。ここで月島と同じ罪を犯した主人公が、その先どう向き合うか——その問いを残す設計になっている。

冒頭の生徒会室での集団陵辱シーンは月島という怪物の全貌を見せるために必要な尺がある。「人間という動物は自分の力に対して無意識のうちにリミッターを設けてしまうものらしいね。僕は彼女のそれを外してあげたんだ」——月島の詭弁の論理がこの場面で提示される。太田による強制シーンも太田の「玩具化」を体現している。ただ瑞穂への集団陵辱の一部は尺が長すぎて、設計の必然より「エロゲーの文法」に引きずられた印象が残る。これが正直な評価だよ。

バッドエンドは「正しい帰結」として機能している

13エンドのうち7がバッド系——これは欠陥ではない。

「狂気の扉を受け入れた結果」として、バッドエンドの大半が必然性を持っている。月島陵辱バッドで主人公が瑠璃子を犯してしまう展開は、鏡像設計の最も暗い面を体現している。月島玩具堕ちバッドは月島の世界観に取り込まれた末路として設計上の必然がある。卒業式集団狂乱は「何もしなかった」という選択の正直な代償だよ。

「太田お願いバッド」は少し異色で、太田が持つ「お願い癖」という能力の発動として描かれる。壊されながらも願望を持ち続ける太田の哀れさと、その願望が招く破滅——短いが、彼女の本質を一番鮮明に見せる場面でもある。

異次元人編——軽薄だけど、嫌いじゃないかな

本編の空気を全部ひっくり返したメタパロディだよ。

両トゥルーを達成した後に解放される裏シナリオで、瑠璃子・沙織・瑞穂の3人が「アストラルバスターズ」として異次元人と戦う。本編のシリアスとは何ら接続しない、完全なコメディだ。「シナリオ担当のろでぃますだよ〜ッ!」というメタ発言でシナリオライター本人が登場する。

……僕が読んで感じたのは「こいつら、ちゃんと生き延びたんだな」ということだよ。太田瑞穂沙織も、あの狂気を経て笑える存在になっている。それがわかるから——軽薄ではあるけど……悪くはないかな。単純な蛇足として切り捨てる気にはなれない。

9.0——「深みを目指して、届いた」

瑠璃子ルートの完成度は、この評点より高いよ。

鏡像構造、瑠璃子の「赦し」、電波覚醒のHシーン設計、月島の崩壊——これらが一本の軸で繋がっている。「闇があるか」という問いへの答えは明確だよ。ある。本物の闇と、その底にある悲しみが、ちゃんとある。

サブルートの薄さと陵辱シーンの一部の冗長さが全体平均を引き下げているが——それでも9.0だよ。瑠璃子ルートだけ切り取れば、10に近い。「許していた」という一行の重さを作り得た時点で、この作品は本質に触れているよ。

「やっと、来てくれた」

— 月島瑠璃子(屋上での再会)

瑠璃子がずっと屋上で待ち続けていたのは——主人公を電波で目覚めさせるためだけじゃない。自分が赦していた兄を、誰かに止めてもらうために待っていた。この二重の意味が、「やっと、来てくれた」という五文字に入っている。……まあ、そういうことだよ。