海の底の楽園に、生き物はいない。それが入口だよ。
海中テーマパークの浸水事故で閉じ込められた人たちが、潰れるまでの時間を数えながら過ごす話だよ。死にたいと言う女、自分は何のために生まれたのかと問う案内役、名前を失った少年。暗さが飾りじゃなく、人物の芯に沈んでいる。全部を説明しきらない余白もある。ただ、最後は少し明るく締めすぎだと思う。8.3はそういう評価だよ。
スコア詳細
海の底に「楽園」と名付ける感覚に、闇の匂いがした
海の底の遊園地。そこに閉じ込められる話だと聞いた時点で、これは確かめる価値があると思ったよ。
KIDの『Ever17 -the out of infinity-』。2002年のinfinityシリーズ第2作で、僕がプレイしたのはドリームキャスト版(2002年)だよ。シリーズの最初の作品は、僕はまだ遊んでいない。後年のリメイクとリマスターはシナリオが書き直された別物らしいから、ここで話すのは2002年の版のことだけだね。
浮島の船着場で、主人公の武が手すりから海を覗いて、沈んだ巨大な建物を見下ろす。そこで漏らす一言が「楽園、か……」。水深17メートルから51メートルの海の中に、人が遊ぶための場所を沈めて、それを楽園と呼ぶ。この倒錯に、僕は最初の数分で反応した。
結末まで全部踏まえて、この作品の闇の話をするよ。
水深51メートルの、生き物のいない楽園
この作品の世界は、最初から死の側に傾いている。
五月の連休、海中テーマパーク「LeMU」で浸水事故が起きて、逃げ遅れた数人が最下層に閉じ込められる。外との通信は途絶え、上へ通じる道は隔壁で塞がれ、管理システムは5月7日午前4時30分前後に館が潰れると告げる。脱出劇の形をしているけど、僕にはそれより、海の底の静けさの話に見えたよ。
少年の系統で、案内係の優がメリーゴーランドの前で言う。「この『楽園』では、生きてることの方が珍しいのかもしれない」。そして自分たちのことを「死の世界に紛れ込んだ――『異物』――なんだと思う」と言う。展示の生き物も客もいなくなった遊園地で、生きている人間のほうが場違いになる。閉じ込められた恐怖より先に、生きていることの居心地の悪さが来る。この感覚が全編の底に流れているよ。
プロローグの船着場の石碑には『天国はどこにある?』『空の上と、あなたの足元に……』と刻まれている。後でわかるけど、足元の海底にあるのは天国じゃない。製薬会社が隠していた研究施設で、そこから致死性のウイルスが漏れている。天国と呼ばれた場所の下に、企業の実験室がある。楽園という看板の裏側に、きちんと地獄が用意されているんだ。
業を背負った人たち
人物の暗さが、設定の飾りではなく、それぞれの芯に沈んでいる。
小町つぐみは、重傷から目覚めた直後に「私はただ……」「死にたかっただけ」「あのままほっといてもらえれば……」「死ねたのに」と言う。武の生命至上主義に向かって「命は、それが存在した時点で、既に汚濁にまみれているの」と返す。彼女は12歳でウイルスに感染して、老いることも死ぬこともできない体になった。研究施設で過ごした年月を「ただの道具のように扱われ」「もはや痛みも苦しみも感じられず」「元のベッドに帰るたびに、私はただ泣いた」と語る。不死は祝福じゃなく、終われないという罰として描かれている。ここは本質に触れているね。
茜ヶ崎空は、体を持たない案内役だよ。イルカの乗り物の上で「私は何の為に、生まれてきたのでしょうか?」と問い、武に人間とは違うと言われたあと、「心が、痛い……」とこぼす。痛覚のないはずの存在が痛みを訴える。その心も、管理する人間が承認すれば消せるものとして扱われている。
田中優美清春香菜は、14歳で心臓の病を告げられ、自分の細胞核を自分の卵子に移して、自分を産み直した。2017年の彼女は武に「決して侵してはならない一線を、私は、超えてしまったの」「神に、背いたの……」と打ち明ける。松永沙羅は、製薬会社の監視の下で育ち、「私には今まで……死ぬ自由も無かったから……」と言い、閉じ込めの事故を「私は……、うれしかった」とまで言う。事故が自由に見えるほどの檻にいた、ということだよ。
そして八神ココ。五日目、石像に傷を彫りながら、明るい声のまま「今日まで誰も助けに来てくれないってことは、ココ達、見捨てられちゃったってことでしょ?」と言う。子どもの冗談に聞こえるこの一行が、後で文字どおりになる。
評価①:救いの下に、17年の暗闇が敷いてある
この作品の一番深い闇は、ハッピーエンドの土台そのものに埋まっているよ。
ココ編で明かされる骨格はこうだ。武の系統は2017年、少年の系統は2034年の出来事だった。2017年の事故で、ココはウイルスに侵されたまま海底の研究施設に取り残される。救助の手から、見落とされた。2034年の側でそれを知った視点、物語の外からすべてを見ている存在で、作中でブリックヴィンケルと呼ばれるものは「つまりココは……ココは……見落とされた……いや、見捨てられた、のか……」と言う。
そして、ここからが本当に暗い。海の底で一度死んだ武は、ホクトの呼び声で蘇り、ココを見つけて、二人で人工冬眠に入る。2017年の優春がすぐに二人を救った未来は、矛盾を起こして崩れる。武の体は腐り、ココは消える。だからブリックヴィンケルは逆を命じる。二人を助けてはならない、17年待て、と。「つらいけど、そうするしかないんだ……」。救うために、14歳の少女を17年間、暗い海の底に置き去りにする。2034年の再会と大団円は、全部この放置の上に立っている。
大人たちの17年も、同じ代償だよ。優春は計画のために娘の秋香菜を18年騙し続け、桑古木涼権は自分の名前を捨てて、17年後に倉成武を演じる。彼がそうした理由は、六日間だけ一緒にいたココへの恋だった。救済が、人の人生をまるごと燃料にして動いている。この作品は明るい顔で終わるけど、その明るさの裏に何が支払われたかを、ちゃんと書き残しているんだ。
語られない余白
そして、全部は説明されない。2034年の側で少年にだけ見えたココの姿は何だったのか。エピローグで肉体を得た空が、どこにも書き込まれていないはずの記憶を持っているのはなぜか。2034年の事件が2017年の救出を支え、2017年の救出が2034年の事件を呼ぶ、その輪の起点はどこか。プロローグで「いや……。」「案ずることはない。」「大丈夫だ。」「もう誰もいないから。」「ここには、誰もいないから……。」と語りかけた、武でも少年でもない声は誰か。作品は答えない。答えないまま閉じる勇気がある。考察の余白が、ちゃんと底を持っているよ。
評価②:見ていた僕が、見られていた
この作品にしかない体験は、最後に視点がこちらへ向き直る瞬間だよ。
プロローグの救護室で、少年はベッドの上の自分を外から見て、「(だったら、ぼくを見ている『ぼく』は誰なんだ?)」と問う。その答えが、2034年の浮島で優春の口から出る。少年が記憶を失っていたのは、ホクトの目に、物語の外から見ている視点が重なったから。その視点こそが第3視点、ブリックヴィンケルで、つまり画面の前の僕だった。鏡の前の少年の中で何度も響いた「キミハ……ダレ?」「ボクハ……ダレ?」は、僕自身への問いだったわけだね。
これだけなら、上手いメタの仕掛けで終わる。闇が深いのはその先だよ。2034年の事件は、この視点を呼び出すために仕組まれた。少年少女を館に閉じ込め、命の危険にさらし、ココを17年海の底に置いたのは、全部、見ている者をこの世界に降ろすためだった。プレイヤーは無垢な観客じゃない。見ているという行為そのものが、この苦しみの理由として物語に組み込まれている。
エピローグの最後、甲板のホクトが「あっ! ほんとだ! また来てくれたんだね!?」と声を上げる。全員が見えないはずの何かに手を振る。最後の一行は『キミは今……/……きっと誰かに、見つめられている』。見ている僕もまた、見られている。視線の入れ子が、画面の外まで続いて終わる。この冷たさは、他の作品では味わえない。分かる人間には届く仕掛けだと思うよ。
バッドエンドの暗さも、ちゃんと本気だった。武の系統のバッドエンドでは、つぐみが「私の場所は、ここだったみたい」「ここが、私の――」「死に場所だった」と言って扉を閉め、優は「私、死にたくない……」「助けて、倉成」と言い、「本当はね、わたし、倉成の、こ……と」と言い終えずに息を止める。ココ編の救いは、こういう結末を何度も見せられたあとに来る。闇を通らずに辿り着ける光じゃないんだ。
届き切らなかったのは、明るすぎる最後
エンディングの満足度は6にした。弱点も言っておくよ。
ココ編の後半、17年の眠りから覚めたココと武を迎えたあとの空気は、かなり明るい。救助の当てもない海底でココがショートコントを始め、エピローグの船の上では、初めて顔を合わせた父と娘が、忍者のテーマパークの話で盛り上がる。軽薄ではあるけど……まあ、悪くはないかな。ココのコメッチョには、時間の尺度は立つ場所で変わるという苦い芯がちゃんとあったからね。
でも、僕が一番引っかかったのはそこじゃない。十七年の暗闇の代償を書いておきながら、最後は全員が笑って甲板に並ぶ。空は奇蹟の一言で肉体を得る。希望で締めるために、深淵の縁で少し手を緩めた気がするんだ。あの最後の一行がなければ、6より下を付けていたと思う。
それから、理屈を説明する講義の場面が多い。空の講義、優の講義、次元のたとえ話。余白を好む僕には、言葉で埋めすぎに感じる場面もあった。もっとも、その講義の多くが最後の反転の準備になっているのは、分かっているよ。
8.3——闇を通った者だけが、光の値段を知る
この作品に闇があるかと問われたら、ある、と答えるよ。
テーマ、設定の独自性、雰囲気、作品の尖りは、どれも9。不死を終われない罰として書き、救済の土台に17年の放置を敷き、プレイヤーの視線そのものを苦しみの理由として物語に組み込んだ。見ることの罪まで含めて、この作品は闇を描いている。引き下げたのは、最後の明るさだよ。深淵の縁まで来て、少し早く手を引いた。
だから9ではなく8.3。でも、クリアしたあとに甲板の場面を思い出すと、あの笑顔の裏に何があったかを考えずにいられない。終わってから効いてくる作品だよ。……まあ、そういうことだよ。
