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氷室栞のレビュー(ネタバレあり) — EVE burst error

氷室栞
氷室栞
設計を読む
8.7/10
8.7 / 10

A・B・AB・C——四つの視点が一つの事件を編む。「Try again」の表示で全部が更新された。あれは敗北の合図じゃない、ロックの解除条件だった。

ネタバレなし版で「マルチサイトという仕掛けの巧みさ」と「視点の交換による情報の濃度」について書いた。μ-101真弥子の二層構造、《テラー》という名前の三重所有、という依頼人の三層偽装、そして「Try again 'Mayako' Scenario」というロックの正体——全部、ここで扱う。本作の設計は、表に出ている「二人の探偵が交互に動く」よりも、その下に隠した「情報の階層」のほうがずっと巧い。

スコア詳細

伏線と回収 10
ルート・分岐設計 10
プロット構成力 9
エンディングの満足度 9
テーマ・メッセージ性 8
テンポ・緩急 7

マルチサイトの本質——「同じ事件を二度なぞる」のではない

ネタバレなし版で「視点を分けることで情報密度が上がる」と書いた。書き足りなかった。これは情報密度の話ではない。情報の構造の話だ。

本作は天城小次郎のAルートと法条まりなのBルートを並走させる構造を取る。表面的には「二人の探偵が別々に動いてやがて合流する」という骨格だが、巧いのはここから先だ。AとBは別の事件を追っているように見えて、実は同じ事件の別の面を追っている。小次郎が孔の絵画捜索に振り回されている裏で、まりなは大使の娘の護衛に振り回されている。絵画は国璽に繋がる。大使の娘はμ-101に繋がる。国璽とμ-101は、プリシアの戴冠式という一点で結ばれている。

つまり二人の探偵は、最初から同じ一つの構造の中で動いている。だが彼らはお互いの存在を知らない。プレイヤーだけが二つの軌道を俯瞰できる。この「プレイヤーだけが持つ視点」が、本作の情報設計の核だ。

具体的に言うと——序盤で小次郎が「プリンセス」と呼んで拾う金髪の小娘がプリシア=クライムである、という事実を、Aルートだけ進めるとなかなか確定できない。だがBルートで本部長が「エルディア共和国の次期女王が日本に密入国している」と言及した瞬間、序盤の風呂上がりの場面の意味が遡って変わる。あの小娘は王女だった。小次郎は王女のために頭痛薬を買いに走っていた。この「遡って意味が変わる」ことを、本作はあらゆる場面で仕掛けている。

これが「マルチサイトの本質」だ。同じ時間軸を二度なぞるのではなく、二度なぞることで初めて成立する情報構造を組んでいる。巧い。

「Try again 'Mayako' Scenario」——あれは敗北の合図ではない

Aルートを単独で完走するとEnding I、Bルートを単独で完走するとEnding II、両方終えて真弥子日記章を再プレイすると初めてEnding III=True Endに辿り着く。

このロック構造、最初は「ザッピング型のお約束」だと思っていた。違った。

Ending IとEnding IIには「Try again 'Mayako' Scenario, then you'll find a true end.」というナレーションが入る。あれを最初に見た時、正直、ゲーム側からのバッドエンド宣告だと受け取った。よくある「もう一周してね」のメッセージだ、と。

違った。あの英文一行は、ロックの解除条件を提示している。「真弥子の側から、もう一度物語を見直せ」という指示だ。真弥子日記章=μ-101の表層人格の内側からの記述を再走することで、A・B両ルートでバラバラに見えていた殺人——ストールマン二階堂ディーブアクア御堂——の犯人が同一人物だったと判明する。真弥子の手だった。だがその真弥子は、外殻人格としての真弥子ではなく、内部に固定された前国王の意志体だった。

つまりA・Bを終えてから真弥子日記章を走らせると、A・Bで見ていた全ての殺人現場の意味が遡って書き換わる。これは「3周目で真相を見せる」型のシステムではなく、「3周目で1・2周目の見え方を変える」型のシステムだ。

……これは巧い。本当に巧い。後発の作品が散々やってきたシステムを、1995年の時点で既に組んでいる。鳥肌が立った。

《テラー》という名前の三重所有——一つの名前が三人を指す

本作で最も巧い情報設計は、《テラー》という名前の扱いだと思っている。

整理が要る。《テラー》という名前は、本作の中で順に三人の所有者を持つ。

第一の所有者——旧エルディア情報部の実行部隊コードネームとしての《テラー》。本部長がまりなに告げる定義はこれだ。「《テラー》というのは、実体の無い殺し屋だ。旧エルディア情報部の、実行部隊の別名さ」。サバイバル・ナイフを正式凶器とする暗殺チームの記号。

第二の所有者——その実行部隊を編成した個人としての《テラー》。桂木源三郎本人だ。「《テラー》とは、確かに情報部の実行部隊を指すコードネームだった。それを編成したのは、この私だ」。源三郎が水没死の直前にシリアを抱えながら告げる、自分の正体の告白。第一の意味からの絞り込みとして、彼個人を指す名前になる。

第三の所有者——その名前を後から僭称した存在としての《テラー》。前国王=μ-101内部人格だ。「王は《テラー》という虚名を使い、次々と目的を成就なさっていった」と御堂大使が語る。源三郎が編成した実行部隊が解散した後、その記号の虚名を、自分の意志体を新しい肉体に移植した前国王が利用した。

一つの名前が三人を指す。しかも順序があって、第三の意味は第一・第二の意味があったからこそ機能する。前国王が「《テラー》という虚名」を使えたのは、その名前に既に殺し屋としての歴史があったからだ。情報の植え付けと回収が、一つの名詞の中で三層に折り畳まれている。

正直、ここに気づいた時、最初に書いたメモを破った。「テラーは旧情報部の暗殺部隊」と一行で書いていたのを、書き直さざるを得なかった。「テラー」は誰のことか、と問われたら、本作のプレイヤーは三段階で答えることになる。これが情報設計だ。

「孔」という依頼人——三層偽装が物語の出発点に置かれている

もう一つ、構造として唸らされたのが「孔」というキャラクターの三層構造だ。

小次郎の物語は、孔と名乗る中華系成金が「亡き妻の三周忌に必要だ」と絵画捜索を依頼してくる場面から始まる。この依頼が嘘だった、というだけなら凡庸な導入だ。本作はその上に二層追加している。

第一の孔——本物のストールマン=孔。エール外国人学校校長で、真の依頼人。校長として真弥子の正体を察知し、ある情報を握っていたために殺される。

第二の孔——故人のドールマン=孔。ストールマンの兄で、旧エルディア科学局局長。Cプロジェクト=μ-101開発の発案者。物語が始まる前に既に死んでいるが、その遺産が物語を駆動している。

第三の孔——偽の孔。実体はディーブ。中華系成金体型をしているという表面の似通いだけを利用して、絵画捜索の依頼を出すことでストールマンを罠にかける。小次郎が「孔」と認識して関わるのはこの偽孔だが、真の依頼人は第一の孔=ストールマンの方だ。

つまり小次郎は物語の冒頭から、一つの名前の偽装に騙されて動かされている。彼が追っている絵画はクズ品ではなく国璽の原版で、依頼人は偽物で、真の依頼人は別にいて、その依頼を裏で操っているのは故人の研究成果だ。この四重の入れ子が、物語の最序盤に既に仕込まれている。

1995年の作品の冒頭の作り方とは思えない。後発のミステリADVが目指した複雑性の原型が、ここに既にある。

μ-101真弥子——加害者と被害者を同一人物として両立させる

本作の構造美の頂点は、真弥子というキャラクター造形にあると思う。

真弥子はμ-101という有機ヒューマノイドだ。プリシアの遺伝情報を元に培養液で急成長させた肉体に、前国王の意志を移植した存在。実年齢1歳。インシュリンと称する細胞安定剤を毎日打つことで、外殻人格「真弥子」が固定されている。その薬が切れる時間帯に内部人格=前国王が浮上する。彼女は連続殺人の犯人であり、同時に被害者でもある。

この設定の巧さは、二つの人格を物理的に同一の肉体に押し込んだことで「真弥子」というキャラクターに過剰な意味を背負わせている点にある。普通、殺人犯と犠牲者は別の人物だ。本作はそれを一つの身体に折り畳んだ。だから真弥子は、御堂大使を殺した「テラー」であると同時に、御堂大使の死を悲しむ娘でもある。「私が‥‥パパや大好きなアクアさんを殺すわけないじゃない‥‥」という台詞は、文字通り嘘だ。だが嘘ではない。表層人格としての真弥子は、自分が手を下したことを記憶していない。だから本気で否認している。

この設計があるから、真弥子の最後の自己犠牲——船倉密室で自分のボンベを譲って海中に身を投げる場面——が機能する。あれは「悪を償う贖罪」ではない。それなら凡庸だ。あれは「自分の中の悪に気づいた人造存在が、その悪ごと自分を消すために選ぶ自己決定」だ。

「私‥‥最後まで笑っていたい‥‥笑って幸せになりたい」「私を覚えていて‥‥ここにいたわ。いたの!」。この二つの台詞、テーマ的に正反対のように見える。前者は未来の希望、後者は過去への定着の要求。だが両方を真弥子は同時に言う。なぜか——表層人格の願いと、内部人格の罪と、人造存在としての存在不安、全部を背負った人間が最期に何を言いたかったか、と考えれば、この二つは矛盾しない。「笑って幸せになりたかった、そういう私がここに確かにいた」——この一連の意志を、本作はバラバラの台詞に分割して別々のタイミングで配置している。プレイヤーが二つを繋ぎ合わせて初めて、真弥子という存在の重さが分かる。

……不覚。泣いた。これはゴリ押しの感動じゃない。設計の帰結としての感動だ。

「鈴木源三郎」という偽名——プレイ順に意味を持たせる仕掛け

A・B両ルートの並走構造の中で、最も巧みに機能しているのが桂木源三郎=「鈴木源三郎」の二重身分だ。

Aルートで小次郎は、自分の師匠=桂木源三郎が死んでいると信じている。Bルートでまりなは、「鈴木源三郎」と名乗る初老の保険会社調査員と関係を持つ。プレイヤーは両方を同時にプレイしながら、二人が同一人物であることを徐々に察知する。

そしてプール場での会話、「【まりな】鈴木源三郎さんは、戸籍上存在しないわ」「【鈴木】その通り」。さらに「【鈴木】私の、息子のような男ですよ。ほとんど全てのことを教えました」。この二行で、A・Bの両ルートが一本に繋がる。小次郎の師匠は、まりなの最後の恋人だった。

巧いのは、この合流をどちらか片方のルートだけでは絶対に確定できないように設計してあることだ。Aルートだけ走ると「桂木源三郎は故人」のまま物語が終わる。Bルートだけ走ると「鈴木源三郎は誰かの偽名だ」までは分かるが、その「誰か」が小次郎の師匠だとは結びつかない。両方走って初めて「あの初老の男は誰だったのか」という問いが完成する。

そして第2機関室の爆発で、源三郎は脚を挟まれて水没死する。最後の言葉は「弥生‥‥‥‥やよいぃぃぃぃぃぃっ!!!!」。会えなかったもう一人の娘の名を叫んで窒息死する。この絶叫が、Bルートを走ったプレイヤーだけに重く響く理由——彼が「鈴木」としてまりなに見せていた優しさが、もう一人の娘=弥生に向けられるはずだったものだったから。

正直、この一連の設計を一度のプレイで全部受け取るのは難しい。だが受け取れた時、源三郎というキャラクターの輪郭が初めて立ち上がる。マルチサイトの利点を最大限活かしたキャラクター造形だ。

惜しい点——序盤の散発性と、テラー編の情報密度

構造が見えている前提での話だ。弱点として残るのは二点。

第一に、序盤の情報出力が散発的すぎる。冒頭の絵画依頼、ルポライター茜の登場、シリアとの賭けと身体の関係、深夜のプリン誘拐未遂——これらが「一つの物語に向かって積み上がっている」という確信が、最初の数時間ではプレイヤーに渡らない。マルチサイトという仕掛けの真価が分かるのは、Aルートをある程度進めてBルートに切り替えた瞬間だ。それまでは「軽口の多い探偵が女に振り回されている話」に見えてしまう。設計上の必然はあるが、序盤離脱のリスクは確かに高い。

第二に、終盤の真弥子日記章に詰め込まれた情報量が、テラー編の真相と釣り合っていない。真弥子日記章はA・Bでバラバラに見えていた殺人現場の犯人を一気に確定する区間だが、前国王の意志移植・μ-101のプロセス・御堂大使の動機・アクアの出自——これだけの情報が「真弥子の日記」という一視点に圧縮されている。情報の密度としてはここが最も濃いが、テラーの動機形成の経緯がもう少し早い段階で示唆されていれば、終盤到達時の納得感が違ったはずだ。「テラー編の情報量不足」という指摘がファンの間で語られているのは、この情報配置の偏りに対する反応だと思う。

もったいない。両方とも、設計の方向は間違っていない。ただ、各情報のプレイヤーへの到達タイミングがもう少し滑らかであれば、満点に近づいた。

Hシーンの配置——物語と接続している場面と、していない場面

エロを専門に語るわけではない。ただ全シーン読んだ上で、物語構造との接続だけ。

本作には4つのHシーンがある。シリア、弥生(復縁直後)、弥生(船上プール)、まりな×源三郎。このうち物語構造と最も強く接続しているのは、まりな×源三郎のシーンだ。プールサイドで「指だけで」というじらしを経て、まりなが「寄り掛かるって、すごく気持ちがいいんだなぁって‥‥フフ、泣けてくるわ」と泣く。そのあと自宅マンションで「私が好きになる人‥‥みんなどこかへ行っちゃうの‥‥嫌いよォ!」と感極まる。

このシーンが構造として機能している理由——「鈴木源三郎」が桂木源三郎であることをまりなが察知する場面と、Hシーンが地続きで配置されているからだ。「鈴木源三郎さんは、戸籍上存在しない」「その通り」「私の、息子のような男ですよ」という会話が、Hシーンの直後に置かれている。つまり彼女は「この男の正体に気づきながら、それを言葉にしないまま受け入れる」という選択を、性愛の場面と地続きにしている。「やっぱり、いい。言わないで」と確認しない態度——これがまりなにとっての最後の恋の出発点で、後の源三郎の死を看取る場面まで一本で繋がる。Hシーンが物語の重要な転換点として機能している。

逆に、シリア(事務所)のHシーンは構造との接続が薄い。シリアという人物の輪郭——情報部のスパイ、桂木源三郎の娘、弥生の異母妹——は物語後半の第2機関室の場面で初めて確定するが、シリアと小次郎のHシーンはまだその情報を持たないプレイヤーが体験する。だから「シリアと小次郎が賭けで関係を持つ」という事実が、終盤の「私のお姉さんのこと、聞かせて」という遺言の重みに直接は接続しない。彼女が「自分が関係を持った男(小次郎)の元恋人(弥生)が自分の異母姉だった」という事実は、シリア本人すら最後まで知らない。残念ながら、このHシーンは構造的には浮いている。

弥生の二つのシーン(復縁直後・船上プール)は、復縁の感情ドラマとしては機能している。特に船上プール場のほうは、終わった直後にプリシアに目撃される——「私‥‥本当に無神経で‥‥ごめんなさい!」——という展開で、プリシアの小次郎への淡い恋心を諦めさせるトリガーになっている。これは物語構造との接続として機能している。

つまり4つのHシーンの中で、構造的に強く機能しているのはまりな×源三郎と船上プールの弥生、構造的に浮いているのがシリア、中間が復縁直後の弥生——という整理になる。Hシーン全体の設計としては、過半数が物語に接続できているという意味で水準以上だ。

8.7——情報の階層設計として、これは1995年の作品ではない

スコアの話に入る。

マルチサイトという仕掛けの中に、「テラーの三重所有」「孔の三層偽装」「真弥子の二層人格」「源三郎の二重身分」「Try againというロックの正体」——これだけの情報設計を折り畳んでいる。一つ一つの仕掛けが、A・B・AB・Cの四つの視点を行き来することで初めて完成するように組まれている。プレイヤーが俯瞰しなければ意味が確定しない情報構造を、1995年の時点で一本の物語に編んでいる。

「伏線と回収」と「ルート・分岐設計」に10をつけた理由はこれだ。後の作品が散々やってきた多視点ザッピングと情報のロック解除という手法を、本作はその全部の祖型として既に持っていた。歴史的意義は専門外なので深く論じないが、構造を見るだけでこの作品が「先にやっていた」と分かる。

満点にしない理由は、序盤の散発性と、終盤への情報集中という二点だ。これが構造的に解消されていれば、9.5以上はあった。だが現状の配置でも、設計の方向性に妥協はない。8.7という数字に、それを乗せた。

……これを読みながら、自分がこの作品を「先輩格」として扱っていることに気づく。普段、構造分析として作品を見る時に「先輩」という感覚を持つことは滅多にない。だがEVE burst errorに対しては、その敬意がある。あとから生まれた作品が、知らないうちにこの作品の血を引いている。それを構造から確認できた——そう思えただけで、プレイした価値があった。