「会いたいときに会えない」をシステムで体現した実験作。文体は巧い。主人公の弱さも設計だ。ただ、攻略性のランダム要素が体験を分断する。
1998年のLeaf作品。週単位のスケジュール選択と「約束」管理で恋人・森川由綺との時間を奪い合うパラメータ型ADV。プレイ前から興味があったのは、「すれ違い」というテーマをシステムレベルで成立させた設計だ。「テキストで描く」のではなく「プレイヤーに会わせない」という形で恋愛の距離を体験させる——この発想は、当時としては挑戦的だったし、現代でも追従作はそう多くない。読了後の感想を一言で言えば、テーマ・文体・システムが同じ方向を向いている。ただ、その方向に振り切りすぎて遊びにくい。それを承知の上で点をつけると7.4だ。
スコア詳細
「すれ違い」をシステムで書いた、と聞いて手を出した
この作品に興味を持ったのは、システム設計の話を耳にしたからだ。
1998年にLeafが出した恋愛ADV。前作『To Heart』の学園ラブコメ路線から大きく振れて、「最初から恋人がいる主人公」「会えない時間」を主題に据えた異色作と聞いていた。プレイしたのはPC原作版。主人公・藤井冬弥は大学生で、恋人の森川由綺はデビュー1年目のアイドル歌手。物語は学園祭から始まり、由綺のクリスマスライブ、年明けの『音楽祭』までの数か月間を追う。
気になっていたのはシステム面だ。本作は週単位のスケジュール選択型——日曜から土曜まで「いろいろな行動」「大学に行く」「家で休養」のような行動を一日ずつ決め、金曜は「喫茶店のアルバイト」「TV局のADバイト」「マナの家へ勉強を教えに行く」から選ぶ。さらに「約束」という独立した管理項目があり、「その日は由綺と会う約束をしています」「マナと約束する」が並列に置かれる。誰と約束を結んで、誰の約束を断るか。その積み重ねでルートが決まる。
つまり、選択肢ADVの「分岐」ではなく、「時間の使い方」そのものが分岐になっている。これは「恋愛は時間を譲り合う行為だ」というテーマの直接的な実装だ。プレイ前から、ここに惹かれていた。読み終えた今でも、設計の意図そのものは正しいと思っている。
原田宇陀児の文体——詩情と独語の両方
まず文体の話をしておきたい。これがこの作品の核心の半分を担っている。
地の文はほぼ全編、冬弥の一人称内語で書かれる。比喩の選び方に特徴があって、由綺について「ステージ衣装は確かに身につけるけど、由綺のイメージが大きく変わってしまうってものじゃない」と書くような、観察と肯定が同居する文体だ。電話越しの会話で「ちょっとがっかりしてるのが、俺にはよく判った」と地の文を差し込む——書かなくてもわかる程度の情報を、わざわざ言語化する癖がある。これは弱点でもあり強みでもあって、由綺の「あ、あれは演出…。わざとなの、わざとっ」というステージで転んだ後の弁解みたいな、何でもないシーンに密度が出る。
一方で、衒学的な比喩が文の途中に挟まる。理奈の趣味として「近代だとエルンスト、古い方だとベックリンとかかしら」「ギーガーは下品だから、ちょっとね」というセリフが普通に出てくる。冬弥の地の文では「ドラマか何かのエキストラになった気分」のような映像メタファーが頻出する。これは雰囲気作りには効くが、人を選ぶ。「マニアックな芸術論」と評される所以はわかる。
ただ、その個性を込みで「この文体じゃないと書けない物語」になっている。澤倉美咲が「藤井君は、冬は嫌い?」「私も、好き」「冬って寒くて寂しいから、温かいものが、すごく温かく感じられるっていうか」と話す日常会話の、間と省略のリズム。あれは原田の文体だからこそ成立する。語尾を整えすぎず、現実の会話の半端さを残す書き方。文章力・描写力は8でつけた。
システム=テーマの一致——成功しているが、代償も大きい
本作の設計の核心、「すれ違いをシステムで体現する」が機能しているかどうか。
結論から書くと、半分機能している。週単位スケジュールで「今日は由綺、明日はマナ、明後日はバイト」と組んでいくと、自然に「誰かを選んだ分、誰かに会えなくなる」体験になる。由綺が「ね、ほら、冬弥君に会えたでしょ」と笑う場面の重さが、自分が時間をやりくりして会いに行った文脈とセットで意味を持つ。これは選択肢ADVでは出ない体験だ。テーマを読むのではなく、テーマを操作している感覚がある。
ただ、その代償が大きい。「行動を選択してください」のメニューで「いろいろな行動をします」を選んだ後、誰に会えるか、約束がどう発生するかが、テキストからはほとんど読めない。ある場所に行っても会えるかどうかが運に左右される。スクリプト上で「約束32」から「約束59」までの番号が並ぶ膨大なフラグが回されていて、プレイヤー側にはそれが見えない。結果、「狙ったルートに入れない」「同じ曜日のリトライを繰り返す」というプレイ感が生まれる。「すれ違い」をシステムで書く方針は正しい。だが、ここはもう少しヒントを置いてもよかったと思う。ルート・分岐設計は8、テンポ・緩急は5。この二つが本作の最も矛盾した部分だ。
藤井冬弥という主人公——弱さは設計なのか、ただの弱さなのか
主人公の評価が、この作品で最も意見が割れるところだろう。
冬弥は受動的だ。約束を断る時に「俺の声の調子はうわずってゆく」と地の文で自分の嘘の下手さを告白する。由綺の前で取り乱す場面では、緒方英二に「こんな、感情だけで走るみたいなひ弱な男だなんて思ってなかったからな」と一蹴される。家庭教師として観月マナの家に行けば「監視役、ね…」と自分の役割を皮肉り、はるかに「冬弥、結構飽きる顔だから」と評され、自分でも「俺=レンタルアイテム」と独語する。徹底して自虐的で、徹底して動けない。
これを「ヘタレ主人公の典型」と読むのは易しい。実際、当時から「冬弥はクズ」評は強く、それは間違いではない。だが構造として読むと、この弱さには役割がある。冬弥が能動的な選択をできない男だからこそ、ヒロイン側が「冬弥を選ぶ/選ばない」の決定権を握る。由綺は「冬弥君、私の他に、誰か好きな人って…、いるの…?」と『音楽祭』前夜に直接問う。マナは「私が、お姉ちゃんの恋人を取っちゃうわけにはいかないでしょ?」と自分で関係を切る。はるかは「行かなきゃ」「どこに?」「…由綺のとこ」と自分で送り出す側に回る。冬弥が動かないからこそ、ヒロイン側の決断が物語の動力になる。これは設計だ。
ただ、設計として読めるかどうかは、プレイヤーの忍耐力に依存する。「主人公の弱さに意味がある」と気づくまでに、長時間プレイヤーは冬弥の煮え切らなさに付き合わされる。気づく前に脱落する人は当然出る。主人公の造形は5でつけた。設計意図は理解した上で、体験として手応えが薄い、という評価だ。
共通ルートの長さは、後で効いてくる
本作の共通ルートは長い。学園祭から由綺のクリスマスライブまで、ほぼ一直線で進む。
序盤、駅で由綺と偶然合流するシーンから、大学の談話室、喫茶店『エコーズ』、TV局、観月家初訪問、家庭教師契約成立——ここまでに、後で重要になる情報の大半が配置されている。緒方英二と理奈の喫茶店での痴話喧嘩で冬弥が流れ弾のパンチを顔面に食らうエピソード、弥生の「藤井さんでしたかしら?」「以後、よろしくお願いいたします」という業務モード、はるかの兄の事故死。これらが何の説明もなく置かれて、個別ルートに入って初めて意味を結ぶ。
例えば弥生について、共通ルートでは「無表情なマネージャー」としか書かれない。由綺が「初対面の人とか、結構苦手みたいだけど…でも、いい人よ。とっても優しい人なんだ、私には…」と言うだけで、それ以上の情報がない。弥生ルートに入って初めて、彼女が「私、これまで誰かを好きになった事がございませんでした」「由綺さんにお会いするまでは…」と告白する。共通ルートでの「無表情」が「由綺にだけ感情を向ける」の伏線だったとわかる構造だ。伏線と回収は7。控えめだが効いている。
共通ルートの長さは、当初プレイした時はキツい。だが各ルート分岐に入ってから「ああ、あの場面でこの人物のこの一言、こういう意味だったのか」と回収される瞬間が確実にある。長さは設計の一部だった、と後から納得する作りだ。
Hシーンは物語装置として置かれている
Hシーンの設計について短く。私の専門ではないが、テキストとして全部読んだ上での話だ。
各ヒロインルートにHシーンが1〜3場面ある。共通する設計が、Hシーンが「関係の決定点」に配置されていることだ。由綺ルートでは英二から告白された罪悪感を抱えた由綺が冬弥の部屋に駆け込んできた夜に置かれる。美咲ルートではクリスマスイヴに由綺のライブを諦めて美咲を呼んだ夜——つまり「裏切り」を犯した夜に置かれる。はるかルートでは共同浴場で結ばれて「あの頃の、二人の少年に」と地の文が回顧する場面に置かれる。
これは飾りではない。Hシーンが「ここで関係を決定する」というプロットの節目として組み込まれている。物語との接続は良い。「ファンサービスとしてのHシーン」ではなく、「決定的選択の結果としてのHシーン」だ。設計として誠実だと思う。
弥生ルートだけは少し性質が違うので、ここでは詳細を書かない。ネタバレ版で触れる。
7.4——設計に同意できる人にだけ強く勧める
点数の根拠はこうだ。
テーマ・文体・システムが同じ方向を向いている、というのが本作の最大の長所だ。「会いたいときに会えない」という主題を、文体(書かなくてもいい内語を書く密度)・システム(時間配分そのものが分岐)・物語(恋人がいるのに他のヒロインに時間を割いてしまう構造)の三層で書ききっている。この一貫性は珍しい。
弱点は二つ。一つ目はテンポ。パラメータ管理のランダム性が体験を分断する。二つ目は主人公の造形が、設計意図に気づくまで「ただの煮え切らない男」として読まれてしまうこと。前者はシステム設計の代償で、後者はキャラクター設計の代償だ。両方とも「テーマに殉じた結果」だが、それを読み解けるかはプレイヤー次第になっている。
1998年という時代を考慮すれば、ここまで明確な設計意図を持ってシステムとテーマを一致させた作品は珍しい。「浮気ゲー」「ヘタレ主人公」のラベルで切るのはもったいない。設計として読めば、これは恋愛ADVが「テキストで書く」以外の手段を持ち得るかという問いに正面から答えた一作だ。私の評価軸では7.4。各ルートの結末の構造的な意味については、もう一本のほうで詳しく扱った。
