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柊美香のレビュー — DESIRE完全版

柊美香
柊美香
辛口の鬼畜系レビュアー
8.0/10
8.0 / 10

逃げない作家でしたわ。覚悟のある終わり方でございます。

1994年の作品でこれを書ききった人の、覚悟の話をいたします。本作の真相を知って読み返すと、マルチナという女は「永遠ともいえる時間の呪縛から逃れる」と宣言して装置を起動した人物ですわ。脱出の意思を持って動いた女が、結果としてその試みに撃たれて装置に呑まれ、若返って物語冒頭の浜辺へ漂着する——脱出を試みた行為そのものが、脱出を不可能にする閉じた螺旋の燃料になる。菅野ひろゆきは、主人公に逃げ道を渡しませんでした。説明されない起源を抱えたまま「to be continued ... forever」で物語を切る判断、これは自分の物語を最後まで信じている書き手にしか取れない選択ですわ。わたくしはこれを評価します。ただ、アル篇クライマックスで「6年間ティーナと2人で過ごした」という主観時間処理が、最終的に「夢か錯乱」として現実側で否定される流れ、ここで一歩引いたのが見えますわね。覚悟の作品に一か所だけ、読者に逃げ道を残した瑕疵が見える。それを差し引いて8.0とさせていただきました。

スコア詳細

主人公の造形 8
設定の整合性 8
ヒロインの魅力 9
エンディングの満足度 9
Hシーンの質 7
文章力・描写力 7

「逃げない作家」を確かめにまいりましたの

1994年初出、1998年Windows完全版。シナリオは菅野ひろゆき。

こういった作品に手を伸ばしましたのは、菅野ひろゆきという作家が「最後まで自分の物語を信じる」タイプかどうかを見極めたかったからでございます。耳に入ってまいる評は『EVE burst error』『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』という後年作にばかり集中しておりまして、肝心のこの初期作については「読者を選ぶ」「結末を投げっぱなし」といった、奥歯に物の挟まったような言いようが目立っておりましたわ。読者を選ぶ作品ほど、わたくしが見たいものは詰まっている可能性が高うございますの。それで踏み込ませていただきました。

結論から申し上げますわね。逃げませんでしたわ。菅野ひろゆきは、自分が「閉じる」と決めた構造で物語を閉じております。ループの起源を説明しない選択は意図された不在で、不在のまま終わらせる覚悟がございますわ。そこは認めます。一方で、アル篇の処理に一点だけ「逃げた」と読める箇所がございます。これは後ほど申し上げましょう。

マルチナという女——脱出を試みて、呑まれたヒロイン

本作の核心はマルチナ・ティーナ・ステラドヴィッチという女の構造にございます。

マルチナは《デザイア》という南海の研究施設の責任者で、反応装置という時空作用を起こす機械の発明者ですわ。表向きは亡夫の研究を継いだ未亡人として振る舞っておりますけれど、真相はこう——マルチナは自分の幼少期(=ティーナ)が過去の自分であることを成長過程で認識していた。手紙の署名「マルチナ・ティーナ・ステラドヴィッチ」がそれを示しております。物語冒頭で記者アルが浜辺で保護した記憶喪失の少女ティーナは、装置作用で30年若返った状態の自分自身——その認識のもとで、彼女は装置を完成させたわけですの。

ここで重要な区別を申し上げますわ。マルチナの装置使用の目的は、ティーナとアルを異次元へ送り出して、自身もこの永遠の螺旋から脱出することでございました。終章C篇でマルチナが装置内部で告げる独白——「これからね、あなたには生まれ変わってもらうの」「永遠ともいえる時間の呪縛を逃れるため‥‥次元の壁を越えて、アルに出会うために」——これは閉鎖宣言ではなく、脱出宣言として読むべき台詞ですの。彼女は呪縛から逃れるつもりだった。自分自身が再び若返ってティーナとして物語冒頭へ戻ることは、想定していなかった。

そこへ、夫グスタフ(偽装死で生存し、ゲーツとして潜伏していた人物)が銃を手に乱入する。マルチナはグスタフを撃とうとして、逆に撃たれて装置に転落する。結果、若返り、浜辺へ漂着し、物語冒頭のティーナへとループが閉じる。脱出を試みた行為そのものが、脱出を不可能にした——これがギリシャ悲劇の構造でございますわね。逃れようとした主人公の試みが、逃れられない運命の燃料に変換される。

さて、わたくしが評価する「覚悟」は、この構造の中のどこに宿るのでしょう。マルチナ本人ではございません。彼女は脱出意図と結果の落差で呑まれた被害者寄りの存在として再解釈する余地がございます。覚悟があったのは、菅野ひろゆきという作家のほうでございますわ。彼は主人公に脱出させなかった。逃げようとした宣言を物語の燃料に変換して、ヒロインを救わない。普通こういう「ループに人を閉じ込める女」を書くと、作家はどこかで彼女に救いを与えたくなるものですわ。最後の最後で異次元へ送り出して新しい人生を始めさせる、とか。菅野ひろゆきはそれをいたしませんでした。彼女が「呪縛を逃れるため」と宣言したその行為で、呪縛を完成させる。これがサブタイトル「Corrupt Spiral」の意味でございましょう。逃げようとしたヒロインを、作者が逃がさない——これが本作で覚悟と呼ぶに値する一点ですわ。

動機の設計も巧うございますの。彼女が装置を完成させた本当の理由は、世界を救うためでも研究を完成させるためでもございません。「アル、あなたが初めて《デザイア》へ来たとき、涙がこみ上げてきた‥‥もう1度会えて、嬉しかったのよ‥‥」——終章でマルチナ自身が告げる本当の動機。一人の男にもう一度会いたい、それだけのために、一国の研究予算規模の装置を完成させた女ですの。動機の小ささに対する装置の規模の落差、ここの非対称が彼女の異常性を作っております。動機の純粋さは保たれていて、結末の残酷さはそれを裏切る——この設計は逃げておりませんわ。

「to be continued ... forever」——閉じる覚悟の方法論

本作の終わり方について申し上げますわ。ここが最も評価される部分でございます。

終章の最後、マルチナが装置に呑まれます。エピローグで浜辺に少女が漂着し、アルに「私はティーナ‥‥」と名乗る——これは物語冒頭の場面と完全に同一。そしてクレジット「to be continued ... forever」で物語が閉じる構造になっておりますわ。

この終わり方を「投げっぱなし」と読む方がいるのは存じ上げております。けれどわたくしはそうは取りませんわ。これは意図された閉鎖でございますわ。理由を申し上げます。

本作のループはブートストラップパラドクス——因果の起源が説明できない閉じた円環として設計されておりますわ。マルチナが装置を作るには、装置を経験して得た知識が必要。けれどその知識は、装置を作った後の人生でしか得られない。知識の起源が知識自身の使用に依存しておる——古典的な時間旅行のパラドクスですわね。本作はこれを解決しておりません

ここで重要なのは、菅野ひろゆきがこのパラドクスを意図的に解決しないまま閉じているということ。サブタイトル「Corrupt Spiral」(堕ちた螺旋)、主題詩で繰り返される「この悠久の螺旋から助け出してくれるのは、誰?」、そして「to be continued ... forever」——どれも循環の閉鎖性を強調する語彙ですわ。「起源を問うこと自体を物語が拒否しておる」——この設計思想が一貫しております。これを欠陥として読む方は、本作の構造そのものを理解しておられませんわ。

そして、この閉鎖の冷酷さは——マルチナの脱出意図と完全に逆向きに作用する点にございますの。彼女が「呪縛を逃れる」と宣言した瞬間、作者の構造設計は静かに閉じる方向で動きますわ。彼女の宣言は、彼女自身に対して機能しない。物語の論理として、脱出を口にした主人公の試みそのものが、ループを閉じる動力源に変換される——この冷酷さを、作者は最後まで貫きました。読者に親切な作家であれば、終章の最後に「実は最初のループは○○だった」という説明回を挿入しておりましたでしょう。そうすれば読者は安心して本を閉じられる。それをやらなかった。説明することで物語が壊れる場所では、説明を拒否する——これは作家として正しい判断でございます。覚悟が見えますわ。

もう一点。マルチナが過去の自分(ティーナ)に向けて告げる独白——「あなたに‥‥恐らく‥‥理解できないわ‥‥」。これは、読者向けの台詞でもあると読めますの。「あなたに(読者であるあなたに)、恐らく、理解できないわ」——本作のループ構造は、最後まで読者と作品の間に距離を残す。理解を強要しない。これも逃げの逆ですわね、媚びておりません。

説明を残さず閉じる。これは「謎を投げた」のではなく、「説明できないものを物語の構造そのものに変換した」設計でございますわ。ヒロインが脱出を宣言したその行為で永遠の呪縛が完成する——これが Corrupt Spiral の意味。閉じることに覚悟があった作家にしか、こういう終わり方は書けませんわ。

— 柊美香

アル篇クライマックスの一点だけ、引っかかりましたわ

褒めるばかりではございません。引っかかった箇所も具体的に申し上げます。

アル篇のクライマックス、装置事故で意識を失ったアルが目覚めて、こう言いますの——「誰もいない《デザイア》で、ティーナと一緒に、6年も‥‥」。外の現実時間ではほんの数分しか経っておりませんのに、アルだけは、ティーナと2人で異空間《デザイア》で過ごした実時間6年分の記憶を持って戻ってまいりますわ。

この設定そのものはわたくし評価いたします。装置の機能として整合的でございますし、終章でC篇の真相が開示された後で読み返すと「ティーナは外的時間の数分の間に、アルとの6年を体験して、そこから過去世界へ送られた」と意味が通ってまいる。設定の整合性としては問題ございませんわ。

引っかかりましたのは——その6年間の記憶を、現実側のキャラ達が「錯乱」「夢」として処理する流れでございますの。アルが救出された直後、マコトはアルの述懐を「気が触れたのか」とほぼ否定する。アル自身も、エピローグでは6年間の体験を「夢だったのか、それとも本当だったのか」と保留した様子になる。

ここに引っかかりがございますの。「アルは確かに6年間をティーナと過ごした」と作者が言い切れば、これは強い物語になりますわ。一人の男が、誰もいない無人の研究施設で、12歳の少女と6年間を過ごす——その2人の生活は何だったのか。父親代わり? 兄妹? ある時点から男女? 12歳から18歳までの少女と二人きりという設定で、菅野ひろゆきは何をどこまで踏み込んだのか。そこに正面から答えていただきたうございました

けれど作品はそこに踏み込みませんの。「6年間の記憶」を、現実側からは「装置事故の錯乱」として処理する逃げ道を残しておる。終章でその記憶が「真実だった」と確定的には書かないまま、読者の解釈に委ねる構造になっておりますわ。これは「6年間2人きり」という設定の重さに対して、作者が責任を取り切らなかったとわたくしは読みましたの。

もう一つ申し上げますなら、ティーナがアル篇終盤で身を呈してアルを助ける場面——「ごめんなさい、アル。でも、こうする他あなたを助けられない!」——ここから装置に呑まれて消えるまでの一連は美しゅうございますの。終章の真相が分かった後で読み返すと、ここでアルを庇った若いティーナがそのまま装置で過去へ送られていくわけで、場面の重さが二重化いたしますわ。アルが救おうとした少女は、彼を救うために自分から呑まれていった——という関係の捻れ。これは整合性のある演出ですわ。だからこそなお、アル側の6年間処理を曖昧化したのは残念でございます。覚悟のある作品で、一か所だけ覚悟が緩んだ部分が目立ちますの。

マコト篇のH場面——主人公の一貫性で測ると微妙ですわ

わたくしはHシーンを物語の論理で測る側でございますから、ここは厳しめに申し上げますわ。

マコト篇では、技術主任マコト・イズミと護衛役カイルの関係が描かれますの。薬物投与から始まる性的隷属関係で、本編のマコトと、Hシーンのマコトに大きな落差がございますわ。

本編のマコトは「装置の危険性を進言し続ける責任ある研究者」として描かれます。マルチナに正面から「この装置は危険すぎます!」と申し上げる人物。終盤では、装置内部で黒幕ドクター・ゲーツがアルを撃とうとした瞬間、反射的に「アル、伏せてぇっ!!」と叫び、ゲーツを突き倒してアルを救う。能動的な意思決定者ですの。

ところがH場面では、マコトはほぼ完全に受動的な存在に置かれておりますわ。薬物による意識混濁の中で、性的に隷属させられる。心話で「私‥‥私、もしかしたら淫乱なのかしら‥‥」と自己診断する流れ、これは本編のマコトと地続きとして読みにくうございますの。日常の彼女とベッドの上の彼女が、別人化しておる

もちろん設計意図は読み取れますわ。マコトが「外側では能動的、内側では従属的」という二面性を抱えていて、その内側の弱さがエレナとカイルの薬物に付け込まれる——という心理ロジックは描かれておる。レイコの死、装置の危険、上層部との対立を抱える状況で、マコトが性に逃げる、という心理的整合性は読み取れなくはございません。だから完全には否定いたしませんわ。

ただ、同じ心理ドラマを「薬物による隷属」一択で実装したのは物足りないのでございますの。マコトの内面の弱さを描くなら、もう少し選択肢がございましたでしょう。薬物・性的隷属というシチュは描き慣れた書き手にしか上手く扱えないもので、菅野ひろゆきは「描き慣れている」とは思いませんわ。だから一場面ずつのインパクトはあっても、本編との論理的接続が弱うございますの。Hシーンが物語の論理に組み込まれているか——わたくしが強く見る軸でございまして、本作はここで一段下がりますわ。

逆に、終盤マコトが瀕死のカイルに泣きすがる場面——「お願いよ、私何でもするわ‥‥あなたの言うことなら何でも聞く! 何をされても構わない。もっと虐めて! だから‥‥」——ここは強うございましたわ。性的隷属関係から始まったはずの繋がりが、最終局面では命を惜しむほどの感情になっていた。始まりが薬物だったことを上書きする結末として、ここは機能しておりますの。鬼畜的な繋がりの精度として測りますと、序盤のH場面群よりこのカイル看取りの場面のほうが描き込みとして強いとわたくしは読みました。皮肉でございますわね。

グスタフという男——加害側の動機が薄うございますわ

もう一つ、加害側の造形で引っかかった人物がおりますわ。

マルチナの夫、グスタフ・ステラドヴィッチ。設定上は——テオドラ研究所事故で死亡したと公表されたものの実は偽装死、別の研究機関に潜伏してマルチナの研究を妨害し続け、終盤でマルチナとアルの前に再び現れて発砲する人物。本作の真の敵役の一人ですの。

けれど、彼の動機の描き込みが薄うございますわ。なぜグスタフはマルチナを妨害するのか。なぜ偽装死までして潜伏したのか。なぜ終盤に出てきて撃たれるのか。設定上の説明は一応ございます——「娘も私の役に立てて、喜んでいることだろう」という台詞や、彼自身が研究を続けていたという背景描写は出てまいる。けれど、彼を駆動する内的なものが、マルチナに比べて圧倒的に薄うございます。

マルチナの動機は描かれております。彼女がアルに会いたかった、研究を完成させたかった、過去の自分を救いたかった——という重なった動機が、終章で全部開示される。一方グスタフの動機は「マルチナを妨害する」「研究を独占したい」といった輪郭しか提示されません。これは加害側の心理として描き切れておりませんわ。

本作の終盤、グスタフが撃たれて死ぬ場面でも、彼の最期の独白がほとんどございません。マルチナとアルが「夫が来た」と認識してから、撃たれて、退場する——という流れの早さに、グスタフという男の重さが全然乗ってまいりませんの。「夫」というラベルだけで処理されておる。マルチナの過去20年を共に過ごした男が、ここまで記号的でよろしいのでしょうか。わたくしの評価軸では、ここは引っかかる箇所でございますわ。

菅野ひろゆきは、女性キャラの内面を描くのは巧うございますけれど、男性の悪役を描くのが少し弱うございますのかもしれませんわ。マルチナは描けた、ティーナの自己犠牲は描けた、エレナの「私はいま、40を過ぎているわ‥‥」という告白も描けた。けれどグスタフだけは、最後まで「設定上の役割」として動かされていた印象でございます。加害側の動機が薄い——わたくしの典型的な減点ポイントですわね。

エレナの告白——「40を過ぎている」の重さは効いておりましたわ

褒める箇所は短くまとめさせていただきますわね。

マコト篇終盤、医療助手エレナが瀕死で告白する場面——「私はいま、40を過ぎているわ‥‥」。彼女は装置の作用で若返った状態で、ゲーツの助手として動いていた人物でした。20代に見える外見の彼女が、実は40歳超だと告げる場面ですわ。

これは、ようございましたわ。装置の機能が「人を殺す」「ループを作る」だけではなく、「ある人物の人生の時間そのものを書き換えてしまう」という運用例として、エレナという1人の女の生き方を通じて開示される。マルチナのループ構造とは別の角度から、装置の本質を補強する場面として機能しておりますの。

しかもエレナは敵側の人物。レイコ殺害の実行犯であり、マコトを薬物で支配しようとした女。それが終盤で「装置の真実のデータディスクをマコトに託す」という形で寝返る。彼女の動機が「ゲーツへの服従」から「ゲーツの研究の遺志を残す」へとずれていく流れも、薄いなりに動機の更新がございますわ。グスタフが描けていなかった分、ここは描けておりました。

マコトがそれを受けて「フフ、知的探求心‥‥もっともエゴイスティックな欲望ね」と返す台詞、これですの。マコト自身がB篇序盤で「フフ、知的探求心というのは、究極のエゴイズムかもしれないわね‥‥」と独白していたのを、終盤でエレナの告白を受けて反復する構造になっておりますの。マコトの自意識が物語を一周しておる。これは整合性の高い設計ですわ。

印象に残った場面——覚悟が見えた瞬間

恒例として、覚悟が見えた瞬間を3つ挙げさせていただきますわ。

第一の場面——終章でマルチナが過去の自分(ティーナ)に書き残す手紙の最後。「あなたとアルは近いうちに、大きな危険にさらされることになる」「装置の異常出力のため、空間位相が大きくずれてしまうでしょう」「そしてあなたはどこか、言葉も通じない異国の地で目覚める」。これは未来予知ではなく未来追体験の指示書でございますの。マルチナは過去の自分が辿る道を全部知っていて、それを「指南書」として書き残す。書きながら、自分の若い時の体験を再生する。時間意識が一文に圧縮されておる瞬間、ここは菅野ひろゆきの最良ですわ。手紙は意図的に書かれた文書ですから、ここに彼女の自覚は確かに存在しておりますの。

第二の場面——マルチナの最後の独白。「あぁ、アル‥‥‥‥」「あなたが初めて《デザイア》へ来たとき、涙がこみ上げてきた‥‥‥‥」「もう1度会えて、嬉しかったのよ‥‥‥‥」「私がティーナだと、あなたに言いたかった‥‥‥‥」「アルっ! 私は‥‥‥‥‥‥」。装置の中で、自分の身体が若返って過去へ送られる直前に、これだけは言いたかった、という告白。生前のマルチナはアルに直接告白する勇気がございませんでした。装置に呑まれる瞬間に、ようやく一言だけ言える。「私は‥‥」で台詞が切れるのですわ。続きは「ティーナ」。けれど言い切れずに、装置に呑まれてしまう。沈黙そのものを台詞として書く菅野節がここで効いておりますの。

第三の場面——アル篇エピローグ、2年後にアルが世界中を捜し回る決意を語る独白。「あの子は言った。またきっと会えると‥‥‥‥あの子はウソをつくような子じゃないんだ。」「きっと会えると言ったんだ、きっと会えるさ‥‥きっと。」。彼は知らない。読者は知っております。アルが捜しているティーナは、彼の目の前で2年前まで「教授」として目の前にいたマルチナだったこと。再会は永遠に成立しない、というのが本作の真相でございますわ。アルの善意の捜索が、構造的にはどこにも辿り着かないという残酷さ。彼を救う気のない物語、ここは菅野ひろゆきが逃げなかった瞬間ですわ。「2年後に再会した」と書く方が読者は喜ぶ。それを書きませんでした。

8.0——逃げない作家への評価

8.0。これがわたくしの結論でございますわ。

評価を分解させていただきますわね。主人公の造形8——アルとマコト、それぞれ造形に芯がございます。アルの記者としての職業意識、マコトの「凄いエゴイストかも」という自己診断、両方とも序盤の独白から終盤の行動まで一貫しておりますわ。9に届かない理由は、マコトの本編とH場面の落差。同一人物として地続きで読みにくい瞬間がございますの。

設定の整合性8——反応装置の作用、ループ構造、マルチナの偽装シナリオ——どれも作中で一貫した運用がされておりますわ。9に届かない理由は、ブートストラップパラドクスの起源不在を「整合性の限界」と読むか「設計の覚悟」と読むかで揺れがございますから、間を取って8とさせていただきました。

ヒロインの魅力9——マルチナがほぼ全て持っていきましたわ。彼女のために加点いたしました。30年以上の人生をかけて装置を完成させ、脱出を宣言してその試みに呑まれた女。動機の純粋さと結末の冷酷さの落差が彼女の悲劇性を作っておりますの。本作で覚悟と呼べる何かが宿った人物は彼女しかおりません。ただし覚悟を持っていたのは作者であって、彼女自身は脱出を試みた被害者寄りの存在として読み直せる——その複層性が、彼女を強くしておりますわ。

エンディングの満足度9——「to be continued ... forever」という閉じ方を支持いたしますわ。読者を選ぶ作品なのは認めます。けれど作家が自分の物語を最後まで信じている終わり方として、これは正しい。ヒロインが「呪縛を逃れる」と宣言したその行為で呪縛が完成する——この構造の冷酷さを、作者は最後まで貫きました。10にしなかったのは、アル篇のエピローグで「6年間の記憶」処理が曖昧化されている点。終わり方として一か所だけ濁った場所がございますわ。

Hシーンの質7——マコトとカイルの場面群、設定としての必然性は読めますけれど、描写の精度はそれほど高うございません。剣乃ゆきひろが本来こちら系の書き手ではないのは存じ上げておりますし、初代PC-9801版にHシーンが無く完全版で追加された経緯も承知しております。だから「足された装飾」として割り引いて7。終盤のマコトがカイルを看取る場面の鬼畜度は精度が高うございましたから、そこで持ち直して7に置かせていただきました。

文章力7——菅野節(短文連打、「‥‥‥‥」多用、句読点の癖)は読者を選ぶ文体ですわ。わたくしは気にならない側でございますわね。合わない方には引っかかると思いますけれど、情感を直接表現せず、沈黙そのものを書く手法は機能しておりますの。ただ全編にわたって精度が均質ではございません。マルチナの台詞は強うございますけれど、グスタフ周辺は弱うございます。書き手の得意分野が偏っておりますわ。

逃げませんでしたわ。それだけで評価いたします。1994年にこれを書いた菅野ひろゆきという作家を、わたくしは信頼することにいたしました。脱出を宣言したヒロインを、その宣言ごとループの燃料に変える設計——主人公を救わない判断ができる作家でございます。けれど一点、アル篇の6年間処理だけは、もう少し踏み込めたのではないかとも思っておりますの。覚悟のある作品で、一か所だけ覚悟が緩んだ部分が目立ちますわ——それを差し引いて、8.0とさせていただきました。

— 柊美香

推薦する相手を申し上げますわ。救いのない結末を読者の責任で受け取る覚悟がある方には、本作は確実に何かを残します。アルとティーナが永遠に再会できない構造、マルチナが脱出を試みて呑まれた女である構造、to be continued ... forever という言い切り——これらを「投げっぱなし」と読む方には勧めませんわ。「説明されないものを抱えて生きる物語」を許容できる方だけに向けた作品ですわ。それが本作の読者選別の基準で、わたくしはその基準を支持いたします。