アルクが翌朝「ねっ、反省してる?」って来た時点で、もうダメだった。
2000年の同人ゲームにこんな破壊力のヒロインがいるって聞いてなかった。アルクェイドが翌朝「ねっ、反省してる?」って言って現れた時点であたしは沈んだ。それだけじゃない。明るすぎる琥珀さんの裏側、無表情な翡翠ちゃんの中に隠れた感情、シエル先輩の二面性、秋葉ちゃんの不器用なツンデレ——5人いて全員が違う方向から殴ってくる。重い話・きついシーンも普通にあるけど、ヒロインに殴られるために読む価値がある一本だった。
スコア詳細
ヒロインの破壊力で読ませる作品だった
先に言っとく。あたしがやる前に思ってた「月姫」と、クリアした後の「月姫」は、全然違うものだった。
同人サークルTYPE-MOONが2000年に出した伝奇ビジュアルノベル。シナリオは奈須きのこ、原画は武内崇。あたしがやり始めた時点での予備知識は「Fateの前身ゲー」「TYPE-MOONの原点」「直死の魔眼」くらい。重たい話っぽいなあ、というのが第一印象だった。
主人公の遠野志貴っていう男の子が、八年ぶりに実家の遠野家に戻ってくるところから始まる。お父さんが亡くなったから、当主になった妹に呼び戻された——という導入。
ここまでは「あ、ふつうのADV始まった」って思ってた。ところがプロローグで9歳の志貴が病院で目覚めて世界中に黒い線が見えるようになって、街で出会った変な女の人(蒼崎青子)から眼鏡をもらう、っていう展開で「あれ? そんな話なの?」ってなった。
そして二日目、街でアルクェイドっていう金髪の女の人と出会って——詳しい展開は伏せるけど——翌朝アルクが志貴の前にもう一度現れる。その時のアルクの態度。あれで、あたしの月姫評価が決まった。
ヒロインに殴られるためにやる作品だ。これは。最後までやり終わった今、あたしは確信してる。
アルクェイドの「ねっ、反省してる?」で沈んだ
あたしがアルクェイドを好きになった瞬間を覚えてる。
翌朝、彼女が「殺し返しに来た」って志貴の前に現れる。前日の出来事を考えれば、アルクが志貴を殺そうとしてもおかしくない場面。
そこでアルクが言う。「ねっ、反省してる?」。
……は? えっ……えええ?
そんな顔されたら、何も言えないじゃん。怒ってるはずなのに、子供みたいな顔で「反省してる?」って聞いてくる。あたし、画面の前で「うわ……あかん」って声に出した。
その後の流れも全部いい。「うわあ、本当にいいの!? わたし、本当に吸血鬼なんだよ!?」って、自分から協力を提案しておきながら言う。「ねっ」「うわあ」「ま、いっか!」みたいな、千年単位の経験を持つはずの吸血鬼の頂点が、子供っぽさを隠さない。このギャップであたしは沈んだ。完全に沈んだ。
真祖の吸血鬼っていう特別な立場、千年単位で死徒を狩り続けてきた重さ、そういうのが背中にあるはずなのに、本人は「ま、いっか!」で動く。この「重いものを背負ってるはずの存在が背負ってない顔をしてる」ってのが、あたしの好きなタイプど真ん中だった。「重い設定をシリアスに演じる」だけのキャラが多い中で、月姫のアルクは「重い設定を子供みたいな笑顔で持ってる」っていう造形になってる。これは奈須きのこ+武内崇の二人が積極的に作ったキャラクター造形だと思う。
アルクとの場面は基本的に全部好きだった。共闘してる時の会話、夜の街で並んで歩く場面、ネロ・カオスっていう敵との戦い。アルクが志貴のことを名前で呼んでくれるたび、あたしの心臓が「うう」って言ってた。詳しいルートの結末は伏せるけど、アルクルートの最後のあのシーンは、あたしの中で「2000年代エロゲーTRUE ENDの忘れられない一場面」に格上げされた。
屋敷の侍女姉妹に持ってかれた
月姫を読み終わって、あたしの中で一番強く残ってるのが、実は屋敷のあの二人だった。
遠野屋敷で志貴を出迎える侍女が二人いる。明るい割烹着姿の琥珀さんと、無表情なメイド服の翡翠ちゃん。双子の姉妹で、姉が琥珀さん、妹が翡翠ちゃん。
琥珀さんは初登場から華やかな笑顔で、「お帰りなさい志貴さま。どうぞ、今日からよろしくお願いしますね」って言ってくれる。屋敷のいろんな場面でこの人が場を明るくしてる。読みながら「あ、屋敷の救いがいる」って思った。重そうな話の中で、琥珀さんの登場場面だけ空気がふわっと軽くなるんだよ。
……それが、ね。詳しくは書けない。ネタバレなしでは書けないんだけど、琥珀さんっていう人を読み進めていくと、その「明るさ」の意味が少しずつ変わって見えてくる。あたしは琥珀さんのある場面で、画面の前で固まった。そういう作品だった。詳しくはネタバレ版に書いた。
翡翠ちゃんは正反対。無表情で、聞かれた事以外は喋らない。「お断りします」って言うのが代表的な台詞。最初は「うわあ、感情薄いキャラだな」って思って読んでた。でも翡翠ちゃんは、感情薄いんじゃなくて、感情を抑えてるんだよ。それがわかった瞬間にあたしは負けた。
翡翠ちゃんの感情がほどけていく場面が、月姫の中であたしが一番好きな場面の一つ。淡々と仕える侍女の壁が、ちょっとずつ崩れていく。志貴に対して言葉が増えていく。そういう積み上げ方を作品全体でやってる。表面の無表情から内側の感情に到達するまでの距離が長いから、到達した時の感動が強い。これが翡翠ちゃんの設計。あたしは翡翠ちゃんで何回か泣いた。
琥珀さんも翡翠ちゃんも、表面で見えてる姿と内側に持ってる感情が違う、っていう構造を持ってる。月姫の侍女姉妹は、その「表と裏のずれ」をルートを通して見せていくキャラなんだよ。あたしはこの構造に完全にやられた。
秋葉ちゃんとシエル先輩——脇のヒロインだと思ったら違った
残り二人のヒロインの話もしておく。
遠野秋葉ちゃん。志貴の妹で、八年ぶりに兄を屋敷に呼び戻した本人。冷たい令嬢として登場するけど、本性はガッツリのツンデレ。「私、兄さんの心配なんてしてませんっ」って、ぷいって顔を背けて言う。
……あたし、このタイプ大好きなんですよ。八年も離れてた兄に対して、冷たい態度を取らないと自分が崩れるから取ってるだけ、っていう構造が見えてる。「ええ。ですが、兄さんは以前とあまり変わりませんね」って瞳を閉じたまま冷たく言う場面、あれは秋葉ちゃんなりの照れ隠しだから、読んでて「うう、可愛い」ってなる。
秋葉ルートはあたしの好みど真ん中ではなかった——重いシーンも多いし、「兄妹」っていう関係性の取り扱いに気持ちが追いつかない場面もあった——けど、秋葉ちゃんという人物の「冷たい振る舞いの裏にある寂しさ」は、ちゃんと届いた。
シエル先輩はね、月姫を読む前は「サブヒロインだろうな」って思ってた。なんで思ったかというと、月姫の二大ヒロインっていうとアルクと琥珀だ、ってどっかで見たから。だから「先輩キャラ枠か」って軽く見てた。
違った。シエル先輩は、笑顔の裏にもう一つの顔を持ってるキャラで、その「もう一つの顔」がルートを進めていくと開示されていく。詳細は伏せるけど、シエル先輩の重さは想像してたよりずっと重かった。「いい和菓子が入ったんですけど、お話し相手がいないんです」って茶道部室に誘ってくる時の、あの何でもない笑顔の意味が、ルート終盤で完全に変わって見える。先輩、あなたそんな人だったんですか、ってなる。
重い。きつい。でも逃げ場がある
月姫が「軽い恋愛モノ」じゃないことは、最初に言っておく。
吸血鬼の話だし、人が死ぬし、主人公の中に何かが宿ってるし、屋敷の闇は深いし、秋葉ちゃんの体質の話も重いし、琥珀さんの真相は——詳しくは書けないけど、あたしが「うわ……」って固まる程度には重い。
あたし、こういう重いシーンを「物語上必要だから」って割り切って好きになれるタイプじゃない。MOON.のレビューでも書いたけど、辛いシーンは辛いって正直に言うのがあたしの基準。月姫にも、あたしが読んでて辛かった場面が複数ある。
でも月姫には、その重さに対する「逃げ場」がいくつかある。一つ目はアルクっていう「重さを背負わない」キャラがいること。シリアスな場面の合間に「ま、いっか!」って言ってくれる存在がいるだけで、読み手の心が回復する。二つ目は知得留先生っていう、バッドエンド後のメタコメディコーナーがあること。シエル先輩がコスプレして「メルシー!」って陽気に登場して失敗の原因を解説してくれる。本編の重厚なトーンとのギャップが大きすぎて笑える。
この「重い物語」と「逃げ場の遊び」のバランスが、月姫を「読み続けられる作品」にしてる。これは奈須きのこ+武内崇の二人の同人気質だと思う。商業ブランドだったらもっと真面目に作って、結果として読者を疲れさせていたかもしれない。
Hシーンの評価が5なのは、月姫のHシーンがあたしの好きな種類のものじゃないから。具体的には書かないけど、ルートによっては「もっと感情の流れを大事にしてほしかった」って思う場面がある。逆にちゃんと感情の流れを背負ってるシーンもある。詳細はネタバレ版に書いた。
8.0——ヒロインに殴られに行く価値がある
最後まで読んで、8.0をつけた。
アルクェイドの「ねっ、反省してる?」で沈んだ。琥珀さんで固まった。翡翠ちゃんで泣いた。秋葉ちゃんの照れ隠しで「うう」ってなった。シエル先輩の二面性に「先輩あなた何者ですか」ってなった。ヒロインの破壊力は、本物の本物だった。2000年の同人ゲームでこの密度のヒロイン群を出してきたっていう事実が、もう奇跡的なんだよね。
感動・カタルシスは9をつけた。各ルートのTRUE ENDに辿り着いた瞬間、あたしの中で「あ、ここ、来た」って感覚が何回もあった。アルクTRUEの夕暮れの教室の場面、翡翠TRUEの日々の場面、琥珀TRUEの夢の花畑の場面——どれも、それぞれの温度で泣いた。
キャラ間関係性も9。志貴と5人のヒロインそれぞれの関係性が、ちゃんと別の温度で書かれてる。アルクとの関係は対等な共闘者っぽい温度。シエル先輩との関係は教える側/教わる側の温度。秋葉ちゃんとは兄妹の温度。翡翠ちゃんとは主従の壁を越えていく温度。琥珀さんとは——それは詳しく書けないけど、他の4人と全然違う温度。一人一人ちゃんと別の関係性として作られてる。
マイナスポイントを正直に言うと、重いシーンの長さ・きつさは、あたし向きじゃない場面が複数あった。ルートによっては「もう少し読み手に優しく書いてほしかった」って思う場面もある。それを差し引いて8.0。9にしなかったのは、あたしが「楽しかった!」と全肯定で言えるタイプの作品じゃないから。「動かされた」「揺さぶられた」っていう感覚に近い。それでもヒロインの魅力が全部を引っ張ってくれて、最後まで読んだ。
2000年の同人ゲームが、25年経って初めてプレイしたあたしの心臓を揺らしてくる。それは、すごいことだと思う。
「アルクが翌朝『ねっ、反省してる?』って来た時点で、もうダメだった。」
— 田中穂乃火
