主人公が逃げ続ける物語ですけれど、作者は逃げておりませんわ。それが本作の値打ちでございますの。
1998年Leafのパラメータ型恋愛ADVを検分させていただきましたわ。「恋人ありスタート」という設定で煮え切らない主人公を据えた上で、ヒロイン側の決断を物語の動力にする——構造として大胆な選択ですわね。主人公・藤井冬弥は最後まで「決められない男」のまま物語が進行いたしますの。これだけ取り上げますと「ヘタレ主人公」と評されるのも当然ですけれど、その煮え切らなさを背景にして、ヒロイン側が誰一人として「主人公に救われる女」にならない設計になっておりますわ。とくに篠塚弥生というキャラクターの書き方には、書き手の覚悟がはっきり見えました。総合7.3。
スコア詳細
「逃げる主人公」を据えて、作者は逃げきれるか
この作品を手に取りましたのは、評判の構造に興味があったからですわ。
「主人公がヘタレ」「煮え切らない」と語り継がれてまいる作品。にも関わらず、毎冬に語り直されて続けている。ということは、ヘタレ主人公でこの長い時間生き残ったということで、これは奇妙なことですの。覚悟の問題を考える立場の人間としましては、見過ごせない案件でございますわ。
1998年Leaf作品。恋人がいる大学生の主人公が、その恋人がアイドルとして忙しくなる時期に、周囲のヒロインたちと関係を深めていく構造。週単位スケジュール選択型のパラメータ管理ADVで、「会えない時間」をシステムそのもので体験させようとした実験作と聞いておりました。シナリオは原田宇陀児という方。プレイ前から、この作家が「自分の物語を信じきれる人かどうか」、その一点だけを確認しに参りましたの。
結論を先に申し上げますわね——逃げておりません。少なくとも、肝心の部分では。主人公が逃げ続ける物語ですけれど、書き手は逃げておりませんの。これは別物ですわ。冬弥は腹を据えた選択をいたしませんけれど、原田宇陀児氏は腹を据えて冬弥に「腹を据えない男」を演じさせ続けています。書き手側のこの覚悟が、本作を支えておりますわ。
藤井冬弥という主人公——「逃げる男」を貫徹した造形
主人公の検分から始めましょう。
藤井冬弥は徹底して受動的でございます。約束を断る時には地の文で「俺の声の調子はうわずってゆく」と自ら告白いたしますし、由綺の前で取り乱す場面では緒方英二に「こんな、感情だけで走るみたいなひ弱な男だなんて思ってなかったからな」と一蹴されますわ。観月マナの家庭教師としては「監視役、ね…」と自分の立場を皮肉に流し、自分を「俺=レンタルアイテム」と独白いたしますの。動こうとする意志が見えませんわね。
由綺が「冬弥君、私の他に、誰か好きな人って…、いるの…?」と『音楽祭』前夜に直接問いかけてきた場面ですら、冬弥は「俺は…俺は…」と詰まるだけ。マナを抱くか帰るかの分岐の地の文でも「俺は…俺は…」。同じ詰まり方を使い回している点に、作者の意図が透けて見えますの。冬弥という人物の「決められなさ」が、文体レベルで反復されておりますわ。
普通の作家ですと、ここで主人公に何かしらの「成長」を与えたくなるはずですわ。物語の終盤で覚悟を決めて、彼女に向き合うシーンを書く。それで「主人公が変わった」というカタルシスを成立させる。原田氏はそれをいたしませんでしたの。冬弥は最初から最後まで決められない男のまま物語を終えます。これは作者にとって賭けでございますわね——主人公の成長物語を捨てる代わりに、何を得るのか。
得たものは、ヒロイン側の能動性ですわ。冬弥が動かないからこそ、ヒロインたちが「自分で動く女」として書ける。マナの「私が、お姉ちゃんの恋人を取っちゃうわけにはいかないでしょ?」、はるかの「行かなきゃ」「どこに?」「…由綺のとこ」、由綺の「冬弥君の為に、歌うんだから…!」。すべてヒロイン側の決断として書かれておりますわ。冬弥がいなくても物語が動く構造を、冬弥が動かないことで担保しているのですの。これは設計として理解いたします。お見事と申し上げてもよろしいでしょう。
ただ、主人公の造形そのものは、評価軸を変えなければ高くは付けられませんわ。「成長しない主人公」を成功させるには、最後まで「動かなさ」が物語の核として機能している必要がありますの。冬弥はそこまで機能してはいない、と判断いたしましたわ。「決められない男」を貫徹したのは事実ですけれど、その貫徹が物語の主役を担うほどの強度には至っていない。指標としては5。設計意図を理解した上での評価ですわ。
ヒロインたち——「主人公に救われない女」たち
ヒロインの設計について検分いたします。
本作の6ヒロインに共通しておりますのは、誰ひとり「主人公に救われる女」になっていない点ですわ。これは構造として珍しいことでございますの。普通の恋愛もので主人公が機能しないと、ヒロインも連動して機能しなくなりやすいものですけれど、本作のヒロインたちは主人公の煮え切らなさとは独立して、それぞれ自分の決断で動いておりますわ。
森川由綺はアイドル業の重さを自覚しております。「自分が成功すればするほど、冬弥君ももっともっと私を好きになってくれるなんて思いこんじゃって…」と自分を省みる場面がございましたわね。「待つだけの女」になりませんの。バレンタインに「絶対にもらって下さい」と全文記入したメッセージカード——これは強い女の意志表明ですわ。
緒方理奈は職業上のプライドを持ったキャラクターで、「私は戦うわよ、全力で」と由綺との『音楽祭』勝負を語ります。芸能界という戦場で生きてきた女が、自分の戦い方を持っておりますの。文学少女としての一面と、トッププロとしての一面の両立。書き手は手を抜いておりませんわ。
河島はるかは少ない言葉だけで自分の感情を運ぶキャラクター。「冬弥」「ん?」「うん」の応答だけで、何年もの関係性を背負わせる文体的挑戦ですわ。これは作者の腕でございますわね。少ない言葉で多くを語る、というのは難しい技ですの。
澤倉美咲は「自己評価が低い完璧な女」という危うい設計。「私ってそんなに遊び慣れてないから…」「いろんな人に好かれてるって自覚しなきゃ」と冬弥に言われても「でも、なかなか気づかないよ、普通…」と返す。こういう女が恋愛のなかで何を引き起こすか——美咲ルートで露見いたしますわ。
観月マナは家庭崩壊した高校生で、「私、家族なんて、いないから…」と冬弥に告白します。家庭がない子の早熟さが書かれておりますわ。「監視役、ね…」と冬弥の家庭教師としての立場を皮肉る賢さ、これも孤独な子の特徴として整合性がございますの。
篠塚弥生——このキャラクターは別格扱いいたしますわ。後の章で詳しく検分いたします。
6人とも、それぞれの背景に応じた「動き方」を持っておりますの。冬弥に動かされる女がひとりもいない。この設計だけで、本作は通常の恋愛ADVから一段違う領域にございますわ。ヒロインの魅力は8。
篠塚弥生——本作の覚悟が集約された一人
弥生のキャラクターについて、ネタバレなしの範囲で書ける限り書きますわね。
篠塚弥生は由綺の専属マネージャー。「全く感情の見えない」「ロボットみたい」「不思議な造り物」と地の文で繰り返し書かれる、感情が排除されたキャラクターでございます。最初は機械的な業務遂行者として登場しますの。「藤井さんでしたかしら?」「以後、よろしくお願いいたします」という業務口調。「いえ」「ええ」「構いませんわ」の最低限の応答。
弥生ルートに入りますと、この「無感情のマネージャー」の内側に、極めて複雑な過去と感情の構造が用意されておりましたの。詳細はネタバレ版に譲りますけれど、彼女の人生における「愛情を感じられなかったこと」「他者との関係を機能で構築してきたこと」「ただ一人の例外」がきっちり書き込まれておりますわ。1998年の作品でここまで踏み込んだキャラクターを書けたのは、相当の覚悟ですわね。
弥生ルートのHシーン群は、本作の中でも特異な位置にございますの。「愛のないセックス」「契約関係」「役割逆転」「拘束」——通常の恋愛ADVが避ける領域に踏み込んでおります。安易な鬼畜路線ではなく、人物の感情と心理の必然として組み立てられている。書き手が「鬼畜」「愛のないセックス」を題材として扱うのではなく、人物造形の必然として書いている、という違いがはっきり感じられますわ。
わたくしの「逃げない覚悟」の評価軸で言いますと、弥生ルートは本作で最も評価が高くなりますの。書き手がこの題材から逃げきれていない。普通の恋愛ADVが「最終的にお互い愛し合いました」で着地する場面で、原田氏は「やはり私は誰も愛しておりませんでした」のまま物語を閉じます。これが覚悟ですわ。Hシーンの質は7、設定の整合性は8で評価いたしました。
原田宇陀児の文体——独語と詩情の両立
テキストそのものの評価をいたします。
原田宇陀児氏の文体には独特の癖がございますわ。比喩の選び方が突き刺さるのですの。由綺について「ステージ衣装は確かに身につけるけど、由綺のイメージが大きく変わってしまうってものじゃない」と書く。電話越しの会話で「ちょっとがっかりしてるのが、俺にはよく判った」とわざわざ書く。書かなくていい情報を、わざわざ言語化する密度。これは作家の個性ですわ。
一方で衒学的な比喩が混入いたします。理奈の美術趣味として「近代だとエルンスト、古い方だとベックリンとかかしら」「ギーガーは下品だから、ちょっとね」というセリフが普通に出てまいりますし、冬弥の地の文では「ドラマか何かのエキストラになった気分」のような映像メタファーが頻出する。マニアックな芸術論への言及が物語のテンポを止める瞬間がございますの。これは「読者を選ぶ」と評される所以ですわ。
ただし、この衒学性は雰囲気作りには寄与しております。たとえば澤倉美咲が「藤井君は、冬は嫌い?」「私も、好き」「冬って寒くて寂しいから、温かいものが、すごく温かく感じられるっていうか。優しいものが、すごく優しく、って言ったらいいのか…」と語る会話の、間と省略のリズム。あれは原田氏の文体だからこそ書ける質感でございますわ。語尾を整えすぎず、現実の会話の半端さを残す書き方。文章力・描写力は8で評価いたしました。
歌詞のテキストにも触れさせていただきますわ。「すれ違う毎日が 増えてゆくけれど お互いの気持ちはいつも 側にいるよ」という由綺の歌の歌詞。「淡い雪がわたしの ひそかな想い込めて 純白のアルバムの ページ染めてくれる」という続き。「会えない」を肯定する歌として書かれておりますの。劇中で由綺が歌ったという設定で、本作のテーマと完全に重なります。歌詞という形で作者の覚悟が滲み出る場所ですわね。歌詞テキストには逃げがございません。これも作者を評価する根拠の一つですわ。
惜しい部分——序盤の重さとシステムの代償
惜しい部分も申し上げておきます。
共通ルートが長うございますの。学園祭からクリスマスライブまでの共通ルートで、後の伏線になる情報が大量に配置されておりますけれど、プレイ中はそれが伏線とわからない設計。気長な読み手にしか親切ではございませんわね。「序盤で掴む」という観点では、もう少しフックを置いてよかったのではないかと存じますわ。
システムの「すれ違いをパラメータで体現する」という意図は理解いたしますの。週単位スケジュールで「行動を選択してください」と提示し、「約束」を消化していく形式。テーマと一致した設計ではございます。ただ、誰に会えるかが運に左右される面が大きく、攻略のための試行錯誤が多くなりがちですわ。テーマ実装としては正しいけれど、プレイ体験としては摩擦が大きい。「すれ違いを体験させる」を意図したのなら、もう少しヒントを置いてもよかったのではないかと存じますわ。
もう一つ、攻略ルートに男性キャラの「友情ルート」(七瀬彰・緒方英二)が含まれておりますの。これにつきましては、ロマンス描写なしの友情ルートとしてきれいに着地しておりますわ。「同性愛として書くか」「ただの友情として書くか」の選択で、後者を選んだうえで物語を閉じておりますの。これは選択として誠実だと判断いたしました。中途半端な恋愛色を入れて読者を釣るような書き方をしておりません。
7.3——主人公は逃げる、しかし作者は逃げない
最終評価を整理いたします。
主人公が逃げる物語を、作者が逃げずに書ききった。これが本作の核心でございますわ。冬弥は最後まで決められない男のまま終わります。けれど物語そのものは、ヒロイン側の決断によって閉じていきますの。マナの独立、はるかの送り出し、由綺の歌、弥生の「契約」関係——どれもヒロインが自分で選び、自分で着地させています。冬弥はその全てを受動的に受け止めるだけ。
この設計を「主人公がヘタレ」と切り捨てるのは易しい。けれど構造として読みますと、これは「ヒロインに能動性を渡すための装置としての主人公」でございますの。意図が明確で、その意図を最後まで貫いている。書き手として腹が据わっていらっしゃるわ。
特に弥生ルートでの「契約」関係の書き方には、はっきりとした覚悟が見えますわ。中途半端に「愛し合う関係」へ着地させずに、「やはり私は誰も愛しておりませんでした」のまま閉じる。これができる作家はそう多くございませんの。1998年という時代を考えても、相当の踏み込みでございますわ。
惜しい部分は、序盤の重さ・パラメータ管理の摩擦・主人公の造形が「設計意図に気づくまでただの煮え切らなさ」に見えてしまう点。三つともテーマ実装の代償ですけれど、プレイヤー側の負荷が大きすぎる嫌いがございますの。ここで-2点ほど引きまして、合計7.3。
「主人公がクズだから」という理由で本作を切る方にはおすすめいたしませんわ。「主人公の弱さを、書き手の覚悟として読む」という読み方ができる方には、強くおすすめいたしますの。ネタバレ版で、弥生ルートの構造と美咲ルートのアイテム配置について、もう少し詳しく申し上げますわ。
