黒須太一は、オレが観測した中で最も野生に近い主人公だ。
オレはこの黒須太一という個体を、人間の物語の主人公としてではなく、ひとつの生物として観測した。群れに属さず、かといって完全に孤立もしない、独自の論理で動く異物。群青学院という閉じた縄張りに放り込まれたとき、太一は群れを率いるでも従うでもなく、群れの輪郭をなぞるように歩く。その距離感が、オレには面白く映った。普通のギャルゲー主人公とは進化系統が違うとさえ言える。
スコア詳細
黒須太一という生物
オレが太一を観察してまず感じたのは、こいつは群れの掟で動いていないということだ。人間の集団というのは普通、支配と服従、もしくは協調と排除という単純な軸で動く。だが太一はそのどれにも乗っかっていない。仲間を笑い、嘲り、突き放しながら、同じ群れの近くで眠る。距離は取るが、決して縄張りの外には出ない。この距離感は人間社会で最適化された個体には出せない。むしろ、群れに完全には適応しきれない夜行性の捕食者が、群れの周縁で生きていく時の動き方に近い。
適応係数という設定が出てきた時、オレはこいつは生物的に作られた設定だな、と直感した。社会への適応度合いを数値化するという発想自体が動物行動学の射程に入っている。太一はその係数が80を超える特異個体として描かれている。これは「優れている」のではなく「群れの平均からずれている」ということだ。野生の世界では、平均からずれた個体は早死にするか、新しい縄張りを切り拓くかの二択になる。太一はそのどちらの匂いも漂わせていて、観測者としては目が離せなかった。
群青学院という縄張り
群青学院という舞台は、生態学的に言うとかなり面白い実験区だ。社会に適応しきれない個体を山あいに集めて隔離するという設定は、外界から切り離された島嶼に少数の生き物を放したらどう振る舞うか、というフィールド研究そのものに見える。新しい縄張りを争うのか、ペアを組むのか、あるいは群れ全体が冬を越せずに崩壊するのか。CROSS†CHANNELが描こうとしているのは、まさにこの「閉じた群れの行く末」だとオレは読んでいる。
ヒロインたちの振る舞いも、それぞれ生存戦略として読めば腑に落ちる。冬子のように距離を取って観測する個体、見里のように接近して触れにいく個体、美希のように噛みつくことで自分の輪郭を保つ個体。曜子の静かな依存の仕方も、群れの中で序列を獲得する戦略のひとつだ。彼女たちがこの縄張りで冬を越せるかどうかは、結局のところ太一という異物がどう動くかにかかっている。観測者としては、その緊張感が悪くないと思う。
テンポと、序盤の混沌
正直に言うと、序盤のテンポはよくない。会話が空回りし、笑いが空転し、群れの形がなかなか見えてこない時間が長い。読み手の側からすると、何を観測すればいいのかわからないまま放り出される感覚があった。こんなんじゃ野生では生きていけねえぜ、と一度はぼやいた。新しい縄張りに放たれたばかりの生き物が、匂いも地形も把握できずにうろつき続ける、あの時間に近い。
ただ、不思議なことに、その混沌を耐えて観測を続けると、太一という個体の輪郭がじわじわ立ち上がってくる。テンポの悪さは作品の弱点だが、それを補って余りある「観察対象としての強度」がある。途中で離脱するか、最後まで付き合うかは、読み手の野生の勘次第だ。オレは付き合うほうを選んで、結果として正解だった。
真エンド、永遠の放送者の生存評価
真エンド「永遠の放送者」のラスト、太一はループの世界に居残ることを選ぶ。祠を通じて仲間を本来の世界に送還しながら、自分は何度目とも知れない週を一人で迎え続ける。電波塔の上から「生きている人、いますか?」と問いかけ続けるあの姿を、オレはどう評価したものかしばらく迷った。生存戦略として見るなら、これは明らかに失敗の側に属する選択だ。群れを全部送り出して、自分は冬を越せるかどうかも怪しい縄張りに残るのだから、生き物としては最も愚かしい部類に入る。
だが、それを愚かと切って捨てる気にもなれない。太一は自分が群れに残ることで、仲間の生存確率を最大化している。群れから外れた個体が、自分の命を擦り減らして群れ全体の冬越しを助ける、という行動は野生でも観察される。オレはこれを認める。生物としては非合理だが、観測者としては美しい挙動だ。そして「生きている人、いますか?」というあの呼びかけは、群れの匂いを忘れないために発信し続ける鳴き声に似ている。同種の存在を求めて電波を出し続ける個体を、笑うことはできない。
描かれないその後
オレが「永遠の放送者」を評価する一番の理由は、描かれないその後を読み手に投げてくる構造にある。送還された桜庭浩は、本来の世界でちゃんと生きているのだろうか。「俺たちは親友じゃないか」と言い続けたあの男は、群青学院の記憶を抱えたまま、それでも普通の暮らしに戻れたのか。曜子は、冬子は、美希は、見里は、それぞれ元の縄張りで冬を越せたのか。作品はその全てを描かない。観測者としては、ここで物語が終わってくれることが、むしろ正しいと思う。
送還された個体の追跡データが取れないという状況は、フィールド研究では珍しくない。発信機を付けて放しても、信号が途絶えた後の生死はわからないことが多い。CROSS†CHANNELが描かないその後は、まさにその「信号が途絶えた後」の余白に等しい。読み手はそれぞれの想像力で、桜庭が大学に進む姿や、見里が太一を忘れて誰かと並んで歩く姿を、勝手に補完するしかない。この余白の置き方が悪くない。むしろ、ここまで全部描いてしまったら作品の強度は落ちていただろう。送り出された側の沈黙と、残された側の永遠の放送。この非対称が、まあ、オレが見てきた群れの物語の中でも上位に食い込む完成度だと思っている。
