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マルチナのレビュー — Ever17 -the out of infinity-(ネタバレあり)

マルチナ
マルチナ
百十九時間など一息の吸血鬼
8.7/10
8.7 / 10

地味な夏に生まれ、時をかけて基準になった一本じゃ。

2002年、わしはドリームキャストで海中テーマパークLeMUに潜った。浸水事故で閉じ込められた119時間を、大学生の武と記憶を失った少年、二つの視点で追う物語じゃ。発売当時の扱いは地味で、序盤から中盤の歩みも遅い。それでも全ルートを抜けた先で、前の作品が手放した問いに、今度は答えを置いていった。24年経った今も、仕掛けは錆びておらん。総合8.7。

スコア詳細

作品の尖り 9
歴史的意義 9
テーマ・メッセージ性 9
世界の奥行き 8
文章力 8
エンディング満足度 9

2002年の夏の終わり、ドリームキャストで海へ潜った

題名の「17」を見て、わしはまた数を数えた。前の作品は七日目に届かぬと読める題じゃった。今度は十七で、しかも頭に「Ever」が付いておる。

KIDの『Ever17 -the out of infinity-』。2002年8月29日に、ドリームキャストとPlayStation 2で同じ日に出た。infinityシリーズの第2作じゃ。わしが遊んだのはドリームキャスト版で、今回の再プレイもその版でやった。翌年に手を加えたプレミアムエディションが出て、2009年のPSP版はその移植。2011年のXbox 360版はシナリオを書き直したリメイクで、2025年のリマスターはそのリメイクの本文を使っておる。題名は同じでも、中身の違う系統じゃ。ここで話すのは、すべて2002年の版のことと思うてくれ。

舞台は東京都駒ヶ原諸島M島の沖16キロ。洋上の人工島インゼル・ヌルの真下に、水深17メートルから51メートルまで三層を沈めた海中テーマパーク「LeMU」がある。5月の連休、そこで浸水事故が起き、逃げ遅れた数人が最下層に閉じ込められる。管理システムの案内役は、外壁が水圧に負けて5月7日午前4時30分前後に完全に潰れる、と告げる。

視点人物は二人。友人とはぐれた大学3年の倉成武と、救護室で目を覚まして自分の名前も年も思い出せぬ少年じゃ。プロローグの最後に「俺は」と「ぼくは」のどちらで続けるかを選ばされ、物語は二つに分かれる。

この先は、海の底の一番深いところまでの話じゃ。クリアした者だけ降りて来い。

当時の記憶——騒がれなかった夏と、声を失った夜

発売当時、この一本が騒がれた覚えは、わしにはない。

2002年の夏といえば、ドリームキャストはもう本体の生産を終えておった。KIDは同じ日にPS2にも出したが、店の棚で目立つ一本ではなかった。ファミ通のクロスレビューは7・6・7・6の26点。数時間で判断される雑誌の評としては無理もない、と今なら思う。閉じ込められた六人の暮らしは、タツタサンドと、暗闇の鬼ごっこと、小町つぐみの冷たい物言いの中をゆっくり進む。わし自身、四日目あたりで一度首をかしげた。

書き手の打越鋼太郎は後に「Ever17は一度も人気が出たことがない」と振り返っておる。ネタ集めが2001年の8月、プロットが9月から、本文は翌年の3月から5月の3か月で4人が分けて書き、6月末にはマスターを出したという。本人の言葉を借りれば「人間のなせるわざじゃない」日程じゃ。主人公を二人にしたのは、前の作品の主人公の癖が強すぎるという声を受けてのことだとも語っておる。わしは前の作品の主人公、誠の軽口を嫌いではなかったが、そういう声があったのは覚えておる。

それでも、あの夏の終わりの一夜のことは今も言える。武の道でつぐみと空の結末を見て、少年の道で優と沙羅の結末を見て、最後に開いたココ編の途中じゃ。少年が自分と沙羅の年を数え、計算がどうしても合わぬと気づいて、優に食ってかかる。「今年は……何年なの!?」。優の答えは「……34年、だけど?」じゃった。

わしはドリームキャストの前で、しばらく声が出なんだ。少年がいた世界は2017年ではなく2034年で、そこは2017年であるかのように拵えられておった。武の道と少年の道は、同じ事故の別の角度ではなく、17年を隔てた二つの事故じゃった。500年生きて、画面の前で手が止まることはそう多くない。

再プレイして——二つの年は、一行目から並べてあった

24年ぶりに潜り直して、まず驚いたのは、仕掛けが最初から隠れもせずにそこにあったことじゃ。

武の道の初日、武は記憶のない少年にこう言う。「ああ、そうそう。2017年だ! ほら、メモメモ! 書いとけ!」。入場券の半券を見ながらの軽口じゃ。少年の道でも、「武」と名乗る男がポケットから半券を出して、同じ年号を口にする。当時のわしは、同じ場面を二度見せられているのだと思うて流した。今回は、二度目の「武」が誰かを知ったうえで見た。17年前に記憶を失っていたあの少年、桑古木涼権が、大人になって武を演じておったのじゃ。半券の小芝居まで写し取って。

二人の優

優もそうじゃ。2017年の優は、父が姿を消したのは自分が1歳のとき、今から17年前だと言う。2034年の優も、ほとんど同じ言い回しで同じことを言う。どちらの年でも話が通るように並べてある。2034年の優は、心臓の病で先を告げられた田中優美清春香菜が、自分の細胞核を自分の卵子に移して産んだ田中優美清秋香菜じゃった。出産の場面の「あなたは私の子供」「あなたは私の妹」「そしてあなたは……私自身」という三行を、今回は落ち着いて聞けた。当時は、そこまでの驚きで耳に入っておらなんだ。

船着場の石碑

プロローグの一番初めに、浮島の石碑が出てくる。『天国はどこにある?』『空の上と、あなたの足元に……』。ドイツ語のヒンメルが空と天国の両方を指すことを、作中で空自身が明かす。空の記憶のある扉の名がヒンメルで、足元の海底には研究施設のIBFがある。作品の行き先は、最初の一枚に刻んであった。再プレイの値打ちとは、こういうものを拾い直すことじゃな。

前の作品の島と比べて

前の作品、Never7のとき、わしはこう書いた。説は与えるが、説の正しさは渡さぬ、と。いづみの「真実かどうかよりも、信じられるかどうかのほうが大切」という一語が作品を貫き、くるみの空白の3年間は最後まで宙に浮いたままじゃった。この作品は、そこが違う。二つの年がなぜ同じ顔をしておるのか、少年はなぜ記憶を失ったのか、作中で仕組みとして答えを出す。信じるかどうかの問いを、見るかどうかの問いに置き換えて、そこへ着地させた。前の作品の島で手を離された問いが、今度は海の底で握り直されておる。わしの点が上がったのは、まずそこじゃ。

時間の審判——画面のこちら側まで、物語に数えられた

残るか、残らぬか。この作品で残るのは、2034年の浮島で優春が口にした一連の言葉じゃ。

「第3視点――ブリックヴィンケル――」「ホクトの向こう側にいる『あなた』――」「そう、今、私のことを見ている『あなた』……」「あなた自身のこと」。そして「最初から、少年とはあなた自身のことだったの」。少年が記憶を失っていたのは、ホクトという少年の目に、物語の外から見ている視点が重なったからじゃ、と。プレイヤーの視点そのものを、仕掛けの部品として数え入れた。2002年の恋愛アドベンチャーで、ここまでやった一本をわしは他に知らん。

しかもその視点は、ただ見るだけでは済まされん。2017年の海の底で、武は水深119メートルに沈んで息を止める。そこへ、まだ一度も父に会ったことのないホクトの自我が叫ぶ。「お父さん! お父さん! 死んじゃやだよ!」。武は息を吹き返し、IBFに取り残されていたココを見つけ、人工冬眠の装置に二人で入る。そして視点は、2017年の優春にこう頼む。「だから17年後、ボクをだまして!」。2034年の事件は、この頼みから始まっておった。17年後の事件が17年前の救出を支え、17年前の救出が17年後の事件を呼ぶ。輪のどこにも起点が書かれておらん。そこを空白のまま置いたのは、わしは潔いと思う。

エンディングの点

エンディング満足度に9を置いた。前の作品で6を付けたわしが、なぜここまで上げたか。答えを置いていったからじゃ。17年眠ったココと武が目を覚まし、2034年5月7日、本土へ向かう船には9人と2匹が乗っておる。ライプリヒ製薬の関与は新聞に載る。武の道で海に消えた男にも、少年の道で正体の知れなかった少女にも、行き先が与えられた。ちゃんと閉じた。ココが2034年にだけ少年の前に現れた理由、空が肉体を持って甲板に立つ「奇蹟」、テラバイトディスクに入っておるはずのない記憶。答えの出ぬものはいくつか残る。ただ、それは穴ではなく余白じゃ。10に届かなかったのは、空の体の一件を奇蹟の一語で済ませた手つきが、わしには少し軽く見えたからじゃ。

テーマと文章

テーマには9じゃ。モリノシゲゾウ博士が若い優春に説く「不死には3つの種類がある」「ひとつめは個体の不死」「ふたつめは記憶の不死」「みっつめは遺伝子の不死、だ」。老いぬ体を持ったつぐみ、記憶を写しとられる空、自分の遺伝子で自分を産んだ優春。三つの不死が、そのまま三人の人生に割り振られておる。死なぬことは幸せか、という問いを、恋愛アドベンチャーの姿で何周もさせる。

文章には8。空の講義、優の講義、ココのたとえ話と、理屈を言葉で運ぶ場面は前の作品と同じく長い。違うのは、その講義が最後に全部効いてくることじゃ。中盤の歩みの遅さは、再プレイでも変わらなかった。そこで1点引いた。

業界史の中で——地味な夏から、基準へ

歴史的意義に9、作品の尖りに9を置いた。

系譜を言うておこう。複数の視点が交差して初めて真相が見える、という骨格は、1995年のEVE burst errorあたりから流れてきたものじゃ。KIDはそれを、2000年のNever7で一人の主人公と一つの島に収めた。この作品はそこから、視点を二つに割り、その間に17年を差し込んだ。二つ目の視点を足しただけではない。二つの視点を束ねる三つ目の視点として、プレイヤーを呼び込んだ。複数視点でしか辿り着けない真相を、一つの到達点まで持っていった一本じゃ。

評価は遅れてついてきた。ErogameScapeでは、ドリームキャスト版の中央値が90、プレミアムエディションのWindows版は1,667件の投票で中央値90。雑誌の26点と、遊び切った者の90点。この落差がそのまま、この作品の受容史じゃ。序盤で判断されれば沈み、最後まで遊ばれれば残る。2005年には英語版が出て、海の外でもカルト的な一本として語られるようになった。作中で事故が起きる2017年5月1日が現実に来た日には、打越が当時の話をまとめて語っておる。書き手は後に別の会社で謎を組み立てる作品を重ねていくが、その名を広めた一本はこれじゃろう。

前の作品と続けて遊んだ者には、もう一つ楽しみがある。Never7で心の病の名として出てきた「キュレイ」が、ここでは老いを止めるウイルスの名として出てくる。作中は両者を何ひとつ結びつけん。同じ名を別の物に貸しておるだけで、物語も人物も別じゃ。それでも、前の島で、不死が人から人へうつると思い込んだ少年の話を聞いた者は、つぐみの体の秘密を知った場面で、ほう、と思うはずじゃ。シリーズの手ざわりとは、こういう符合のことじゃな。

一つだけ釘を刺しておく。2011年のリメイクと2025年のリマスターは、本文を書き直した別の系統じゃ。あれを遊んで、この作品を遊んだと思わぬことじゃ。わしが話しておるのは、2002年の海の底のことだけじゃ。

七日目に届かぬ島から、十七年かけて海の底へ。2002年の夏に見過ごされた一本は、24年経っても、見ている者を見返してくる。

— マルチナ

8.7——閉じた輪は、いまも回っておる

8.7。わしの物差しでは、今遊んでも有効で、再プレイで初見の驚きが半分戻ってきた一本じゃ。

中盤の歩みは遅く、講義は長い。空の体の一件は奇蹟の一語で済まされる。そこを差し引いた。それでも、2017年と2034年を同じ顔で並べる仕掛け、船着場の石碑から始まる行き先の示し方、そしてプレイヤーの視点まで物語に数え入れた最後の一手。これは残るぞ。前の作品の島で問いを手渡されたなら、この海で答えを受け取るがよい。ただし、最後の一本に辿り着くまで、途中で降りぬことじゃ。