波多野瑠璃のレビュー — Ever17 -the out of infinity-

波多野瑠璃
波多野瑠璃
水深51メートルの暗がりに居つく人
8.3/10
8.3 / 10

海の底の楽園に、生き物はいない。それが入口だよ。

海中テーマパークの浸水事故で閉じ込められた人たちが、潰れるまでの時間を数えながら過ごす話だよ。死にたいと言う女、自分は何のために生まれたのかと問う案内役、名前を失った少年。暗さが飾りじゃなく、人物の芯に沈んでいる。全部を説明しきらない余白もある。ただ、最後は少し明るく締めすぎだと思う。8.3はそういう評価だよ。

スコア詳細

テーマ・メッセージ性 9
設定の独自性 9
雰囲気・没入感 9
作品の尖り・唯一無二性 9
文章力・描写力 8
エンディングの満足度 6

海の底に「楽園」と名付ける感覚に、闇の匂いがした

海の底の遊園地。そこに閉じ込められる話だと聞いた時点で、これは確かめる価値があると思ったよ。

KIDの『Ever17 -the out of infinity-』。2002年のinfinityシリーズ第2作で、僕がプレイしたのはドリームキャスト版(2002年)だよ。シリーズの最初の作品は、僕はまだ遊んでいない。後年のリメイクとリマスターはシナリオが書き直された別物らしいから、ここで話すのは2002年の版のことだけだね。

浮島の船着場で、主人公の武が手すりから海を覗いて、沈んだ巨大な建物を見下ろす。そこで漏らす一言が「楽園、か……」。水深17メートルから51メートルの海の中に、人が遊ぶための場所を沈めて、それを楽園と呼ぶ。この倒錯に、僕は最初の数分で反応した。

視点人物は二人いる。友人とはぐれた大学生の倉成武と、救護室で目を覚まして自分の名前も年齢も思い出せない少年。プロローグの最後に「俺は」と「ぼくは」のどちらで続けるかを選ぶ。結末と真相には触れない範囲で、この作品の闇の質を判定するよ。

水深51メートルの、生き物のいない楽園

この作品の世界は、最初から死の側に傾いている。

五月の連休、海中テーマパーク「LeMU」で浸水事故が起きて、逃げ遅れた数人が最下層に閉じ込められる。外との通信は途絶え、上へ通じる道は隔壁で塞がれ、管理システムは5月7日午前4時30分前後に館が潰れると告げる。脱出劇の形をしているけど、僕にはそれより、海の底の静けさの話に見えたよ。

少年の系統で、案内係の優がメリーゴーランドの前で言う。「この『楽園』では、生きてることの方が珍しいのかもしれない」。そして自分たちのことを「死の世界に紛れ込んだ――『異物』――なんだと思う」と言う。生き物も客もいなくなった遊園地で、生きている人間のほうが場違いになる。閉じ込められた恐怖より先に、生きていることの居心地の悪さが来る。この感覚が全編の底に流れているよ。

プロローグの船着場の石碑には『天国はどこにある?』『空の上と、あなたの足元に……』と刻まれている。楽園に天国。海の底の施設に、ずいぶん高いところの言葉ばかりが掲げられている。僕はこの言葉の組み合わせに、最初から不吉なものを感じた。どう不吉だったかは、クリアしてから確かめてほしい。

業を背負った人たち

人物の暗さが、設定の飾りではなく、それぞれの芯に沈んでいる。

黒い服の小町つぐみは、名前のほかを何も語らず、この騒ぎを事故ではなく事件だと言う。倉庫の事故で重傷を負い、目覚めた直後に「私はただ……」「死にたかっただけ」「あのままほっといてもらえれば……」「死ねたのに」と言う。命は何より大切だとまくし立てる武に、「命は、それが存在した時点で、既に汚濁にまみれているの」と返す。命を肯定する主人公を、ヒロインが正面から否定する。この作品は、その否定を安く片付けない。ここは本質に触れているね。

案内役の茜ヶ崎空は、誰にでも丁寧な敬語を崩さない。でもイルカの乗り物の上で、ふいに「私は何の為に、生まれてきたのでしょうか?」と問う。別の日には「心が、痛い……」とこぼす。彼女がなぜそういう問いを抱えているのか、その事情はここでは言わないよ。

記憶を失った少年は、名前を訊かれて「…………名前…………は…………」と崩れる。自分の中に自分がいない感覚。名前がない、年齢がわからない、なのに知らないはずのことがわかる。アイデンティティの足元が最初から抜けている主人公だよ。

そして子犬を連れた八神ココ。人なつこくて、造語と駄洒落ばかり言う14歳の子が、五日目、石像に傷を彫りながら、明るい声のまま「今日まで誰も助けに来てくれないってことは、ココ達、見捨てられちゃったってことでしょ?」と言う。子どもの冗談に聞こえる一行だよ。この作品では、冗談の形をした言葉ほど重い。

評価①:底がある。そして全部は照らされない

この世界には底があるよ。しかも、最後まで全部は照らされない。

プロローグから、気味の悪い余白が置いてある。武の独白と少年の独白が交互に混ざる場面で、そのどちらでもない声が「いや……。」「案ずることはない。」「大丈夫だ。」「もう誰もいないから。」「ここには、誰もいないから……。」と語りかける。救護室の少年は、ベッドの上の自分を外から見て、「(だったら、ぼくを見ている『ぼく』は誰なんだ?)」と問う。これが誰の声なのか、何を見ているのか、作品はすぐには教えてくれない。

館の外側にも影がある。LeMUを運営する会社の筆頭株主は、日独合弁のライプリヒ製薬。テーマパークの名前そのものに、その会社の名が隠れている。閉じ込められた人たちのそれぞれの事情が、どこかでこの会社の影に触れているように見える。楽園の看板の裏で、大きなものが動いている気配があるんだ。

そして、答えがすべて出るわけじゃない。最後の道を抜けても、説明されないまま残る問いがいくつかある。僕はそれを欠落じゃなく、作品が意図して残した暗がりだと受け取った。全部説明されてしまう世界より、底が見えない世界のほうが深い。そういう意味で、世界の奥行きは十分だよ。

評価②:見ている、ということの冷たさ

この作品にしかない体験は、たぶん、見るということに関わっている。

二日目の夜、空は武に「あなたが目を閉じたとき、私は消えてなくなるのです」と言う。見る者と見られる者。この作品は、その関係にずっとこだわっている。誰が誰を見ているのか、見えているのは誰なのか、見えていないのは誰なのか。閉じ込められた館の中で、その問いが少しずつ形を変えながら繰り返される。

具体的に何が起きるかは言えない。ただ、最後の道を抜けたとき、海の底の冷たさが、電源を切ったあとまで手元に残った。この作品は、遊び終えた人間を素直に解放してくれない。その冷たさは、他の作品では味わえないものだと思うよ。作品の尖りに9を付けたのは、そのためだよ。

雰囲気も9。海の底の静けさ、生き物のいない展示、暗闇の中での鬼ごっこ。ふざけた遊びの最中にも、数が合わない、いないはずの誰かがいる、という不穏さが紛れ込む。笑い声と寒気が、同じ部屋に同居している。

届き切らなかったのは、明るすぎる最後

エンディングの満足度は6にした。弱点も言っておくよ。

この作品は、暗いものをたくさん抱えたまま進む。なのに最後は、かなり明るい場所に着く。そこに至るまでに何が支払われたかを考えると、その明るさを僕は素直に受け取れなかった。希望で締めるために、深淵の縁で少し手を緩めた気がするんだ。ただ、最後の最後に、明るさだけでは終わらない一行が置いてある。それがなければ、6より下を付けていたと思う。

コメディも多い。ココの「コメッチョ」、暗闇の鬼ごっこ、名物のタツタサンドをめぐる騒ぎ。軽薄ではあるけど……まあ、悪くはないかな。ココのコメッチョには、死んだ祖父の幽霊と時間の話という、苦い芯がちゃんとあったからね。

それから、理屈を説明する講義の場面が多い。空の講義、優の講義。余白を好む僕には、言葉で埋めすぎに感じる場面もあった。もっとも、その講義の多くが最後の反転の準備になっているのは、分かっているよ。

8.3——闇を通った者だけが、光の値段を知る

この作品に闇があるかと問われたら、ある、と答えるよ。

テーマ、設定の独自性、雰囲気、作品の尖りは、どれも9。死にたいと言う女、生まれた理由を問う案内役、名前を失った少年、見捨てられたと笑う子ども。暗さが装飾じゃなく、人物の芯から滲んでいる。引き下げたのは、最後の明るさだよ。深淵の縁まで来て、少し早く手を引いた。

だから9ではなく8.3。ダーク・SF・閉鎖空間ものが守備範囲に入る人には届く作品だと思う。そして一つだけ。この作品は、最後の道を抜けてから本当に始まるよ。……まあ、そういうことだよ。