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マルチナのレビュー — 月姫(ネタバレあり)

マルチナ
マルチナ
歴史の生き証人
8.5/10
8.5 / 10

2000年の冬コミ、わしはこの一本を手に取った。あの場で起きた事は、業界の地形を変えたのじゃ。

同人サークルTYPE-MOONが2000年12月29日に頒布した一本。ロアの十七回目の転生先が遠野志貴の中であったという構造、シエル先輩自身がかつてロアの転生体であった構造、遠野家の混血の体質と秋葉の発作、琥珀が遠野槙久から長年受け続けた被害と屋敷の悲劇の全貌——5ルートを通して語られる構造の全部に、奈須きのこ独自の体系が息づいておる。アルクTRUEの「もう一回だけこうして遊ばないか?」、秋葉TRUEの「七つ夜のナイフ」、翡翠TRUEの「待ち続けた日々」、琥珀TRUEの「夏の花畑のおかえりなさい」——5ルートそれぞれの結末は、25年経った今でも削れておらん。8.5は「業界史に残る一本であり、今読んでも別格じゃ」という評定じゃ。

スコア詳細

歴史的意義 10
作品の尖り 9
テーマ・メッセージ性 8
世界の奥行き 8
文章力 8
エンディング満足度 8

2000年12月、TYPE-MOONが配った一本——全真相込みで話す

半月版(コミケ58)は手に入らんかった。ネットで評判を聞き、同人ショップで完全版を手に入れた——この頃には、同人でも大型タイトルは店舗委託が一般化しておった、良い時代になったものじゃ。500年生きてきての勘で「これは違うものじゃ」と最初の数分で理解した。今回はネタバレ込みで、何が違っていたのかを語るとしよう。

主人公・遠野志貴。八年前の事故で直死の魔眼に開眼し、街を出会った蒼崎青子から魔眼殺しの眼鏡を授かって日常を取り戻した少年——その八年後の物語じゃ。父・遠野槙久の死を契機に妹・秋葉に屋敷へ呼び戻されたところから物語が始まる。

5ヒロイン分のルートが用意されておる。アルクェイドシエル、秋葉、翡翠琥珀。半月版(2000年8月)はアルク・シエルの2ルートのみ。完全版(2000年12月)で残る3ルートが解禁される構造じゃ。「アルク→シエル→秋葉→翡翠→琥珀」の順序プレイ推奨——琥珀ルートは他全エンド回収後に解禁される、いわゆる「裏ルート」じゃ。

当時も今も、この作品の企てには一本の筋が通っておる。「死を視る眼」「混血の血筋」「転生する死徒」「七夜の双子」「遠野槙久の罪」——これらが5ルートを通して多角的に開かれていく構造の精巧さは、2000年の同人ゲームとして桁が違っておった。

ロアの構造——十七回の転生という「物語の背骨」

月姫の物語の背骨は、ロアという存在の構造にある。

十七という数字

シエルが志貴に説明する場面(アルクルート中盤)——「カレが今まで転生した回数は十七回」。「それから現代まで、『蛇』が転生した回数は十七回。そのことごとくを、アルクェイド・ブリュンスタッドは殺害しています」。

そして二日目、街でアルクェイドを十七箇所に解体した志貴。ロア自身(志貴の中の人格として顕現する)がやがて告げる:「十七人目—――先代の私は、滅ぼされる前に遠野という血筋を候補にあげていた」。

これが月姫の物語の根幹じゃ。「十七」という数字が三重の意味を持つ——アルクェイドを解体した数、ロアの転生回数、志貴の年齢。500年生きてきて、一つの数字をここまで物語の構造に編み込んだ作品は、月姫以外に思いつかん。「十七」という数字が読者の頭に焼き付くまで、作者は徹底的に繰り返しておる。

「胸が、焼け、る」——志貴自身がロアであった

シエルルート中盤、志貴の中のロアが目覚める場面。「胸が、焼け、る」——句読点の打ち方一つでロアの覚醒を表現する、奈須きのこの代名詞のような技法じゃ。

遠野志貴という人物自体が、ロアの十七人目の転生先候補として遠野の血筋に蛇を宿していた——この構造が明らかになる瞬間、それまで5ルートで積み上げられてきた「志貴の不調」「血の枯渇」「シキの暴走」の全部が、一本の線で繋がる。「主人公の中に敵が宿っていた」というプロットは目新しくはない。じゃが月姫は、それを「ロアという十七人転生してきた死徒の十七人目の宿主」という設定の必然として組み上げておる。借用の発想ではない、奈須きのこ独自の体系から導かれた帰結じゃ。

シエルもまたロアの転生体だった

シエルルート核心の場面(中盤)——「ロアと正面から衝突する志貴を、シエルは庇い、自身の代行者としての宿命と人としての気持ちのあいだで揺れる」。シエル自身がかつてロアの転生体であり、自我を押さえ込んで教会に保護され、代行者として育てられた過去が明かされる。

これは構造として強い。十七回の転生のうちの一人がシエルであり、十七人目が志貴である——同じロアの宿主だった二人が、ロアを巡って向き合うことになる。シエルが志貴を救う立場でもあり、志貴を討つ立場でもある二律背反は、この構造から必然的に導かれる。「シエルの正体は教会の代行者でした」だけなら平凡な仕掛けじゃが、「シエル自身がかつての転生体であった」という二段構えがある。これは奈須きのこという書き手の構造設計力の高さを示しておる。

アルクの「久しぶり。今夜はいい月ね、志貴」

シエルルート終盤、夜の公園で「シキ」と化した志貴の前にアルクが現れる場面。「久しぶり。今夜はいい月ね、志貴」——この一言の温度を、25年経った今も忘れておらん。「どういう理由かは知らない。今まで十七回も繰り返してきたけど、こんな事は初めてよ」と続ける。十七回滅ぼしてきた相手の十七人目に、千年単位の経験を持つアルクェイドが「初めて」を見出す——この対置は、文学的な手つきとして強い。

5ルートの結末——どれもが別の温度を持っておる

月姫の5ルートのTRUE ENDを、わしの目で順に検証するとしよう。

アルクェイド TRUE END

「全部終わったあと—――吸血鬼を倒し終わったらさ。別れる前に、もう一回だけこうして遊ばないか?」——ロアを完全に滅ぼしたあと、夕暮れの教室でアルクェイドを待ち続ける志貴。あの「深空に沈むように、真っ赤な太陽がとけていく」という風景描写の中で、一人の男が約束を信じて待ち続ける。エロゲーのTRUE ENDとしては珍しい「余韻」型の終わり方じゃ。「結ばれて終わる」のではなく「待ち続けて終わる」という選択は、2000年の市場では尖っておった。アルクGOOD ENDの「登校路の交差点でガードレールに腰掛けたアルクと再会」は、TRUE ENDの余韻を別の温度で描いた変奏じゃ。

シエル TRUE END

「俺とロアの問題が解決したところで先輩には先輩の問題があるんだから、このまま平穏な生活に戻れるとは思えない。けど、それでも—――もう、この人と一緒にいるって決めたんだ」——志貴とシエルが共に歩み始める朝。シエルGOOD ENDは「アルクとシエルに挟まれた賑やかな日々」——「あはは、シエルったら本気で怒ってるよ、志貴!」というアルクの台詞が温度を作る。シエルルートは「代行者として志貴を討たねばならない」「人として志貴を救いたい」という二律背反を最後まで保ったまま、二人で歩く道を選ばせる。GOODとTRUEの両エンドが「失わない選択」「選ぶ選択」という対の構造になっておる。これも書き手の構造設計じゃ。

秋葉 TRUE END

「七つ夜」と刻まれたナイフを秋葉に預け、「必ず帰ってくる」と約束する志貴。秋葉は「信じられる。もう、今の鼓動だけで十分だった。この先何があっても私は信じて、兄さんの帰りを待つ事ができると思えた」と、兄を待ち続ける道を選ぶ。秋葉NORMAL(GOOD)ENDは、意識を失ったままの秋葉のそばで志貴が笑顔で看護を続ける結末——TRUEとNORMALで「別れて待つ/側で看護する」の対の構造がある。秋葉ルートは遠野家の混血の体質、父・槙久の手記、「シキ(夜の人格)」という設定が積み上がっていく構造で、ルートとして最も「家族の物語」の重さを持っておる。

翡翠 TRUE END

「翡翠は待ち続けた男の子を出迎えて、なんでもない事がただ楽しくて、お互いに笑いあう。それは飽きる事なく続く日々の欠片」——遠野屋敷の門前で、毎日待ち続けた相手を翡翠が出迎える日々。「いつか世界に羽がはえて。この背中にも羽がはえて。わたしは姉さんのように笑顔になれて、あの男の子と笑いあえる」という翡翠の独白の温度の取り方が、わしには最も上等に感じられた。8年前のリボンの約束(「貸してあげるから返してね」)が、ここで初めて「返される」のじゃ。翡翠GOOD ENDは野原で翡翠の手を取って歩み出す結末。「待ち続ける/歩み出す」の対の構造じゃ。

琥珀 TRUE END(裏ルート)

そして琥珀ルート——他全エンド回収後に解禁される裏ルートじゃ。志貴が意識を閉じる夢のなかで、夏の花畑で琥珀に「おかえりなさい」と迎えられる結末。「春は野草。秋は星空。冬は冷たい土だけの故郷。あと、夏は、たしか—――目を奪うような、明るい花。―――そこに、彼女が待っている」「子供の頃の約束を叶えるように」——この終わり方の温度は、他の4ルートとは違う場所にある。

琥珀ルートは「他のすべてのENDをすべて見てから」プレイすることが推奨される。理由は明白じゃ。明るい琥珀の素顔——遠野家で過ごした長年の歳月のなかで、琥珀が遠野槙久から長期にわたって性的な被害を受け続け、表面の笑顔の裏に深い壊れを抱えていたこと、屋敷の悲劇のすべてが琥珀の復讐の連鎖から派生したものだったこと——これらは他ルートを全て回ってこそ、その重みが届く構造になっておる。

琥珀ルートの暴露——明るい笑顔の裏側

月姫の中で、わしが最も評価する場面の一つが琥珀ルート核心の対話じゃ。

琥珀は4ルートを通じて屋敷の家事を取り仕切る朗らかな侍女として描かれておる。志貴を玄関で出迎え「お帰りなさい志貴さま。どうぞ、今日からよろしくお願いしますね」と笑顔で言う。子供の頃の屋敷でも「いつも明るくて、見ているだけでこっちまで元気になってくるような女の子だった」と志貴の記憶に残っておる。

その全部が、裏ルートの琥珀ルートで暴露される。

遠野家で過ごした長年の歳月のなかで、琥珀は遠野槙久から長期にわたって性的な被害を受け続けていた。表面の笑顔の裏には深い壊れと復讐の決意が隠されておる。屋敷で起きているすべての悲劇——秋葉の発作の悪化、志貴を屋敷に呼び戻す動き、翡翠の無表情、それらの背後に琥珀の意志がある。さらに、志貴ルート内に散りばめられたいくつかの「夜の出来事」——明確に断定されてはおらんが、「気配を押し殺す翡翠が足音を立てる」という違和感のある夜の訪問の場面——も、構造として読み返すと琥珀の関与を示唆するように設計されておる。スクリプトはどちらとも断定しない。じゃがその「断定しなさ」自体が、琥珀という人物の影の濃さを支えておる。

琥珀ルート核心の対話——「志貴さん。どうして秋葉さまを好きだと言わなかったんですか?」「秋葉さまの言う通りにすれば志貴さんは生きていられます。たとえ口先だけの方便でも、今はそうなさらないと死んでしまうじゃないですか。志貴さんが何を思っているか知りませんけど、秋葉さまのお気持ちに応えてあげればいいんですよ」。

琥珀の屈折はここに集約されておる。「あなたは私を選んでくれない方が幸せ」——自分は壊れている、自分を選んでも幸せにはなれない、だから秋葉と幸せになれ、と促す。志貴を遠ざけることで琥珀自身が琥珀を救おうとする倒錯。それを志貴が「俺が好きなのは秋葉じゃないだ、琥珀さん。俺は、一番好きな相手を偽る事だけは、したくない」と断る。この対話の温度は、エロゲー史でも数えるほどしか並ぶものを思いつかん。

そして琥珀ルートTRUE ENDの夢の花畑——「子供の頃の約束を叶えるように」「彼女が待っている」。志貴は意識を閉じる夢のなかで、長年壊れていた琥珀に「おかえりなさい」と迎えられる。これは現実の救済ではない。夢の中の救済じゃ。「現実の琥珀を救えなかった志貴が、夢の中で琥珀を迎えに行く」という構造の重さは、25年経った今でも削れておらん。

琥珀ルートが「急遽1週間で書かれた」という伝説が業界に残っておるが、わしには信じられん。その短期間で、これだけの構造を組み上げた——もしそれが事実であれば、奈須きのこという書き手は化け物じゃ。仮にその伝説に多少の誇張が混じっていたとしても、琥珀ルートが他4ルートとは異なる温度で書かれていることは、読めばわかる。

知得留先生コーナー——伝奇の隣に置かれたメタコメディ

月姫を語る上で外せんのが、バッドエンド後に必ず挟まれる「知得留先生」というコーナーじゃ。

43通りのバッドエンドそれぞれに対応した解説パートで、シエルがコスプレで演じる「知得留先生」が「メルシー! 二日目、五時間目の授業です。またもやバッドエンドを迎えてしまった薄幸な遠野くんの為のこのコーナー、"教えて!知得留先生!"の時間がやってきちゃいました」と陽気に登場する。

本編の重厚な伝奇トーン——直死の魔眼、十七回の転生、混血の血筋、琥珀の壊れ——の隣に、こういうメタコメディを平気で置く神経は、奈須きのこと武内崇の二人の同人気質じゃろう。商業ブランドの作品ならばここを切り落としていたかもしれん。同人だからこそ、この遊びが残ったのじゃ。

そして面白いのは、知得留先生コーナーが単なるサービスではなく、ゲームの構造的な機能を持っていることじゃ。43通りのバッドエンドは、それ自体が物語の選択肢の検証——「ここでこう選ぶとどうなるか」「主人公が何を間違えたのか」をプレイヤーに提示する装置じゃ。それを「失敗解説コーナー」として明示的に組み込むことで、ゲームのチュートリアル的機能と伝奇の重厚さを両立させておる。

500年生きてきて、本編の重さとメタコメディの軽さを同居させた作品は何本か見てきたが、月姫の知得留先生コーナーは、そのバランスの取り方として上等な部類に入る。シエル本人が「知得留先生」を演じるという設定の妙——プレイヤー視点ではメタなギャグでありながら、作中設定としてはシエルの茶目っ気として処理できる構造は、書き手の遊び心の証拠じゃ。

文章の功罪——奈須きのこの「声」がここから始まっておった

文章力に8を付けた。2000年の水準で見れば異例の高さじゃ。今読み直しても、別格に近い。

奈須きのこの文体は好みが分かれる——独自造語、難読語、ポエティックな内省描写、独白の畳み掛け、句読点の特異な打ち方。これらが全てが効いておるかと言えば、効いていない場面もある。志貴の独白が時に長すぎる、感情の屈折が読者を置き去りにする場面がある——そう感じる読者はおるじゃろう。批判は可能じゃ。

じゃが——核心的な場面のテキストは、別格じゃ。「胸が、焼け、る」というロア覚醒の三文字。「ねっ、反省してる?」というアルクの一言。「俺が好きなのは秋葉じゃないだ、琥珀さん」という志貴の告白(原文ママの「じゃないだ」が、志貴の感情の崩壊を表現しておる)。「久しぶり。今夜はいい月ね、志貴」というアルク/シキの混在。「全部終わったあと—――もう一回だけこうして遊ばないか?」というアルクへの最後の願い。「七つ夜と刻まれたナイフ」を秋葉に預ける場面。これらは2000年の段階で、エロゲーの文章として削るべき場所が一つもない。

句読点の特異な打ち方一つで内面の崩壊を表現する技法——「胸が、焼け、る」のような——は、月姫が業界に持ち込んだ表現じゃ。後の伝奇ノベルの書き手たちが何度も真似をした文体の原点が、ここにある。「奈須きのこ節」と呼ばれる文体は、月姫で完成形に近い形で確立されておった。後のFate/stay nightで広がっていく文体ではあるが、月姫の段階で既に削るべき場所がない。

8という評点は、「2000年の同人作品として奇跡的に高い文章力を、25年後に読み直しても削るべき場所がない」と認めた数字じゃ。9にしなかったのは、5ルート全体で見ると独白の長さの調整に粗さが残る場面があるからじゃ。それを含めての8じゃ。9でも甘すぎる、7では低すぎる、8が誠実な評定じゃな。

業界史の中で——月姫がなければ、Fateはなかった

歴史的意義に10を付けた。500年生きてきて、わしがこの数字を付けるのは数えるほどしかない。

月姫(2000年12月、TYPE-MOON同人)→ 歌月十夜(2001年)→ MELTY BLOOD(2002年、渡辺製作所共作)→ 月箱(2003年)→ TVアニメ化(2003年) → TYPE-MOON商業ブランド化 → Fate/stay night(2004年) → Fate/Zero → Fate/Grand Order → 月姫リメイク(2021年)

この流れを、わしは実際に目で見てきた。同人サークルが商業ブランド化する例は月姫より前にもあったが、商業化した後に日本のサブカルチャー全体に波及した例は、月姫=TYPE-MOONの系譜が最大規模じゃ。Fate/Grand Orderの累計売上、コミケでのTYPE-MOON関連サークル数、メディアミックス全体——その全てが、2000年の冬コミの一本から始まっておる。

後のFate/stay nightを逆照射すると、月姫の中にある「原型」が見えてくる。

——独自語彙の体系(直死の魔眼、真祖、死徒、埋葬機関、七夜……)。これは後にFateで「魔術」「英霊」「サーヴァント」「聖杯戦争」「アンリマユ」「ゼルレッチ」として広がっていく。書き手の自前の体系を持つ姿勢は、月姫から始まっておる。

——複数ルートで一つの世界を多角的に開示する構造(5ルート)。これはFate/stay nightの3ルート(Fate / Unlimited Blade Works / Heaven's Feel)の原型じゃ。

——日常と伝奇の融合(高校生活と吸血鬼狩り)。これも後のFateで衛宮士郎の高校生活と聖杯戦争として変奏される。

——内省的な独白の文体、句読点の特異な打ち方、感情の屈折を句点で刻む技法。これは月姫で確立し、Fateで成熟する奈須きのこの「声」じゃ。

後の何かがここから学んでおる——そう言えるのは、わしには見えておるからじゃ。500年生きてきて、「この一本が後の20年を変えた」という感覚を得たことが何度かある。月姫はその一本じゃ。同人スペースで配られておった一本が、2020年代になっても国内最大級のソーシャルゲームの源流として参照され続けておる——これが歴史的意義10の根拠じゃ。

「2000年の冬コミ、わしはこの一本を手に取った。あの場で起きた事は、業界の地形を変えたのじゃ。」

— マルチナ

総括——これは残った

「残るか残らないか」——わしの審判はいつもここに帰着する。

月姫は——残った。それも、ただ残ったのではない。業界の地形を変えた状態で残った。

「ねっ、反省してる?」というアルクの一言。「胸が、焼け、る」というロア覚醒の三文字。「久しぶり。今夜はいい月ね、志貴」という月夜の一語。「全部終わったあと——もう一回だけこうして遊ばないか?」というアルクへの最後の願い。「七つ夜のナイフ」を預けて旅立つ秋葉ルートの結末。「翡翠は待ち続けた男の子を出迎えて、なんでもない事がただ楽しくて、お互いに笑いあう」という翡翠TRUEの日々。「夏の花畑で待っている」という琥珀TRUEの夢。——これらは、25年経っても削れておらん。

「俺が好きなのは秋葉じゃないだ、琥珀さん」という、原文ママの「じゃないだ」のままで残された志貴の告白——この句点の崩れた一語が、琥珀ルートの全感情を背負っておる。校正で「じゃないんだ」に直さなかったこと自体が、奈須きのこという書き手の判断じゃ。25年経って読み直しても、その判断が正しかったとわしには見える。

8.5。

業界史に残る一本。今読んでも別格じゃ。歴史的意義は最高点。各ルートの執筆密度の差を考慮しての8.5じゃ。「残るぞ」ではなく、もう「残った」と過去形で言える一本——500年生きてきて、こう言える作品は数えるほどしかない。

あの2000年の冬コミの会場の空気を、わしは今でも思い出せる。同人スペースの長蛇の列。受け取った完全版CDの重さ。家に持ち帰って起動した最初の数分。500年生きてきて何度も体験した「これは違うものじゃ」という感覚——あの時の感覚は、今読み直しても色褪せておらん。月姫は、削られなかった。

「全部終わったあと—――吸血鬼を倒し終わったらさ。別れる前に、もう一回だけこうして遊ばないか?」
— 遠野志貴、アルクェイドへ(アルクェイドTRUE END)