アライグマのレビュー — CLANNAD

アライグマ
アライグマ
野生の眼で読む
8.5/10
8.5 / 10

縄張りも資源も持たない雄が、坂の町で群れを作っていく話だ。長丁場だが、最後まで観測する価値がある。

美香のアパートで横から見ていた。最初に映ったのは、坂の下で溜息をつく冷笑的な雄個体だ。母を失い、父と縄張りを共有できず、群れも親友一匹だけ。こんなんじゃ野生では生きていけねえぜ、と一度はぼやいた。だが観測を続けると、この坂の町は群れの密度が異常に高いと気づく。血の繋がらない個体同士がどう群れを組むか、その過程をここまで丁寧に噛んだ作品は少ない。煮干しを齧りながら最後まで付き合った。後悔はしていない。詳しい結末と「描かれないその後」はネタバレあり版で書いた。

スコア詳細

主人公の造形 9
キャラ間の関係性(群れ) 10
エンディングの満足度(冬越し) 8
感動・カタルシス 9
設定の整合性 7
雰囲気・没入感 8

なぜオレが坂の町に居座ったか

美香のアパートの窓辺から覗いたら、坂を見上げて溜息をついている雄個体が映っていた。

「これ長いよ。途中で帰ってもいいから」、美香はそう言ってソファでプレイを始めた。オレは煮干しを一本もらって、横で観測することにした。最初に映ったのは、坂の下で立ち尽くす少女に「次の楽しいことを見つければいいだけだろ」と言う雄個体だ。岡崎朋也。母を事故で失い、父との諍いで肩を痛め、何にも本気になれない個体。縄張りもない、資源もない、群れも親友の春原一匹だけ。野生の眼で見れば、こいつは冬を越せない側の個体だ。

その少女、古河渚は渚で、長い病欠のせいで過ごし慣れたはずの学校に居場所をなくしている。「この学校は、好きですか」と誰かに問いかける場面、ここで二匹の弱った個体が坂の下で出会う。普通なら、弱い個体二匹が寄り集まっても群れにはならない。だが観測を続けるうちに、この坂の上の学校と坂の下の町、その両方に張り巡らされた個体の関係が、思った以上に密だと気づいた。双子の藤林姉妹、星形を彫り続ける風子、図書室にこもる天才のことみ、桜を守ろうとする編入生の智代。この町は群れの密度が高い。だから最後まで観測した。長丁場だったが、後悔はしていない。

朋也——冷笑する雄が、本気を出すまで

主人公の造形に9点をつけた。

序盤の朋也は、正直、観察対象として弱い。受動的で、親友の春原をからかい、授業をサボる。「アオテナガフクロオオスノハラモドキ」とくだらない嘘で親友を転がす日々だ。この時点でオレが採点していたら6点止まりだった。縄張りも資源も持たない雄が、ただ群れの周縁で時間を潰している。「派手に散ろうぜ」と言いながら、何にも本気で散ろうとしていない。

だがこいつは、誰かの困りごとを見過ごせない。それが弱点であり、強みでもある。渚の廃部になった演劇部の再興に巻き込まれ、ことみの抱える孤独に踏み込み、智代の縄張り防衛に手を貸す。最初は嫌々のはずが、気づけば本気で動いている。野生の論理で言えば、群れの個体が困っている時に身体が勝手に動く、というのは群れの本能を持った個体の証拠だ。こいつは縄張りも資源も大したことないが、いざという時に逃げない。だから群れが寄ってくる。

物語が進むにつれて、この雄個体はどんどん別の個体になっていく。受動から能動への脱皮を、ちゃんとした手順を踏んでやる。その変化の道筋に説得力があった。詳しい到達点はネタバレあり版で書いたが、ここでは「冷笑する雄が、最後には本物の覚悟を持つ個体になる」とだけ言っておく。9点で妥当だろうな。

古河家という群れ——血の繋がらない縄張り

キャラ間の関係性に10点。これがこの作品の核だ。

野生で最も観察したいのは、血の繋がらない個体同士がどうやって群れを組むかだ。CLANNADはそこを正面から噛んでいる。渚の両親、古河秋生早苗が、よそ者の朋也を群れに引き入れていく過程が見事だ。秋生という個体が特に効いている。「オッサン」と呼ばれながら、強面で暴言を吐き、朋也と喧嘩しながら、結局は家族として認める。「自宅出産だとおぉぉーーーっ!?」と叫ぶような乱暴な雄が、誰よりも家族を守る役を降りない。整合してる。

早苗も見事だ。パン作りが絶望的に下手で、新作が売れないと泣き出す母個体だが、朋也を最初から「朋也さん」と歓迎し、母性で群れに迎え入れる。「資格じゃないです。義務ですよ、親としての」、この一言を言える個体は、群れの中で何が大事かを本能で理解している。血ではなく、生活と覚悟で繋がる群れ。これは強い。

群れの中での役割分担も全部機能している。誰が何を提供しているか、その分業に無駄がない。だんご大家族、という渚が偏愛する唄が示す通り、この作品が描こうとしているのは「家族とは何か」だ。血縁を超えて縄張りを共有する群れは、単独の繁殖ペアより遥かに冬に強い。これを丁寧に積み上げているから10点だ。

各ヒロインは、それぞれ独立した群れの標本だ

学園編の各ルートを、群れの観察記録として読んだ。

一ノ瀬ことみは、過去に縛られて群れから距離を取っている個体だ。図書室にこもり、無差別に自己紹介を繰り返す。「もしよかったら、お友達になってくれるとうれしいです」、この機械的な挨拶の裏に、群れに入りたいのに入り方を忘れた個体の孤独が見える。彼女が群れに戻る過程は、血が通ってる。坂上智代は縄張り防衛の個体だ。「町は変わっていく。でも、抗えるなら、この力で抗いたい」、思い出の宿った桜並木を守ろうとするこの編入生の意地は、群れの記憶を守る行動として読めば筋が通る。

伊吹風子は特異な個体だ。星形を黙々と彫り続け、姉の結婚式のために配り歩く。「風子には時間がないんです」「たくさんの人に祝ってほしいんです」、この小さな個体が何を抱えているかは、観測を続けるとじわじわわかってくる。藤林杏・椋の双子姉妹も、片方が片方のために動く構図が、群れの中での譲り合いとして機能している。「あの子ね、本当にあんたのことが好きよ」と妹の好意を朋也に伝える杏の場面、ここには群れの序列を巡る本能が透けて見える。各ルートが、別々の角度から「群れとは何か」を照らしている。設計として無駄がない。

坂の町の匂い——生活感という名の肉

雰囲気・没入感に8点。

この作品には、坂の町の匂いがある。坂の上の学校、坂の下の町、古河パンの店先、春原の散らかった寮の部屋。端役の個体にも生活がある。仁科や杉坂のような演劇部の仲間、寮母の美佐枝、用務員の老個体。誰もが自分の縄張りで自分の生活を回している。世界が朋也のために存在しているのではなく、朋也が世界の片隅に居候している、という感触がある。嗅いだだけでわかる。これは作り物の町じゃない。肉がある。

日常パートの掛け合いも効いている。朋也と春原の漫才のような応酬、藤林杏のタカリ、風子のハンバーグへの異常な執着。群れが機能している時間が、ちゃんと描かれている。全く人間ってのは、こういう何でもない時間をもっと大事にすればいいだろうに。日常ってのは冬前の備蓄みたいなもんだ。ここをおろそかにした群れは必ず冬に崩れる。CLANNADは、この備蓄の時間をたっぷり描いてから、本番に入る。だから本番が効く。

8点で止めたのは、その日常が長すぎて、群れの形が見えるまで読み手に忍耐を要求する箇所があるからだ。新しい縄張りに放たれた生き物が、地形を把握するまでうろつき続ける、あの時間に近い。耐えられない個体もいるだろう。だが耐えた先に肉がある。オレは耐えるほうを選んで、正解だった。

8.5——群れの物語として、オレの評価軸の上位だ

最後に総評だ。

CLANNADは、縄張りも資源も持たない弱い雄が、坂の町で群れを作り、本気を出していく話だ。岡崎朋也は冷笑する雄から、何かを守る個体へと脱皮する。古河家という血の繋がらない群れが、それを丸ごと支える。各ヒロインのルートが、別々の角度から「群れとは何か」を照らしている。ほとんどのギャルゲーが描かない部分まで踏み込んでいく作品で、群れの観測者として見応えがあった。

設定の根の部分に、論理よりも情緒で押し切った箇所が見える。日常が長く、忍耐を要求する。弱点はある。だがそれを差し引いても、家族と群れの物語として、CLANNADはオレの評価軸の相当上に位置する。8.5はそういう判定だ。

物語後半の顛末と、オレの本領である「描かれないその後」の冬越し予想は、ネタバレあり版に書いた。……認めたくないが、美香のセレクトは悪くなかった。煮干しをもう一袋ねだってもいい気分だ。もちろん、タダで貰えるならそれに越したことはない。