シコらせに来ていない陵辱ゲー。それでも6.5を出すのは、恐怖と凌辱を一本に編んだ趣向が本物だからよ。
正直に言うわ。本作の凌辱は、ほとんど直接見せてくれない。遺作(用務員の伊頭遺作)が女子をどう犯したかは、健太が8mmビデオを再生して断片セリフで知る、机に縛られた高島先生を見て察する、時計台で全裸のまま放心した女たちを見て総括される——この三つの間接提示で処理される。逐語の性交描写を期待して手を出すと、肩透かしを食らうわ。だから実用性という一点なら、おシコり奉るような場面はない。それでも6.5を出すのは、この間接提示が「脱出ゲームの恐怖」と「凌辱の後味の悪さ」を一本に編むための趣向として効いているから。1995年の鬼畜ADVの原点として、エロを物語の燃料に変える組み方には筋が通っている。シコれるかと、よくできているかは、別の話よ。
スコア詳細
評価①:Hシーン品質——間接提示の一本槍で、各シーンを断定採点するわ
まず加害構造を押さえておくわ。犯すのは主人公ではない。
本作で能動的に女を犯すのは、桜蘭学園旧校舎の用務員遺作ただ一人よ。主人公の健太は加害者じゃない。鍵を探して脱出を図り、犯された後の女を救う側。だから本作の凌辱は、健太が8mmビデオを再生して目撃する、拘束された姿を発見する、事後の放心を見るという、徹頭徹尾「間接」の形で出てくる。実用性を評価する人間にとって、これは最初に呑み込むべき前提よ。誰かが目の前で誰かを犯す逐語描写を期待すると、確実に裏切られる。
その上で、シーンごとに断定するわ。
高島先生の拘束発見とビデオ。本作で最初に出てくる被害ね。理科実験室で机にロープで縛られた状態を健太が見つける場面と、後に「久美のテープ」を再生する場面に分かれているわ。テープでは遺作が「ふん、いつも俺の事を見下げてた女が……いい気味だ」と私怨を吐く。担任教師が逆恨みで嬲られるという構図は悪くない。でも提示が拘束姿と断片セリフだけで、行為そのものは画面外。教師凌辱として狙いは立っているのに、実用性まで届いていないわ。導入として機能はする、という採点ね。
里香——幼さ強調+笑顔強要。遺作が「ほーら、こっちを見て笑ってごらん」と、嫌がる里香に無理やり笑顔を作らせようとするビデオ。幼さを強調された子に笑顔を強要するという嗜虐の入り方は、フェチとして筋が通っているわ。里香の「い、いやだぁ」がループで提示される。ただこれも映像断片。萎縮の表情で示唆して終わる。趣向は理解する。実用性としては中程度よ。
明美——気丈なヒロインの屈服狙い。これは構図がいいわ。明美は教師の吉沢と不倫していて、その弱みを脅迫状で握られ呼び出された。拘束後も「早くロープを解きなさいよ!!」と強気を崩さない。遺作は「くっくっく、この威勢がいつまで続くかねぇ」と、その威勢が折れるのを狙う。気の強い女が屈していく落差は、陵辱の王道としてシコさの芯がある。盗まれたテニスウェアを着せて吉沢への嫉妬込みで犯すという味付けも効いている。惜しいのは、ここでも崩れていく過程を逐語で見せず、強気のセリフで止めること。芯はある。届いていない。
美緒は失禁と女性化の嬲りよ。美緒は明美が消えた後「自分が……囮になるしかないよな」と自ら囮を選んで連れ去られる、義侠心の強い男勝りの子よ。ビデオではナイフ投げで脅されて失禁し、「お前は女なんだ」と乳房や股間を嬲られる。普段の「〜だぜ」という威勢と、失禁という最も無防備な崩れの落差。これはフェチとして強い。脱出後に無口になる後遺症まで含めれば、被害の重さは伝わってくるわ。提示が遺留品のピアスと時計台の裸体に寄っているのが、やはりもどかしい。
琴未——本作で最も執拗な対象。遺作が「特に気に入っていた女」として、処女を奪い顔射までする最も長いビデオが、琴未のものよ。健太が密かに想う清楚な子が、最も執拗に犯される。陵辱対象として一番美味しい配置なのは間違いないわ。前史のトイレ覗きの言及も積まれている。ここだけは作家も力を入れている。それでも、琴未本人の長台詞は抑えられていて、最後は時計台の「家に……帰りたい」という放心で総括される。一番の見せ場ですら、放心に畳むのよ。これがこの作品の作法だわ。
男の被害も一応触れておく。宗光は放送室で猿ぐつわと天井吊りで拘束されているのを健太が救出する。発見場面そのものに性的要素はなくて、猿ぐつわ越しの「う、う、う、う」を健太が誤訳するコメディ救出よ。ただビデオ側では遺作に自慰を強要され、高島先生や里香との強制性交に操られる被害者でもある。男性への同性的強要というフェチを一枚噛ませているのは、ジャンルの幅として記録しておくわ。
採点を言うわ。各シーンの「狙い」は粒揃いよ。教師・幼さ・気丈な女の屈服・失禁・最執拗な処女喪失・男性強要——フェチの配置に外れがない。でも全部、間接提示の壁で実用性が頭打ちになっている。Hシーンの質は5。これは時代を踏まえた上での採点よ。1995年の作なら逐語の薄さは差し引いて読むべきだけど、それを差し引いてもなお「シコらせる」ことに全振りした作りではないわ。
評価②:エロと物語の相乗効果——ここで6.5まで戻すのよ
実用で頭打ちなのに総合が6.5まで上がる理由は、ここにあるわ。
本作の凌辱は、脱出ゲームの構造に完全に組み込まれているのよ。健太は鍵を探して旧校舎を上から下へ降りていく。その道中で、机に縛られた高島先生を見つけ、視聴覚室のデッキで仲間が犯される8mmビデオを再生し、放送室で拘束された宗光を救う。つまり凌辱の発見そのものが、探索の進行と恐怖の積み上げになっているの。ビデオを一本見るたびに、遺作という化け物の正体と、もう手遅れになった仲間の数が分かっていく。エロが脅威メーターの役割を果たしているわけ。これはエロと物語が噛み合っている数少ない型よ。
そして時計台フィナーレ。高島先生・里香・明美・宗光・美緒・琴未が全員、裸のまま縛られ猿ぐつわをされて放心している。縛めを解いても無反応で、「家に……帰る」とだけ繰り返して蝋人形のように服を着て去っていく。美由紀が美緒に落ちていたピアスを返すと、ロボットのように着け直す——あの一場面。これは性的に興奮する画じゃないわ。でも凌辱の「後」を、これほど冷たく総括した場面はそうない。シコさを捨てて、後味の悪さを取りに行った構図。鬼畜ADVが向かう先を、1995年の時点で一つ提示しているのよ。
極めつけは美由紀の処遇ね。最後まで健太と行動して連れ去りを免れた才女が、時計台で最も残酷に辱められる。遺作は健太に薬を嗅がせて気絶させ、柱に裸で縛りつけ、勃起させた健太の体を椅子代わりに使って美由紀を犯し、さらに自ら肛門性交で嬲る。主人公の体を加害の道具にするというこの趣向——シコさより先に、嫌悪と無力感が来るわ。でも物語的には完璧よ。妹を殺された遺族が、想いを寄せ始めた相手の体で犯される。この残酷さは、エロでしか描けない。エロを物語の刃に変えている。エロと物語の相乗効果という観点では、本作はかなり上に来るの。
共犯の陣八の存在も効いている。手紙配布・盗撮・運搬という陣八の役回りがあるから、女たちが旧校舎に集められ、連れ去られる導線が成立する。エロの供給ラインそのものが、ミステリーの犯人当てに直結しているわけ。「鍵を開けたのが陣八君よ」という美由紀の看破が、凌辱の運搬役の正体当てになっている。エロと謎解きが同じ一本のロープで縛られているのよ。この組み方は本物よ。
シコらせる作りではない。けれど、エロを恐怖とミステリーの燃料に変える組み方は本物よ。実用で削った分を、ここで取り戻している。それが6.5の中身。
6.5——シコれるか。答えは「ほとんど無理。でも作りは認める」よ
高飛車に、結論から言うわ。
純粋な実用品として手に取るなら、この作品は採点表の下の方に行くわ。理由はもう言った。直接の性交描写がほとんどなく、凌辱はビデオの断片セリフと拘束姿の発見と事後の放心で示唆される。一番執拗な琴未のシーンですら、最後は放心に畳む。シコりたくて開いて、シコれずに閉じる場面が多い。これは事実よ。1995年という時代を引いて読んでも、本作が「実用に全振りした抜きゲー」でないことは変わらない。
では論外かというと、却下しないわ。本作のエロは飾りじゃないの。むしろ逆。エロを抜いたら、この脱出ゲームの恐怖も、ミステリーの後味の悪さも、美由紀の悲劇も全部抜け落ちる。凌辱が物語の心臓そのものよ。「シコれる」と「よくできている」を混同しない人間なら、本作の価値は分かるはず。これはシコる作品じゃなくて、エロで殴ってくる作品なの。
強いて実用の芯を挙げるなら、気丈な明美が屈服を狙われる構図、男勝りの美緒が失禁で崩される落差、清楚な琴未が最執拗に犯される配置——このフェチの三点は、想像力で補える人なら効くわ。間接提示の隙間を自分の頭で埋められるなら、シコれる余地はある。逐語を待つタイプには向かない。そこは好みで分かれるわね。
最終判断を言うわ。実用目当てなら期待値を下げて手に取ること。エロを物語の刃として味わえる人になら、勧める。遺作という化け物が女たちを一人ずつ標本にしていく、その冷たさを「シコさ」ではなく「凌辱の完成度」として測れるなら、6.5は妥当な数字よ。シコれなくて減点した分を、エロを物語に編み込んだ趣向で取り戻している。それがこの作品の正体。以上よ。
