氷室栞のレビュー — 絶望 -青い果実の散花-

氷室栞
氷室栞
設計を読む
5.3/10
5.3 / 10

能力と結末を結ぶ一本の論理は鋭い。だが、その線の上に同じ型が32回貼られている。

スタジオメビウスが1999年に出した、亡霊の主人公が少女を捕らえて監禁・凌辱する捕獲型ADV。前作『悪夢』の続編で、固定空間型からマップ探索型へシステムを刷新している。構造を読む立場から本作を見ると、評価の中心は一点に集まる。冒頭で提示される「他人の身体に取り憑く」という能力が、終盤の結末にどう着地するか。ここに本作の構造的な核がある。その核は鋭い。ただし本作は、その核を32名のヒロインに同じ型で反復することを選んだ。一点の論理の鋭さと、それを薄める物量の選択を、両方含めて。構造分析の視点から。

スコア詳細

プロット構成力 6
伏線と回収 4
ルート・分岐設計 4
テーマ・メッセージ性 7
エンディングの満足度 5
設定の独自性 6

能力設定がどこへ着地するのか、それを見たくてプレイした

「亡霊が他人の身体に取り憑く」という冒頭の一行に、最初に反応した。

スタジオメビウスが1999年9月に発売した18禁の捕獲型ADV。1997年の前作『悪夢 -青い果実の散花-』の続編で、前作の固定空間型システムをマップ探索型に刷新している。主人公は、少女集団誘拐殺人で死刑になった財閥総帥・勝沼紳一の亡霊だ。彼は執事の古手川の手引きで、廃旧校舎を拠点に、ホームレスの身体に取り憑きながら街と学園を移動する。気に入った少女を罠にかけ、眠り薬で眠らせ、監禁部屋に運び込む——これが基本サイクルになる。

本作を手に取った動機は、構造への興味だった。憑依という能力は、設計次第でかなり豊かなことができる。誰に取り憑いているかで世界の見え方が変わる多重視点、ある身体で得た情報が別の身体で意味を変える相互照射、視点の反転。こういう仕掛けを生める素材だ。冒頭で提示されたこの能力が、最終的にどんな結末に着地するのか。能力設定と結末の間に論理が通っているのか。それを確認したかった。

プレイ後の印象を先に言うと、能力と結末を結ぶ論理は確かに鋭く通っていた。ただし、その鋭い論理が、32名のヒロインに同じ型で繰り返し適用されることで、一回あたりの鋭さが鈍っていく。順を追っていこう。

凌辱が目的ではない——能力設定が結末を決めている

本作で構造として本当に巧いのは、ここだ。

冒頭、墓場で目を覚ました紳一は、執事の古手川から亡霊の能力を教わる。「意識を失っている人間なら、誰でも取り憑くことができます」。そして古手川はもう一段踏み込む。自我が崩壊した人間には、記憶ごと取り憑ける、と。この一行が、本作の全部を決めている。

つまり本作の凌辱は、快楽のための凌辱ではない。少女を捕らえ、犯し、再び犯し、自我を崩壊させるまで犯し続けるのは、その少女に完全に取り憑くための前処理なのだ。捕獲→初H→再H→絶望H という工程は、それ自体が目的なのではなく、最終段階の結末に到達するための手段として組まれている。エロが、ある結末に至るための論理的な階段になっている。

これは巧い。憑依という能力(手段)と、終盤の結末(目的)の間に、論理的な必然がある。「なぜ犯すのか」と問われた時、本作はちゃんと答えを持っている。冒頭で提示された能力が、終盤の結末に一直線で着地する。能力とテーマと結末が一致している。この一致こそが本作の構造的な核で、テーマ・メッセージ性に7をつけた理由だ。具体的な結末がどう組まれているかは、ネタバレになるのでここでは書かない。だが、その結末が能力設定の必然として導かれている、という設計の骨格だけは、ネタバレなしでも保証できる。

正直に言うと、ここに気づいた時、これは面白い設計だと思った。凌辱ゲームの「凌辱」に、明確な目的を与えて、能力設定からそこへ橋を架けている。本作の地力は、間違いなくこの一点にある。

5段階フロー——32名に同じ型を貼る設計

ここからが、本作の点数が落ちる理由の本体だ。

本作には、ヒロインの個別ルートというものが、構造としてはほとんど存在しない。あるのは、全ヒロインに対して同一適用される5段階のフローだ。街を歩いて標的を見つけ、罠か眠り薬で捕らえ、監禁部屋へ運び、自室で順に凌辱し、最終段階の結末へ進む。この一連が、財閥令嬢の園田みちるにも、アイドルの七瀬星花にも、外国人留学生のマルシェにも、巫女の赤石真生にも、全員に同じ順番で適用される。

各ヒロインの違いは、フローの中身ではなく、フローに差し込まれる個性のパーツに集約される。みちるは「Eカップよ! あ……」と誘導尋問に単純に乗ってしまう高慢さ、代議士の娘で水泳選手の夏美は「絶対にあんた、頭おかしいよ……」と空手で抵抗する男勝り、製薬会社OL のは陵辱の最中ずっと「まさおさんっ!」と婚約者の名を呼ぶ。パーツとしてのキャラ立てそのものは、それなりに書き分けられている。語彙の作り分けは雑ではない。

問題は、その個性のパーツが「フローの構造を変えない」ことだ。夏美が空手で抵抗しようと、薫が婚約者の名を呼ぼうと、最終的に全員が同じ工程を通って同じ型の結末に着地する。抵抗の仕方が違っても、収束先は一つの鋳型だ。これは、栞が最も評価できない型の設計だ。全ルートが同じ展開で相手だけ変わる、その極北がここにある。

もっとも、これは設計の失敗ではない。本作は最初からそういう思想で作られている。物語を語る作品ではなく、捕獲シミュレーションのコレクション要素として32名を並べる作品だ。だから5段階フローのスタンプ化は、意図的な均質化だ。ヒロインを攻略対象のサンプルとして並列に並べている。

ただ、栞の評価軸でこれを採点すると、ルート・分岐設計は4にしかならない。ルート間の相互照射がゼロだからだ。あるヒロインを攻略した経験が、別のヒロインの見え方を変えることがない。各ルートは完全に独立した袋小路で、しかもその袋小路の中身が全部同型だ。32本の並列スタンプは、構造として一本道よりも平面的になる。一本道なら少なくとも順序に意味を持たせられるが、並列の同型反復は順序にすら意味を持たない。

伏線という運動がない——情報が植えられず、即座に消費される

栞が最も得意とする領域で、本作は最も語ることがない。これは正直に言っておく。

伏線と回収を4にした理由はこうだ。本作には、伏線と呼べる情報設計がほとんど存在しない。冒頭の能力設定は、確かに後の結末の前提になっている。だがこれは伏線ではない。伏線は「最初は意味がわからず、後で意味を持つ」情報のことだ。本作の能力設定は、提示された瞬間に意味が確定していて、その通りに使われる。植え付けと回収の間に、プレイヤーの認識が更新される運動がない。

本作の情報は、提示と消費がほぼ同時に起こる。みちるが自分の財力を口にすれば、その場でそれが狙いとして消費される。情報が一度伏せられて、別の文脈で立ち上がる、という時間差がない。だから本作には「やられた」という瞬間がない。栞が伏線回収で味わう、最初の数行まで戻って読み返したくなるあの感覚が、本作には構造上発生しない。

一箇所だけ、構造的に面白い分岐がある。九条家の末妹・理沙のシーンには、本作で唯一、加害者の能力設定が加害者自身に牙を剥く瞬間がある。本作のルールが、初めて主人公に不利に働く分岐だ。詳しくはネタバレになるので書かないが、ここだけは能力設定を別の角度から立ち上げていて、本作が構造的な深さを持てたかもしれない可能性の痕跡として残っている。もしこのリスクが他のヒロインにも波及していれば、本作の捕獲は緊張のあるゲームになれた。だが、この一箇所きりだ。

物量という選択——能力設定が活かしきれていない

本作の周辺装置が、構造をどう支えているかを見ておく。

本作には、紳一の他に三人の亡霊がいる。執事の古手川、冷静な策士の椎名直人、力自慢の木戸大門。この三人は、捕獲のサイクルを回すインフラ担当として配置されている。古手川は監禁部屋を整え、宿主を確保し、捕獲対象を一覧化した写真リストを用意し、紳一が出歩いている間にも別の少女を捕らえて定期報告に来る。これは捕獲ペースを背後で維持する「在庫補充」のシステムで、本作が物量を成立させるための裏方だ。

装置としては正しく機能している。だが、写真リストという仕掛けが象徴的だ。攻略対象を最初から一覧で示し、順番に消化していく。これは、本作が物語ではなくコレクションであることを、システムのレベルで宣言している。栞が好む「プレイ順に意味がある設計」とは正反対の、「どの順番で集めてもいい並列収集」を、リストという形で可視化している。装置が優秀であるほど、同型の反復が加速する構造になっている。

ここに、本作の最大の惜しさがある。憑依という能力は、本来もっと豊かな分岐を生める設定だ。誰に取り憑いているかで世界が変わる多重視点も、ある攻略の結果が次の攻略を変える相互照射も、設計次第で実装できた。もし本作がヒロインを5〜6名に絞って、その代わりにルート間の相互照射を組み込んでいたら、能力設定を活かした構造的なゲームになれた。

だが本作はその道を選ばず、32名を並列に並べる物量を選んだ。1999年当時、登場人物74人・エンディング30種以上という数字は、ジャンルの標準を大きく超える売りだった。物量が当時の価値だったことは理解する。だが構造を読む立場からは、その物量が一点の論理を薄めた、と言わざるを得ない。能力設定という鋭い刃物を、32回同じ角度で振り下ろして、刃こぼれさせている。

Hシーンの配置——構造装置としては機能している、ただし単調

エロを専門に語るわけではない。ただ全シーン読んだ上で、構造との接続だけ。

本作のHシーンは、初H・再H・絶望H の三段階×32名で構成される。栞が見るのは「Hシーンが構造と接続しているか」の一点だけだ。その観点では、本作のHは構造装置として機能している。前のセクションで書いた通り、本作の凌辱は結末への前処理だ。初Hで処女を奪い、再Hで支配を強め、絶望Hで自我を崩壊させる。この三段階は、最終段階に到達するための工程として論理的に配置されている。Hシーンを削ると、結末の前提が消える。整合性という意味では、本作のHは本編と矛盾なく繋がっている。

ただ、ここでも反復の問題が出る。三段階×32名で、シーンの総数は膨大になる。そのほとんどが「処女喪失→支配強化→自我崩壊」の同じ三拍子だ。個々のシーンに差し込まれる個性は書き分けられているが、三拍子の構造そのものは全員共通だ。物語装置としては機能しているが、その装置が同じ型の反復だから、構造的な発見は最初の数名で出尽くす。

主人公の一貫性については、紳一は破綻していない。彼は冒頭の死刑執行直前から一貫した加害者人格で、Hシーンでの行動と日常パートの行動の間に乖離がない。日常で誠実だった男がHシーンで突然別人になる、という類いの破綻は本作には起きない。紳一は最初から最後まで紳一だ。これは人物造形としては一貫している。ただし、一貫した加害者が成長も変化もせず最後まで同じであることは、主人公の造形としては平板でもある。本作の紳一は、サイクルを回す定数であって、変化する変数ではない。

5.3——一点の論理は本物、ただし32回の反復がそれを平らにする

スコアの内訳はこうだ。

テーマ・メッセージ性に7をつけた。本作の「取り憑きという能力が結末に直結する」という論理は、能力設定から終盤まで一本の線で貫かれている。凌辱を快楽の消費ではなく、ある目的への前処理として位置づける設計は、本作の地力だ。設定の独自性に6をつけたのも同じ理由で、憑依能力がテーマと結末に直結する作りは、当時の凌辱ADVの中では独自だった。

プロット構成力は6。能力から結末への骨格は組めているが、その骨格の上で物語が運動していない。32本の並列が、構成上の運動を相殺している。エンディングの満足度は5。終盤の構造には巧い仕掛けがあるが、個別の結末の大半が同型のテンプレで、満足感が反復に削られる。

低くつけたのは、伏線と回収の4、ルート・分岐設計の4だ。本作には伏線という時間差の運動がほぼ無く、ルート間の相互照射もゼロ。32本の並列スタンプは、構造として一本道よりも平面的だ。栞の評価軸でいうと、この二点が総合点を一番下に引っ張っている。

合計が5.3になる。これは「核に一点の鋭い論理があるが、それを物量が平らにしている」という構造の点数だ。本作は、能力と結末の一致という一本の柱で立っている。だがその柱の周りに、同型のフローが32本並んでいて、柱の鋭さが反復によって鈍っている。

正直に言おう。本作の能力設定は、もっと巧い作品になれた素材だった。憑依という力は、多重視点も、相互照射も、視点の反転も生める。本作はその可能性を、32名の並列コレクションに使い切ってしまった。一点の論理は本物だっただけに、それを平らにした物量の選択が、構造を読む者としては残念だ。

本作を「能力設定の論理を味わう作品」として手に取るなら、冒頭から終盤への一本の線は確かに通っている。だが「ヒロイン一人ひとりの物語を味わう作品」として期待すると、同型フローの反復に疲れる。1999年当時の物量を売りにした凌辱ADV の代表作として、その物量がどう設計の鋭さと引き換えになっているかを見る作品だ。5.3は、一点の鋭さと、その周りの平面性を、両方含めた結果として妥当だと思う。

能力=結末の論理がどう具体的に組まれているか、終盤の構造的な仕掛けがどこにあるかは、もう一本のほうに全部書いた。プレイ済みの人はそちらを読んで欲しい。