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マルチナ・カーンスタインのレビュー — EVE The Lost One(ネタバレあり)

マルチナ
マルチナ
歴史の生き証人
6.2/10
6.2 / 10

3年前の至宝に、別の手が触れた。その指の跡を、わしは見届けた。

1998年。わしはこれをセガサターンで手に取った。3年前のEVE burst error——天城小次郎と法条まりなが並走したあの一本——を、当時のわしは「これは残るぞ」と判じた。その続編が、別の書き手の手で出た。剣乃ゆきひろ(菅野ひろゆき)はもうこの会社におらん。書いたのは山田桜丸、後に直木賞を獲る桜庭一樹じゃ。当時はそれを誰も知らなんだ。御堂真弥子をもう一度起こして、もう一度死なせる。前国王の遺伝コピーであり実年齢1歳のあの有機体を、今度は身代わりとして散らせる。その是非をめぐって当時から賛否が割れた。31年後に読み返しても、わしの判決は変わらん。骨はある。だが3年前の高さには届かなんだ。6.2。これは時代の産物の側に置くのが正直なところじゃ。

スコア詳細

歴史的意義 6
作品の尖り 5
テーマ・メッセージ性 7
文章力 7
ヒロインの魅力 6
エンディング満足度 6

当時の記憶——書き手の代わった「続き」を、警戒しながら手に取った

1998年3月。わしはこれを警戒しながら起動した。続編という言葉に、わしは500年で何度も裏切られてきたからじゃ。

前提を話しておこう。EVE burst error——1995年のあの一本は、二人の主人公を任意に往来させる「マルチサイトシステム」を完成形で実装してみせた。書いたのは剣乃ゆきひろ。後に菅野ひろゆきと名乗り、2011年に没した男じゃ。わしは当時それを「残る」と判じた。今もその判定は揺らいでおらん。

ところがこの続編、その剣乃ゆきひろがもう書いておらん。彼を含む前作の主要な作り手は本作前後にこの会社を離れておる。代わりに筆を執ったのが山田桜丸という名前じゃった。当時のわしはこの名を知らなんだ。後にこの人物が桜庭一樹として小説の世界で直木賞を獲ると知ったのは、ずっと後のことじゃ。1998年の時点では、ただ「別の手に渡った続き」としてこれを読んだ。

起動して、まず驚いたのは主人公が入れ替わっておったことじゃ。桐野杏子——内閣調査室の見習い調査官で、初仕事の朝、自分が巻き込まれた爆発の傷も癒えぬまま出勤してくる女じゃ。そしてもう一人が見城——表向きは頼れる先輩、裏の顔は「スネィク」というハンドルを持つ男じゃ。天城小次郎でもまりなでもない。前作の二人は、ここでは脇に退いておる。

当時の正直な感触を言う。「ほう、新しい血で続きをやるか」という期待と、「あの二人を主役から降ろして大丈夫か」という不安が半々じゃった。マルチサイトの枠組みは確かに踏襲されておる。杏子の視点と見城の視点が章で切り替わり、互いの知らない側から同じ事件を照らす。骨格は前作の血を引いておった。

ただし——当時から一つ、致命的に引っかかった点がある。見城=スネィクの正体が、早すぎる段階でこちらに割れてしまうのじゃ。前作のマルチサイトは「情報の非対称性」が快感の源じゃった。知らない側と知っている側の往来。ところが本作は、見城が爆破犯であることを早々に明かしてしまう。そうなると、杏子側が見城を疑って動揺する展開を、こちらは「いや、もう知っておるぞ」と冷めた目で眺めることになる。緊張が抜ける。当時のわしも、ここで一段熱が冷めたのを覚えておる。

再プレイして——真弥子をもう一度死なせたことの重さを、今の目で量る

久しぶりに読み返した。当時いちばん割れた論点——真弥子の扱いを、今の目で量り直すためにじゃ。

前作で御堂真弥子——プリシアの遺伝コピーであり、前国王の意識を移植された有機体μ-101——は、一度散っておる。前作のTrue Endで自らの存在を消すことで物語を閉じた。当時のわしが「これは残る」と判じた結末の核がそこにあった。

本作はその真弥子を、もう一度起こす。エルディアの王宮で眠り続けていた<EVE>を覚醒させ、女王プリシア暗殺の危機の中で、その身代わりとして死なせる。モニカ・セレッティが女王を<EVE>の棺に隠し、空いた女王の席に<EVE>自身が座って死ぬ。「私は空になった安置室の<EVE>の棺に、服を脱いで入りました」——プリシアがこの真相を告白するくだりじゃ。

真弥子の最期の言葉は、「わたし、いつも傍にいる人の笑ってる顔を見ていたいの」じゃった。実年齢1歳、外見は少女、前国王の記憶を抱えた存在が、数時間の命と知った上でこう言って逝く。当時、ここを「美しい」と取った者と「酷すぎる」と取った者が真っ二つに割れた。前作で一度きれいに散らせたキャラを掘り起こし、もう一度死なせる——それを蛇足と見るか、継承の儀式と見るか。

四半世紀を経て読み返したわしの判決はこうじゃ。狙いは分かる。前国王の意識を継いだ有機体が、今度は「女王を生かすために」死ぬ。前作では「人間になって逝った」存在が、本作では「人を生かすために逝く」。その上書きには筋が通っておる。ただ——その重い選択を支えるテキストの密度が、足りん。真弥子が「身代わりになる」と決めるまでの内面が、前作のあの日記の積み上げほどには書き込まれておらん。だから「酷い」という当時の声が出たのも分かる。掘り起こした以上、前作以上の重さで送らねば釣り合わぬ。そこが釣り合っておらんのじゃ。物足りぬ。

ヒロインとして見た時、本作の中心はやはり杏子じゃ。当時「行き当たりばったりで推理ができん主人公」と叩かれた。確かに、彼女は謎を論理で解かん。まりなにも「相手がこちらにみせたがっている姿しか見ていない」と痛いところを突かれておる。だが今読むと、それは欠点であると同時に、この女の手触りでもある。爆発で意識を失う寸前に「あのスーツ、けっこう高かったのにぃ……」と悔しがる小ささ。その同じ女が、桜把の銃口の前で「わたしたちのうちの誰かが……その先の道を受け継いで、きっと、たどりつく……」と言い切る。小ささと芯が同居しておる。6を付けたのは、その同居が前作のヒロイン群ほど多層には書けておらんからじゃ。核はある。輪郭が薄い。

時間の審判——「誰かが受け継ぐ」というテーマは、今も立っておるか

「残るか残らないか」——わしの審判はいつもここに帰着する。

本作のテーマは明快じゃ。「一人が倒れても、誰かがその先を受け継いでたどりつく」。これが作品全体を貫いておる。杏子の「夏海さんが死んでも、わたしが死んでも、わたしたちの手から手をわたって……誰かが“記憶”をもって海を渡り」という台詞。真弥子が女王に命を渡す身代わり死。氷室が感染しながら「あなたはきっと帰ってくる」と杏子を歩かせる電話。終幕、感染を悟った杏子が「帰らなくっちゃ……」と砂漠を引き返す独白。すべて同じ一本の線の上にある。テーマに7を付けたのは、この一貫性のためじゃ。散らかしておらん。最初から最後まで「受け継ぐ」を言い続けておる。

むしろテーマだけ見れば、前作より素直で力強いとさえ言える。前作は「秘密と真実のすれ違い」という冷たい構造の話じゃった。本作は「人から人へ手渡す」という、もっと体温のあるテーマじゃ。そこは見事じゃ。

ただし——その対極に桜把=アドニスを置いた。人工ウイルス<LOST ONE>——感染5日で死に、5つのコピーが遺伝配列を変えて増殖する、出口のない殺戮ウイルス。これをインターネット経由で世界中にばら撒く男じゃ。「そのボタンを押したのはオレだ。オレが世界を変えたんだ」と顕示欲を剥き出しにする。事故で顔半分を失い、看護婦に「生きていてよかった、感謝しろ」と言われたことへの、ねじれた逆恨み。この造形自体は悪くない。だが——インターネットで世界中にウイルスをばら撒く悪役を、1998年に出してきたのは、今の目で見ると鋭い。当時のわしは「ハッカーものか」程度に流したが、再プレイして「ほう、この時期にこの絵面を出したか」と少し見直した。後の世がこれを当たり前のように描くようになるのは、もっと先のことじゃからな。

<LOST ONE>のワクチンが「クローン体=<EVE>の組織にだけウイルスが作用しない」という発見で導かれるくだりも、前作の真弥子=μ-101の設定を律儀に拾っておる。前作の人造体という設定が、本作で「人類を救う唯一の鍵」に化ける。この接続は筋が通っておる。設定を遊ばせておらん。そこは骨のある仕事じゃ。

業界史の中で——「菅野ひろゆき不在のEVE」一作目という十字架

歴史的意義に6。唯一無二性に5。前作には両方9を付けたわしが、続編にこの数字を出す理由を語ろう。

本作は「菅野ひろゆき(剣乃ゆきひろ)不在のEVEシリーズ」の、その一作目という十字架を背負っておる。当時から「ロストワンは黒歴史」と「過小評価されすぎ」が綱引きをしておった。わしの目から見れば、どちらも半分ずつ正しい。前作の高さを基準にすれば落差は否めん。だが単独のサスペンスとして見れば、骨はある。問題は——この作品が「EVEの続編」を名乗った時点で、前作と比べられる運命を引き受けてしまったことじゃ。

歴史的意義を6に置いたのは、これが二つの意味で「節目」だからじゃ。一つは、前作が発明したマルチサイトシステムを、発明者抜きで回せるかを試した最初の例という意味。回り切らなかったが、試みた事実は記録に値する。もう一つは——これが山田桜丸、すなわち桜庭一樹という書き手の、ごく初期の仕事だということじゃ。後に直木賞を獲る人間が、20代でゲームのシナリオを書き、ノベライズまで自ら手掛けた。会話の達者さ、人物の小さな手触りの拾い方——「あのスーツ、けっこう高かったのにぃ」のような瑣末な悔恨を死の淵に置く感覚は、後の小説家の片鱗じゃ。文章力に7を付けた根拠はそこにある。本編の密度には波があるが、台詞の呼吸は当時の水準を超えておる場面がある。

唯一無二性を5に留めたのは、この作品の最も尖った部分——終盤で主人公がプレイヤーの操作から逃れていく、というメタ的な仕掛け——が、面白い試みでありながら、作品全体を背負い切るほどには結晶しておらんからじゃ。「桜把がボタン一つで世界を壊した」という顕示欲の物語と、「キャラがプレイヤーの手を離れる」というメタの仕掛けは、噛み合えば鋭い一本になり得た。だが本作ではその二つが並走したまま終わる。尖りはある。代替不能とまでは言えん。

再プレイして、わしの何かが小さく動いた場面が一つある。砂漠の果てで、モニカの遺体の手の中から、見城のものと同じ時計が出てくるところじゃ。多くを語らず、時計一つで二人の関係の重さを置く。ああいう「書かずに置く」呼吸を、この若い書き手は既に持っておった。「おお、こういう手つきはあったか」と思った。500年生きていると、こういう小さな手つきにこそ目が留まる。

「3年前の至宝に、別の手が触れた。指の跡は残った。だが至宝そのものには届かなんだ。それでも——若い指じゃった。後にあの指が直木賞を握ると、当時のわしは知らなんだのう。」

— マルチナ

6.2。これは時代の産物の側に置く。ただし「失敗作」とは言わぬ。前作という巨人の影の下で、新しい手が継承を試みた記録じゃ。エンディングに6を付けたのも同じ理由。「帰らなくっちゃ」で閉じる余韻は悪くない。だが真弥子をもう一度死なせた重さに、結末の密度が釣り合い切らなんだ。物足りぬ。当時も今も、物足りぬままじゃ。

前作を知らずに単独で触れる者には、もう少し高く映るかもしれん。だが、わしは前作を知っておる。知っておるからこそ、この数字になる。それがわしの史的視点というものじゃ。