名作になりそこねた。じゃがなろうとしていた地平は至高じゃった。
盗作騒動の逆風が吹く中、Leafの大阪チームが2001年に放った異色作じゃ。帝国陸軍強化兵を主人公に据えた設定の野心と、和風伝奇とSFが同居する依代町の世界観は、何百本と読んできたわしの目にも代替不能なものとして残っておる。テキストの重複表現癖や伏線の置き去りは見えておる。それでも「構想していたもの」の大きさを考えれば、7.0は妥当な評点じゃ。25年経って読み返しても、きよみルート終盤の感情の輪郭はまだ削れておらん。それだけ確かめられたら、わしには十分じゃった。
スコア詳細
2001年2月。Leafが大阪チームで最後に組んだ試みのことじゃ。
2001年2月9日、Leaf大阪開発チーム発売。雫・痕の系譜に連なるLeaf大阪チームの作品として期待されておった作品じゃな。
誰彼。漢字で「誰彼」と書いて「たそがれ」と読ませる。日が暮れて人の顔が見分けにくくなる時刻——それを和語で「誰そ彼(たそかれ)」と問うた古語が原典じゃ。題名の段階ですでに、和風と昏さの匂いを纏わせておる。主人公は坂神蝉丸。大日本帝国陸軍の特殊強化兵で、仙命樹という微細生命を体に宿し、敗戦間際に石棺に封じられた男。50年眠って、平成の鏡間市依代町で目覚める——そういう導入じゃ。
わしはこの作品を、発売日の翌週に大阪日本橋で買った。覚えておる。理由は簡単じゃ——わしは500年生きとる。Leafが次に何を出すか、その都度確かめる。それがわしの流儀じゃ。あの月の空気、店頭の置かれ方、葉鍵板の温度——全部その場に立ち会った。じゃから、このレビューは「再プレイ」というよりは、「もう一度立ち会いに来た」という感覚に近い。25年置いてから棚から取り出して、最初の画面の音が鳴った瞬間に、当時の店内の空気まで一緒に蘇ってきた。それくらい強い記憶を残した作品じゃった、ということじゃな。
このレビューでは、当時の記憶と再プレイの印象、その二つを重ねながら話していく。評点はその両方の上に乗っておる。
当時の記憶——三重苦を背負って出てきた異色作
2001年2月。あの月の空気は、今でも覚えておる。
雫・痕の系譜を引くLeaf大阪チームが、次に何を出すのか。葉鍵板の期待と疑念は半々じゃった。というのもな、発売のほんの少し前に盗作騒動が起きておった。痕のおまけシナリオで盗作が見つかり、Leafそのものへの信用が足元から崩れかけておった時期じゃ。ブランド買いしておった連中も動揺し、葉鍵板の空気は相当に悪かった。「Leafは終わった」という言葉が真顔で飛び交っておった、と言えば伝わるかの。
その中で——よりにもよって、こんな異色作が世に出たのじゃ。
石棺から目覚める坂神蝉丸。大日本帝国陸軍の特殊強化兵。50年の封印。目を開けた先は鏡間市依代町——和風伝奇とSFを正面から混ぜた近未来都市じゃ。2001年のエロゲー市場でこの題材を選ぶ者は、わしの知る限りおらんかった。「恋愛ADV」と銘打ちながら、出てきたのは旧軍の亡霊と覆製身を巡る業の物語じゃ。……おお、と思った。これは挑戦しとるな、と。
じゃが、板の反応は冷たかった。テキストの癖——同じ語義を重ねる書き方、「感じている感情は」のような重複表現が感感俺俺としてネタ化された。ライターの竹林明秀は板で超先生と呼ばれるようになり、半ば嘲笑の的じゃった。盗作騒動の直後というタイミングも重なって、作品そのものが冷静に読まれる前に、ブランドへの不信の余波を一身に受けて処理されてしまった、と言うほうが正しいかもしれん。
そのうち、大阪某ショップで誰彼100円という値付けが出たとかいう噂が流れた。事実かどうかはわしにも確かめようがない。ただ——そういう語られ方をした作品じゃった、ということじゃ。盗作騒動の逆風、テキストのネタ化、投げ売りの噂。三重苦を背負って出てきた異色作。BugBugの2001年セールスランキングでは4位に入っておったから、売れなかったわけではない。じゃが「正当に読まれたか」と問えば、答えは否じゃ。あの頃のことは、今でも少し苦い記憶として残っておる。
ErogameScapeの中央値は60点で「なりそこね名作」のタグが10件付いておると、最近どこかで見た。……ふん。あの板の連中も、結局はそう書いとるのか。25年経ってまだ「なりそこね」と言われ続けるのは、それはそれで一つの達成じゃと、わしは思うぞ。完全に忘れられた作品にはこのタグは付かん。
再プレイして——5本のルートをもう一度
久しぶりに最初から読み直した。5本のルートをぜんぶ通った。
依代町の空気はの、今読んでも代替が利かぬ。神道地名で固めた架空の街、岩場の社、夜の路地の昏さ——ここには確かにこのライターにしか出せない匂いがある。設定独自性に9を付けた根拠の大半はこの世界観じゃ。2001年の時点でこれを構想し、組み上げた胆力。何百本も読んできたが、この質の世界構築はそうそう出てこん。
紅い絆ルート(月代)月代のルートじゃな。最終盤で月代がきよみの覆製身と判明し、それでも蝉丸が「お前は月代だ」と受け入れる場面——あそこの台詞の選び方は今でも力がある。「魂は複製できん。俺の持論だ」と言ってのける主人公は、2001年のエロゲーでは珍しかった。さらにこのルートは——5本の中で唯一、終わった後に蝉丸が依代町に留まる選択肢が残るルートでもある。「旅立ち」を物語の常套にしなかった配置じゃ。月代という存在を選んだ蝉丸が、依代町でそのまま生きていく——そう読める結末を許しておるのは、5本の中でここだけじゃ。これは設計として勘所を押さえておる。
不老不死をルート(高子)桑嶋高子のルート。ここはな、再プレイして印象が一番動いたルートじゃ。当時は「看護婦見習いの娘がメインを張れるのか」と半信半疑で読んでおったが、終盤で考えを改めた。老蝉丸が黒幕として本体を撃とうとする場面——あそこに高子が立ちはだかり、「永遠に生きてどうなるんですか」と問う台詞が出る。看護婦見習いという、毎日「終わっていく命」と接しておる立場の娘が、不老不死の老人に向かって「終わりがあるからこそ」と言う構造じゃ。役職と台詞が完璧に噛み合っておる。配役の必然性、と言うやつじゃな。当時は感感俺俺のノイズに紛れて聞き逃しておった。再プレイで初めてあの場面の重さに気づいた。
時を越えてルート(きよみ)きよみのルートじゃ。これは——再プレイで一番揺さぶられた。
序盤で光岡悟が自ら六七式菌を塗って蝉丸に斬られに行く場面がある。光岡は強化兵の中でも欠陥持ちで、テロメア短縮による急速老化が迫っておる。彼が自分の死期を悟った上で、蝉丸の手で終わることを選ぶ——あそこの段取りの組み方は、当時もよかった。25年経って読み直すと、もう一段別の重さが乗ってくる。光岡が選んだのは「蝉丸を解放するための死」でもあるからじゃ。50年前の戦友を、50年後の自分が解放する。男同士の物語としての筋は、ここでほぼ通っておる。
そして終盤——蝉丸ときよみの50年の因縁が一気に収束する。トゥルーエンドは、きよみが書き置きを残して消える心中に近い結末じゃ。明示的な抱擁の場面ではなく、「もう書き置きしか残らない位置にきよみが行ってしまった」という、引き算の終わり方を選んでおる。これは——25年置いてから読み直すと、こちらの呼吸が一拍止まる。
……おお。まだあったか。これはまだあった。
テキストは粗い、重複表現もそのままじゃ。じゃがあの場面の感情の輪郭だけは、25年経っても削れておらん。500年生きておると、こういう発見は稀になるのじゃがな。
夕霧について(固有エンドなし)砧夕霧じゃな。正確には独立したルートを持たない——共通ルートに留まるキャラじゃ。眼鏡のおっとり娘で、ツノガエルの「ケロリン」を飼っておる、月代の親友というポジション。固有エンドはないが、共通ルートの中でいくつかの印象的な場面を持つ。「ケロリン」という日常の象徴を通じて、蝉丸が依代町に馴染んでいく描写の一端を担っておる。5本のルートの外に置かれておるが、依代町の「日常」を体現するうえで夕霧が欠かせないことは、再プレイして改めてわかった。
見届ける者ルート(麗子)石原麗子のルート。医師として登場する麗子は、実は安宅みやという元生科研技術課の人間じゃ——という構造を持つルートでな。面白いのは、最後まで「私はこういう者です」と自分の正体を物語の主役として明かさんことじゃ。タイトルが「見届ける者」というのは、そのまま彼女の機能を指しておる。蝉丸の物語に伴走し、知っておることを少しずつ渡していき、最後まで自分は前に出ない。ヒロインルートでありながら、ヒロインが「観測者」の位置を譲らない設計——これは2001年のエロゲーとしては妙に成熟した距離感じゃ。再プレイしてようやく、このルートの静けさの意味がわかった気がする。
5本通して、ヒロインの魅力には6を付けた。きよみと月代の重力は別格じゃ。じゃが日常パートでの掘り下げが浅いヒロインもおるし、ルートによって熱量に明確なムラがある。きよみと月代を10とすれば、夕霧と高子は7、麗子は6じゃな。平均で6、というのがわしの肌感覚じゃ。
もう一つ言うておくとな——5本通すと、犬飼俊伐という男の輪郭が浮かび上がってくる。きよみに恋し、彼女が死んだ後に覆製身を造り続けた研究者。覆製きよみが「あたしは……あなたに振り向いて欲しかった」と言って蝉丸の刃を受ける場面で、犬飼が初めて泣く——あそこを、5本のヒロインルートを横断した上で読むと、犬飼は単なる黒幕ではなく、「きよみという原身」を巡るもう一つのルートを背負ってしまった男に見えてくる。物語の影の主人公は犬飼じゃ、と読む者がおったとしても、わしは否定せん。
テキストの功罪——粗さと閃きが同居する
文章力に6を付けた。これは当時よりむしろ厳しくなった評価じゃ。
問題は明確にある。一人称と三人称の視点が段落の途中で切り替わる箇所がいくつかある。口語と文語が脈絡なく混在する。そして例の重複表現——感感俺俺と笑われたあれじゃな。制御されたスタイルというよりは、制御し切れなかった結果に見える箇所が多い。今の目で読むと、推敲の甘さが目につく場面が増えた。当時は「クセの強いライターじゃ」で済ませておった部分も、今は「クセではなく未整理じゃ」と判定せねばならん。25年の時間は、テキストには容赦ない。
じゃが——全部が悪いわけではないのじゃ。ここが厄介なところでな。蝉丸の独白が力を持つ場面は確かにある。50年前の記憶と現在が交錯する文脈で、言葉に重さが乗る瞬間がある。きよみとの最終盤、月代を「お前は月代だ」と呼ぶ瞬間、夕霧がケロリンを抱えて飛び込んだ後の沈黙——その瞬間だけは、このライターにしか書けないものが出ておる。問題はそれが持続せんのじゃよ。強い場面と粗い場面の落差が激しすぎる。ムラじゃ。才能のムラ。
感感俺俺については、再プレイして一つだけ気付いたことがある。あの重複表現は、蝉丸の独白文脈に置かれた時だけ、半ば自己確認の機能を果たしておる場面がある。50年眠って目覚めた男が「自分が今感じている感情は」と確かめながら言葉を紡ぐ——そう読めばおかしくない箇所もあるのじゃ。じゃがそれは結果論で、ライター本人がそこまで設計して書いておったかは怪しい。地の文や他キャラの台詞でも同じ癖が出ておるからな。「狙いではなく癖が、たまたま機能した」というのが正直なところじゃろう。
伏線回収は5にした。きよみルートの因縁構造——蝉丸がなぜ目覚めたのか、きよみとの50年前の誓いは何だったのか——その核心部分は回収されておる。覆製身を巡る犬飼の業も、きよみルートで筋が通る。じゃが他のルートで匂わせた要素のいくつかは、置き去りのまま終わる。麗子=安宅みやの過去の細部、依代町の社の歴史的経緯、強化兵7名のうち本編で扱われない者の行方。匂わせて引かんものが多すぎる。「片方を回収して片方を放置」と言うほど一方的ではないが、「全部は引き切らんかった」のは事実じゃ。5は妥当じゃろう。
竹林と歴史的位置——「なりそこねた」の裏側
竹林明秀は2003年に急逝した。誰彼の発売から、わずか2年後じゃ。
わしはその報せを聞いた時、しばらく黙っておった。
感感俺俺と笑い、超先生と呼び、100円投げ売りを面白がった板住人たちは——あの時どう思ったのじゃろうな。わしには想像するしかない。葉鍵板にも追悼の書き込みはあったが、それまでの嘲笑と追悼が同じ板で並んでおる光景は、正直に言えば居心地の悪いものじゃった。じゃがな、それも含めてあの時代の空気じゃ。わしは責めはせん。ネット掲示板とはそういう場所じゃし、竹林本人もそれくらいは織り込んで仕事しておったじゃろう。
ただ、死によって作品の評価が変わるべきではない。竹林もそんなことは望んでおらんじゃろう。じゃから、わしは作品そのものの話をするとしよう。
歴史的意義に8を付けた。盗作騒動の直後、ブランド全体への逆風の中で世に出た異色作。主人公像の転換を試みた作品——プレイヤーの分身ではなく、自分の名前と来歴と過去を持った男を主役に置いた。テキストの粗さゆえにネタ化され、時代の不運と重なって正当に読まれる機会を逸した。……まあ、それはいいとして——わしが8を付けた本当の理由はのう、この作品が「試みたこと」の野心じゃ。帝国陸軍の強化兵が退廃都市で己の存在意義を問い、覆製身というテーマで2001年のクローン論争に応答する。エロゲーの文脈でこの設計をやった作品は、前にも後にもこれだけじゃ。
「名作になりそこねた」——そう評されることが多い。わしもその評に半分は同意する。じゃが、「なりそこねた」の裏側にあったもの——なろうとしていたものの大きさを、わしは忘れたくないのじゃ。
— マルチナ
尖りは9じゃ。これはわしの中でも高い。何百本と読んできたが、2001年の市場にこの題材をこの形で投入した作品は他にない。雫・痕の系譜の上に乗りながら、伝奇SFと和風と帝国陸軍人体実験の記憶を一枚の絵に重ねた——構想の尖り方が異常じゃ。実装が追いつかなかった——それは事実じゃ。承知の上で、構想の鋭さだけは別枠で評価せねばならん。設計思想と実装能力の乖離。誰彼という作品は、その両方を抱えたまま世に出てしまったのじゃ。
Leafの大阪チームは、この後ほどなくして解散していく。雫・痕の系譜に連なる期待作として送り出された誰彼が、結果として大阪チームの「最後の野心」として残ってしまった。これはの、業界史の中に置くと相当に重い位置じゃ。「ここで何かが終わって、何かが始まらなかった」という分岐点に、誰彼は立っておる。
総括——残るか、残らないか
「残るか残らないか」。わしの最終判断はいつもこれに帰着する。
誰彼は——残る。ただし、名作としてではない。
「あの時代にこういう試みがあった」という記録として残る。依代町の世界観、坂神蝉丸という主人公像、きよみとの50年の因縁構造、覆製身というテーマ、夕霧がケロリンを抱えて銃の前に飛び込んだ絵、高子が「永遠に生きてどうなるんですか」と問うた瞬間。それらは代替不能じゃった。テキストの粗さも、伏線の置き去りも、すべて含めた上で——この作品はエロゲー史の中の一つの証言じゃ。
時代の産物じゃな、と切り捨てるのは簡単じゃ。じゃが、時代の中で尖り続けた作品を「産物」で片づけるのはわしの流儀ではない。100円の値札を貼られようと、感感俺俺と笑われようと、この作品が挑んだ地平は確かにあった。それを見なかったことにはせん。
7.0。
竹林明秀が2001年に遺したものへの、わしなりの評点じゃ。今の水準で見れば甘いところだらけの作品。それでも、構想の鋭さと世界観の骨格に嘘はなかった。25年経ったわしの目で読んでも、きよみルート終盤にはまだ力が残っておった。月代に「お前は月代だ」と言う蝉丸の声には、まだ温度があった。
それだけで十分じゃ。500年生きてきたわしが「まだあった」と呟くに足る何かが——ここには確かにあった。
名作になりそこねた。じゃがなろうとしていた地平は本物じゃった。これがわしの結論じゃ。
